信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan

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荷風について 

2015年4月30日(木)
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先日、古本屋で小説『永井荷風』と半藤一利の『幕末史』を買ったが、まず半藤一利から読んでいる。彼の先祖が長岡藩ということもあって、いわゆる「薩長史観」とは正反対に位置する。だから「西郷は毛沢東と同じ」、「龍馬は独創的でもなんでもない」といった観点から歴史を捉える事になる。まさに我々が一貫して聞かされてきた歴史観とは真っ向から反するものである。面白いのでどんどん読み進めているが、今日はひとまず置いて、永井荷風について少し読み進めてみたい。そう、今日は永井荷風の命日である。
小島政二郎(1894~1994)が著した『小説永井荷風』、これは1972年、雑誌連載をまとめたこの作品を読んだ永井の遺族から出版許可が降りずに長い間お蔵入りになっていた。それが紆余曲折を経て、小島の死後2007年に発売された、それを読んだ川本三郎、丸谷才一らが激賞し、小島政二郎の再評価につながったとされる。
書き出しから読む気をそそる。

恋に「片恋」があるように、人と人との間にも、それに似た悲しい思い出があるものだ。
私と永井荷風との関係の如きも、そう言えるだろう。もし荷風という作家が丁度あの時私の目の前にあらわれなかったら、私は小説家にならなかったろうと思う。
それほどー私の一生を左右したほど大きな存在だった荷風に対して、私はついにわが崇拝の思いを遂げる機会にすら恵まれなかった。
それだけならまだいい、私は荷風一人を目当てに、あわよくば彼に褒められるかも知れないと思って書いた第一作を、彼の個人雑誌で嘲笑された。
中頃、私が文壇に出てから後、尊敬の一心を込めて書いた「永井荷風論」によって、ー 十のうち九までは礼讃の域をつらねた中に、ホンの一つ、私が荷風文学の病弊と見た点を指摘したことによって、彼の怒りを買った。九つの真心は彼の胸に届かず、僅か一つの直言によって終生の恨みを招いた。
私はまだ実物を読んでいないが、河盛好蔵の書いたものによると、「断腸亭日乗」の中で私への悪声を放っているそうだ。


小島は云う、若し『あめりか物語』に魅了されなかったら、私は会社員か銀行員かになっていたに違いない。『あめりか物語』は、それほどまでに強烈な印象をもたらした。
d0170835_2246711.jpg永井荷風(1879~1959)は24歳で実業を学ぶべく渡米し、4年間ニューヨーク、ワシントン.などでフランス語を修める傍ら、日本大使館や正金銀行に勤めた。向かない勤務をやめ、フランスに1907年に10ヶ月滞在した。この時に上田敏と知り合う。外遊中の荷風はオペラやクラシック演奏会に通い、それが『西洋音楽最近の傾向』『欧州歌劇の現状』などに著わした。それは当時のクラシック音楽の現状やリヒャルト・シュトラウス、ドビュッシーなど近代音楽家を紹介した端緒になったといわれ、我が国の音楽史に功績を遺した一面を持つ。
帰国後、1908年、29歳で『あめりか物語』を、翌年『ふらんす物語』を相次いで発表する。この2作品で荷風は新進作家から人気作家へと歩むきっかけをつかむ。
by kirakuossan | 2015-04-30 20:00 | 文芸 | Trackback
2015年4月30日(木)
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こちらへ来て1週間近くなるが、木々の新芽が目立つようになってきた。落葉松は木全体が青みを帯びてきた。山桜もボチボチ芽が出てきた、今年も可憐な姿を見せてくれるだろうか。去年はせっかく紅白が咲いたと喜んでいたら一晩で強い風で散ってしまったもんなー、白樺はもうちょっと時間がかかりそうだ。明日からもう5月だ。
by kirakuossan | 2015-04-30 18:39 | La casa di tutti | Trackback

絶対矛盾的

2015年4月30日(木)

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「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」西田幾多郎
                               
                            《哲学の道》石碑


現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。             
                      西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」
  
by kirakuossan | 2015-04-30 16:27 | 偶感 | Trackback
2015年4月30日(木)
002.gif第13話
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d0170835_14411816.jpg諏訪湖が晴れ渡り、静かで綺麗だ。今日はばーさんの92回目の誕生日、本人は数えで92、満で91と言っていたが、間違いない、大正12年生まれは満で92歳である。そこで誕生日祝いということで朝から霧ヶ峰を越えて上諏訪温泉の片倉館裏にある鰻の老舗「古畑」へ。早く着き過ぎて諏訪湖のほとりでぼんやりと。そのあと小生だけが片倉館の仙人風呂で汗を流しに。風呂から上がり、さあこれから鰻だ!と喜び勇んで行こうとすると、ばーさん、腹いっぱいで食べられないという。どうしてもか?と尋ねるが、どうしてもだという。朝食はトースト1枚と目玉焼きだけなのに...仕方ない、明日は朝食抜きで出直しだ。
あれほど大好物の鰻を目前にして受け付けないとは...ばーちゃんも年老いたなぁ・・・


追記:
(18:00)
ひ孫たちから誕生祝の電話が・・・ばーちゃんのしゃべくりはなかなかしっかりしておった。電話の後は鼻歌で”お手手つないでみなカエロー・・・♪” ご機嫌であった。
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by kirakuossan | 2015-04-30 14:28 | i Ba-tyann | Trackback

苦いプロ・デヴュー戦

2015年4月30日(木)
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期待していたロッテの田中英祐投手、昨日西武戦でプロ初先発。初回からコントロールがままならず自滅、3回6安打5失点で負け投手となり、苦いデヴュー戦となった。
ドンマイドンマイ、次の登板チャンスには、あまり結果を意識せず持ち前の度胸で実力を発揮してほしい。

(写真は信濃毎日新聞30日朝刊より)
by kirakuossan | 2015-04-30 14:03 | スポーツ | Trackback
2015年4月30日(木)
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d0170835_543746.jpg軽井沢大賀ホール
2005年4月29日に開館。記念すべきオープニングコンサートはチョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団であった。その1週間後にはホールの寄贈者大賀典夫氏の指揮による東京フィルとの「ウィンナーワルツの夕べ」が開かれた。
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d0170835_982891.jpgその当時から東京フィルハーモニー交響楽団と軽井沢大賀ホールは切っても切れない仲となる。その後、このホールで演奏したオーケストラは他に、アンサンブル金沢、NHK交響楽団、それに一昨年聴きに来たマーラー・チェンバー・オーケストラや、昨年末聴いたバッハ・コレギウム・ジャパンなどである。
ホールの性格上どうしても壮大なオーケストラ演奏には不向きかと思われがちだが、昨日の大編成での、しかもチャイコフスキーの交響曲。1階正面のSS席で聴いた印象では音のまとまりがよく聞こえ、全く違和感はなかった。高さ18.9m、5角形サラウンド、満席時の残響時間1.6~1.8秒 何せ作った人がソニーの人だったもんな、素晴らしいホールである。
(2015年4月29日)
by kirakuossan | 2015-04-30 05:35 | クラシック | Trackback
2015年4月30日(木)
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d0170835_22121261.jpg良かったね。凄かったね。興奮したね。
新星アンドレア・バッティストーニ、まるで若きサイモン・ラトルを彷彿させた。その指揮ぶりは、若き肉体の躍動、流麗かつダイナミックであり、アニマル的とまでさえ言える野性味に溢れたものであった。それでいてその卓越したタクトさばき、個性的で、美的で、一方で成熟した匂いも漂わせた。28歳の若き才能の燃焼に魅了された軽井沢大賀ホールは熱気と歓声に包まれ、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
楽員をその気にさせ、オーケストラ全体をまとめて上手く乗せていく技は只者ではない。持ち前の明るさに加えて、まさに天の才が備わっている風に思えた。彼がこの春から東京フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者に就き、その最初の演奏会でもあった。東京フィルの響きは迫力に満ち、濃厚な響きを随所に見せた。それはバッティストーニのタクトに煽られたということもあるだろうが、それにもまして本来持ち合わせた確固たる実力、安定した着実な演奏ぶりは、さすが日本最古のオーケストラを思わせる立派なものであった。
「アルルの女」の出だし、管が味気ない平凡な音を発して、オヤっと思ったが、それはほんの少しの心配事に終った。「アルルの女」はまずい演奏だと、ごく平凡で、表面をなぞるだけの通俗的音楽に堕してしまう恐れがある。でもバッティストーニと東京フィルの音楽は、音の隅々まで心を配り、リズム感に長け、決して甘味になり過ぎず、緊張感と適度な抑制の下に繰り広げられた。各独奏者の自信に満ちた演奏ぶりは、ふと海外のメジャーオーケストラにも似た風格さえ感じさせた。
チャイコフスキー5番がまた凄かった。あの800席足らずのこじんまりとしたホールで、舞台からこぼれんばかりに溢れた楽員から奏でられる音色は、大音響のなかにも実に清廉としていて、制御の利いた上質な響きであった。弦が素晴らしい。
バッティストーニは逞しく発達した上半身をひっきりなしに左右上下にくねらせ、両手は天を突き、両足は時として軽く飛び跳ねる、まるでバーンスタインばりであるが、それも決して誇張されたものでなく、身体の奥から湧き出るような自然の動きであった。彼を生んだヴェローナは中世の香りが残されたイタリア西部の町で、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台としても知られるところである。そうか、彼もまたイタリア人指揮者なのであった。
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軽井沢大賀ホール開館10周年記念 2015春の音楽祭
ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲
チャイコフスキー:交響曲第5番
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団

(2015年4月29日)
by kirakuossan | 2015-04-30 05:00 | クラシック | Trackback
2015年4月29日(水)
d0170835_8492736.jpgヴィクトル・デ・サバタ(Victor De Sabata,  イタリア1892~1967)指揮者で作曲家。26歳でモンテカルロ歌劇場の指揮者としてデビュー、29歳でローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮する。さらに37歳でスカラ座にデヴュー、その翌年1930年にはトスカニーニの後任としてスカラ座の音楽監督に就任、23年間にわたりこのポストに留まり続ける事になる。そこでのワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の演奏が好評を得て、彼の十八番の作品となる。また早くからアメリカにも出向きシンシナティ交響楽団に、戦後もニューヨーク・フィルハーモニックやシカゴ交響楽団に頻繁に客演した。でも不思議なのは、これほど活躍した指揮者にもかかわらず知名度は極端に低いということだ。トスカニーニを良く知っている時代の人々や戦前のファンならまだしも、戦後の音楽ファンで彼のことをどれだけ詳しく知っているだろうか。
今朝、NMLで彼の作曲したピアノ作品集のCDが新着で載っていて、そのCDのジャケットの顔写真があまりにも鮮烈であった。彼の存在は前より知ってはいたが、それこそ名前を知るのみであった。そこで今朝、ベートーヴェンの第3番と第8番のディスクを探し当て早速聴いてみたが、これがなかなかどちらも溌剌とした均整の取れた演奏で好印象を得た。そこで急遽、指揮者100選で採りあげようと思った次第。



☆演奏スタイルは・・・
よくはわからないが、オペラで鍛えた華やかで、聴衆を飽きさせない指揮の技を持っているのではないか。ベートーヴェンの第8番を聴いて思うのだが、威勢はよいがドラマ性に若干不足を感じるこの作品においても、彼は誇張ではなく見事に劇的に聴かせる。

☆録音は・・・
サバタは戦後しばしば共演したマリア・カラスらとプッチーニの歌劇「トスカ」を録音、この録音が各方面からの絶賛に浴し、古今のオペラ録音の中でもっとも優れたもののひとつに数えるほどである。

☆私見・・・
イタリア人指揮者はみな優秀であるが、もう一人大切な人を忘れていたという感じ。

Myライブラリーより・・・
指揮者全集「20世紀の偉大なマエストロ」の中の1枚だけを持っている。演奏曲目は不明(いまtutii にいるので・・・)



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そこで今朝聴いたNML のベートーヴェンを挙げておく。

d0170835_9323952.jpgベートーヴェン:
交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 Op. 55
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィクトル・デ・サバタ(指揮)
録音: 02, 03 May 1946, Studio Recording, London

交響曲第8番 ヘ長調 Op. 93
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
ヴィクトル・デ・サバタ(指揮)
録音: 18 March 1951, Live Recording, New York
by kirakuossan | 2015-04-29 08:48 | 指揮者100選(完) | Trackback

6℃の朝

2015年4月29日(水)
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d0170835_5471038.jpg5時。
早起きして久しぶりに日の出撮りに牧場へ。遠くに浅間...
気温6℃はじっとしてるとやはり肌寒い。
女神湖では早くから釣り人ふたり。

シューマンのアラベスクが聴こえる。
by kirakuossan | 2015-04-29 05:29 | 蓼科の風景 | Trackback

「通」の酒

2015年4月28日(火)
d0170835_1843299.jpg今まで「高矢」と思っていたがよく見たら「高天」だ。こちらではどこの酒屋にも置いている日本酒で、「真澄」と並んでとにかくよく見かける。それがかえってあだとなって今まで買う気がおきなかった。この間、鹿島南蓼科ゴルフコースで支配人らしき人がこの「高天」を褒めていたので初めて買ってみた。読み方も知らなかったが、岡谷の地酒でコウテンと読む。”買ウテン”である。ゴルフ場の支配人らしき人は商売柄”好天”と言っていた。
そこで一昨日、例の茅野の酒屋で見かけたので、主人に聞いてみた。純米酒とこの本醸造が並んでいたが、主人は私をよほどの酒好きと見たのか、高い方の純米酒でなく、本醸造「からくち」を薦めた。こういったところがこの酒屋の気に入ったところである。もともとこの店は酒のことがよく解っている店主が品揃えしたようなところがあるので、僕みたいな単純な者にすれば、主人のいうことには全幅の信頼をおいてしまうという羽目に陥るのである。
今夜は、昨日買った鮪刺身の残り半分と、金目鯛の一夜干しを焼いて食う。これも意外なことであるのだが、信州は山国なのに、野菜に負けず劣らず魚が安くて美味いのだ。信じられないが事実そうなんである。そこでよく考えてみると・・・信州は南北に細長く、長野市を越え、大町を過ぎると、もうすぐで日本海だ。そうか、そういうことだったのか。ところでこの金目鯛も美味い!よく見るとこれは小田原と書いてあった。....そうか、関東圏にも近いわけだ。すべて納得しながら今宵も美味しいひとときを一人で過ごす。
こうして写真で離してみると”からくち”という字の下地に「通」と書いてある。
なるほど。。。
by kirakuossan | 2015-04-28 18:30 | 食・酒 | Trackback