ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

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で、サッカーはさておき、さっそく彼女の歌声を満喫している。

2018年6月16日(土)

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W杯ロシア大会が昨日開幕した。いつもなら”俄かサッカーファン”となって必死で日本を応援するところだが、どうしたことか、今回はまったくそんな気持ちが湧いてこない。それどころかほんのつい最近までワールドカップが6月から始まることすら知らなかった。(また本田かいな?代わり映えしないな~が本音)
そんなんでもちろん開幕式のセレモニーも観ていないが、ここで歌姫アイーダ・ガリフッリーナが美声を披露したらしい。というのは今朝のNMLの新着タイトルで「グノー/ドリーブ/リムスキー=コルサコフ/チャイコフスキー/ラフマニノフ:ソプラノのための作品集」というのが目にとまった。ここで素晴らしい歌声を聴かせるプリマドンナが彼女だ。
ガリフッリーナはCDのレーベル(Decca)から次のように紹介されている。

d0170835_07185763.jpgロシアのカザンから来たアイーダ~アイーダ・ガリフッリーナ、デビュー!
2012年8月、イタリアのジェノバ近くにあるリビエラ海岸の真珠と呼ばれる町ポルトフィーノで行われたアンドレア・ボチェッリの野外コンサートで、ロシア人歌手がセンセーションを巻き起こしました。コンサートのプロデューサー、デイヴィッド・フォスターが公演のインターミッションで、観客の中から皆の前で歌う人を募ったところ、東洋的な女性がステージに登場したのです。女性は「ロシアのカザンから来たアイーダ」と名乗り、「私のお父さん」を歌いました。観客は満場総立ちになって拍手喝采し、デイヴィッド・フォスター氏は驚きを隠すことができませんでした。その歌手こそ、カザン出身でウィーン音楽院の卒業生、アイーダ・ガリフッリーナだったのです。彼女はその後2013年ドミンゴ・コンクールで優勝し、ウィーン国立歌劇場、マリインスキー劇場、などで絶賛を浴びています。デビュー盤となる当盤では彼女が得意とするアリアを録音。チャーミングで心地よい親密な歌声をお楽しみいただます。



で、サッカーはさておき、さっそく彼女の歌声を満喫している。


ソプラノのための作品集(ガリフッリーナ)Vocal Recital (Soprano): Garifullina, Aida - GOUNOD, C.-F. / DELIBES, L. / RIMSKY-KORSAKOV, N.A. / TCHAIKOVSKY, P.I. / RACHMANINOV, S. (Aida)
アイーダ・ガリフッリーナ - Aida Garifullina (ソプラノ)
ウィーン放送交響楽団 - Vienna Radio Symphony Orchestra
コルネリウス・マイスター - Cornelius Meister (指揮)
録音: May 2016, ORF Große Sendesaal, Vienna, Austria



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https://youtu.be/OaR48Ig5SAA
https://youtu.be/z6WudgH52T0





追記:
2018年6月17日(日)

一夜あけて気がついたが、このCDでウィーン放送交響楽団を指揮しているのがコルネリウス・マイスターではないか。なんと今度29日にマーラーの「復活」で読響を振るあのマイスターではないか!
そんなことで、今朝また聴き直している。



by kirakuossan | 2018-06-16 07:19 | クラシック | Trackback

「天上の愛を夢見る牧歌である」

2018年6月2日(土)

我らは天上の喜びを味わい
それゆえに我らは地上の出来事を避けるのだ。
どんなにこの世の喧噪があろうとも
天上では少しも聞こえないのだ!
すべては最上の柔和な安息の中にいる。
我らは天使のような生活をして
それはまた喜びに満ち、愉快なものだ。
我らは踊り、そして、飛び跳ねる。
我らは跳ね回り、そして、歌う。
それを天のペテロ様が見ていらっしゃる。

ヨハネは仔羊を小屋から放して、
屠殺者ヘロデスはそれを待ち受ける。
我らは寛容で純潔な一匹のかわいらしい仔羊を
死へと愛らしいその身を捧げ、犠牲にする。
聖ルカは牛を
ためらいもなく、犠牲にさせなさる。
天上の酒蔵には、ワインは1ヘラーもかからない。
ここでは天使たちがパンを焼くのだ。

すべての種類の良質な野菜が
天上の農園にはある。
それは良質のアスパラガスや隠元豆や
そして、その他欲しいものは我らが思うがままに
鉢皿一杯に盛られている!
良質な林檎や梨や葡萄も
この農園の庭師は何でも与えてくれる。
牡鹿や兎や
みんなそこの辺りを
楽しそうに走り回り
獣肉の断食日がやって来たら
あらゆる魚が喜んでやって来る!
ペテロ様が網と餌とを持って
天上の生け簀へといそいそといらっしゃる。
マルタ様が料理人におなりになるのだ。

地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
1万1千人もの乙女たちが
恐れも知らずに踊りまわり、
ウルズラ様さえ微笑んでいらっしゃる
地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
チェチリアとその親族たちが
すばらしい音楽隊になる!
天使たちの歌声が
気持ちをほぐし、朗らかにさせ
すべてが喜びのために目覚めているのだ。

天上の生活「少年の魔法の角笛」

wikipediaより

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先日のマーラー4番はよかった。マーラーの弟子であったブルーノ・ワルターはこの曲を「天上の愛を夢見る牧歌である」と語ったそうだが、やはりなんといってもこの曲は彼の指揮で聴きたい。
ということだが、実はワルターの演奏はいくつか存在する。1945年ニューヨーク・フィルハーモニックと共にカーネギー・ホールで録音したものが最初で、ほかに1950年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音があるし、1955年のウィーン国立歌劇場再建を祝うコンサートのライヴ録音、さらには1960年のマーラー百年祭におけるライヴ録音も残しており、うまい具合にちょうど5年ごとに録音を残している。さらに面白いのはその都度独唱者が異なる点だ。45年がデジ・ハルバン、50年イルムガルト・ゼーフリート、55年ヒルデ・ギューデン、60年がエリーザベト・シュヴァルツコップとなる。45年以外はウィーン・フィルハーモニー管とのものであるが、シュヴァルツコップとはもうひとつコンセルトヘボウとの共演で1952年ものもある。

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1945年
デシ・ハルバン - Desi Halban (ソプラノ)
ニューヨーク・フィルハーモニック - New York Philharmonic Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 10 May 1945, Carnegie Hall, New York
(49:42)

1950年
イルムガルト・ゼーフリート - Irmgard Seefried (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 24 August 1950, Live recording,Festspielhaus, Salzburg, Austria
(52:23)

1955年
ヒルデ・ギューデン - Hilde Gueden (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 06 November 1955, Live recording, Vienna, Austria
(54:30)

1960年
エリザベート・シュヴァルツコップ- Elisabeth Schwarzkopf (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 29 May 1960, Live recording,Vienna, Austria
(59:20)


ここで残念なのは、50年、55年のライブ録音、せっかく音質状態が良いのに聴衆の咳払いが何か所か耳障りに入っている。それも第三楽章のあの美しいRuhevoll, poco adagio、これは興覚めで惜しい。



by kirakuossan | 2018-06-02 07:53 | クラシック | Trackback

ポカンと口を開けたままただただ見とれておるのでございました。

2018年5月31日(木)

d0170835_23325352.jpg周りのおっさん連中はみな同様に、ポカンと口を開けたままただただ見とれておるのでございました。
今日はマーラーの第4番のソリストで登場する美人マドンナ小林沙羅見たさに前8列の席を取った。ところがマーラーなのでフルオーケストラが登壇のため、前4列がステージに変わっていて実際の最前列は6列目。ということで、なんと!第3列目ではないか、これにはびっくりするやら喜ぶやら。。。いわゆるかぶりつきというやつだ。数多く演奏会を聴いて来たがこんな前は初めて。しかも今日は音も大事だがそれ以上に鑑賞も大切なのでこの席は願ったり叶ったり、おかげでマドンナの独唱もじっくり観られたし、指揮者の一挙一動もじっくり愉しめ大満足であった。
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で、肝心の演奏の方だが、まずマーラー。こうして4番を聴くのは初体験だが、あの鈴の音でどうしても「優しさ」の印象が先に立つ曲だが、どうしてどうして随所に例の咆哮する場面がちりばめられ、また聴かせ場所は聴かせ場所で、たっぷりと用意されていて、これほどまでに完成された音楽であったかと再認識させられる。イタリア人指揮者のダニエーレ・ルスティオーニは最初ステージに出てくるとき、緊張のためか幾分固い表情だったが、メンデルスゾーンの「イタリア」の、あの軽やかなメロディーが鳴り出すや、あとは思う存分のしなやかな動きで聴衆を魅了した。隣の庵原氏が呟いた。「なのに、オケの皆は音楽に乗っていない。多分指揮者は歯がゆい思いで振っているだろう」
これには小生も同感で、団員の表情が皆固い。にこりともせず指揮者と目を合わすでもなく、曲が「イタリア」なのだからもっともっと指揮者と一緒に乗って欲しかった(ただ演奏そのものは、肩の力が適度に抜け、合格点ではあった)
マーラーは好演で、大フィルもずいぶんレベルアップしているな、と感じさせられた。最近積極的に若手の外国人指揮者なども続けて招いたりして、そうした冒険が功を奏しつつあるのだろう。
そしてソプラノ小林沙羅。見た目以上に声量があり、低い声域により魅力を感じた。それにしても綺麗な人でした。あんな人もいるんだな~と溜め息をつきながら二人してフェスティバルホールをあとにし酒場に向かった。
(2018年5月30日)




by kirakuossan | 2018-05-31 07:12 | クラシック | Trackback

ルスティオーニと小林沙羅が愉しみ。

2018年5月29日(火)

d0170835_08254392.jpg明日は楽しみにしていたイタリア人指揮者の新鋭ダニエーレ・ルスティオーニの演奏が聴ける。マーラーとメンデルスゾーンの交響曲、マーラーでは独奏に小林沙羅が登場するのもこれまた愉しみである。
ルスティオーニは、マリオッティ、バッティストーニと並ぶイタリアの若手三羽烏の一人である。


第518回
大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
指揮/ダニエーレ・ルスティオーニ
ソプラノ/小林沙羅

メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90「イタリア」
マーラー:交響曲 第4番 ト長調

by kirakuossan | 2018-05-29 08:23 | クラシック | Trackback

ソフト・アンド・クールな歌声

2018年5月18日(金)

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Somebody Else Is Taking My Place(1942)
Why Don't You Do Right?(1943)
朝と夕の食事時にペギー・リーにはまっている。ソフト・アンド・クールな彼女の歌声がとてもよく合う。

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by kirakuossan | 2018-05-18 07:44 | その他音楽 | Trackback

☆秀盤 -39 若きイギリスのプリマドンナ

2018年4月28日(土)


Opera Arias (Soprano) - HANDEL, G.F. / CIAMPI, V. / ARNE, T.A. / SMITH, J.C. / HAYES, P.
Handel's Last Prima Donna
R. Hughes,
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バロックのレパートリーを得意とするイギリスの若きソプラノ歌手ルビー・ヒューズがいい。
2009年ロンドン・ヘンデル歌唱コンクールで第1位と聴衆賞を受賞し、ヘンデルを得意とするが、ここではヘンデルの他に、トーマス・アーン、ジョン・スミス、フィリップ・ヘイズ、ヴィンセンツォ・チャンピといった珍しいバロック作曲家との組み合わせだ。ゆったりとした情感あふれる歌声は聴く者に安らぎを与えてくれる。


ルビー・ヒューズ - Ruby Hughes (ソプラノ)
エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団 - Orchestra of the Age of Enlightenment
ローレンス・カミングス - Laurence Cummings (指揮)
録音: 27, 28 and 30 July 2017, Church of St Jude-on-the-Hill, Hampstead Garden Suburb, London, United Kingdom



by kirakuossan | 2018-04-28 22:20 | 注目盤◎ | Trackback

斉藤秀雄の指揮メソッド

2018年4月14日(土)
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日本の指揮者界で中心的存在を担ってきた小澤征爾、岩城宏之、さらには秋山和慶、井上道義、尾高忠明などなど、いずれも桐朋学園大学の出身者であり、みな斉藤秀雄の指導を受けてきた。若杉弘も自身は東京芸術大学で学んだが、斉藤秀雄の指揮法を師事した。
『嬉遊曲、鳴りやまず 斉藤秀雄の生涯』という書物の著者中丸美繪の講演会が6月に國民會館の主催で催される。ぜひ聞きに行こうと楽しみにしているが、この「斉藤秀雄の生涯」は仔細にわたり書き綴られその人となりがよくわかり参考になる。教え子の声も紹介され、より斉藤像が鮮明に浮かび上がる構成になっている。斉藤の指揮に対する心構えやメソッドについて皆が共通したことを語っているのは、より徹底した強烈な印象になったにちがいない。


斉藤先生の指揮のメトーデは、基礎的な訓練ということに関してはまったく完璧で、世界にその類をみないと、ぼくはいまでもそう思っている。具体的にいうと、斉藤先生は指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して(中略)そのすべてについていつ力を抜き、あるいはいつ力を入れるかというようなことを教えてくれた。(中略)それと同じようなことを、言葉は変わっているが、シャルル・ミュンシュも言っていたし、カラヤンも、ベルリンでぼくに教えてくれたときに言っていた。(小澤征爾)

まじめに勉強しろ、真剣に音楽に対峙しろ、と斉藤先生はいいましたね。音楽を利用して、自分がいい恰好するのに音楽を使うな、有名になるために音楽をだしにするな、とね。そのころ、ポピュラー界で譜面も読めないようなマスコミが作り上げたアイドルが、スターの座についてもてはやされるようになってきていた。その手の影がクラシックにも出てきていましたから。実際に指揮を教えていても、叩きができないんだけど、他のやさしい方法で叩きを回避して近道する方法はないんですかとか、ピアノでも返しがうまくいかないから別の方法というようなね。それは斉藤先生にとって許しがたいことだった。(秋山和慶)

いるいる確かに、ヴァイオリンなんかで、有名になるために音楽をだしにしているような似非音楽家が。
小澤、岩城、秋山に続く後輩にあたる尾高や井上もこう語る。

他の指揮法というのは、どこをどうする、ここをああするとか、こうしなさいという格好ばっかり。四拍子はこういう形です、管楽器を見るときはこういうふうにやりなさい、そういう現実のことは教えてくれる。斉藤先生の指揮法の一番の特徴は力を抜くという考え方。人間の動きっていうのは、実際には一の力でいいのに十ぐらい使ってやっているんです。(略)そのためにひと月ふた月は、手を上げて下ろせと言われたときにバタっと下ろす、そればかりなんです。それだけにためにそのころ住んでいた葉山から東京に出ていくのは結構しんどかったですよ。(尾高忠明)

指揮に技術が存在することを、あからさまに見せてくれたのが斉藤先生。(略)スポーツでも力を抜くことは必要でしょ。これを教えてもらったのはよかった。これができないと指揮は体に悪い。手は十キログラムぐらいはあって、それを年中降り下ろしたり持ち上げたりしなくちゃならない。
あとでチェリビダッケに習ったとき、斉藤先生とほとんど似た理論で驚いた。チェリビダッケの指揮では、シュバヌングといって下から上に叩くというのがある。緊張をいっぺんに解き放す。これが斉藤先生の叩きの逆の跳ね上げ。また、和声は緊張と弛緩で成り立っているという考え方や旋律法のこともそう。普通の指揮者はそんなことを考えない。まず自分のエゴか主観でもってオーケストラをねじ伏せるタイプか、もしくはオーケストラが行く方向に一緒に、その中からほどほどのやつを選ぶというタイプがある。だけど、二人は自分がどうの相手がどうのじゃなく、宇宙にはこういう法則があるから、音というのはそういうふうになるもんだというのが、共通だね。そしてオーケストラの指揮者が一つの宇宙を創り出すという発想。こういうふうになれば、音と動きは決まってくる。作曲家はこう書いているけれど、これはまちがいだ、といくらでもいう。二人はアクの強い先生について毒を飲んだけど、それは僕が欲したこと。(井上道義)


d0170835_09164041.jpg斉藤秀雄の門下生のなかには、斉藤がまだ全部教えていないと考えているのに学生の方から留学してしまうということが続いた。多くの学生たちは伝統ある西洋で勉強することが音楽への近道と考える。そのこと自体がまさに”西洋コンプレックス”そのものなのだが、斉藤の目からしてもまだ全部を吸収し終えていない早熟の学生たちが自分の手もとから去って行くのを見るにつけ、いたたまれない欠如感をかかえながらひとり残された。
やがて年老い、大病に見舞われた斉藤秀雄が病身を絶ちふるい、教え子たちの合宿に顔を出す。それは戦後の焼け跡が残るころから始まった北軽井沢での合宿から二十余年の月日がたち、1974年、最後の夏になった志賀高原での合宿であった。


「男には命を懸けても実行しなくてはならないことがあり、やらなくてはいけない時というものがある、今がその時だ」
二日目の練習に、車椅子を押されて斉藤が現れた。
この合宿では、バルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」、モーツァルトのディヴェルティメント・ニ長調」、チャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード」がとりあげられていた。斉藤は、秋山が指揮することになっていたチャイコフスキーを自分が振るといいだした。斉藤は、棒を握ることすらやっとと思えた。~
「さあ」
と、斉藤は生徒たちに向かった。死の淵にいることは疑いない教師に、生徒たちの視線が集中した。
「ごめんね、・・・僕は体がもういうことをきかない。手がこれくらいしか動かないんだ」
生徒たちは、斉藤が振って見せたわずかな手の動きのなかに、あらゆる音楽を読み取ろうとしていた。セレナードの出だしはフォルテであり、常日頃から斉藤が「激しく振り降ろせ」と言っていたところだった。
「出てくれ」
といった斉藤が、弱々しく腕を動かすと、オーケストラはこれまでにないほどの音を響かせた。重厚な音を織りなす見事なアンサンブルでそれは始まった。尾高忠明はその斉藤の背中を見つめていた。
「秋山先生や僕はぼろぼろ泣いていました。もちろん斉藤先生の手はちょっとしか動かなかったので、うまくいかなかったりしたところもあったんですが、尊敬する斉藤先生が、もうこれしか動かない、っておっしゃったときの音、あれだけ育ててきた桐朋の最後のオーケストラの音は、最高でした」~



チャイコフスキー:
サイトウ・キネン・オーケストラ - Saito Kinen Orchestra
小澤征爾 - Seiji Ozawa (指揮)




by kirakuossan | 2018-04-14 06:34 | クラシック | Trackback

ちょっとユニークなオランダのヴァイオリニスト

2018年4月9日(月)

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ワタシにゃ、なんでこんなジャケットにする必要があるのか? よーわからんのですが・・・
リザ・フェルシュトマン。1979年、ロシアの音楽一家の家庭に生まれたオランダの人気ヴァイオリニスト。説明によると、「ユニークなプログラムと、聴き手にダイレクトに語りかける独特の演奏スタイルで人気を博している」とあるが、”独特の演奏スタイル”とはこのことなのでしょうか?

ビーバー:パッサカリア『守護天使』 C.105 、バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117 、ベリオ:セクエンツァVIII~ヴァイオリンのための、と確かに聞いたこともない珍しい選曲ばかりでしたが、最後に、 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調が入っておりました。これがいい演奏で、とゆ~か、独特の響きがしまして、でも実力のほどが推し測れましたのです。
見るとほかに、イザイとバッハの無伴奏ソナタの一枚もありました。せめてこれぐらいのジャケットでいかがなもんでしょ。本来の素顔の清潔感も保てますし。
リザ・フェルシュトマン - Liza Ferschtman (ヴァイオリン)



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彼女、ヤン・ヴィレム・デ・フリエンドとの共演で ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 も録音しています。これなども聴きごたえのある演奏でございました。とくに第一楽章終盤のカデンツァなんか、まったくもってユニーク、初めて耳にするものでしたな。

ベートーヴェン:
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61Violin Concerto in D Major, Op. 61
リザ・フェルシュトマン - Liza Ferschtman (ヴァイオリン)
オランダ交響楽団 - Netherlands Symphony Orchestra
ヤン・ヴィレム・デ・フリエンド - Jan Willem de Vriend (指揮)
録音: 10-12 February 2010, Muziekcentrum Enschede, Netherlands



by kirakuossan | 2018-04-09 05:34 | クラシック | Trackback

そのことはわたし自身のことなんだよ、

2018年4月8日(日)


自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

                     茨木のり子



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この詩は、現代の世相を見事に言いあてていると思う。

そこでよく考えた、
気がついた。
そういう他人事のように考えてしまうわたし自身をまず恥じよ、
そのことはわたし自身のことなんだよ、
このばかものよ!

詩もここまでくれば人生訓だな。



by kirakuossan | 2018-04-08 06:57 | 偶感 | Trackback

女神湖も氷が融けたらしい。

2018年4月1日(日)

d0170835_04405999.jpgNMLの新着配信は土日はないといっていた矢先、昨日、今日と続けに配信になった。
ショパンコンクールファイナリストの小林愛実のディスクがNMLの新着配信で顔を出した。
3年前の幼さが消え、もうすっかり大人の女性になった雰囲気が漂う。
ショパンは「葬送」を、ほかにリストから巡礼の年イタリアと「愛の夢」
選曲もタッチも、大人になったのかな。
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女神湖も氷が融けたらしい。早く行きたくてうずうずするような季節になって来た。今年は4月も何かとスケジュールに追われ、早くても5月中旬ごろになりそうだ。でもその分、今年もまた長期間の夏休みを蓼科で過ごそうと思っている。みなさん、ぜひ涼しい山荘に足をお運びください。


リスト:
Années de pèlerinage, 2nd year, Italy, S161/R10b (excerpts)
小林愛実 - Aimi Kobayashi (ピアノ)

(女神湖:信州リゾートサービスのブログより 3/29)



by kirakuossan | 2018-04-01 04:40 | 蓼科の風景 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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