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「神の楽器」のソナタ

2017年2月23日(木)

いい曲、なんの曲。

d0170835_13295981.jpg好きな楽器にトロンボーンがある。非常に古い歴史を持つ楽器で、音域は成人男性の声域に近いといわれ、ハーモニーの美しさなどから「神の楽器」とも呼ばれる。そんなこともあってよく教会音楽などに用いられた。ベートーヴェンが最初にトロンボーンを持ち込んだのは交響曲第5番の第4楽章からである。その後、ロマン派の作曲家が使うようになり、オーケストラではトランペットやホルンと並んで欠かせない楽器になった。


今日はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759)の生誕332年の記念すべき日である。珍しい曲で耳にすることはまずないが、ヘンデルにトロンボーン・ソナタがある。作曲年は1726年、オルガンをバックに、これなどまさしく「神の楽器」を思わせる。


d0170835_13255081.jpgヘンデル:
トロンボーン・ソナタ イ短調 Op. 1 No. 4, HWV 36
アビー・コナント - Abbie Conant (トロンボーン)
クレメンス・シュノール - Klemens Schnorr (オルガン)


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by kirakuossan | 2017-02-23 13:24 | いい曲、なんの曲 | Trackback

スペインの若きチェリスト

2017年2月22日(水)

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Pablo Ferrandez | Cellist
d0170835_23173995.png22-feb 15:30
Concerte de 5 stele • Producător Octavia Galescu. Realizator Ana Voinescu. Din concertul susţinut de Orchestra Filarmonică BBC la Palatul Carlos V din Granada (24 iunie 2016). Dirijor Juanjo Mena. Solist violoncelistul Pablo Ferrandez. Antonin Dvorak - Concertul op. 104 în si minor

スペインの若きチェリスト・パブロ・フェランデス(1991~)
ルーマニア放送でのドヴォルザークのチェロ協奏曲の演奏を聴き、これはただものではございませんぞ。まだ25歳の若者だが、このふくよかな響きはすでに大物チェリストの貫禄である。会場の割れんばかりの拍手がそれを証明していた。
彼は父親がスペイン国立オーケストラのチェリスト、母親が音楽教師といった音楽一家に生まれ、3歳からチェロを弾き始めた。最近、日本音楽財団からストラディヴァリウスを貸与した最初のスペインのチェロ奏者となった。これからの活躍が楽しみなチェリストである。
なおバックのBBCフィルを指揮するのは、同じくスペインの中堅指揮者ファンホ・メナ(1965~)。彼はジャナンドレア・ノセダの後任として2011年からBBCフィルハーモニックの首席指揮者に就任している。後半のプログラムでチャイコフスキーの「悲愴」を指揮したが、何か先を急ぎすぎ、どことなく上滑りした、物足りない演奏で、盛り上がりに欠けた。前半のドヴォルザークがあまりにも良かっただけにどうしても比較してしまう。


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by kirakuossan | 2017-02-22 22:58 | クラシック | Trackback

堀辰雄が愛した早世の詩人とショパン

2017年2月22日(水)

d0170835_1929553.jpg今日はフレデリック・ショパン(1810~1849)の出生の日である。堀辰雄が愛蔵していたSPレコード、彼はショパンが好きだった。そういうとどことなく共通点があうような、ないような・・・即興曲があり練習曲があり、そしてプレリュードがあった。
彼の愛蔵レコードからこよなく愛したショパンを一曲。24の前奏曲Op28、演奏はアルフレッド・コルトー、1926年3月の演奏である。堀辰雄22歳のときであった。



d0170835_19251914.jpgショパン:
24の前奏曲 Op. 28
アルフレッド・コルトー - Alfred Cortot (ピアノ)
録音: 22 - 23 March 1926







夏の手紙

立原道造に

                                堀辰雄

七月二十五日、信濃追分にて
この前の土曜日にこちらに來るかと思つてゐたが、とうとう來られなかつたね。君のゐる大森の室生さんの留守宅の方へ手紙を出すと、どうも郵便物はみんな輕井澤の別莊の方へ廻送されてしまふらしいから、君の働いてゐる建築事務所宛にこの手紙を出すことにした。が、どうも輕井澤に建てるヒュッテの設計を頼む手紙ででもあるのならいいが、君に詩集を貰つたお禮を書くんぢやあ、なんだか少し變な氣がするね。
君の詩集(「萱草に寄す」)、なかなか上出來也。かういふものとしては先づ申分があるまい。何はあれ、我々の裡に遠い少年時代を蘇らせてくれるやうな、靜かな田舍暮らしなどで、一夏ぢゆうは十分に愉しめさうな本だ。しかしそれからすぐにまた我々に、その田舍暮らしそのものとともに、忘られてしまふ……そんな空しいやうな美しさのあるところが、かへつて僕などには arrire-got がいい。
まあ、君の詩集のことは今はこの位にして置いて、そのうちゆつくり批評をしよう。ただ一ことだけ言つて置きたい。君は好んで、君をいつも一ぱいにしてゐる云ひ知れぬ悲しみを歌つてゐるが、君にあつて最もいいのは、その云ひ知れぬ悲しみそのものではなくして、寧ろそれ自身としては他愛もないやうなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしてゐる君の珍らしい心ばへなのだ。さういふ君の純金の心をいつまでも大切にして置きたまへ。~  (1937年)


堀は立原道造を弟のように思っており、道造も彼を兄のように思い、慕っていた。
でも立原道造は1939年、結核により24歳の若さで世を去った。堀辰雄35歳であった。そして堀もやがて同じ病に倒れた。そしてショパンもまた同じであった。



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by kirakuossan | 2017-02-22 19:22 | クラシック | Trackback

3人とも音楽を愛した。

2017年2月22日(水)
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だいぶ前だが、みな言いたい放題で、面白かった本に『文学全集を立ち上げる』(丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂/文春文庫)というのがあって、皆で文学全集をつくろうという座談会だ。そこで、こんな箇所があった。
「僕は極端に言うなら、中島敦を入れるなら、芥川はいらないと思う」(三浦)、「え、それはできないでしょう」(鹿島)、「じゃあ、一巻じゃなくて、二分の一巻。たとえば佐藤春夫と抱き合わせ」(三浦)、「僕もそんなもんだと思うな」(丸谷) -略- 、「芥川龍之介が一巻ならば、中島敦一巻でしょう。筆力からいっても、構成力からいっても、中島敦のほうが芥川より上だと思った」(三浦)、「中島敦のほうが教養が上なんだよ」(丸谷)
と、まあこんな調子で話がはずむ。

ところで昨日、筑摩書房の全集を繰っていて一冊に眼が行った。中島敦は一人で1巻がいいかどうかは別にしても、この3人の組み合わせは絶妙ではないか。

梶井基次郎+堀辰雄+中島敦


二三日前にもこんなことがあつた。或る文字を引かうとして英和辭典をバラ/\と繰りながら、偶然開かれたページの Opera といふ文字に目がとまつた時、私は、瞬間ハツと何か明るい華やかな若々しいものが前を過ぎたやうな氣がした。田舍の暗い田圃道から、土手の上を通つて行く明るい夜汽車の窓々を見送る時に似て、今迄すつかり忘れてゐた華やかな夢の一片が、遠い世界からやつて來てチラリと前を通り過ぎて行つたやうな氣がした。私がまだ學生の頃、當時は映畫館でなかつた帝劇に、毎年三月頃になると、ロシヤとイタリイから歌劇團が來演した。カルメンやリゴレットやラ・ボエームやボリス・ゴドノフなど、私は金錢の許す限り其等を見に行つた。明るい照明の中で、女優達の豐かな肩や白い腕に生毛が光り、金髮が搖れ、頬が紅潮し、肉感的な若々しい聲が快く顫へて、私を醉はせた。偶然目にした Opera といふ、たつた五字が、失はれた・遠い・華やかな世界のかぐはしい空氣をちらと匂はせ、しばし私を混亂させた。所要の文字を探すことも忘れて、私は Opera といふ字を見詰めたまゝ、ぼんやりしてゐた。

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この文章は中島敦の作品「かめれおん日記」の一節だが、この筑摩書房の全集には収められていないが、青空文庫から見つけた。
彼はクラシック音楽がたいへん好きだったようで、筑摩書房全集の中には巻末の「年譜」のなかでもこう紹介されている。

昭和十三年(1938)三十歳
草花つくりに熱中したり、機を見てはよく音楽会やレコードを聴きに出歩いている。八月、渋川、地獄谷を経て志賀高原に遊ぶ。この年ごろから同年輩の同僚がぼつぼつ他へ転勤して行くようになる。

昭和十四年(1939)三十一歳
この年より喘息の発作劇しくなる。相撲や音楽、天文学に好奇心を持つようになったのもこの為だったという。教務手帳が相撲の星取表に化けるのもこのころのことである。



昭和14年は春と夏の2場所開催で、夏場所は東横綱の双葉山が15戦全勝で優勝、西横綱男女ノ川は9勝6敗、もう一人の横綱武藏山は全休であった。あと上位陣には大関に前田山(10勝5敗)と鏡岩(4勝11敗)、関脇に羽黒山(11勝4敗)と確か映画にもなった名寄岩(10勝5敗)がいた。
クラシック音楽に相撲が好き、より中島敦に好感を持ってしまう。そういえば、梶井基次郎もピアニスト・ゴドフスキーのリサイタルを友人中谷孝雄と一緒に聴きに行ったりしているし、あの加藤周一が何かの講演会で話していた。「堀さんの聴いた音楽は、パレストリーナから、バッハ、モーッアルト、ベートーフェンがちょっと、それからショパンかな」というから、堀辰雄も音楽好きだった。そんなところからもみな共通点がある。
この3人は魅力ある作家としても共通していた。
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by kirakuossan | 2017-02-22 13:34 | 文芸 | Trackback

表通りにある裏庭の梅

2017年2月22日(水)
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d0170835_1259183.jpg京阪石山寺駅の螢谷にあるセブンイレブンまで散歩がてらサンタナのチケットを引き換えに行ってきた。最近一日おきだが、今日もよく晴れて、少し歩くと汗ばむほどの陽気だ。
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例の毎日やっている「水月」の南隣が「石柳」という店だが、ここの裏庭のが早くも満開だった。表玄関は石山寺の境内に向いている。だからその裏にある庭が裏庭ということなのだが、実際は今では広い道路沿いなので、こちらが表側みたいなものだ。その裏の表玄関(ややこしいなあ)には「寛政十一年石山名物志じみめし」の看板が立ててある。このしじみめしはたっぷりとしじみが入っていて美味しいが、寛政11年といえば1799年、218年も前のことだ。昔は石山寺詣で今以上に賑わった。
1799年といえばナポレオンがクーデタによりフランス政権を掌握した年だ。


追記:
(17:30)
まてよ、よく見れば桃の花かな?
梅とよう区別はしんけど・・・



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by kirakuossan | 2017-02-22 12:39 | 偶感 | Trackback

キツネの首巻? ・・・ (i Ca-tyann)

2017年2月22日(水)
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かみさんから昨日借りたムートンが温ぅ~てよい。首に巻いて、先っちょを穴に差し込めばしっかりと締まって風も通さない。たしか、ウサギかなんかの毛皮と言っていた。



d0170835_943223.jpg今朝も早速首に巻いてみたが、昨日あった差し込みの穴が無くなっていた?おかしいな???
確か穴があったはずなのに?
毛皮を伸ばして、裏表をなんどもさすってみたが、穴が見当たらない。
さては、キツネにつままれたか?
でも、ウサギのはずだが・・・


d0170835_9472932.jpgよう見ると、穴は側面に空いておりました。
てっきりキツネの首巻かと思った。
大笑い003.gif


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by kirakuossan | 2017-02-22 09:29 | i Ca-tyann | Trackback

どうもこの仕組みがよくわからない。

2017年2月22日(水)
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最近、指揮者100選からわがブログに訪れる人が多い。昨日も
指揮者100選☆60 ショルティ
指揮者100選☆50 若杉弘
指揮者100選☆46 トスカニーニ
が挙がっていた。
グーグル検索サイトで、「ショルティ」とだけ打って開いてみると、1ページ目の10番目。「トスカニーニ」や「若杉弘」は1ページ目の2番目、「アルトゥーロ・トスカニーニ - Wikipedia」の次に、「指揮者100選 46 トスカニーニ : ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感」としてたしかに掲載されてくる。嬉しいことだけど、不思議なことである。

他によく出てくるのに・・・
指揮者100選☆73  クナッパーツブッシュ(5ページ目3番目)
指揮者100選☆6 アンセルメ(1ページ目9番目)
指揮者100選☆44 ドラティ(1ページ目2番目)
指揮者100選☆64 マルケヴィッチ(1ページ目3番目)
指揮者100選☆35  ケンペ (1ページ目2番目)
などがあるが、あの有名な大指揮者を「トスカニーニ」と引くだけで、レコード会社のサイトやAmazon、あるいは音楽評論家のサイトより先に2番目(ヤフーは1ページ目9番目)に登場するとは。。。どうしてなのか驚くのである。どうもこの仕組みがいまだによくわからない。
(もう、冒頭の写真で自作本などをアップしたりして、作家気どりだなあ、ホンマ、イヤな奴)



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by kirakuossan | 2017-02-22 08:07 | クラシック | Trackback

「文学温泉紀行」準備編③ 鉄道写真スポット

2017年2月21日(火)
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「文学温泉紀行」
山口を経て、山陰に入り、益田から浜田にかけては入りくんだ海岸線を走るが、でも比較的単調な景色が続くと思っていたが、ちょうど今日テレビで放映していたのを見ると、海岸線を走り抜ける鉄道の光景は絵になる。ここはちょうどその中間点の三隅港を少し過ぎたあたりの折居付近の景色だが、こういったスポットも抑えておく必要がありそうだ。また、益田に着く手前に須佐駅と宇田郷駅の間に惣郷川橋梁がある。これも面白いローケーションである。(写真はすべて松江から山口に向う逆方面を電車が走る)
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ほかに、兵庫に入って城崎温泉の手前にある、鎧・餘部間の橋梁も有名な撮影場所だろう。

ここでクイズ。
【第一問】山陰本線は何駅から何駅までか?
【第二問】山陽本線は何駅から何駅までか?

.......................................................................................

山陰本線は、
起点が京都駅、終点が幡生駅(下関市) 路線距離:673.8 km(160駅)
山陽本線は、
起点が神戸駅、終点が門司駅(北九州市)路線距離:534.4 km(129駅)

どちらも終点は下関駅と思っていた。




by kirakuossan | 2017-02-21 22:35 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」準備編②

2017年2月21日(火)

文学温泉紀行の下準備として、各小説家たちが足を運んだ温泉をまず調べることにした。参考資料は筑摩書房刊『日本文学全集』全70巻で、各巻の巻末にある「年譜」をひとりひとり調べ上げた。ただ書き手によって違っていて、ほとんどが作品名の羅列に終わっているものもあれば、事細かに作品以外の出来事にも触れているのもあったりと、様々だが大いに参考になった。
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夏目漱石(1867~1916)
1911年(45歳)直江津、諏訪を夫人同伴で旅行。
1912年(46歳)中村是公と塩原、日光、軽井沢、上林温泉に旅行。

幸田露伴(1867~1947)
1890年(24歳)関西、中国、四国、九州を旅行。
1892年(26歳)奥州から越後、越中、越前、丹後を旅する。
1893年(27歳)月ヶ瀬の梅を鑑賞。
1914年(48歳)修善寺温泉
1923年(57歳)浅間山麓に池西庵を建てる。
1924年(58歳)松本、上高地を旅する。

尾崎紅葉(1868~1903)
1889年(23歳)巌谷小波と湯河原に遊ぶ。
1899年(33歳)赤倉、佐渡に旅する。
1901年(35歳)修善寺温泉
1902年(36歳)成東鉱泉で療養。

徳富蘆花(1868~1927)
1898年(31歳)妻とともに伊香保温泉。
1899年(32歳)熱海温泉
1903年(36歳)北海道旅行。
1904年(37歳)妻とともに修善寺温泉。
1905年(38歳)九州旅行。
1917年(50歳)伊香保温泉
1918年(51歳)岡山、瀬戸内海、愛媛を旅行。
1921年(54歳)伊豆長岡温泉
1926年(59歳)勝浦温泉にて療養。

徳田秋声(1872~1943)
1902年(32歳)別府温泉

島崎藤村(1872~1943)
1893年(22歳)関西に漂泊(石山寺など)
1909年(38歳)伊豆旅行。
1928年(57歳)信州飯田方面旅行。

田山花袋(1872~1930)
1906年(35歳)福山、府中、三次から出雲へ旅行。
1923年(52歳)石見、出雲、隠岐に遊ぶ。7月東北を旅行。

泉鏡花(1873~1939)
1932年(60歳)熱海温泉水口園。

島木赤彦(1876~1926)
1919年(44歳)諏訪山浦巌温泉(親湯温泉)に遊ぶ。
1926年(51歳)鮎川温泉(群馬)にて療養。

永井荷風(1879~1959)
1927年(49歳)軽井沢で避暑。
1945年(67歳)明石をへて岡山へ。

正宗白鳥(1879~1962)
1920年(42歳)5月大磯の台町に居を構える。11月に大磯の南本町に転居。
1940年(62歳)軽井沢に山荘を建築。
1944年(67歳)軽井沢に疎開。

斎藤茂吉(1882~1953)
1933年(52歳)坂本、幻住庵、石山を経て、伊豆嵯峨沢温泉に。
1934年(53歳)湯抱温泉(島根)柿本人麻呂の終焉の地の調査。
1935年(54歳)夏、箱根強羅温泉の山荘に籠る。
1936年(55歳)木曽福島、王滝、白骨温泉に遊ぶ。
1939年(58歳)強羅温泉の山荘で執筆。
1943年(62歳)強羅温泉の山荘で執筆。

北原白秋(1885~1942)
1907年(23歳)九州旅行
1913年(29歳)三浦三崎の商人宿で2週間滞在。
1921年(37歳)信州星野温泉、秋、伊豆吉奈に遊ぶ。
1923年(39歳)別所温泉、追分に遊ぶ。
1925年(41歳)北海道旅行。
1927年(43歳)大山、木曽川、恵那峡、養老、長良川を旅行。
1928年(44歳)別府・湯布院温泉。
1934年(50歳)那須温泉、8月白浜温泉。
1935年(51歳)妻子と伊豆湯ヶ島温泉。11月霧ケ峰に遊ぶ。
1937年(53歳)6月に越後湯沢温泉、10月伊豆長岡温泉
1938年(54歳)東北旅行(松島、平泉、花巻)

若山牧水(1885~1928)
1912年(28歳)3月信州各地を旅行。

谷崎潤一郎(1886~1965)
1923年(38歳)箱根で関東大震災に遭う。
1944年(59歳)熱海に疎開。
1945年(60歳)岡山勝山に疎開。
1952年(67歳)熱海温泉で療養。
1954年(69歳)熱海伊豆山鳴澤(雪後庵)

萩原朔太郎(1886~1942)
1922年(37歳)湯ヶ島温泉
1923年(38歳)伊香保温泉滞在の谷崎潤一郎を訪ねる。
1926年(41歳)伊豆を旅する。
1927年(42歳)湯ヶ島温泉に滞在。
1937年(51歳)磯部温泉
1938年(53歳)上州、伊豆を長期旅する。7月から軽井沢。
1941年(56歳)伊香保温泉に滞在。

葛西善蔵(1887~1928)
1919年(32歳)別所温泉大島屋に遊ぶ。
1924年(37歳)湯元温泉板屋(日光)
1926年(39歳)信州へ旅行。

久保田万太郎(1889~1963)
1936年(47歳)北海道、青森を紀行。
1940年(51歳)小諸から諏訪へ回る。
1960年(71歳)信州高遠にゆく。

室生犀星(1889~1962)
1923年(34歳)8月軽井沢つるや旅館に滞在。
1924年(35歳)8月軽井沢つるや旅館に滞在。
1925年(36歳)8月軽井沢つるや旅館に滞在。
1931年(42歳)軽井沢に別荘を建築。
1944年(55歳)軽井沢に疎開。

広津和郎(1891~1968)
1915年(24歳)宇野浩二と三保の松原で3か月滞在。
1919年(28歳)渋温泉
1927年(36歳)伊豆湯ヶ島に遊ぶ。
1952年(61歳)熱海に居を持つ。

宇野浩二(1891~1961)
1920年(29歳)下諏訪温泉
1928年(37歳)箱根塔ノ沢温泉に滞在。
1942年(51歳)上高地の温泉ホテルに滞在。
1961年(70歳)5月湯河原温泉に数日滞在。

芥川龍之介(1892~1927)
1923年(32歳)湯河原温泉で湯治。
1926年(35歳)湯河原温泉に療養で滞在。
軽井沢つるや旅館で執筆。

佐藤春夫(1892~1964)
1945年(54歳)長野県北佐久郡平根村に疎開。
1951年(60歳)夫人と十和田湖を旅行。
1952年(61歳)高村光太郎と十和田湖に遊ぶ。

川端康成(1899~1972)
1918年(20歳)湯ヶ島温泉(湯本館)
1925年(27歳)湯ヶ島温泉に長期滞在。翌年「伊豆の踊子」を発表。
1927年(29歳)熱海の貸別荘に移り住む。
1936年(38歳)神津牧場、軽井沢に滞在。翌年も軽井沢、戸隠。
1952年(54歳)秋、別府温泉
1953年(55歳)軽井沢に10日間滞在。

三好達治(1900~1964)
1927年(27歳)伊豆湯ヶ島温泉に滞在。
1930年(30歳)白骨温泉に滞在。
1931年(31歳)軽井沢を旅行。
1933年(33歳)志賀高原発哺温泉の天狗湯に長期滞在。冬、上林温泉「せきや」で療養。
1952年(52歳)河上徹太郎らと山口旅行。

梶井基次郎(1901~1932)
1921年(21歳)白浜温泉で療養。
1925年(25歳)12月大津で文芸講演会、その夜大津泊。
1926年(26歳)静岡湯ヶ島温泉にて療養。

堀辰雄(1904~1953)
1928年(25歳)4月湯河原温泉で療養、8月軽井沢に滞在。
1929年(26歳)伊豆湯ヶ島温泉に遊ぶ。
1930年(27歳)軽井沢に滞在。
1934年(31歳)信濃追分の油屋旅館で執筆。

井上靖(1907~1991)
1957年(50歳)頻繁に穂高界隈に行く。
1958年(51歳)下北半島を旅行、7月穂高に登る。
1962年(55歳)軽井沢ですごす。

太宰治(1909~1948)
1936年(28歳)8月谷川温泉にて療養。11月熱海温泉で1か月滞在。
1937年(29歳)水上温泉で小山初代と心中を図る。
1939年(31歳)5月上諏訪温泉、蓼科に遊ぶ。6月修善寺温泉。
1940年(32歳)伊豆湯ケ野に滞在、7月谷津温泉に井伏鱒二を訪ね水害に合う。
1942年(34歳)湯村温泉(甲府)
1943年(35歳)湯村温泉滞在。
1944年(36歳)熱海山王ホテルに籠る。5月津軽行き。

中島敦(1909~1942)
1935年(27歳)7月白馬岳に登り、御殿場で1か月滞在。
1938年(30歳)渋川温泉、地獄谷を経て志賀高原に。

織田作之助(1913~1947)
1934年(21歳)白浜温泉、小豆島で白崎礼三とともに療養。

梅崎春生(1915~1965)
1956年(41歳)蓼科高原に別荘を新築。





ところが意外に山陰、山陽の温泉は出てこなかった。やはり小説家たちは鎌倉や東京など関東圏に居住する人が多く、そのほとんどが、箱根や伊豆、湯河原といった近場が主であった。そしてこれは温泉ではないが、軽井沢との関係を持つ作家が圧倒的に多かった。
調べていて気付いたのは、その小説家の性格や好み、もっと大げさに言えば生き方のスタイルが何となく見えてくることだった。これはこれでまたたいへん面白くはあった。押しなべて見るに、詩人は、小説家に比べてよく各地へ旅する傾向にあった。題材を求めるにはやはり旅先が最適なのだろう。
そして、~に遊ぶ。というのがあるかと思えば、片方では、20歳そこそこで、~に療養。というのもあって、一口に温泉と言っても、時代の流れや、ひとそれぞれ悲喜こもごもな事情も感じとれる。
なかに上林温泉という名が散見された。志賀直哉だけでなく、漱石も、三好達治もそれぞれ訪れたようである。渋温泉はとくに有名であるが、その奥に上林温泉がある。これは一度訪れる価値がある。
北原白秋や徳富蘆花、萩原朔太郎、太宰治などは旅好きであったようだが、なかでも蘆花はよく夫人と伴って旅しており、微笑ましい。
ところで、幸田露伴、徳富蘆花、田山花袋、永井荷風らが訪れた先では、恐らくその地の温泉に入っているはずで、これらはまた個別に調べることになりそうだ。

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by kirakuossan | 2017-02-21 16:50 | 文学温泉紀行 | Trackback

地銀再編

2017年2月20日(月)

えらいビッグニュースが入ってきたがな!!!

三井住友、関西の2地銀を売却へ…最終調整
2017年02月20日 14時38分:読売新聞
三井住友フィナンシャルグループ(FG)が、傘下の第二地方銀行である関西アーバン銀行(大阪市中央区)とみなと銀行(神戸市中央区)を売却する方向で最終調整に入ったことが分かった。
売却先は、りそなホールディングスが最有力となっており、交渉は大詰めを迎えている。早ければ月内に合意する見通しで、金融グループの系列を超えた地域金融機関の再編が加速することになる。
三井住友FGは関西アーバン銀行の株式の60%、みなと銀の46%(いずれも議決権ベース。昨年3月末)を保有する。複数の関係者によると、りそなは両行に対し株式公開買い付け(TOB)を行うことを視野に三井住友から保有株を取得することを検討している。





しばし無言........もと勤めていた私には、3行の統合は意外な出来事であり、しかも、りそなホールディングスへの売却というのが、どうも心情的にはひっかかる。今後の動向に要注目だが、3行の経営統合がなされれば、預金量約11兆円となり、都銀も含めて全銀行で第10位のボリュームに、地銀では千葉銀行に次いで、第4位となる。関西地区では、約6兆円の京都銀行を抜いてトップになるが・・・

結局は、近畿、兵庫、幸福、関西、阪神、滋賀、京都の相銀7行が一つになったということか。

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今日の株式、関西アーバン銀行1,579円の73円高で年初来高値、しかも値が付かずストップ高。同じくみなと銀行も2438円の228円高でストップ高。一方、りそなホールディングスは629円の2円安。

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by kirakuossan | 2017-02-20 15:46 | 偶感 | Trackback