ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

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「幼い頃の思い出」 松井くんの日記より~ ④

2017年9月12日(火)

3年ろ組の松井くんの日記より~


九月十七日 火 晴のち雨 二十六度

つつ井君とキャッチボールをしようと思っていたら、いもうととつつ井君とのおとうととがかけよって来て、「おにいちゃんどろぼうがかきたべとるは」と走って来るのでびっくりしました。
そしてかきの木を見あげてもただ風で木がゆれているだけです。
ぼくが、
「なんかもっとったか」と聞くと、
「うん赤ちゃんもっとった」といった。
つつ井君はあわてて、
「おいけいさつにゆおか」といった。
しばらくすると赤んぼうの声が、「わぁーん」
とするのでびっくりした。
中井さんのおばさんも走ってこちらへこられました。
ぼくはほんとうかうそかさっぱりわからなかった。
おばさんに聞くと、
「ほんまや。」
といったのでぼくもつつ井君もほんとのように思いました。
そして、小島君もよんでみた。
ぼくはほそい、にわがなんといってもあやしいと思った。
みんな、石をもって竹のふといのをもって行ったけれどこわいのでとちゅうでやめた。
そしてみんな勇気を出して見に行って見たらなにもいませんでした。
するとこんどはコツンコツンと音がするのでへんだなあと思ってへいにのぼって見たらあちらの方にだいくさんが家をなおしていたのでみんなほっとしました。
ぼくは、ちぇっせっかくええとこまで来たのにうそやったんかと思ったらつまらなくなった。
そしてまたはりきってキャッチボールをしました。

でも うそでよかったね。


松井くんと毎日毎日いろんな遊びをした。野球が一番多かったが、相撲もよくやった。それと想い出多いのは二人して手作りのゲームを楽しんだことだ。



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九月十六日 月 雨 二十六度

つつ井君とトントンずもうをした。ぼくとつつ井君は野きゅうがはじまると野きゅうをして、すもうがはじまるとすもうをします。
つつ井君とぼくとしあいをしました。
五人をぬいたすもうとりを五人あつめるのです。
ぼくの方でつよいのはぼくのファンの若乃花と時津山と出羽錦と房錦です。
だい一回めはぼくがまけたが二回めはうんよくつよくないのばかりが出たのでぼくの方が勝ちました。
そして一しょう一ぱい一ひきわけとなった。


おもしろいのは一かいめや五人など洋数字でなく漢数字が出てくることで、ここからも時代を感じさせます。



十月十五日 火 晴 十九度

つつ井君とめんこをした。
ぼくはあまりめんこはすきでないけれど、一かいやるとやめられない。
おとうちゃんにあまりめんこをすると、手のねもとに、水がたまるといわれたので、あまり力を出さなかった。
プリンプリンとめくっていくと、とてもおもしろい。これからも時々しようと思った。


そしてメンコもフラフープもしたなあ。




by kirakuossan | 2017-09-12 08:23 | 偶感 | Trackback

「幼い頃の思い出」 松井くんの日記より~ ③

2017年9月10日(日)

3年ろ組の松井くんの日記より~


一月二十二日 水 晴

六時ごろにテレビが来た。ぼくははねて喜んだ。はこにうってある、くぎを、ペンチやくぎぬきであけた。けれど、ちっとも、くぎはぬけない。
「えーい。えーい。」
といってぬいたら二本ぬけた。けれども、あと、四本もぬかなければならない。そこへおとうちゃんが帰ってきたら、いっぺんにあいた。出たあとはとてもうれしかった。

そうだよなあ、昔はみな木や板で梱包してあった。オヤジの会社の工場の空地でよくチャンバラ遊びをしたが、その時、刀になるのはいつも梱包用の木の切れ端だった。



一月二十三日 木 晴

学校から帰ると、二人のおじさんが、いっしょうけんめいに、アンテナをつけておられた。テレビも、ものほしへもっていってアンテナをあっちへやったりこっちへもってきたりしていろいろ場所をかえておられた。けれど一番よかったのは、小やねです。大阪は、二じゅうにうつって、なかなかはっきりしなかった。やっぱり中日が一番よかった。そしてテレビを下へ持っておりて見たら、とてもはっきり写った。けれどおじさんはせんをとおしておられた。ぼくはもっともっとはっきり写るといいのになあと思った。

そうでした。昔は大津地方の電波状況が悪く、大阪や京都からの電波は比叡山で遮られて悪く、かえって名古屋から来る電波の方が映りがよかった。だからどこの家もアンテナは東方向に向けてあったもんです。



一月二十五日 土 晴

夜、つつ井君らとすもうのテレビを見た。若乃花と、栃錦になるとぼくは、目と耳をかくした。時どき、見ると、両力しが中おうのところにじっとしている。二かい水入りがあると、ひきわけとなった。やっと終ったと思ったら、また若と栃が土表に上っているのでびっくりした。立ち上ったら、若は、すかして栃に勝った。ぼくは、うれしくてうれしくてたまらなかった。

そういうと松井くんは若乃花と南海が好きだったことを思い出した。目と耳を隠していたことは今でも鮮明に覚えている。あれはまだ松井くんっちにテレビが来て4日目のことだったんだ。

昭和33年1月25日14日目

東横綱1
栃錦
11勝3敗

小手投げ

東大関1
若乃花
12勝2敗
この場所大関若乃花は、千秋楽にも小結若前田に勝ち13勝2敗で2度目の優勝を果たしている。そして翌3月場所から横綱へと昇進した。その意味でも、二人してテレビの前で緊張してみたこの若乃花、栃錦戦はまさに大一番であったのだ。
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一月二十六日 日 曇

今日は日曜だったので朝からゆっくりおとうちゃんとお話した。テレビを買う前に、やくそくしたことを、もう一かい話し合った。それは、まず、べんきょうをすませて番組のよい物を、時間をきめて、テレビを見ることにした。買ってから、一週間を、ふりかえってみると、ぼくは、あまりのうれしさで、実行されてなかったのがざんねんだった。しかし、おとうちゃんも、はじめて家で見られるから、うれしくて、べんきょうも少しは、なまけたことも、しかたがない。これからは考えるようにと、いわれました。べんきょうは、自分のことだから、この前は、少しなまけていたけれど、これからはがんばろう。

テレビをみる日は早く
べんきょうをしておくこと
(赤字は先生のコメント)

実はこの日(26日)、あの謎とされる南海丸遭難事故が起きている。しばらくは毎日事故のニュースを流していたのだろう。小学3年生の日記にも出てくる。



一月二十八日 火 晴

テレビを見た。今日の番組はあまりよいことなかった。ニュースには、南海丸のことがおもに出た。もうべんきょうはしたのでゆっくりと見られる。きのうのようにはっきりとうつらなかった。いいことはなかった。

テレビの電波状態が悪くて綺麗に映らないし、暗いニュースは流れるし
子供心にもいいことなかった一日だったのだろう。



つづく
.


by kirakuossan | 2017-09-10 10:35 | 偶感 | Trackback

「幼い頃の思い出」 松井くんの日記より~ ②

2017年9月10日(日)
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3年ろ組の松井くんの日記は昭和33年1月6日から始まっている。



一月六日 月 はれ

幼年クラブが来た。ふろくはまぼろし童子、わが名Xくん、たんていクリちゃん鉄人H、おすもうごんちゃん、まめ助おてがら帳、うなる人工衛星宇宙旅行セットの六つです。まい月本が来る日になると、二かいへ上ったり外へ出たりしてまっている。つぎのふろくもまた六大です。中にはかわいそうなのやおもしろいこっけい絵話などがたくさん書いてある。早く三月号が来てほしい。



一月十二日 日 雨

今日は雨なので、うちで、げんとうをした。つつ井君としていたら、ふすまあけて、おばあちゃんがげんとうを見に来た。ぼくはますます大きな声で読んだ。次から次へと読んでいくとげんとうのまわりがあつくなってきた。今もっているフイルムの中で一番いいのは、宇ちゅうま人です。このごろはいつもげんとうをしてあそんでいる。



一月十三日 月 雨

一時間目にせんきょがあった。ぼくは、だれがなるだろうかと思っていたら、さっそくぼくが出た。けれどもまた、大木君が出たので、ぼくと二人がきょうそうだった。けれどもぼくがだんだんぬいて十八ひょうもなった。十四ひょうも勝ったので、あんしんした。ぼくが学級いいんになったことがきまると、とてもうれしかった。手さげかばんと本が買ってもらえる。早く家へ帰って家の人に知らせたかった。ぼくはほんとうに学級いいんになったんだろうかと思うほどうれしかった。

おめでとう。
がんばって下さい。



一月十四日 火 雨

岸本君に、学級いいんのバッジをもらった。さくらのかたちになっていて、青色だった。うわふくにつけようと思ったけれど、手がじゃまになってなかなかつけられなかった。それでゆ本先生につけてもらった。先生もやっぱりつけにくそうだった。つけてもらったあとは、おちるといけないので、十分ほどするとすぐバッジを見た。バッジをつけて学校の中をあるいていると、はじめは、ちょっとはずかしかった。学級いいんになったので、みんなのやくをいっしょうけんめいいにやろう。


d0170835_07490478.jpg文章の構成力がたいへんしっかりとして、ストーリー性もあってついつい読み進めていく。句読点もはっきりとしていて読みやすい。小学3年生でこれだけの文章が書けるとはたいしたものだ。
少年雑誌の話、幻灯機の話、学級委員の話、こみあげてくる嬉しさがこちらまで伝わってきて、つい笑みがこぼれる。10分ほどもすれば電球の熱で火傷しそうになるぐらい熱くなる幻灯機が懐かしい。
「少年クラブ」は何となく記憶にあるが、「幼年クラブ」は知らなかった。「少年クラブ」が小学校後半から中学校前半の少年を対象にした月刊雑誌だったので、「幼年クラブ」は名の通り、小学校低学年向けの雑誌だったのだろう。いずれにしてもこのような雑誌はやがて1959年春に創刊の週刊少年マガジンや週刊少年サンデーに吸収されていく。


つづく



by kirakuossan | 2017-09-10 07:04 | 偶感 | Trackback

「幼い頃の思い出」 松井くんの日記より~ ①

2017年9月9日(土)

九月九日 月よう日 雨 二十八度

つつ井君とおばけやしきを作った。
おばあちゃんに長いあさいはことマッチのはこをもらった。
ぼおる紙を切ってこわい絵やおもしろい絵を書いた。
はこに『おばけやしき』と『わらいやしき』と書いた。
わからない時は、
「つつ井君なにしょ。 あっ そやッ、しょうじからかげがうつたんのにしょう。」
とかそうだんをしながらしたら、こわいのや、おもしろいのがたくさんできました。
いもうとにも見せてやろうと思っている。

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昭和33年9月9日、松井くんの小学3年生の日記である。

当時の担任の先生から日記を書くようにと勧められ、書きだしていつのまにか11冊にも上った。小学3年、4年生時の貴重な記録である。そこにボクと遊んだことが100か所ちかくも出てくる。それに松井くんが付箋を貼ってくれた。本人の了解も得られたので、二人の幼い頃の思い出を辿って行こうと思う。
「おばけやしき」を一緒に作ったその二人が、ちょうど59年後の今日、同じ9月9日に京都で酒を酌み交わした。
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つづく

.



by kirakuossan | 2017-09-09 18:02 | 偶感 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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