ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

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若さ溢れるセル、生涯最後の録音

2018年6月7日(木)

1897年の今日6月7日、ジョージ・セル(George Szell、1897~1970)が、ハンガリーのブダペストに生れた。残念ながら一度も彼の指揮に接したことはなかったが、なぜかしら昔からその存在は気になるものであった。それは早くから手にしていた彼のドヴォルザーク第8番のレコードのせいかもしれない。また。あののちのちに語り継がれる名演を残すことになった1970年5月大阪万博の最初で最後になった初来日、そしてそのわずか2か月後の急逝、その印象があまりにも鮮烈であったからかもしれない。
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この愛聴盤(ドヴォルザーク交響曲第8番)はセルが初来日する半月前に演奏した最晩年のもので、彼の最後の録音となった。ライナーノーツでは藤田由之氏がこう記している。


本年(1970年)5月のセルとクリーヴランド管弦楽団とのはじめての来日は、こうしたセルとそのオーケストラとがもつ演奏の特質を、あますところなく伝えていたが、その来日にさきだって、4月末にその根拠セヴァランス・ホールにおいて録音されたシューベルトの第9交響曲と、さらにひきつづき録音されたこのドヴォルザークの作品は、セル自身快心のできばえであったといわれ、事実、それらは、彼の最晩年の円熟をみごとに立証するとともに、彼の最後のレコーディングともなったのである。その偉大な存在の死は、たしかに、世界の楽壇の損失といえ、驚異的なテクニックと完璧な耳とが生みだす音の魔術には、永遠にふたたび接する機会を失ってしまったが、これらのレコーディングは、そのなまの演奏に接した感動とともに、いつまでも音楽を愛する人びとの心の中にのこってゆくにちがいない。



ところでセルはよほどこのドヴォルザークの8番を愛したのだろう。古くは1951年、最初にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との演奏で録音した。さらにいずれもコンセルトヘボウと1958年、1970年と3度もレコーディングを行なっている。その他に、1969年にはスイス、ルツェルンでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団との名演奏を残している。これはNMLでも聴けるが、高音質のライブ録音である。
そして手兵のクリーヴランド管弦楽団を振ったのが生涯最後の録音となった。
その演奏は、円熟味もさることながら、どちらかといえば、そこには感情をむき出しにした、あの冷徹な印象を抱かせたセルとは別人のようなほとばしるような若々しいセルの姿があるように思う。



by kirakuossan | 2018-06-07 16:43 | myライブラリー | Trackback

15枚目のレコード

2018年5月9日(水)
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今もこのジャケットを見るたびに1970年万博のことを思い起こす。LPを買い出してこれが15枚目である。ジャケットを見開くと、
鉄夫よりプレゼント。 No15
S47.6.28 
(27日にはマッチャンの大学の演奏会でこの40番を聞いて感動する)
とある。

ジョージ・セルが手兵のクリーヴランド管を引きつれて来日したのは48年前のちょうど初夏の香りがそろそろしはじめるかな、といった5月の今頃だった。
最近なぜか、次の記事が頻繁に上位ランキングに顔を出すのでまたアーカイブで挙げてみた。




archive



ジョージ・セルという指揮者


2016年1月9日(土)

1970年に大阪で万国博覧会が開催され、ちょうどこの時、今でも語り草になっているが世界各国から一流のオーケストラが多数やって来て、素晴らしい演奏を繰り広げた。
「セル来りて、永遠に去る・・・。伝説として語り継がれるただ一度の来日公演」と今も評されるひとりの大指揮者がこの時初めて日本にやって来た。ジョージ・セル(1897~1970)である。クリーヴランド管弦楽団もそのときが初来日であった。
セルは1970年5月15日大阪・フェスティバルホールの公演を皮切りに、翌16日大阪、そして京都で20日に、翌日名古屋へ出向き、22、23日と東京で、そして25日には札幌へ、翌日には東京へとんぼ帰りして最終公演を行った。同じく5月にやって来たカラヤン/ベルリン・フィルが前日の14日まで大阪で6公演行ったが、それよりも人気が高く、極めて高い評価を受けて多くの聴衆に感銘を与えた。そして帰国後、2か月わずかで突然信じられない悲報が入って来る、「セル、急逝する」の知らせであった。
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d0170835_21134581.jpg生前、あるいは没後においてもセルに対する評価は二分する。完璧主義者で禁欲的であまりにも厳密な解釈が冷徹な指揮者として受け取られた。また片方では、端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を完成度の極めて高いものとして評価された。果たしてどちらが正しいのか。いやはたまたそのどちらも正しいのか。
猿田悳による『音楽との対話』での、セル初来日の2年前1968年に書かれた「ジョージ・セル」の一稿は、その答えともなることがらを示唆してくれる。

指揮台にのぼり、ものの二、三分もすると、楽員はこの指揮者の下で全力を尽くした方がいいか、その必要がないかを見わけるそうで、日本のある練達の楽員の言葉だが、うそではあるまい。~
ことの善悪を問わず指揮者という職業に権威は必要なのだが、セルはこの点で不足はなかった。家族的な安易感などというのはこの世界では第二の条件で、第一にはむしろ憤慨と悪意を呼びおこす叱咤である。こんな逸話がある。トスカニーニが死んだとき、ある楽員は葬儀に招かれなかった。
しかし彼はこう言った。「いいだろう。だが、セルのときにはぜひぼくに案内状を二枚とっといてくれ」
こんな話もある。クリーヴランドでは週二回の演奏会のために七回の練習を行うそうであるが、楽員はこう言うそうだ。「演奏会は九回あるが、たまたまそのうちの二回は客がいるにすぎない」
セルはよくヨーロッパの巨匠たちにあるような、稽古はほどほどに切り上げてという方法はとらない。納得ゆくまで各声部をみがきあげ、完璧なものにしようとする。フレーズをくっきりと造形し、鮮明な音色を求め、しかも音楽の内容を生気あふれるものにしようとする。そのうちどの一つでも充たされないかぎり、彼は稽古を止めない。この結果生まれた透明で純粋な音楽が、ときとして伝統的な音に馴れた聴衆に異様にひびくことはありうるだろう。つまり、この造型の仕方に完全に異質な音楽もあるはずである。それは発売されたレコードの一覧を見てみればわかる。セル自身が自信をもっているのは、一見予想外にみえるがウイーン古典派である。そして名実ともにレコード表に見当たらないのはフランス近代音楽、とりわけ印象派である。印象派の音色とセルの美意識が造型するもの、これはたしかに異質だろう。しかし、まだ自分の耳でたしかめてもいないわたしには何も言えない。あるいはすばらしいかもしれない。セル自身がこんなことを言っているのだから。

「不統一のまま熱狂するのもたしかに結構だろう。だがわたしには、偉大な芸術とは決して無秩序ではないということだ」



d0170835_2244212.jpgドヴォルザーク:
交響曲第8番 ト長調 Op. 88, B. 163
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
(録音: 1969, Liver recording)



セルは、明らかにその天性においても信条においても、新しい時代の担い手といっていいだろう。現在彼に抗しうるのはバックハウスのほかに存在しない。それは<裸形の精神>ということだ。手垢だらけのロマンティシズムへの郷愁にも、超絶技巧への盲信にも、誇張したスキャンダラスな解釈にも無縁な、ひどく透明で、緊張した精神構造を持った人間という意味である。だから彼はひとりの偉大な芸術家の典型なのであって、ただクリーヴランドの指揮者でもなく、アメリカの寵児でもなく、没落した西欧教養世界を含めた再現芸術の世界での新しい典型ということができるのである。
その特徴を透明、純粋、緊張の極限、巨大な構造物などと名付けることができるが、その証拠をひろい出すのは困難ではない。数十枚の発売されたレコードの中から、二、三枚のモーツァルトやベートーヴェンを任意にとりだしてみれば、いつでも気付くことができる。



モーツァルト:
交響曲第41番 ハ長調 「ジュピター」 K. 551
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
(録音: 18 November 1955)


『運命』においても『ジュピター』においても、彼はこれらが人間の運命とか神の創造などと少しも関係があるとは思っていないのであって、当然のことながら彼が拠るのは譜面だけである。忌憚なくいえば彼には想像力がおそろしく欠如している。フルトヴェングラーにあまっていたような想像力である。しかし今日この欠如は彼にとって最大の財産で、彼には譜面を彼流に理解した結果、楽員に命令して直線的に現実の音とする仕方しかない。余分なものは彼自身持っていないのである。だから、音楽につけ加えようがないのだ。


ワルターやフルトヴェングラー、あるいはベームなどは各地の歌劇場指揮者へと進んで行った。また当時は指揮者として名声を得るにはオペラとは無縁ではいられなかった。しかし、ハンガリー生まれのセルはドイツ、オーストリアから外へ飛び出し、オペラの世界からも絶縁の姿勢をとった珍しい指揮者であった。そしてその結果、孤高と言われる巨匠となった。
そして万人が素直に認めるところは、ジョージ・セルは厳しい訓練によって、クリーヴランド管弦楽団を世界最高のアンサンブルと称えられる合奏力に高めたという動かしようのない事実である。








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by kirakuossan | 2018-05-09 05:09 | クラシック | Trackback

unCLASSIFIED

2018年5月3日(木)


選考を任されたザンデルリンクがもうひとりの選考委員ノリントンに言った。
「アーベントロート翁の推薦もあったから1番と2番をミュラー=ブリュールという男に任すことにしたよ」
「はい、わたしもよく知りませんが手堅いらしいですね」
そして言った。
「ノリントン君、君には4番をたのむよ、僕は6番に回るから」
「えッ!? 先生が6番だって、意外だなあ、てっきり3番か5番かと思いました」
「いやそれでいいんだ、意外性が面白いんだよ、きみ」
「なるほど」
ノリントンが続けた。
「じゃあ3番と5番をドホナーニ先輩にお願いしますよ」
「それでいいんだ」
「ところで、少し気難しいギーレンだが、彼には7番を頼んだよ」
「あの人、受けました?」
「そら、受けるよ。渋い7番って、彼にもってこいだよ」
さらにザンデルリンクが、
「今回若手をひとり選んだが、イラン人のラハバリ君だ、彼には8番がいいだろう、ちょっと若々しくて青そうで」
「はい、ごもっともです」
「それじゃ、やはり〆はブロムシュテットさんですね」
「まあ、そうじゃろ、このメンバーでは」

ということで、無事、ベートーヴェンの9曲の指揮担当が決まりました。
(打順じゃなかった)


9曲が指揮者、オーケストラがばらばらに組み合わされた交響曲全集というのは珍しい。レーベルがunCLASSIFIED、まさに”分類されていない”全集だ。今朝、NMLで他の曲と合わせてたくさん新着タイトルで登場していた。


指揮者▼
ヘルムート・ミュラー=ブリュール(1939~2012)1番&2番
クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929~)3番&5番
クルト・ザンデルリンク(1912~2011) 6番
ミヒャエル・ギーレン(1927~)7番
ロジャー・ノリントン(1934~)4番
アレクサンダー・ラハバリ(1948~)8番
ヘルベルト・ブロムシュテット(1927~)9番

オーケストラ▼
ケルン室内管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、西ドイツ放送交響楽団、バーデン・バーデン&フライブルク南西ドイツ放送交響楽団、ベルギー放送フィルハーモニー管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン

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by kirakuossan | 2018-05-03 09:15 | クラシック | Trackback

続・指揮者100選☆18 シュタイン

2018年5月2日(火)
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今日は彼の誕生日であったことから思い出し、まだ指揮者シリーズで意外にも彼のことを書いていなかったことに気付いた。ドイツの名指揮者ホルスト・シュタイン(Horst Stein, 1928~ 2008)である。バンベルク交響楽団終身名誉指揮者であるが、1973年に初来日してN響の定期を振った。以降1998年までに16回のN響定期の指揮台に立つ。放映された画面から知った、あのおでこが極端に出っ張った愛嬌ある風貌、それにそれまであまり接することのなかったワーグナーのあの荘重な管弦曲、たしか、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を初めて聴いたのはこの時ではなかったか。
カラヤンやカイルベルトらの助手を務める傍ら、歌劇指揮者としての実力を蓄えて行った。34歳でバイロイト音楽祭でワーグナーの「パルジファル」を指揮、のちに「ニーベルングの指環」全曲を指揮し、ワーグナー指揮者としての名声を確立した。
生誕地は旧西ドイツのヴッパータル、同郷の先輩にハンス・クナッパーツブッシュ、ギュンター・ヴァントがいる。
1980年から5年間、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者にいたことは意外であり知られていない。そのポストをアルミン・ジョルダン に譲った後、1985年から11年間、バンベルク交響楽団の首席指揮者に就いたのが彼の最大のキャリアであった。


☆演奏スタイルは・・・
オーケストラの扱いにそつがなく、その音色は重厚でけれん味がない。

☆録音は・・・
ワーグナーを中心に歌劇、楽劇の録音が多い。ソリストとの息が合うところも歌劇で経験したためか、片方で、協奏曲の伴奏にも秀でた演奏が多い。
フリードリヒ・グルダ とのベートーヴェンのピアノ協奏曲集は、ウィーン・フィルの伴奏も相まってシュタインの代表的名盤に挙げられる。

☆私見・・・
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父が機械工であったことでもないがどこかドイツの職人肌の指揮者を思わせる。温かみがあって人間臭くて好感の持てる指揮者であった。当時、同じようにN響の客演でよく登場したヴォルフガング・サヴァリッシュが冷たいイメージを持ったのとは対照的であった。


Myライブラリーより・・・
d0170835_11005922.jpgベートーヴェン:
フリードリヒ・グルダ - Friedrich Gulda (ピアノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ホルスト・シュタイン - Horst Stein (指揮)
録音: 1970、1971

by kirakuossan | 2018-05-02 07:18 | 続・指揮者100選 | Trackback

斉藤秀雄の指揮メソッド

2018年4月14日(土)
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日本の指揮者界で中心的存在を担ってきた小澤征爾、岩城宏之、さらには秋山和慶、井上道義、尾高忠明などなど、いずれも桐朋学園大学の出身者であり、みな斉藤秀雄の指導を受けてきた。若杉弘も自身は東京芸術大学で学んだが、斉藤秀雄の指揮法を師事した。
『嬉遊曲、鳴りやまず 斉藤秀雄の生涯』という書物の著者中丸美繪の講演会が6月に國民會館の主催で催される。ぜひ聞きに行こうと楽しみにしているが、この「斉藤秀雄の生涯」は仔細にわたり書き綴られその人となりがよくわかり参考になる。教え子の声も紹介され、より斉藤像が鮮明に浮かび上がる構成になっている。斉藤の指揮に対する心構えやメソッドについて皆が共通したことを語っているのは、より徹底した強烈な印象になったにちがいない。


斉藤先生の指揮のメトーデは、基礎的な訓練ということに関してはまったく完璧で、世界にその類をみないと、ぼくはいまでもそう思っている。具体的にいうと、斉藤先生は指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して(中略)そのすべてについていつ力を抜き、あるいはいつ力を入れるかというようなことを教えてくれた。(中略)それと同じようなことを、言葉は変わっているが、シャルル・ミュンシュも言っていたし、カラヤンも、ベルリンでぼくに教えてくれたときに言っていた。(小澤征爾)

まじめに勉強しろ、真剣に音楽に対峙しろ、と斉藤先生はいいましたね。音楽を利用して、自分がいい恰好するのに音楽を使うな、有名になるために音楽をだしにするな、とね。そのころ、ポピュラー界で譜面も読めないようなマスコミが作り上げたアイドルが、スターの座についてもてはやされるようになってきていた。その手の影がクラシックにも出てきていましたから。実際に指揮を教えていても、叩きができないんだけど、他のやさしい方法で叩きを回避して近道する方法はないんですかとか、ピアノでも返しがうまくいかないから別の方法というようなね。それは斉藤先生にとって許しがたいことだった。(秋山和慶)

いるいる確かに、ヴァイオリンなんかで、有名になるために音楽をだしにしているような似非音楽家が。
小澤、岩城、秋山に続く後輩にあたる尾高や井上もこう語る。

他の指揮法というのは、どこをどうする、ここをああするとか、こうしなさいという格好ばっかり。四拍子はこういう形です、管楽器を見るときはこういうふうにやりなさい、そういう現実のことは教えてくれる。斉藤先生の指揮法の一番の特徴は力を抜くという考え方。人間の動きっていうのは、実際には一の力でいいのに十ぐらい使ってやっているんです。(略)そのためにひと月ふた月は、手を上げて下ろせと言われたときにバタっと下ろす、そればかりなんです。それだけにためにそのころ住んでいた葉山から東京に出ていくのは結構しんどかったですよ。(尾高忠明)

指揮に技術が存在することを、あからさまに見せてくれたのが斉藤先生。(略)スポーツでも力を抜くことは必要でしょ。これを教えてもらったのはよかった。これができないと指揮は体に悪い。手は十キログラムぐらいはあって、それを年中降り下ろしたり持ち上げたりしなくちゃならない。
あとでチェリビダッケに習ったとき、斉藤先生とほとんど似た理論で驚いた。チェリビダッケの指揮では、シュバヌングといって下から上に叩くというのがある。緊張をいっぺんに解き放す。これが斉藤先生の叩きの逆の跳ね上げ。また、和声は緊張と弛緩で成り立っているという考え方や旋律法のこともそう。普通の指揮者はそんなことを考えない。まず自分のエゴか主観でもってオーケストラをねじ伏せるタイプか、もしくはオーケストラが行く方向に一緒に、その中からほどほどのやつを選ぶというタイプがある。だけど、二人は自分がどうの相手がどうのじゃなく、宇宙にはこういう法則があるから、音というのはそういうふうになるもんだというのが、共通だね。そしてオーケストラの指揮者が一つの宇宙を創り出すという発想。こういうふうになれば、音と動きは決まってくる。作曲家はこう書いているけれど、これはまちがいだ、といくらでもいう。二人はアクの強い先生について毒を飲んだけど、それは僕が欲したこと。(井上道義)


d0170835_09164041.jpg斉藤秀雄の門下生のなかには、斉藤がまだ全部教えていないと考えているのに学生の方から留学してしまうということが続いた。多くの学生たちは伝統ある西洋で勉強することが音楽への近道と考える。そのこと自体がまさに”西洋コンプレックス”そのものなのだが、斉藤の目からしてもまだ全部を吸収し終えていない早熟の学生たちが自分の手もとから去って行くのを見るにつけ、いたたまれない欠如感をかかえながらひとり残された。
やがて年老い、大病に見舞われた斉藤秀雄が病身を絶ちふるい、教え子たちの合宿に顔を出す。それは戦後の焼け跡が残るころから始まった北軽井沢での合宿から二十余年の月日がたち、1974年、最後の夏になった志賀高原での合宿であった。


「男には命を懸けても実行しなくてはならないことがあり、やらなくてはいけない時というものがある、今がその時だ」
二日目の練習に、車椅子を押されて斉藤が現れた。
この合宿では、バルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」、モーツァルトのディヴェルティメント・ニ長調」、チャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード」がとりあげられていた。斉藤は、秋山が指揮することになっていたチャイコフスキーを自分が振るといいだした。斉藤は、棒を握ることすらやっとと思えた。~
「さあ」
と、斉藤は生徒たちに向かった。死の淵にいることは疑いない教師に、生徒たちの視線が集中した。
「ごめんね、・・・僕は体がもういうことをきかない。手がこれくらいしか動かないんだ」
生徒たちは、斉藤が振って見せたわずかな手の動きのなかに、あらゆる音楽を読み取ろうとしていた。セレナードの出だしはフォルテであり、常日頃から斉藤が「激しく振り降ろせ」と言っていたところだった。
「出てくれ」
といった斉藤が、弱々しく腕を動かすと、オーケストラはこれまでにないほどの音を響かせた。重厚な音を織りなす見事なアンサンブルでそれは始まった。尾高忠明はその斉藤の背中を見つめていた。
「秋山先生や僕はぼろぼろ泣いていました。もちろん斉藤先生の手はちょっとしか動かなかったので、うまくいかなかったりしたところもあったんですが、尊敬する斉藤先生が、もうこれしか動かない、っておっしゃったときの音、あれだけ育ててきた桐朋の最後のオーケストラの音は、最高でした」~



チャイコフスキー:
サイトウ・キネン・オーケストラ - Saito Kinen Orchestra
小澤征爾 - Seiji Ozawa (指揮)




by kirakuossan | 2018-04-14 06:34 | クラシック | Trackback

続・指揮者100選☆17 ボールト

2018年4月8日(日)

d0170835_20401320.jpgイギリス人指揮者でエイドリアン・ボールト(Sir Adrian Cedric Boult, 1889~1983)を忘れてはいけない。彼は1930年にBBC交響楽団の創設にかかわったことで知られるが、ボールトは1950年までの20年間首席指揮者の地位にあった。実はその前に、1924年から30年までバーミンガム市交響楽団の首席指揮者兼音楽監督であったことはあまり知られていない。でもなんといってもボールトといえば、真っ先に思い起こすのがホルストの組曲「惑星」だろう。「惑星」の初演は、1920年10月10日に行われたとされるが、これに先立つ1918年の9月29日にロンドンのクイーンズ・ホールにおいて、エイドリアン・ボールトの指揮するニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団により非公式の演奏が行われている。これ以来、ボールトはこの曲を代表曲にするぐらいに愛し、彼の指揮するディスクはいまだに同曲の最高の演奏と定評がある。
アルトゥール・ニキシュに影響を受けたボールトではあったが、BBC響時代のあと、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を51年から7年間つとめた。あらためてもっと見直されてしかるべき指揮者であると感じる。きょうはボールトの生誕日でもあった。


☆録音は・・・
もともと母国イギリスのエルガーの音楽やヴォーン・ウイリアムズの交響曲全集は定評のあるところであるが、加えて晩年、80歳当時に録音したブラームスの交響曲全集の演奏も穏当な指揮ぶりとされ評価が高い。そして「惑星」では、SP盤も含めて生涯5度録音しているが、このステレオ盤は90歳にさしかかろうという頃の演奏である。

d0170835_21183293.jpgホルスト:
組曲「惑星」 Op. 32
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
エイドリアン・ボールト (指揮)
(1978年)


☆私見・・・
イギリスでこれだけの実績を残し、またディスクの数も相当数に上るにもかかわらずなぜか日本では印象が薄い。それは彼の指揮が熱狂的に奮い立たすというより、どこか適度に抑えたような品の良い音楽を醸し出すのが理解されにくいのかもしれない。それに同世代の個性の強いトーマス・ビーチャムやジョン・バルビローリの影に隠れてしまったことも起因するだろう。


Myライブラリーより・・・
キャスリーン・フェリアー との共演によるヘンデルも聴きどころ。

(フェリアー/ロンドン・フィル/ボールト)(1949, 1952)
キャスリーン・フェリアー - Kathleen Ferrier (コントラルト)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 - London Philharmonic Orchestra
エイドリアン・ボールト - Adrian Boult (指揮)
録音: 7 October 1952, Kingsway Hall, London, UK



by kirakuossan | 2018-04-08 20:39 | 続・指揮者100選 | Trackback

続く巨匠の”セクハラ疑惑”

2018年3月18日(日)

d0170835_19162292.jpg今日わがブログの記事ランキングの7位に突然2年ほど前に書いたジェームズ・レヴァイン(75歳)の記事が顔を出した。最近は体調がすぐれず椅子に座ってしか指揮だ出来ないということらしいので、すわ、まだ若いが亡くなったのか?とそんな直感がはしったが、真相は、最近流行りの”セクハラ疑惑”だった。椅子生活なのに何でまた?と思ったら、50年前の話が蒸し返されているようだ。
こうして何か事が起きると、まわりまわって当ブログの以前の記事のアクセスが突然急増するのですぐに何か事が起きたな、と気がつくという、まあそんな仕組みになっている。
どうも外国では、古い話を引っ張り出しては騒ぐ風潮がある。d0170835_19190061.jpgこれもどうかと思うが、ちょっと前、巨匠と呼ばれるスイス人指揮者シャルル・デュトワ(81歳)がセクハラ疑惑ですべての公演を降ろされている。デュトワの昔の奥さんは若い頃可愛かったピアニストのマルタ・アルゲリッチということはよく知られている。
昔、空港の税関でポルノ写真を大量に所持していたことが発覚し、失脚したイギリス人指揮者ユージン・グーセンスなどもいたが、その点、当ブログの記事ランキングにも頻繁に顔を出す大御所オットー・クレンペラーまでになると、どうもいろんな行動を見ていると怪しげで不可思議なことも多く、もうセクハラかパワハラか何が何だかよくわからないところまでいってしまうという、これはまたこれで何も問題にならないのである。まあ、とっくの昔に亡くなってはいるが。
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by kirakuossan | 2018-03-18 18:35 | クラシック | Trackback

指揮者とソリストとの裏話

2018年2月22日(木)

d0170835_11440461.jpg今朝はNMLでスヴャトスラフ・リヒテルのシューベルトのソナタが新着配信されていた。ちょっとこの渋顔を見ていてまたあることが頭に浮かんだ。
このリヒテルというピアニスト、同僚のエミール・ギレリスとは対照的に最初は西側諸国への演奏旅行がなかなか当局から許可が下りなかった。ギレリスがユージン・オーマンディと共演した際、オーマンディが彼に最高の賛辞を贈ろうとしたら、ギレリスが「リヒテルを聴くまでは待ってください」と言った、とかいうコメントなどが飛び交い、噂が噂を呼ぶ幻のピアニストだった。


指揮者とオーケストラの相性の良さはある。その逆ももちろん数多くある。また、コンチェルトなどで指揮者と独奏者との関係も微妙である。自らの音楽観の相違で衝突もしばしば起こる。よく知られるところではレナード・バーンスタイングレン・グールドの関係。カーネギー・ホールでのライブ録音でブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏をするにあたって、
「心配しないでください.グールドはちゃんと来てますから.これから皆さんがお聴きになるのは,言ってみればかなり正統的とは言いがたいブラームスのニ短調協奏曲です.それは私がこれまでに聴いたことのあるどの演奏とも全く違うもので,テンポは明らかに遅いし,ブラームスが指示した強弱から外れている部分も多々あります.実は私はグールド氏の構想に完全に賛成というわけではありません.私がこの曲を指揮するのは,グールド氏は大変に確かな,まじめな芸術家ですから,彼が真剣に考えたことは何であれこちらもまじめに受け取る必要があるということと,今回の彼の構想はとても面白いものなので,皆さんにもぜひ聴いていただきたいからなのです」と不納得なバーンスタインが仕方なくわざわざ聴衆に断りを入れた。この会話がCDの冒頭部にも収録されている。

同じブラームスのピアノ協奏曲でこちらは第2番での演奏だが、1960年、ついにリヒテルが渡米してシカゴ交響楽団と共演することとなった。ところが時の音楽監督だったフリッツ・ライナースヴャトスラフ・リヒテルとの間で音楽に対する見解の相違があって両者は決裂、コンサートでは互いに相手を無視しして演奏をした。ところがRCAに録音する段になって、わざわざ指揮者をエーリヒ・ラインスドルフに変更して執り行った。これがのちに名演奏と謳われ、リヒテルが西側諸国により知れ渡る結果となった。まあ皮肉な結果だが。


d0170835_13383198.jpgブラームス:
スヴャトスラフ・リヒテル - Sviatoslav Richter (ピアノ)
シカゴ交響楽団 - Chicago Symphony Orchestra
エーリッヒ・ラインスドルフ - Erich Leinsdorf (指揮)
(録音: 17 October 1960, Chicago, Illinois, United States)


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ところで、もっと面白い話がある。かの有名な仰々しい組み合わせによるこの1枚だ。1969年9月にベルリンのイエス・キリスト教会で録音されたベートーヴェンの「トリプル・コンチェルト」
その顔ぶれが凄い! 錚々たるメンバーで、ヴァイオリンがオイストラフ(61歳)チェロがロストロポーヴィッチ(42歳)そしてピアノがリヒテル(54歳)、指揮者がカラヤン(61歳)と、当代きっての超一流どころが4人も顔を揃えたビッグ企画だった。だから、ベートーヴェンの曲にしてはどちらかといえば地味な部類で、極端な言い方をすれば、ベートーヴェンの数少ない”駄作”とされた作品に、この豪華キャスト? しかも、体制の壁を越えた競演ということで当時かなりの話題をふりまいたものだ。
メンバーがメンバーだけに演奏そのものはやはり高水準をいく。でも実はその裏に隠された問題があった。ジャケットの顔写真を見ても解るように、勘のいい人はピンとくる。後の3人は笑顔なのに、前の指揮者一人が苦虫を噛み潰したような顔なのだ。

4人のメンバーの年齢からしても、カラヤンとオイストラフが最も年長、続くリヒテルが二人より7歳年下で、チェロのロストロポーヴィッチはまだ40歳を出たばかりだった。当然、61歳の二人が主導権を持つことになるが、オイストラフの柔和な性格からして出しゃばったりはしない。しかしカラヤンは申すまでもなく性格からしても連中の間を仕切りたがるタイプだ。微妙な食い違いは多々あったにせよ肝心の演奏そのものもほどほどに、それ以外の、レコーディングのスケジュールやジャケットや演奏プロフィルの写真の撮り方に関してああのこうのと執拗に注文をつけ仕切る、で、3人はしらけてしまい、いざ撮影本番になればもう3人はあっけらかんと笑いまくり、当の本人は自分の思うようにことが運ばずにどうしても渋い顔に・・・といった、まあ当らずも遠ーからずで、こんなことになった様子である。(これ事実の話)


d0170835_16282827.jpgベートーヴェン:ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲 ハ長調 Op. 56
ダヴィッド・オイストラフ - David Oistrakh (ヴァイオリン)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ - Mstislav Rostropovich (チェロ)
スヴャトスラフ・リヒテル - Sviatoslav Richter (ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 - Berlin Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン - Herbert von Karajan (指揮)


CDのジャケットがまたレコードとは違う。まあ、何枚撮っても気分は晴れない様子でありました。
でもこの曲、”駄作”では決してない。それは、聴いていて思うことだが、各部においてベートーヴェンらしからぬ一見軽そうなメロディがいくつか出てくる。「これはベートーヴェンの音楽じゃない!」と第三者がそう感じるだけであって、”駄作”とはベートーヴェンに失礼である。この、どこかベートーヴェン風じゃないところが、例えば、洒落た、ちょっと気の利いたレストランなんかでボリュームを落として流れていれば、これはこれで実に趣味の良い、上質なリスニング音楽になるのであります。
で、肝心のこのレコード演奏のできばえは? ということだが、もうひとつよくわからないのが正直なところで、なぜ、ピアニストが後ろで立って、指揮者がピアノの前に座っているのか? この不自然さ。チェロにとっては特に難曲というこのコンチェルトなので、ピアノにせず、チェロ奏者を中心にして撮ればいいのに、それではロストロポーヴィッチが一番若いので、これもおかしいのか? どうしても中心人物になりたいのでしょうなあ、まあともかくいろんな意味で、何よりもジャケットの方が気にかかる1枚なのであります。



by kirakuossan | 2018-02-22 08:39 | クラシック | Trackback

「100巻からもれた作曲家たち」 その14 レスピーギ

2018年2月17日(土)

d0170835_08293169.jpgイタリアのボローニャ出身の作曲家にオットリーノ・レスピーギ(1879~1936)がいる。彼はまた指揮者であり、教育者でもあった。故郷のボローニャ音楽学校で働きたかったが実現せず、30歳半ばローマに出てサンタ・チェチーリア音楽院作曲科の教授に就く。そしてその地で晩年まで生活することになり、彼とってローマが第二の故郷となった。その間に生まれたのが、代表作「ローマ三部作」である。
いつもどれが先だったが迷うのだが、
「ローマの噴水」(1916年)「ローマの松」(1924年)「ローマの祭り」(1928年)の順である。
そのどれもがレスピーギ得意の色彩感豊かなオーケストレーション音楽に仕立て上げられている。


夜明けのジュリアの谷の噴水、朝のトリトンの噴水、真昼のトレヴィの泉、黄昏のメディチ荘の噴水、ボルゲーゼ荘の松、カタコンバ付近の松、ジャニコロの松、アッピア街道の松、そして祭りではチルチェンセス、五十年祭、十月祭、主顕祭、と全部で12の場面で構成されている。
もっとも有名なのは「ローマの松」であるが、曲想の違いを愉しむと同時に、その事象を通してレスピーギの抱いた想像力を楽しむことが出来る。地中海沿岸に自生するイタリアカサマツ、その各地の松を通して古代ローマへ眼を向け、ローマの往時の幻影に迫ろうとしたように。
レスピーギはこの作品をフィラデルフィア管弦楽団を自ら指揮して披露したことがある。ここでは同じフィラデルフィアをこれも同じイタリア人指揮者リッカルド・ムーティの棒で聴く。このように煌びやかな音楽にもってこいの指揮者とオーケストラだ。

フィラデルフィア管弦楽団 - Philadelphia Orchestra
リッカルド・ムーティ - Riccardo Muti (指揮)

d0170835_09451179.jpg

d0170835_09323303.jpgところで今日、大阪フェスティバルでイタリアの若手第一人者アンドレア・バッティストーニの演奏会がある。2016年から東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者を務める彼が、すでに「ローマ三部作」を演奏し、評判になっているが、その生演奏を今日聴けるわけだ。オケは大阪フィルハーモニー交響楽団。管楽器がとても重要な役割を占めるこの作品群、とりわけ「ローマの祭り」などではたしてどんな演奏を披露してくれるか大いに注目するところである。「三部作」全部で、演奏時間は1時間そこそこ、後半のプログラムが「ローマの松」の1曲とくれば、この曲で20分そこそこなので、今日はアンコールが2曲ほどありそうだ。ひょっとして組曲「鳥」あたりが聴けるかも。

by kirakuossan | 2018-02-17 08:12 | 100巻からもれた作曲家たち | Trackback

二世指揮者

2018年2月15日(木)

けさ、NMLから新たに配信されたフィリップ・ジョルダンのベートーヴェンの第4番と第5番を耳にしながら、ふとこんなことを思い起こした。
名指揮者の二世でもっとも大成した指揮者といえばやはりカルロス・クライバーが一番だろう。父親のエーリヒ・クライバーもオーストリアの生んだ名指揮者だったが、その息子カルロスは、それをも上回った。ドイツをはじめ欧米でフリーランスの立場で活躍、カリスマ性を帯びた大指揮者であった。突然の公演キャンセルもしばしばで不評を買ったこともあったが、その人気はいまだに衰えを知らない。彼のベートーヴェンはOrfeoレーベルのバイエルン国立管を振った第4番が最初に世に出て一斉に話題をさらい、それ以後、たしか第7番、第5番、第3番、そして第6番と続いたと記憶している。願わくば、彼の第九も是非聴きたかったが、それは叶わなかった。
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現代にも二世指揮者は多くいる。すでに巨匠に入る範疇でマリス・ヤンソンス(父アルヴィド・ヤンソンス)、ピンカス・スタインバーグ(父ウィリアム・スタインバーグ)、パーヴォ・ヤルヴィ(父ネーメ・ヤルヴィ)、また若手では、トーマス・ザンデルリンクとミヒャエル・ザンデルリンク(父クルト・ザンデルリンク)、そしてこのフィリップ・ジョルダン。
フィリップ・ジョルダンは父親がスイス・ロマンド管弦楽団の首席にあったアルミン・ジョルダンであるが、スター性からすればすでにフィリップの方が勝り、今後さらに大指揮者へと成長するオーラを感じる。何度も書くが、昨秋横浜で聴いた、ウィーン響を振ったマーラーとベートーヴェンはアクセントの効いた最良のできで、その指揮ぶりは彼の将来を大いに嘱望させるに十分であった。
すでにマリス・ヤンソンスやパーヴォ・ヤルヴィは親父を十分に越えたし、ザンデルリンク兄弟にしたって、今はまだ父にはかなわないが、もう少しすれば間違いなく父を追い抜いていくだろう。ミヒャエル・ザンデルリンクを以前に聴く機会があったが、彼にも父が持ち合わせてはいなかった”華”がある。

そんなことを思い浮かべながら父子の演奏を比較して聴いてみるのも面白いものがある。




♬♪♫♪♩♬♪♫♪♩♬♪♫♪♩♬♪♫♪♩♬♪♫♪♩



ベートーヴェン:
交響曲第6番 ヘ長調 「田園」 Op. 68
コンセルトヘボウ管弦楽団 - Concertgebouw Orchestra
録音: 26 September 1953, Amsterdam
バイエルン国立管弦楽団 - Bavarian State Orchestra
録音: 7 November 1983, Bayerische Staatsoper, Munich, Germany


シベリウス:
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op. 47
ミハイル・ヴァイマン - Mikhail Vaiman (ヴァイオリン)
レニングラード・フィルハーモニー室内管弦楽団 - Leningrad Philharmonic Chamber Orchestra
フランク・ペーター・ツィンマーマン - Frank Peter Zimmermann (ヴァイオリン)
フィルハーモニア管弦楽団 - Philharmonia Orchestra
マリス・ヤンソンス - Mariss Jansons (指揮)


d0170835_18511765.jpgショスタコーヴィチ:
交響曲第7番 ハ長調 「レニングラード」 Op. 60
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 - Royal Scottish National Orchestra
ロシア・ナショナル管弦楽団 - Russian National Orchestra
録音: February 2014, Great Hall, Moscow Conservatory, Moscow, Russia
パーヴォの父ネーメは現在80歳、彼の「レニングラード」は名盤の誉れ高い。

ベートーヴェン:
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
ナタン・ミルシテイン - Nathan Milstein (ヴァイオリン)
ピッツバーグ交響楽団 - Pittsburgh Symphony Orchestra
ライナー・キュッヒル - Rainer Kuchl (ヴァイオリン)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 - London Philharmonic Orchestra
録音: December 1991, Henry Wood Hall, London, United Kingdom


ブラームス:
ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op. 15
エレーヌ・グリモー - Hélène Grimaud (ピアノ)
シュターツカペレ・ベルリン - Berlin Staatskapelle
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77
カトリン・ショルツ - Katrin Scholz (ヴァイオリン)
ベルリン室内管弦楽団 - Berlin Chamber Orchestra


d0170835_18310424.jpgラヴェル:
ラ・ヴァルス(管弦楽版)
スイス・ロマンド管弦楽団 - Swiss Romande Orchestra
パリ国立歌劇場管弦楽団 - Paris National Opera Orchestra
録音: 2014, Opera Bastille, France




by kirakuossan | 2018-02-15 18:31 | クラシック | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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