信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan
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2018年10月30日(火)

上野の花の盛りの頃には、音楽会の帰りにここへ立寄って、演奏の評判をする人もあった。斯ういふ手合の中には、岡見の弟、福富なぞを数へることが出来る。福富は、市川、栗田、それから岡見の弟と同じやうに、高等学校の制服を着けて居て、市川よりもすこし若い位の年頃であった。芸術といふものに深く趣味をもった青年で、其方で市川なぞとよく話が合ふ。ルナンの基督伝を連中の間に紹介したのも斯人である。彼は、市川を通して、自然と連中の仲間人をするやうに成った。 
d0170835_23233492.jpg四月の音楽会にはヂットリヒが名残の独奏も有った。福富は斯の部屋へ来て、豊かな熱心な、と言って何処か斯う離れたところの有る調子で、会の光景を語り聞かせた。なにがし嬢がヴァイオリンの独奏、燕の歌の合唱、なにがし氏の風琴、これらは門人の部で、それからヂットリヒの演奏に移った。曲はベトオベンが「ロオマンチェ」次に、スポオルの「コンチェルト九番」福富に言はせると、吾国にベトオベンを伝へた最初の人は彼のヂットリヒである。其人がまさに東洋を去らうとして居る。音楽狂でないものでも胸が跳らずに居られない。まして彼の音楽会が一挺のヴァイオリンを携へて、奏楽堂の白壁の前に立って、小指一本で八音を上下した時は、スラアあり、トリルあり、半音階を迅速に上って行ったなぞ、思はず耳が熱した。斯う事こまかに音楽の評をするものは、連中で福富一人である。其日は市川も行って、涙を流して帰って来た。
「窓の外は君、桜の真盛りでせう―演奏中に雨が降って来た時なぞは、何とも言はれない心地だった」

島崎藤村「春」より



日本にベートーヴェンの音楽を最初に伝えたとされるヂットリヒ、すなわちルドルフ・ディットリヒは明治中期オーストリアから来日し、東京音楽学校で教鞭をとった人物である。奏楽堂の白壁の前で披露した作曲家スポオル? 誰のことか?調べて分かった。おそらくルイ・シュポーア(Louis Spohr)のことだろう。彼ならヴァイオリンコンチェルトを15曲も書いている。
そしてここに出てくる音楽に熱心な福富という人物は、詩人で翻訳家の上田敏がモデルである。今日30日は上田敏(1874~1916)の生誕日である。
ほかに岡見は作家星野天知、市川は翻訳家平田禿木がそれぞれモデル。


シュポア:
ウルフ・ヘルシャー(ヴァイオリン)
ベルリン放送交響楽団
クリスティアン・フレーリヒ(指揮)



by kirakuossan | 2018-10-30 00:01 | クラシック | Trackback
2018年10月29日(月)

いろは歌

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色はにほへど  散りぬるを
我が世たれぞ  常ならむ
有為の奥山   今日越えて
浅き夢見じ   酔ひもせず














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改めて思うに「いろは歌」は本当によく出来ていると感心する。すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文で、七五調の形式となっている。平泉澄氏は「詩の内容から見れば明瞭に仏教の思想ですから、僧侶が作ったものとしてよいでしょう。僧侶の中でも、よほどの英才で、才気かがやき、詩情溢るる人でなければなりますまい」としたうえで、「大江匡房は、源信僧都が、〈いろは歌〉を作られたのは弘法大師である、といわれた」と付け加える。
そしてそれを証拠づける事例を紹介する。

凌雲集という古い漢詩集にあります。それは弘仁五年(西暦814年)に作られたもので、従って空海の生きているうちのものです。仲雄王が、空海を閑静な寺に訪ねて、その人柄と功績とに感激して作った詩の中に、「字母、三乗を弘め、真言、四句を演ぶ」とあります。その四句は、〈いろは歌〉をさすものと判断せられますから、〈いろは歌〉は、空海の作で、しかも弘仁五年より前(そして大同元年帰朝以後)にできたものと考えられます。
空海には、いろいろと、功績がたくさんありますが、しかし万人がその恩恵にあずかり、千年を経て尽きないものは、この〈いろは歌〉を作ったということでしょう。


平仮名が発達し、片仮名が開発され、五十音図の工夫がこされる。延暦から延喜にかけての100年間、表面は漢文漢詩全盛にみえても、その内面では着実に日本独自の文化が育っていく。小野小町や在原業平などのすぐれた歌人が現れ、やがて延喜五年(905年)、平安時代前期、最初で最高の勅撰和歌集である古今和歌集が誕生する。


ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ

紀友則



面白い歌をひとつ。

おいらくの 来むと知りせば 門さして
無しと答へて 逢はざらましを

よみ人しらす


「いろは歌」から100年たって、古今和歌集が生まれ、そしてさらに100年後に源氏物語が登場する。






by kirakuossan | 2018-10-29 08:27 | ヒストリー | Trackback

ホンマ、そう思いまっ!

2018年10月28日(日)

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モミジのトンネルにジュータンが敷かれました!
平成30年10月27日(土) 9時現在 天気:雨 気温:10℃

昨夜から雨と風で、色づいた木々の葉が落葉しております。今朝出勤時、事務所前の坂道は紅葉のトンネルにジュータンが敷かれてとってもきれいでした。色づいた木々を連日みるたびに「すご~い」「わあお~」「キャー」と一人声を出し、そんな自分に笑っています。 と~おい昔(20代30代の頃)は、こんなに感激してたかな?・・・ ”歳をとった証拠かなあ~”と、また一人で苦笑いをしてしまいました。それにしてもこの景色きれいだと思いませんか?
(信州リゾートサービスブログより)
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ホンマ、そう思いまっ!





追記:
2018年10月29日(月)

色鮮やかな景色
平成30年10月29日(月)15時現在 天気:晴れ 気温:8.5℃

夢の平展望台から見た景色もこんなに変わりました!!

10月10日(水)8時撮影           
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10月29日(月)8時撮影 
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今年の紅葉は例年に比べ色鮮やかなような気がします。モミジとドウダンツツジがスッゴクきれいです。
(信州リゾートサービスブログより)
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ご厚意によりわが山荘周辺の紅葉もブログに掲載いただきました。アリガトウ。


by kirakuossan | 2018-10-28 17:17 | 信州RS便り | Trackback
2018年10月28日(日)

平泉澄著の「物語日本史」は面白い書物だが、なかでも「上巻」には読みどころが多い。今まで日本史はどちらかといえば近年になるほど興味があったが、本著を手にして、古代に夢をはせる思いがしてきた。ここにこんな一節がある。


藤原京遷都
大海人皇子、即位して天武天皇とおなりになり、御在位十五年でおかくれになりますと、次には皇后が御位をお継ぎになり(持統天皇)、十一年後に御孫文武天皇にお譲りになります。この三代三十数年の間に、国の体制が、だんだんにととのえられて、それが次の奈良時代に花と咲き匂うようになるのです。例をあげるならば、歴史の編集が、その一つです。天武天皇の十年(西暦681年)、川島皇子や忍壁皇子、そのほか十人ばかりに命じて、帝紀及び上古の記録を整理させられるとともに、別に稗田阿礼という、記憶力抜群の青年(時に二十八歳)に命じて、太古からの口伝を一筋にまとめて朗唱せしめられました。その前者は、やがて日本書紀になって完成し、後者はまた、書きおろされて古事記となるのです。


d0170835_12340480.jpg実はこの時代に生きた人物で、多くの人々の信望を集めていた人に大津皇子(663~686)がいる。「懐風藻」には、体格や容姿が逞しく、寛大で、幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。さらに武芸を好み、巧みに剣を扱い、また皇子でありながら謙虚な態度をとり、人士を厚く遇した、と紹介されている。それと同じことが「日本書紀」でも述べられている。
ところが686年9月天武天皇が崩御すると、すぐさま密告により、謀反の意有りとされて大津皇子は捕えられ、翌日に自害させられる。その密告者が上の一節にも出てくる同じ皇族で親友でもあった川島皇子と言われる。これにはさまざまな憶測が飛び交うが真実は定かではない。また大津皇子の辞世の句が遺されているが、これも確かなことはわからない。

ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

ただ、この句にショスタコヴィッチが曲をつけ、歌曲「6つの歌」 Op. 21の中に出てくる。
そんな大津皇子だが、彼を題材にして小説「天翔ける白日」を書いたのが黒岩重吾(1924~2003)。社会派推理・風俗小説作家としてのイメージが強いが、黒岩重吾は、1970年代後半から古代史を舞台にした歴史小説の執筆を始めている。もともと古代史の舞台となった場所で生まれ育ち、幼いころから百舌鳥古墳群の近くで遊んでいたというだけあって関心は尽きなかった。歴史小説としての代表作「天の川の太陽」は壬申の乱をテーマに採りあげており、興味が湧く。
ということで、今度は思いもよらなかった黒岩重吾の作品を求めていまから図書館へ出向く。



by kirakuossan | 2018-10-28 10:02 | ヒストリー | Trackback
2018年10月28日(日)

ド軍、サヨナラ死闘1勝!WS史上最長7時間20分…延長十八回マンシーが劇弾
2018.10.28 05:05 (サンスポ)
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ドジャース3x-2レッドソックス=延長十八回(ワールドシリーズ第3戦、レッドソックス2勝1敗、26日、ロサンゼルス)米大リーグのワールドシリーズ(WS、7回戦制)第3戦で、ドジャース(ナ・リーグ)がレッドソックス(ア・リーグ)にWS史上最長となる延長十八回、同最長の7時間20分にわたる大激戦の末、3-2で勝利。マックス・マンシー内野手(31)が劇的なサヨナラ本塁打を放った。前田健太投手(30)は延長十五回から登板し、2回1安打無失点で5奪三振の好投。対戦成績は1勝2敗となった。 長い、長い夜が終わった。深夜を迎えたドジャースタジアムの上空へ、白球が高く舞い上がった。延長十八回、マンシーが左中間スタンドに飛び込む、サヨナラ弾で7時間20分の死闘に決着をつけた。(後略)


試合が終わったのは日付が変わった午前0:30。レッドソックス(ボストン)とドジャーズ(ロサンゼルス)、両球団の本拠地球場は4,165km離れており、WS史上最長の移動距離と、前日報じられていたが、何かと話題の多いシリーズとなった。第3戦は後世に語り継がれる劇的な一夜となったが、このゲーム、もしドジャーズが落としていたら、長距離移動の疲れ、疲労困憊の延長18回の敗戦でチームは3連敗となりWSの決着はほぼ決まっていただけに、この1勝は大きい。
こちらでも日本シリーズが昨夜から始まった。ソフトバンクvsカープ、延長12回2-2の引き分けで、こちらも緒戦から熱い。



by kirakuossan | 2018-10-28 08:34 | スポーツ | Trackback
2018年10月27日(土)

d0170835_22090376.jpg思い出しては読んでいるが、ホント、「物語日本史」はわかりやすくて面白い。平泉澄(1895~1984)氏の歴史研究は「平泉史学」とも評され、皇国史観に立ち、国体護持のための歴史を生涯にわたって説き続けた。
文庫本で全3巻だが、各巻の目次と標題(小見出し)を眺めているだけで、日本の主だった歴史が、まるで巻物をたどるように、系統だってわかる。



物語日本史(上巻)

1.国家建設
 元服 志を立てる 
2.神武天皇
 柴野栗山 神武天皇 
3.皇紀
 六国史 年立ての混乱 讖緯の学 
4.神代
 神話 天地創造 天石窟 八岐大蛇 稲羽の白兎 天孫降臨 海の幸山の幸 
 日本の神話の特色 
5.日本武尊
 御歴代天皇 日本武尊 
6.神功皇后
 広開土王の碑 百済救済 
7.応神天皇
 文字伝来 御陵 
8.継体天皇
 皇統 王朝交替 
9.聖徳太子
 仏教伝来 17条の憲法 遣隋使 法隆寺建立 蘇我氏の横暴 
10.大化改新
 蘇我氏滅亡 大化改新 
11.天智天皇
 白村江の戦 壬申の乱
12.藤原京
 藤原京遷都 大宝律令 遣唐使 
13.平城京
 平城京遷都 青丹よし寧楽 
14.記紀、風土記
 古事記 日本書紀 風土記
15.万葉集
 万葉がな 柿本人麻呂 山上憶良 大伴家持 防人の歌
16.大仏
 和同開珎 奈良の大仏 
17.和気清麻呂 
 行基 鑑真 道鏡
18.坂上田村麻呂 
 和気清麻呂の精神 坂上田村麻呂
19.最澄と空海
 最澄 空海
20.平仮名
 音読・訓読 いろは歌 
21.片仮名
 五十音図 国語の構造
22.古今集
 日本独自の文化の発達 古今集
23.竹取物語
 竹取物語 伊勢物語 土佐日記
24.源氏物語
 枕草子 紫式部 源氏物語
25.延喜式
 伊勢大神宮 出雲大社 行政区画
26.菅原道真
 藤原氏の謀略 大宰府流罪
27.延喜、天暦
 延喜、天暦の御代 貴族政治の崩壊


物語日本史(中巻)

28.藤原氏の全盛
 一門の栄華 承平・天慶の乱 地方豪族の台頭
29.八幡太郎義家
 頼光・頼信兄弟 頼義・義家父子 身内の喧嘩
30.後三条天皇
 大江匡房 宣旨桝
31.院政
 院政のはじまり 
32.保元の乱
 藤原頼長 白河殿夜討ち 上皇方の敗軍 乱後の処分 乱世
33.平治の乱
 藤原信西 義朝の都落ち 
34.平家の全盛
 義朝の子供達 平家一門の栄華 鹿の谷の陰謀
35.源三位頼政
 「木の下」 平家討伐の令旨 頼政自害
36.平家の都落ち
 福原遷都 頼朝挙兵 富士川の合戦 清盛の死 木曽義仲
37.源義経
 牛若丸 宇治川の戦い 鵯越の奇襲 よみ人知らず 屋島攻撃 那須余一宗高 
 壇ノ浦の戦い 腰越状
38.源頼朝
 兄弟の不和 不和の原因 義経追討 守護・地頭 鎌倉幕府の成立 
 頼朝の死 北条氏の台頭 頼朝出現の意義 
39.承久の御計画
 頼朝の死後 皇国中興 将軍実朝 実朝殺害 承久の変 後鳥羽上皇 
 北条氏の残忍 
40.北条時宗
 蒙古帝国 元の来襲 執権時宗 
41.後鳥羽天皇
 天皇の親政 正中の変 元弘の変 隠岐御遷幸 
42.楠木正成
 護良親王 吉野山攻略 千早城の戦い 
43.建武の中興
 船上山行幸 鎌倉幕府滅亡 正成の無私純情 高氏の謀反 
44.吉野五十七年
 継体の君 正成の最期 正行 菊池の忠節 武光・武朝 苦節全う 
 後醍醐天皇の皇子 宗良親王 新葉集 鎮守府代将軍 北畠親房 神皇正統記
45.室町時代
 足利氏の本質 乱の頻発 群雄割拠


物語日本史(下巻)

46.織田信長
 統一の機運 徳川家康と同盟 武田信玄と上杉謙信 本能寺の変
47.豊臣秀吉
 光秀討伐 勝家との決戦 賤岳の戦い 関白太政大臣 九州平定 
 天下統一 朝鮮出兵 
48.徳川家康
 家康の生い立ち 関ヶ原の戦い 徳川幕府 
49.徳川家光
 日光東照宮 大名の概略 島原の乱 鎖国
50.山鹿素行
 林羅山 山鹿素行の一生 赤穂浪士 
51.山崎闇斎
 山崎闇斎の一生 闇斎の学問の特色 靖献遺言 望楠軒 谷秦山
52.本居宣長
 契沖と仮名遣い 国学の発展 
53.水戸光圀
 伯夷伝 彰考館 大日本史編纂の方針 
54.井伊直弼
 ロシア南下 日本の三蔵 阿片戦争 ペルリ来航 安政の大獄
55.橋本景岳
 啓発録 国事奔走 景岳の国難打開策 
56.吉田松陰
 講孟箚記 松下村塾 
57.孝明天皇
 幕府の権威失墜 孝明天皇の御徳 蛤御門の戦い 薩長連合
58.明治維新
 明治天皇 大政奉還 徳川幕府の最後 五箇条の御誓文 廃藩置県
59.西郷隆盛
 維新政府の分裂 分裂の原因 
60.明治天皇
 帝国憲法発布 教育勅語 
61.二大戦役
 朝鮮半島 日清戦争 日露戦争 バルチック艦隊 旅順攻略 
62.大東亜戦争
 乃木将軍の殉死 明治精神の衰退 大東亜戦争勃発 大東亜戦争の残したもの
 国民精神の高揚 

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by kirakuossan | 2018-10-27 19:52 | ヒストリー | Trackback
2018年10月27日(土)

リルケと同じように、やはりドイツの大きな存在であったゲーテも〈音楽的な〉詩をのこしたが、彼も本質的には音楽とは異質の視覚型の人間だったと言われている。頭でわかったものに耳がついて行けなかったのだというロマン・ロランの卓抜な結論があるが、ロランが熱心なほどおもしろいテーマとも思えない。二人の天才をめぐる逸話は、たがいに自己保存のつよい人間だったという証明だけで、人間の能力が全的であるはずもないし、おのおの日だまりもあり、日陰もあって当然で、だから自分の存在に忠実であろうとすれば、異質の内容にも表現にも抵抗するのはわかりきっている。ゲーテが一流でない音楽家を寵愛したというのも、彼の見解からすればすこしも不思議ではない。
猿田悳著「音楽との対話」から《詩と音楽のあいだ》より



ゲーテと音楽の関係は、『魔王』『野ばら』に代表されるシューベルトの歌曲であり、またゲーテ自身、モーツァルトやベートーヴェンを高く評価した。その一方で、猿田氏がここで触れている”一流でない音楽家”というのは、おそらく、ヨハン・ライヒャルトやあるいはゲーテと親しい間柄にあったカール・ツェルターに違いない。
d0170835_10241552.jpgしかし、いまカール・フリードリヒ・ツェルター (1758~1832)の歌曲を聴いてみて、シューベルトにはない、独特の心の安らぎを感じとれるものが多い。『さすらい人の夜の歌』『安心』『遠く去った人に』『別れ』あるいはメゾ・ソプラノが歌う『魔王』などなど。他に、数少ない管弦楽曲から「ヴィオラ協奏曲 変ホ長調」が心癒される。
彼の作品を通した優しさは愛弟子のメンデルスゾーンに相通ずるものがあるような気がする。
ツェルターは日頃よりメンデルスゾーンに大バッハの音楽を強く愛していると説いており、これがきっかけとなりメンデルスゾーンの手でバッハの「マタイ受難曲」の蘇演が実現し、当時古臭いと敬遠されていたヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽が見直されるきっかけとなった逸話がある。メンデルスゾーンからはピアノ四重奏曲第2番ヘ短調作品2がツェルターに献呈されている。


ツェルター:
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
アリベルト・ライマン(ピアノ)

ハリオルフ・シュリヒティヒ(ヴィオラ)
ミュンヘン室内管弦楽団




by kirakuossan | 2018-10-27 09:45 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年10月26日(金)

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同じ紅葉でも、こちら石山寺では赤く染まるのはまだまだ先のようです。どうかすると2か月近くの違いがある。
ただ、茶店のハロウィン柿だけは満かいでありました。





そういえば今日は「柿の日」だそうだ。
1895年10月26日に正岡子規が「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだことに由来しているとか。



by kirakuossan | 2018-10-26 11:27 | 近江抄 | Trackback
2018年10月26日(金)

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2018年10月8日(月)3:53pm 焼岳の紅葉 まるで絵画の世界
レンズ:1NIKKOR VR 10-30mm f/5.6 焦点距離:30mm(81mm) 露出+0.0 シャッター1/60 ISO180 AUTO

by kirakuossan | 2018-10-26 07:56 | PHOTO | Trackback

Relo第4弾 有馬の一夜

2018年10月25日(木)
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d0170835_13122365.jpg一泊でポイントバケーション・リロ有馬へ。
旧健保の保養所をリノベーションしてこの7
月にオープンしたばかり。真新しい建物は、瑞宝寺公園横の温泉街最高部の標高500mの高台にあって有馬温泉街が一望できる好立地にある。
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温泉寺石段下のくつろぎ家の釜めしはリーズナブルな料金で美味であった。
金泉の元湯はまた次回訪れた時の楽しみに取っておこう。

(2018年10月24日)


by kirakuossan | 2018-10-25 13:12 | 新日本紀行 | Trackback