2019年 07月 19日
4大関休場の名古屋場所も大詰めに |
2019年7月19日(金) 4大関以上の休場は昭和以降初めての異常事態となった名古屋場所だが、絶好調の横綱鶴竜が13日目にしてまさかの黒星。優勝は両横綱にほぼ絞られたが混沌としてきた。もうひとつ注目されるのが来場所の三役昇進争い。というのは、関脇玉鷲と小結竜電の陥落がすでに決定、小結の阿炎もすでに7敗で苦しい。ということで三役の空きが2~3席出る。これに対して、大関から関脇に回る貴景勝は1席占めるとして、あとは前頭上位に候補者が並ぶ。北勝富士(西前頭筆頭8-5)遠藤(西前頭2枚目8-5)逸ノ城(西前頭4枚目8-5)、さらに西前頭7枚目だが今日鶴竜の全勝を止めた友風(10-3)、さらにあと1勝で勝ち越しの碧山(東前頭2枚目7-6)大栄翔(西前頭3枚目7-6)。残り2日間で熾烈な争いが千秋楽まで続く。これも4大関休場の影響か。この中で、秘かに小結復帰をうかがうのが遠藤。若手の台頭でいつの間にか影が薄くなっていたが、今場所は粘りが復活してきた。いよいよここにきて存在感を発揮できるか。
追記:
追記:
(22:30)
4大関以上休場について
明治40年春場所に初めて4大関となり、当時は1場所10日間で、しかも場所途中で2休とか3休するなど休場が多かった。西ノ海、太刀山、駒ヶ嶽、國見山、このとき4人とも何日かは休場した例があり、これ以来ということになる。それ以降、昭和時代になって4人大関の場所も多かったが4人休場は一度もなかった。 また、大関が5人いた場所は昭和22年夏場所で、佐賀ノ花、前田山、名寄岩、東冨士、汐ノ海。
名寄岩って懐かしいね、たしか映画になったりして観に行った記憶が微かにある。
調べて見ると確かにあった。「名寄岩涙の敢斗賞」という日活映画で1956年(昭和31)に制作、原作は池波正太郎だった。名寄岩が本名の岩壁静雄で主演した。
あと5人大関の場所は結構ある。昭和36年名古屋場所、秋場所、九州場所と3場所続けて大鵬、柏戸、北葉山、若羽黒、琴ヶ濱。昭和37年名古屋場所、秋場所、九州場所と3場所続けて、佐田の山、北葉山、栃ノ海、栃光、琴ヶ濱。昭和38年春場所から39年初場所まで6場所連続で、佐田の山、豊山、栃光、栃ノ海、北葉山。その2年後の昭和41年名古屋場所には一転、豊山が一人大関となる。さらに昭和47年九州場所から2場所、北の富士の一人横綱に対して、輪島、貴ノ花、清國、琴櫻、大麒麟の5大関。昭和52年春場所から4場所連続で、貴ノ花、若三杉、魁傑、三重ノ海、旭國。逆に昭和56年秋場所は大関なし。昭和58年名古屋場所、隆の里、若島津、北天佑、琴風、朝潮。昭和61年初場所から10場所連続、北天佑、大乃国、北尾、朝潮、若嶋津、北勝海、小錦などが入れ替わり5力士が大関に在位した。
こうしてみると昭和の時代は4大関は当たり前で5大関の場所も多かったことになる。
忘れていたが、平成に入ると、横綱不在の場所があった。平成4年名古屋場所、前の場所で北勝海が引退したため曙、小錦、霧島の3大関が最高位に。平成5年春場所に曙が横綱に上がるまでの4場所不在だった。それから2年近く曙の一人横綱時代が続き、ようやく平成7年初場所に貴乃花が横綱になり、やがて若貴時代へと入って行く。そして10年以上経過、平成18年夏場所に白鵬が新大関となりこの場所がまた久々の5大関となる。栃東、琴欧州、千代大海、魁皇、白鵬。その間朝青龍の一人横綱だったが、8場所後に白鵬が横綱となり、栃東が引退、5大関時代はいったん終わった。
平成21年初場所にはあらたに日馬富士が昇進し琴光喜、千代大海、琴欧洲、魁皇の5大関が1年続いた。まだ続く、平成22年夏場所には、日馬富士、琴欧洲、琴光喜、魁皇、に把瑠都が加わるが2場所。平成24年初場所には稀勢の里が加わり、把瑠都、琴奨菊、琴欧洲、日馬富士で2場所。そしていよいよ圧巻は平成24年夏場所に初めて6大関時代を迎える。日馬富士、把瑠都、稀勢の里、琴奨菊、琴欧洲、鶴竜。3場所続くが日馬富士の横綱昇進で5大関に・・・まあこんなあんばいで4大関以上の場所が数えきれないほどあったが、全大関が休場するとは今場所が初めてという異例なことだった。
えらい、話が長くなりました。
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by kirakuossan
| 2019-07-19 18:11
| スポーツ
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