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今日ホームで決められるか

2017年8月31日(木)
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W杯2018最終予選。
過去0勝2敗5分け。今宵果たして初めて勝てるのか?オーストラリアに。
7:35キックオフ。


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オーストラリアに2-0で初勝利。
W杯出場ホームで決めた!



by kirakuossan | 2017-08-31 18:34 | スポーツ | Trackback

カッコイイ!!

2017年8月31日(木)

8月も今日でおしまい。今年の夏は短かったなあ~
これ、信州リゾートサービスのブログから拝借。
「風が教えてくれた夏の終わり・・・ふと辺りを見回すとナナカマドの葉の色が褐色になっていました」

カッコイイ!!
なかなかこんなうまい表現出来ませんで。
ホロリときます。
参考になります。。。



風が教えてくれた夏の終わり・・・


平成29年8月25日(金)天気:曇り 8時現在気温:20℃

今朝、出勤して車を降りると心地よい風が私の前を吹き去りました。いつもよりちょっと強い風に、夏の終わりを感じました。ふと辺りを見回すとナナカマドの葉の色が褐色になっていました。8月も終わりに近づき長期滞在のお客様もだんだんとご自宅に戻られ、今年の夏もそろそろ終盤を迎えてきました。すぐそこに秋の足音が聞こえてくるような朝でした。

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里の田んぼでは稲穂が風に吹かれて気持ち良さそうです。後1ヶ月もすると、緑色の稲が黄色になり、稲刈りが始まります。



追記:
2017年9月1日(金)
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これが事務所前の赤いナナカマド木の実ですか。なるほど。



by kirakuossan | 2017-08-31 17:26 | 信州RS便り | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その9 日光湯元温泉

2017年8月31日(木)


『みなかみ紀行』若山牧水


十月廿七日。
丸沼の番小屋

洋燈より榾火の焔のあかりの方が強い様な炉端で、私の持って来た一升壜の開かれた時、思いもかけぬ三人の大男が其処に入って来た。C―家の用でここよりも山奥の小屋へ黒檜の板を挽きに入り込んでいた木挽たちであった。用が済んで村へかえるのだが、もう暮れたから此処へ今夜寝させて呉れと云うのであった。迷惑がまざまざと老番人の顔に浮んだ。昨夜の宿屋で私はこの老爺の酒好きな事を聞き、手土産として持って来たこの一升壜は限りなく彼を喜ばせたのであった。これは早や思いがけぬ正月が来たと云って、彼は顔をくずして笑ったのであった。そして私がM―老人を呼ぼうというのをも押しとどめて、ただ二人だけでこの飲料をたのしもうとしていたのであった。其処へ彼の知合である三人の大男が入り込んで来て同じく炉端へ腰をおろしたのだ。
 同じ酒ずきの私には、この老爺の心持がよく解った。幾日か山の中に寝泊りして出て来た三人が思いがけぬこの匂いの煮え立つのを嗅いで胸をときめかせているのもよく解った。そして此処にものの五升もあったらばなア、と同じく心を騒がせながら咄嗟の思いつきで私は老爺に云った。
「お爺さん、このお客さんたちにも一杯御馳走しよう、そして明日お前さんは僕と一緒に湯元まで降りようじゃアないか、其処で一晩泊って存分に飲んだり喰べたりしましょうよ」 と。
 爺さんも笑い、三人の木挽たちも笑いころげた。
 僅かの酒に、その場の気持からか、五人ともほとほとに酔ってしまった。小用にと庭へ出て見ると、風は落ちて、月が氷の様に沼の真上に照っていた。山の根にはしっとりと濃い雲が降りていた。


一升瓶一本で五人がほとほと酔ってしまったとあるが、恐らくおおいにの呑みたらなかったことだろう。少なくとも牧水にとっては・・・それにしても、牧水は朝に3合、昼に4合、夜に一升・・・は本当だろうか?これも話がだんだんと大きくなったのではないか、人間いくら酒好きと言っても、毎日これだけの量を飲むとは考えにくい。


日あたりに居りていこへど山の上の凍みいちじるし今はゆきなむ



十月廿八日。
日光湯元温泉

草鞋を埋むる霜柱を踏んで、午前十時四十五分、終に金精の絶頂に出た。真向いにまろやかに高々と聳えているのは男体山であった。それと自分の立っている金精峠との間の根がたに白銀色に光って湛えているのは湯ノ湖であった。これから行って泊ろうとする湯元温泉はその湖岸であらねばならぬのだ。ツイ右手の頭上には今にも崩れ落つるばかりに見えて白根火山が聳えていた。男体山の右寄りにやや開けて見ゆるあたりは戦場ヶ原から中禅寺湖であるべきである。今までは毎日毎日おおく渓間へ渓間へ、山奥へ山奥へと奥深く入り込んで来たのであったが、いまこの分水嶺の峰に立って眺めやる東の方は流石に明るく開けて感ぜらるる。これからは今までと反対に広く明るいその方角へ向って進むのだとおもうと自ずと心の軽くなるのを覚えた。
 背伸びをしながら其処の落葉の中に腰をおろすと、其処には群馬栃木の県界石が立っていた。そして四辺の樹木は全く一葉をとどめず冬枯れている。その枯れはてた枝のさきざきには、既に早やうす茜色に気色ばんだ木の芽が丸みを見せて萌えかけているのである。深山の木は斯うして葉を落すと直ちに後の新芽を宿して、そうして永い間雪の中に埋もれて過し、雪の消ゆるを待って一度に萌え出ずるのである。
 其処に来て老番人の顔色の甚しく曇っているのを私は見た。どうかしたかと訊くと、旦那、折角だけれど俺はもう湯元に行くのは止しますべえ、という。どうしてだ、といぶかると、これで湯元まで行って引返すころになるといま通って来た路の霜柱が解けている、その山坂を酒に酔った身では歩くのが恐ろしいという。
「だから今夜泊って明日朝早く帰ればいいじゃないか」
「やっぱりそうも行きましねエ、いま出かけにもああ云うとりましたから……」
 涙ぐんでいるのかとも見ゆるその澱んだ眼を見ていると、しみじみ私はこの老爺が哀れになった。
「そうか、なるほどそれもそうかも知れぬ、……」
 私は財布から紙幣を取り出して鼻紙に包みながら、
「ではネ、これを上げるから今度村へ降りた時に二升なり三升なり買って来て、何処か戸棚の隅にでも隠して置いて独りで永く楽しむがいいや。では御機嫌よう、左様なら」
 そう云い捨つると、彼の挨拶を聞き流して私はとっとと掌を立てた様な急坂を湯元温泉の方へけ降り始めた。

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『みなかみ紀行』では最初、軽井沢から始まって、嬬恋、草津、花敷と廻って行ったが、これらの温泉や雰囲気は何度か訪れ馴染みがあるが、四万から以降、法師、湯宿、老神、白根、そして日光の温泉と続くが、どこも魅力があって旅愁を誘わざるを得ない。
群馬県北東部、沼田もふくめてみなかみは是非訪れたいところである。できれば、みなかみ十八湯のどこかの宿で一、二泊し、牧水の足跡を訪ねてニ三日かけて巡るのも愉しいものである。


湖をかこめる四方の山なみの黒木の森は冬さびにけり
中禅寺湖にて。。。

牧水の旅はまだつづく・・・



ではこのへんでおしまい。

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by kirakuossan | 2017-08-31 07:16 | 文芸 | Trackback

最終回はマーラー9番

2017年8月31日(木)

松井くんから例の日経夕刊の「クラシック名演・名盤」(福島章恭・文)記事のメールが入ってきた。今回で最終回ということだが、やはりブルックナーの次は最後にマーラーだ。



d0170835_06063070.jpegマーラー:
ジョン・バルビローリ (指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

マーラーの交響曲第9番を中心に語られていく。ジョン・バルビローリがベルリン・フィルの団員たちから乞われて肝いりで収録された演奏がもっともよく知られた名演奏だが、福島氏もごたぶんにもれずマーラーはこの演奏から入ったようだ。ただ最近では心の変化が生じていて、「マーラーの心の葛藤を共有しながらも、表に出さずじっと耐える演奏により魅かれるようになって来た」と語る。
そもそも思うに、マーラーは第1番のあのセンセーショナルな音楽に始まり、清楚な4番、5番でひとつの頂点を迎え、6番から混迷の音楽へと向かう。7番でさらに深遠な部分に立ち入り、最後は9番で「別れ」や「死」を連想させる暗い音楽でしめる。
福島氏は苦手なマーラーのシンフォニーにあってこの9番がお気に入りとあるが、ボクはむしろこの9番が最も苦手な曲である。いつも思い直して聴こうとするがやはり最後までよくわからない。7番の「夜の歌」が一番理解しにくいものと思ってきたが、今ではこの9番である。とにかくこういった類の暗さは苦手だ。


そこでまず紹介されるのはカレル・アンチェル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団盤、1966年の収録である。彼はナチスに妻子を奪われる悲惨な体験をするが、これはさすがアンチェルといった演奏だが、そういった自らの体験を思い起こさせるのかさすがにその暗さは増すのである。
カレル・アンチェル - Karel Ančerl (指揮)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音: 15 April 1966, The Dvořák Hall of Rudolfinum, Prague, Czech Republic


ほかにクーベリックの演奏が語られ、クレンペラーも出て来るが、やはりクレンペラーのは、別の凄みがある。

5回のシリーズだった「クラシック名演・名盤」、単なる上辺だけの解説文と違って福島氏自らの体験や思いが凝縮されて愉しい読み物だった。
毎度記事を送ってくれた松井くんに感謝。

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by kirakuossan | 2017-08-31 06:29 | クラシック | Trackback

つまるところ”好みの差”

2017年8月30日(水)
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ボクは今までに音楽評論家で尊敬し、また信頼をおいてきた人は僅かに3人しかいない。吉田秀和(1913~2012)、河上徹太郎(1902~1980)、そしてもう一人はほとんど無名に近い人だが猿田悳(1926~1975)である。おもしろいことにこの3人のなかで純然たる音楽評論家は吉田秀和だけであって、河上徹太郎はフランス象徴主義に裏打ちされた思想を背景に文芸評論が専門だし、猿田の本業はドイツ文学者である。
猿田悳(とく)は、3年ほど前に著書『音楽との対話』を通してこのブログで思いを書いたことがある。そして昨年の冬にも蓼科の山荘から、ハイティンクやジョージ・セルについてもこの著書から触れたことがあった。ことさように、この猿田氏の名著は、ときおり思い出しては、部分部分拾い読みをしてみる。そしてその文章はいつ読んでも新鮮で、感銘を覚えるのである。なぜそこまでこの人を尊敬するかと言えば、確固たる持論を持ち合わせ、それを簡潔に読者に示してくれる。ただ単にわかりやすい文章というよりは、ひとつふたつ独自の味付けを施し、他では決して味わうことの出来ないような、そんな知的な評論。それは決して肩を張ったものではなく、自然ににじみ出てくるような、この人そのものが写しだされたような、そんな血の通った文章なのである。そして自分の意見を正直にズバッと言う。

今日は「リリー・クラウスとモーツァルト」という稿に目がとまった。冒頭、先輩吉田秀和に脱帽した書き出しで始まる。

「演奏はかならず個性的でなければならない」と断定的な表現をした批評家がいる。できればわたしは、これを自分の言葉として書き始めたかったが、すでにこう言ってしまった人間がいる以上、引用符をつけなければならない。断定的な、というのはその足もとがしっかりしていたという意味であって、表現のうえで留保がなかったわけではない。前後にはなお、「近代では」と「言葉の深い意味において」という二つの副詞句が置かれている(吉田秀和『演奏の質において』1961)
「近代では」という表現にくわしい説明はないが、「近代での演奏は主観を深める以外に、客観に達する道はないのである」とあるところからも、おそらく演奏家という仕事が定着しはじめたロマン派以降というほどのことだろう。「言葉の意味において」というのは<個性的>という言葉を少しばかりていねいにとらえようということにちがいない。
まことに、演奏とはこの一語、「個性たるべし」という至上命令につきる。わたしたちは演奏家も聴衆も、これをあまりに自明のことと思っているので、一回の演奏ごとに確認することさえ怠っているが、「あなたの国の演奏家には自分の感じているものを表現しようという気持ちがあるのか?」という問いを、同席の外人から受けた経験が再三あったことを思うと、個性的とは演奏家の表現意欲―あるいはその前に感受性―と不可分でなないだろう。危険なのは、この辺からロマン的、主観的、解釈過剰の楽曲の捏造というところまで、わたしたちの頭が先走りがちなことで、個性的とは、少しも主観的でもロマン的でもないのである。多かれ少なかれ、個性的でない演奏があるわけがないし、あったとしたら、その行為そのものがすでに無意味であって、それならしろうとでさえべつに弾く必要はない。個性的なものがつねにすぐれたものとはかぎらないが、すぐれたものはつねに個性的である。

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色んな演奏家が登場してくる中で、いよいよリリー・クラウスの登場だが、猿田氏は全幅の信頼をおいているかのように彼女について朗々と語る。あまり長いので割愛するが・・・

わたしは短調のモーツァルトを最上とは思わないので、強いて言えば、変ホや変ロの長調の作品に愛着を感ずるものが多いが、クラウスの場合は安心して短調の作品に感動をおぼえる。というのも、彼女には安手の感情や、ロマン的な解釈や精神が呼び出す鈍重さが少しも感じられず、言ってみればきわめてピアニスティックな美しさを最大限に披露してくれる感覚的なピアニストだからだろう。

そして続けて読んでいくと、思わぬ聞き捨てならない箇所にぶちあたった。イングリット・ヘブラーに関して、ここはボクの意見と真っ向から正反対で残念だが、でも猿田氏のズバッと持論を展開するところは、ものの見事さで、かえって清々しさえが感じられるのである。


K三三〇(ソナタ10番)のクラウスは、第一楽章を速めのテンポと硬質で多彩な音色で、多少そっけないほどに情緒の垢をはらいおとす。その意味で男性的と言ってもいいが、感情の振幅は大きい人だから、第二楽章に入るとひどくテンポが不安定になる。だがそこにあやしい魅力を感ずることもできるであろう。同じ女流のモーツァルティアンにイングリート・ヘブラーがいるが、この曲を比較してみたとき、わたしは天分の差というものを否定できない。ヘブラーの場合、なにからなにまでが弱すぎ、音色は一本調子で変化にとぼしく、モーツァルト特有の華やかさも、同時にかげりもない。主題はいつでも不鮮明で、つまるところ退屈してしまう。むやみに大げさなモーツァルトも困るが、無気力にふやけたモーツァルトも困る。
『音楽との対話』より


あまりにもズタズタの批評で、ヘブラーもここまで言われるか、とも思うが、ボクなんか、そこの弱い部分に魅かれ、いっけん一本調子に聴こえるところがまた素朴で好きなのだ。それこそここまでくると、つまるところ”好みの差”と言えるのではないか。
それにしてもここまでズバッと言い切るような評論家は古今東西そう多くはいない。.




by kirakuossan | 2017-08-30 17:04 | クラシック | Trackback

束の間の涼を楽しんでいるのでございます。

2017年8月30日(水)
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おかげさまで朝晩はだいぶ過ごしやすくなってきました。
わたしがこの家に寄せていただくようになってから、みなさんにずいぶんと可愛がられて喜んではおりますが、でも最初の頃は残暑といいますか、真昼の陽射しの暑さは、それはそれは大変なもので、いくら笠を冠っているとはいえ頭がクラクラしてぶっ倒れるぐらいでありました。
で、いつもこうして水をかけてもらっては束の間の涼を楽しんでいるのでございます。それに体中綺麗にもなりますし・・・ありがたいことです。


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by kirakuossan | 2017-08-30 11:16 | 偶感 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その8 老神温泉・白根温泉

2017年8月30日(水)

『みなかみ紀行』若山牧水


十月廿五日。
老神温泉

老神温泉に着いた時は夜に入っていた。途中で用意した蝋燭をてんでに点して本道から温泉宿の在るという川端の方へ急な坂を降りて行った。宿に入って湯を訊くと、少し離れていてお気の毒ですが、と云いながら背の高い老爺が提灯を持って先に立った。どの宿にも内湯は無いと聞いていたので何の気もなくその後に従って戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異ったたいへんな処へ湯が湧いているのであった。手放しでは降りることも出来ぬ嶮しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲って辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を辿る。その中洲の様になった川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いているのだ。
 這いつ坐りつ、底には細かな砂の敷いてある湯の中に永い間浸っていた。いま我等が屋根の下に吊した提灯の灯がぼんやりとうす赤く明るみを持っているだけで、四辺は油の様な闇である。そして静かにして居れば、疲れた身体にうち響きそうな荒瀬の音がツイ横手のところに起って居る。ややぬるいが、柔かな滑らかな湯であった。屋根の下から出て見るとこまかな雨が降っていた。石の頭にぬぎすてておいた着物は早やしっとりと濡れていた。
 註文しておいたとろろ汁が出来ていた。夕方釣って来たという山魚の魚田も添えてあった。折柄烈しく音を立てて降りそめた雨を聞きながら、火鉢を擁して手ずから酒をあたため始めた。



老神温泉、「おいがみおんせん」と呼ぶ。
周囲を山に囲まれた群馬県沼田市利根町にある温泉である。ここは尾瀬訪問の宿泊地としてもよく利用される温泉で、旅館も多く賑わう。ここでも日帰り入浴ができる。草津からみなかみにかけての各地の多くの温泉が立ち寄り湯を提供してくれるのはなにより有難いことである。赤城山の神である大蛇と、日光の男体山の神である大ムカデが争った際、赤城山の神がこの地に出来た温泉で傷を癒して男体山の神を追い払ったとされる開湯伝説があって、神を追い払ったという事で追神温泉とも言われた。ムカデの話はここ近江にもあるが、よくある話だ。
みなかみ紀行では老神温泉での宿泊場所が書かれていないが、牧水が旅の途中で疲れを癒したゆかりの宿「牧水苑」というのがあってここかも知れない。まあ、先に名乗ったもの勝ちという気がしないでもないが・・・
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十月廿六日。
白根温泉

村を過ぎると路はまた峡谷に入った。落葉を踏んで小走りに急いでいると、三つ四つ峰の尖りの集り聳えた空に、望の夜近い大きな月の照りそめているのを見た。落葉木の影を踏んで、幸に迷うことなく白根温泉のとりつきの一軒家になっている宿屋まで辿り着くことが出来た。
 此処もまた極めて原始的な湯であった。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちていた。湯から出て、真赤な炭火の山盛りになった囲炉裡端に坐りながら、何はもあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いという。驚き惶てて何処か近くから買って来て貰えまいかと頼んだ。宿の子供が兄妹つれで飛び出したが、やがて空手で帰って来た。更らに財布から幾粒かの銅貨銀貨をつまみ出して握らせながら、も一つ遠くの店まで走って貰った。
 心細く待ち焦れていると、急に鋭く屋根を打つ雨の音を聞いた。先程の月の光の浸み込んでいる頭に、この気まぐれな山の時雨がいかにも異様に、侘しく響いた。雨の音と、ツイ縁側のさきを流れている渓川の音とに耳を澄ましているところへぐしょ濡れになって十二と八歳の兄と妹とが帰って来た。そして兄はその濡れた羽織の蔭からさも手柄顔に大きな壜を取出して私に渡した。


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何はもあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いという。
これには驚くわなあ、驚くというより落胆し、無性に寂しい思いがして、涙がでてくるわなあ・・・
ここで牧水が必死の思いで子供たちに銅貨銀貨を握らせる心境は牧水でなくてもよく理解できる。
白根温泉は白根山の麓、日光と尾瀬で有名な片品村を結ぶ国道120号線沿いに湧くが、長い間、秘湯と呼ばれてきた。冬は日光方面からの来る場合、金精峠が通行止めになるくらいの人里離れた山奥にある。老婆心ながらいうと、標高2171m草津の白根山と違ってここは高い方、標高2578mの日光白根山である。浅間山が標高2568mだからまだ10m高い。(蓼科山は2530m)


わが過ぐる落葉の森に木がくれて白根が岳の岩山は見ゆ


つづく・・・



by kirakuossan | 2017-08-30 07:23 | 文芸 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その7 湯宿温泉・沼田「青地屋」

2017年8月30日(水)

水上温泉郷-みなかみ十八湯と呼ばれ、群馬県最北端に位置しするみなかみ町には多くの温泉が点在する。

上牧温泉:カルシウム・ナトリウム - 硫酸塩・塩化物泉
水上温泉:カルシウム - 硫酸塩泉
谷川温泉:単純温泉・硫酸塩泉
うのせ温泉:単純温泉
向山温泉:アルカリ性単純温泉
湯桧曽温泉:アルカリ性単純温泉
宝川温泉:単純温泉
上の原温泉:単純温泉
湯ノ小屋温泉:単純温泉
高原千葉村温泉:含硫黄・カルシウム・硫酸塩温泉
法師温泉:硫酸塩泉
猿ヶ京温泉:ナトリウム・カルシウム - 硫酸塩塩化物泉
川古温泉:カルシウム・ナトリウム - 硫酸塩泉
赤岩温泉:硫酸塩泉
湯宿温泉:ナトリウム・カルシウム - 硫酸塩泉
真沢温泉:アルカリ性単純温泉
奈女沢温泉:硫酸塩泉
月夜野温泉:アルカリ性単純温泉

ここは一番、温泉梯子ってなのもオモシロイ。



『みなかみ紀行』若山牧水

十月廿三日。

湯宿温泉

 猿ヶ京村を出外れた道下の笹の湯温泉で昼食をとった。相迫った断崖の片側の中腹に在る一軒家で、その二階から斜め真上に相生橋が仰がれた。相生橋は群馬県で第二番目に高い橋だという事である。切り立った断崖の真中どころにの様にして架っている。高さ二十五間、欄干に倚って下を見ると胆の冷ゆる思いがした。しかもその両岸の崖にはとりどりの雑木が鮮かに紅葉しているのであった。
 湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其処で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊る事にした。もっともM―君は自分の村を行きすぎ其処まで見送って来てくれたのであった。U―君とは明日また沼田で逢う約束をした。
 一人になると、一層疲労が出て来た。で、一浴後直ちに床を延べて寝てしまった。一時間も眠ったとおもう頃、女中が来てあなたは若山という人ではないかと訊く。不思議に思いながらそうだと答えると一枚の名刺を出して斯ういう人が逢い度いと下に来ているという。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄って来たH―君であった。仙台からの帰途本屋に寄って私達が一泊の予定で法師に行った事を聞き、ともすると途中で会うかも知れぬと云われて途々気をつけて来た、そしてもう夕方ではあるし、ことによるとこの辺に泊って居らるるかも知れぬと立ち寄って訊いてみた宿屋に偶然にも私が寝ていたのだという。あまりの奇遇に我等は思わず知らずひしと両手を握り合った。


牧水は湯宿温泉「金田屋」に泊った。佐久を出て10日目である。新潟との県境の三国峠の手前、国道17号沿いに温泉街が広がる。共同浴場も3~4軒あるが、ここ「金田屋」でも日帰り入浴が可能だ。湯宿の湯はみなかみ十八湯のなかでも最も熱くて源泉は60℃を越す。湯治にも向く、そんな鄙びた温泉街である

そしてその翌日、約束通り沼田へ戻り、「青地屋」でU―君と会う。

夜、宿屋で歌会が開かれた。二三日前の夜訪ねて来た人たちを中心とした土地の文芸愛好家達で、歌会とは云っても専門に歌を作るという人々ではなかった。みな相当の年輩の人たちで、私は彼等から土地の話を面白く聞く事が出来た。そして思わず酒をも過して閉会したのは午前一時であった。法師で会ったK―君も夜更けて其処からやって来た。この人たちは九里や十里の山路を歩くのを、ホンの隣家に行く気でいるらしい。
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翌朝、大正11年10月25日朝、沼田の青池旅館の中庭にて記念撮影したものである。生方記念文庫所蔵のこの写真には左から、伝田愛吉・生方吉次・牛口善衛・真下年男・若山牧水・植村祐三・植村婉外・金子刀水とある。 
ここでU―君が牛口善衛という青年で、また、法師温泉で、歌集『くろ土』を取り出してその口絵の肖像と私とを見比べながら、「矢張り本物に違いはありませんねエ」と云って驚くほど大きな声で笑ったK―君は、金子刀水ということを知る。

十月廿五日。 
昨夜の会の人達が町はずれまで送って来て呉れた。U―、K―の両君だけはもう少し歩きましょうと更らに半道ほど送って来た。其処で別れかねてまた二里ほど歩いた。収穫時の忙しさを思って、農家であるU―君をば其処から強いて帰らせたが、K―君はいっそ此処まで来た事ゆえ老神おいがみまで参りましょうと、終に今夜の泊りの場所まで一緒に行く事になった。宿屋の下駄を穿き、帽子もかぶらぬままの姿でである。


散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり


「青池屋」は、「ホテル青地」となって、近代的ビジネスホテルに変身している。こじんまりしたホテルながら、どの部屋からも奥利根の山々が見渡せる高台に建つ。


つづく・・・

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by kirakuossan | 2017-08-30 05:30 | 文芸 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その6 法師温泉

2017年8月29日(火)


『みなかみ紀行』若山牧水

21日に11時前中之条に着き、そこから電車に乗り渋川に着いたのは正午。東京行、沼田行とそれぞれの時間を調べておいて牧水とK―君は駅前の小料理屋に入った。ここで別れてK―君は東京へ帰り、牧水は沼田の方へ入り込む段取りだ。

看板に出ていた川魚は何も無かった。鶏をとりうどんをとって別盃を挙げた。軽井沢での不図した言葉がもとになって思いも寄らぬ処を両人して歩いて来たのだ。時間から云えば僅かだが、何だか遠く幾山河を越えて来た様なおもいが、盃の重なるにつれて湧いて来た。午後三時、私の方が十分間早く発車する事になった。手を握って別れる。
渋川から沼田まで、不思議な形をした電車が利根川に沿うて走るのである。その電車が二度ほども長い停電をしたりして、沼田町に着いたのは七時半であった。指さきなど、痛むまでに寒かった。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になっていた郵便物を受取った。局の事務員が顔を出して、今夜何処へ泊るかと訊く。変に思いながら渋川で聞いて来た宿屋の名を思い出してその旨を答えると、そうですかと小さな窓を閉めた。
 宿屋の名は鳴滝と云った。風呂から出て一二杯飲みかけていると、来客だという。郵便局の人かと訊くと、そうではないという。不思議に思いながらも余りに労れていたので、明朝来て呉れと断った。実際K―君と別れてから急に私は烈しい疲労を覚えていたのだ。然し矢張り気が済まぬので自分で玄関まで出て呼び留めて部屋に招じた。四人連の青年たちであった。矢張り郵便局からの通知で、私の此処にいるのを知ったのだそうだ。そして、
「いま自転車を走らせましたから追っ附けU―君も此処へ見えます」
 という。
「ア、そうですか」
 と答えながら、矢っ張り呼び留めてよかったと思った。U―君もまた創作社の社友の一人であるのだ。




十月廿二日。
法師温泉


 今日もよく晴れていた。嬬恋以来、実によく晴れて呉れるのだ。四時から強いて眼を覚まして床の中で幾通かの手紙の返事を書き、五時起床、六時過ぎに飯をたべていると、U―君がにこにこしながら入って来た。自宅でもいいって云いますから今日はお伴させて下さい、という。それはよかったと私も思った。今日はこれから九里の山奥、越後境三国峠の中腹に在る法師温泉まで行く事になっていたのだ。

法師温泉は群馬県利根郡みなかみ町(旧国上野国)にある温泉で開湯は1200年前とされる由緒ある温泉。三国峠にも近い標高800mの高所に一軒宿の「長寿館」がある。下に敷き詰めた玉石の間からポコポコ自然湧出する源泉は、泉質が無色透明のカルシウム、ナトリウム硫酸塩泉、泉温は43℃である。牧水以外にも川端康成や与謝野晶子などが訪れたことで知られる。牧水がこの時泊ったのも「長寿館」である。
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 吹路という急坂を登り切った頃から日は漸く暮れかけた。風の寒い山腹をひた急ぎに急いでいると、おりおり路ばたの畑で稗や粟を刈っている人を見た。この辺では斯ういうものしか出来ぬのだそうである。従って百姓たちの常食も大概これに限られているという。かすかな夕日を受けて咲いている煙草の花も眼についた。小走りに走って急いだのであったが、終に全く暮れてしまった。山の中の一すじ路を三人引っ添うて這う様にして辿った。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫った峡間の奥の闇の深い中に温泉宿の灯影を見出した時は、三人は思わず大きな声を上げたのであった。
 がらんどうな大きな二階の一室に通され、先ず何よりもと湯殿へ急いだ。そしてその広いのと湯の豊かなのとに驚いた。十畳敷よりもっと広かろうと思わるる浴槽が二つ、それに満々と湯が湛えているのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあった。乏しい灯影の下にずぶりっと浸りながら、三人は唯だてんでに微笑を含んだまま、殆んどだんまりのの永い時間を過した。のびのびと手足を伸ばすもあり、蛙の様に浮んで泳ぎの形を為すのもあった。
 部屋に帰ると炭火が山の様におこしてあった。なるほど山の夜の寒さは湯あがりの後の身体に浸みて来た。何しろ今夜は飲みましょうと、豊かに酒をば取り寄せた。鑵詰をも一つ二つと切らせた。U―君は十九か廿歳、M―君は廿六七、その二人のがっしりとした山国人の体格を見、明るい顔を見ていると私は何かしら嬉しくて、飲めよ喰べよと無理にも強いずにはいられぬ気持になっていたのである。
 其処へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入って来た。一人はK―君という人で、今日我等の通って来た塩原太助の生れたという村の人であった。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行っていたという画家であった。画家を訪ねて沼田へ行っていたK―君は、其処の本屋で私が今日この法師へ登ったという事を聞き、画家を誘って、あとを追って来たのだそうだ。そして懐中から私の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口絵の肖像と私とを見比べながら、
「矢張り本物に違いはありませんねエ」
 と云って驚くほど大きな声で笑った。
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牧水より10年ほどのちにここを訪れた与謝野晶子もこの浴場に感動してこう詠んでいる。

草まくら手枕に似じ借らざらん山のいで湯の丸太のまくら   晶子


牧水が訪れた時は浴槽が二つとあるが、それを仕切って四つにし、その時、丸太の枕を備えたものであろう。
「長寿館」の法師乃湯は混浴で1000円で日帰り入浴できるそうだ。ここは近いうちに是非訪れたいものである。


つづく・・・




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by kirakuossan | 2017-08-29 12:29 | 文芸 | Trackback

さあ、スポーツの秋、スタートだ。

2017年8月29日(火)

d0170835_09202421.jpgアメフトのリーグ戦が先週金曜から始まった。
初戦で京都大が関西大を13-10と接戦で下し、何かを予感させる一戦で幕開けした。数年で徐々に力を挙げて来た京都大の復活がいよいよ今季見られるかも。立命館は今季1部リーグ入りした桃山学院に38-7で勝利、圧勝とはいかなかったが開幕戦とすればまずまずか。関学大は同志社を28-0と完封した。立命館の次戦は9月10日に同志社と。注目の京都大戦は10月7日、関西大戦は10月21日、そして関学戦は11月19日、甲子園ボウル出場への決定戦は12月3日。

9月2日からは関西学生野球リーグが開幕と、スポーツの秋、スタートだ。
一方、冬のスポーツのイメージが強い大学ラグビーは、まだ1か月先の9月30日から開幕(Bリーグは17日から)だ。
そうこうしているうちに新チームによる来春のセンバツをうらなう秋季高校野球大会も始まる。滋賀大会は9月16日から、大津商は甲西(9/22)立命館守山は栗東(9/23)といずれも2回戦からの登場。京都大会は26日から開幕、立命館は洛西と京都両洋を、立命館宇治は西京と山城をそれぞれ下し幸先良いスタートを切った。一方長野大会は、9月2日開幕、東信地区の小諸商の緒戦は蓼科高と決まっている。
またハラハラドキドキ、忙しいこっちゃ。


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by kirakuossan | 2017-08-29 08:44 | スポーツ | Trackback