植物園の梅が満開

2018年3月11日(日)

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d0170835_20465692.jpg京都コンサートホール西隣の京都植物園がいま満開である。
こうしてみると小生のたなごころもまだ若いですな、ハハハ~
園内の梅林には花梅を中心に60品種150本が植栽されていて、団体客らで賑わっていました。
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どうしても白梅の方が好きやから多くなります。
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植物園、来年からは無料で入園できそう。
(全員と違いまっせ! 小学生以下と同じになるのです。自慢じゃないけど・・・)



by kirakuossan | 2018-03-11 20:31 | 新日本紀行 | Trackback

天満宮の梅は午後が見ごろ

2017年3月9日(木)
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d0170835_1724160.jpgd0170835_17274927.jpg北野天満宮が満開だ。
午後の方が見ごろという、朝方は寒さのため花が開ききっていないそうだ。
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d0170835_1735669.jpg3年前にも訪れたが、その時は確かどこも無料で拝観できたのではなかったか?今年は一部に竹の囲いがされて、茶菓子付きで、入場料700円也とあった。で、それはあんまりなので、柵の外から撮った、それで十分だ。

by kirakuossan | 2017-03-09 17:40 | 新日本紀行 | Trackback

クッキー作り ・・・ (i Ca-tyann)

2017年2月27日(月)

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d0170835_13371834.jpgd0170835_13373268.jpg第144題 010.gif
我が家の白梅も開花。近くの鉄塔では数人で作業、見上げるだけでこちらの足元が竦む。家ではかみさんが料理本にへばりついて孫娘の雛祭り用のクッキー作り。この日のために調子の悪かったオーブンまで自分で修理して直してしまいました。そして私は、かみさんの代りに愛車モコの1年点検に行ってきま~す。
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by kirakuossan | 2017-02-27 13:36 | i Ca-tyann | Trackback

表通りにある裏庭の梅

2017年2月22日(水)
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d0170835_1259183.jpg京阪石山寺駅の螢谷にあるセブンイレブンまで散歩がてらサンタナのチケットを引き換えに行ってきた。最近一日おきだが、今日もよく晴れて、少し歩くと汗ばむほどの陽気だ。
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例の毎日やっている「水月」の南隣が「石柳」という店だが、ここの裏庭のが早くも満開だった。表玄関は石山寺の境内に向いている。だからその裏にある庭が裏庭ということなのだが、実際は今では広い道路沿いなので、こちらが表側みたいなものだ。その裏の表玄関(ややこしいなあ)には「寛政十一年石山名物志じみめし」の看板が立ててある。このしじみめしはたっぷりとしじみが入っていて美味しいが、寛政11年といえば1799年、218年も前のことだ。昔は石山寺詣で今以上に賑わった。
1799年といえばナポレオンがクーデタによりフランス政権を掌握した年だ。


追記:
(17:30)
まてよ、よく見れば桃の花かな?
梅とよう区別はしんけど・・・



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by kirakuossan | 2017-02-22 12:39 | 偶感 | Trackback

梅二輪

2017年2月16日(木)
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久々に朝から快晴である。
もしや?と思って近くの集会所の紅梅を見に行った。やはり、二輪咲いていた。昨日、村田とうふを買いに行くときに前を通ったがまだ蕾だった。今朝花開いたのだろう。
孫娘も今日で満11歳になった。おめでとう。
服部嵐雪じゃないが、むめ二輪二りんほどのあたたかさ である。


余談だが作家で俳人、児童文学の開拓者でもある巌谷小波(1870~1933)に「梅二輪」という作品がある。文芸評論家巌谷大四の父であるが、彼は滋賀県立虎姫高校の校歌の作詞者でもある。作曲は永井幸次(1874~1965)で、大阪音楽学校(現大阪音楽大学)の設立者として知られる。
この校歌がまた威風堂々として気宇壮大、なかなか好いのである。


d0170835_1174358.jpg虎姫高校校歌
巌谷小波:作詞
永井幸次:作曲

日東第一琵琶湖の水の 万頃碧を湛ゆる辺
湖北に冠たる伊吹の山の 千載の動がぬ麓

山水等しく勝地を占めて 此所にぞ開ける学びの庭は
我等が朝暮念をこめて 智徳を研ける第二故郷

山には独立自尊の容 水には方円自在の力
何れも我等が鑑となして いそしみ進まん学びの道を



d0170835_13512236.jpg話題は尽きないが、東京生まれの巌谷小波がなぜまた滋賀湖北の高校の校歌を書いたか?ということだが、そもそも巖谷家は近江水口藩の藩医の家柄であり、小波の当初の本籍は滋賀県にあった。本名は季雄(すえお)だが、ペンネームを「小波」としたのはいかにも滋賀県人らしい。校歌の冒頭の詞「日東第一」は、昔、広島福山の鞆の浦を訪れた朝鮮の文官李邦彦が、ここからの眺めを「日東第一形勝」と言って賞賛した。「日東第一形勝」とは朝鮮より東で一番美しい景勝地という意味である。小波は文部省唱歌「ふじの山」の作詞でも名高いが、さらに付け加えると百やんの母校大津市立平野小学校の校歌も彼の作品であることがわかった。


d0170835_1339384.jpg平野小学校校歌 
巌谷小波:作詞
岡野貞一:作曲


前に湖ありさざなみの
夜さえ休まず岸を打つ
そのいそしみにおとらじと
絶えず 進まん 学びの道を


後ろの山はときわぎの
冬をよそなる深みどり
霜をおそれぬ心もて
絶えず 励まん 教えの庭に


花はさけども地にたれて
つるは高枝の末までも
上らでやまぬ藤のごと
絶えず たどらん 聖のあとを


驚くなかれ、作曲はあの岡野貞一(1878~1941)ではないか!「春の小川」や「故郷」、長野県立小諸商業や大阪府立北野高校の校歌を書いた、日本を代表する有名な作曲家である。そしてまたこれも偶然、今日2月16日は彼の誕生日でもあった。

「梅二輪」から、ずいぶんと長い話になった。。。



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by kirakuossan | 2017-02-16 09:46 | 偶感 | Trackback

”むめ一輪”はまだかいな

2017年2月7日(火)
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毎年今頃になると、まだかまだかと気になるものがある。アトリエのご近所の見事な白梅と坂道をすこし上がったところにある集会所の紅梅である。今朝小雪交じりで出てみると、ちっちゃな芽を出し始めていた。紅白今年はどちらが先に顔をみせるのか。

d0170835_757445.jpg百花に先んじて、残雪融けやらぬ山野に、高い香気を放って咲く。気品ある清雅花として古来より数多く歌われてきた。



むめ一輪一りんほどのあたたかさ  嵐雪




服部嵐雪は江戸時代前期の俳諧師、淡路国三原郡の人で芭蕉の高弟。雪門の祖。雪門とは江戸俳壇で最大の勢力をもった俳諧の流派である。芭蕉は嵐雪を高く評価し、「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」と称えた。


d0170835_1048247.jpgところで我が家の白梅は?
よく見るとちっちゃな蕾をつけていた。





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by kirakuossan | 2017-02-07 07:52 | 偶感 | Trackback

今月の一枚:: 我が家の小梅 Feb.2016

2016年2月29日(月)

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2016年2月25日(木)08:47am 我が家の小梅
レンズ:1NIKKOR VR 10-30mm  f/5.3 焦点距離:25.9mm(69.9mm) 
露出+0.0 シャッター1/125 ISO320 AUTO (一部露出修正あり)




by kirakuossan | 2016-02-29 09:33 | PHOTO | Trackback

菅原道真公

2016年2月25日(木)

昌泰の変。菅原道真が大宰員外帥に左遷される。そのときの様子が『大鏡』の左大臣時平の章に書かれてある。では、『大鏡』に挑戦。

このおとどは、基経(もとつね)のおとどの太郎なり。御母、四品弾正尹人康(しほんだんじやうのゐんさねやす)親王の御女なり。醍醐の帝の御時、このおとど、左大臣の位にて年いと若くておはします。菅原のおとど右大臣の位にておはします。その折、帝御年いと若くおはします。左右の大臣に世の政(まつりごと)を行ふべきよし宣旨(せんじ)下さしめたまへりしに、その折、左大臣、御年二十八九ばかりなり。右大臣の御年五十七八にやおはしましけむ。ともに世の政をせしめたまひしあひだ、右大臣は才(ざえ)世にすぐれめでたくおはしまし、御心おきても、ことのほかにかしこくおはします。左大臣は御年も若く、才もことのほかに劣りたまへるにより、右大臣の御おぼえことのほかにおはしましたるに、左大臣やすからず思(おぼ)したるほどに、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬこと出できて、昌泰四年正月二十五日、大宰権師(だざいのごんのそち)になしてたてまつりて、流されたまふ。

このおとど、子どもあまたおはせしに、女君達は婿とり、男君達は、皆ほどほどにつけて位どもおはせしを、それも皆方々に流されたまひてかなしきに、幼くおはしける男君、女君達慕ひ泣きておはしければ、小さきはあへなむと、おほやけもゆるさせたまひしぞかし。帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方につかはさざりけり。かたがたにいとかなしく思し召して、御前の梅の花を御覧じて、
東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな

また、亭子(ていじ)の帝に聞こえさせたまふ、
流れゆく我は水屑(みくず)となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ

なきことにより、かく罪せられたまふを、かしこく思し嘆きて、やがて山崎にて出家(すけ)、せしめたまひて、都遠くなるままに、あはれに心ぼそく思されて
君が住む宿の梢をゆくゆくとかくるるまでもかへりし見しはや

また、播磨国におはしましつきて、明石の駅(むまや)といふ所に御宿りせしめたまひて、駅の長(をさ)のいみじく思へる気色を御覧じて、作らしめたまふ詩、いとかなし。
駅長(えきちゃう)驚クコトナカレ、時ノ変改(へんがい)
一栄一落、是レ春秋



d0170835_18275166.jpg道真には子供がたくさんいたが、女男すべて方々に流された。なかには幼少の子がいたが、父を慕って泣いていたところ、道真は「小さい者は差し支えなかろう」ということで、連れていくのを許された。そのほかの子供たちはすべて違う方面に流された。このとき可愛がっていた梅を見て、道真が詠んだ歌が、有名な「東風吹かば~」。
やがて春になり、東風が吹くころになったら、おまえの懐かしい香りを、風に託して筑紫まで届けておくれ梅の花よ。主人がいないからといって、花を咲かす春を忘れるではないぞ。

また駅長が左遷する様子をみてたいそう嘆いているのを見て作った詩は・・・

駅長よ、そんなに驚くことはないぞ、時勢が変わり、今や私が配流(はいる)の身になって落ちていくことを。春に花咲き、秋に落ち葉が散るのは、自然の摂理、人の世の栄枯盛衰もまた同じものなのだから。
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ところで道真がなぜ配流の身になったかだが、諸説がある。ひとつは藤原時平による讒言とする説(醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った)、そして宇多上皇と醍醐天皇の対立に捲き込まれたとする説など、いずれにしても道真の右大臣という破格の昇進に対して妬む廷臣が多くいたことは事実で、道真に引退して生を楽しむよう諭す者まで出るほどであったが、道真は聞き入れなかった。
こういうことはいつの時代も同じだなとつくづく思うし、かみさんに言わせれば韓国ドラマの筋書きとまったく同じだということになる。


また、雨の降る日、うちながめたまひて、
あめのしたかわけるほどのなければや着てし濡衣(むれぎぬ)ひるよしもなき

やがてかしこにてうせたまへる、夜のうちに、この北野にそこらの松を生ほしたまひて、わたり住みたまふをこそは、ただ今の北野宮と申して、現人神(あらひとがみ)におはしますれば、おほやけも行幸せしめたまふ。いとかしこくあがめたてまつりたまふめり。筑紫のおはしまし所は安楽寺と言ひて、おほやけより別当、所司(しょし)などなさせたまひて、いとやむごとなし。
内裏焼けて度々造らせたまふに、円融院の御時のことなり、工ども、裏板どもを、いとうるはしく鉋(かな)かきてまかり出でつつ、またの朝にまゐりて見るに、昨日の裏板にもののすすけて見ゆる所のありければ、梯に上りて見るに、夜のうちに、虫の食(は)めるなりけり。その文字は、

つくるともまたも焼けなむすがわらやむねのいたまのあはぬかぎりは

とこそありけれ。それもこの北野のあそばしたるとこそは申すめりしか。
かくて、このおとど、筑紫におはしまして、延喜三年、癸亥(みづのとゐ)二月二十五日にうせたまひしぞかし。御年五十九にて。

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道真が雨の降る日に詠んだ
雨の降り続く天の下一面は、乾いている所がないからであろうか、強いられたこの濡れ衣は、乾かし晴らしようがない・・・と。
ここで、北野天満宮が出てくるが、造っても造っても炎上する内裏から裏板に文字が浮かんだ。
内裏は幾度造り替えても、また焼けてしまうだろう。この無実の菅原の胸の痛みの傷口が合わぬ限りは。
このことは皆、この北野の神がなされたものだと人々は噂した。

こうしてこのおとど、菅原道真は筑紫に居たまま、延喜三年(903年)2月25日に亡くなった。享年59歳、配流の身になって僅か丸2年後のことであった。
道真が京の都を去る時に詠んだあの梅の香りが、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという。
894年に遣唐使の停止を建議した菅原道真は、翌895年には近江守を兼任することとなる。滋賀県にゆかりのあった人物でもあったわけだ。


『大鏡』は、平安時代後期に書かれた紀伝体の歴史物語(作者不詳とされるが、源顕房説がやや有力)
(梅の写真:2014年3月8日北野天満宮にて)

by kirakuossan | 2016-02-25 16:30 | | Trackback

我が家の小梅

2016年2月25日(木)

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d0170835_9322149.jpg我が家の梅。
さていくつ花開いているか?
もともと小枝なので数はしれているが、
それでも10輪はある。
おととしは3月10日ころ突如に咲いた。そのとき我が家の白梅としているが、よくみると白梅でもない。
我が家の小梅にしておこう。
やはり半月近く今年は開花が早い。
今月の一枚もこれで決まりだな。

by kirakuossan | 2016-02-25 09:26 | 自宅 | Trackback

今年は3週間も早い

2016年2月21日(日)

d0170835_13553682.jpg石山寺のはまだ五分咲きとか言っていたが、しかしよく考えたら、今年は暖冬のため例年に比べて2~3週間も早いのだ。
お隣の梅、昨年は3月9日に白梅一輪、二輪とか言っているし、一昨年はお隣の梅はちょうど彼岸入りした頃から満開にと書いているし、石山寺は3月14日で五分咲きだった。また北野天満宮は3月8日に訪れているがちょうどそのころが見ごろだったが、今年は今がすでに満開という情報だ。お隣も蕾がだいぶ膨らんでいるので一両日でかなり開花するだろう。(写真は2014年3月8日、見ごろの北野天満宮の白梅)

今月は珍しく外出が少なかったこともあって、「今月の一枚」に採りあげるスナップが見当たらない。ちょっとでも撮りに行くか、25~26日ごろが日和も良さそうだ。

by kirakuossan | 2016-02-21 21:11 | 偶感 | Trackback