ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

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埃にまみれた『日本美術史』

2013年6月27日(木)
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急遽、信州に用事が出来たので、またこの日曜日から蓼科入りをする。今日はそんなこともあって図書館で借りている本の返却に行く。そしてもちろん新たに借りてくる。一人10冊まで3週間借りることが出来るが、時間がたっぷりあると思い、つい分厚い単行本を何冊も借りてしまう。一方で本屋でもついつい新しい本を買ったりすることもあって、結局期限までに読み切れずそのまま返すことになってしまう。で、今日は欲張らず、岡倉天心関連の書物が3冊、九鬼周造の随筆集、そしてリヒャルト・ワーグナー執筆の音楽本、の5冊にした。
岡倉天心は、そんなに多くの著述はないが、今読んでいる『東洋の理想』があまりにも素晴らしい書物なので、彼がもっとも造詣の深いとされる、「美術史」の本と「茶」に関する本。『日本美術史』は「岡倉天心全集」の第四巻にあたり、戦前に発刊された、昭和十四年十月二十日発行所聖文閣、定価壹圓弐拾銭とある。さすがにそっとページを捲らないと埃がたちそうだ。
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昭和14年(1939)といえば、9月1日にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発した年だ。この書物はその翌月に発刊されていて歴史を感じさせる。
by kirakuossan | 2013-06-27 15:57 | 偶感 | Trackback

名著『東洋の理想』 ③

2013年6月27日(木)

d0170835_11211146.jpg単一の真理のこのようにさまざまの解釈は、かくして同等の権威をもってはなはだしく異なった衣裳をまとい、不可避的に分派的論争に導いたのであった。はじめは、論争も、主として、この偉大な精神的実践者のもっとも重要な法令であったところの戒律ないしは掟に関するものであったが、後には仏教を無数の宗派に分裂させたがごとき哲学上の立場についての議論を含むようになった。


これは、『東洋の理想』の「仏教とインド芸術」についての岡倉天心の一節であるが、この人の文章は本当に美しい。一見とっつきにくそうで難解な印象を持つがそうではない。ゆっくりと丁寧に順序立てて読んでいくと、美しさの表現の中にもちゃんと的確な意味合いを噛んでふくめてくれるようなところがある。読む者にとっても、心地よい耳触りのするような文章である。こういった文章を真の意味で「名文」というのだろう。立場はそれぞれ違ったが、少なくとも文章の”美しさ”にかけては、小林秀雄や保田與重郎、あるいは吉本隆明や河上徹太郎、吉田秀和をも凌ぐものであろう。

インドのおいては、この初期の仏教の芸術は、これに先立つ叙事詩時代のそれからの自然な成長であった。というのも、ヨーロッパの考古学者たちが好んでするように、その自然の誕生をギリシャの影響によるものとして、仏教以前のインド芸術の存在を否定することは意味のないことだからである。マハーバーラタやラーマーヤナには、英雄的女性の黄金像や華麗な装身具は言うに及ばず、多層の塔や、画廊や、画家の種姓(カスト)などについてしばしば重要な言及が見られる。実際、漂泊の吟遊詩人たちが、のちに叙事詩となるべき民謡を歌っていたこの何百年かの間に、偶像の崇拝がなかったとは想像しがたいことである。・・・

d0170835_15151774.jpgここでは仏教の時期を3期に分けて、そのインド芸術との関わり合いに触れている。ちょうど活動の次の第2期には日本の奈良時代にあたり、アジャンターの壁画やエローラの石窟は中国、唐の芸術にその霊感を与えることとなる。さらに第3期の”具体的観念論”の時期に、この信仰の影響はチベットに広がり、その地で一方ではラマ教となり、他方ではタントラ教となり、さらに密教として中国および日本に伝わり、平安時代の芸術を創りだすこととなる。


つづく・・・
by kirakuossan | 2013-06-27 09:59 | ヒストリー | Trackback

早や一年

2013年6月27日(木)
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酒々湯々楽々悠久 東空晴天也。


早や、辞めて一年になる。
by kirakuossan | 2013-06-27 07:41 | 偶感 | Trackback

ドイツ人だがイタリア的な明るさ  .......知られざる作曲家43 モルター

2013年6月26日(水)
d0170835_2275163.jpgヨハン・メルヒオール・モルター(1696~1765)はバッハやヘンデルよりひと回りほど下で、ドイツ後期バロック時代の作曲家と目される。ある意味、古典派に至る過渡期でもあった彼は、いずれも短い曲だが170にものぼるオーケストラのための音楽(交響曲)を始め、各協奏曲や多くの室内楽を遺した。なかでもクラリネットの6つの協奏曲は彼によって最初に書かれたとされている。長きにわたり宮廷楽長を務め、またヴァイオリン奏者でもあった。
彼はドイツの人だが、その音楽は、どれをとってもストレートな響きで、とにかく陽気で、楽しげに歌うような親しみのある旋律がある。トランペットにしてもクラリネットにしても天にまで響くようなイタリア的な明るさがある。晴れた休日の朝なんかに、窓を全開して部屋の掃除をする時などに最適の音楽だ。きっと掃除もはかどることだろう。
by kirakuossan | 2013-06-26 21:44 | 知られざる作曲家 | Trackback

疑わしいモーツァルト

2013年6月26日(水)
モーツァルトには40を越える交響曲のほかに、ピアノ協奏曲も番号が付されたものだけで27曲もある。それに比してヴァイオリン協奏曲はわずか7曲しかない。しかも1番から5番まではモーツァルトの作曲であることがはっきりしているが、あとの2曲はどうも疑わしい、今ではどちらも「偽作」ということになってしまっているようだ。
そのうちの1曲が7番と称されるヴァイオリン協奏曲ニ長調 K.271aである。
”どじょっこふなっこ”に似たピチカートの伴奏で始まる第二楽章アンダンテのヴァイオリン・ソロ、愛らしくもあり、また一種独特の哀愁を帯びた音色を響かせる。
この7番は、当時のモーツァルトの様式にそぐわない点がいくつか指摘されていることから、モーツァルト作ではないか、もしくは他人による加筆があることは間違いないといわれている。


1936年の夏、当時学生であった吉田秀和氏は故郷の小樽に帰っていた。ちょうどベルリンオリンピックが開かれているときで、棒高跳びの西田、大江選手や水泳の前畑選手が活躍した大会だ。吉田氏は中学時代の同級生と久しぶりに会い、深夜の街にくりだしていた。時差の関係で、オリンピック放送が深夜のラジオから「前畑、頑張れ!、あと10メートル、5メートル、3メートル・・・」と聞え、その数分後に、大通りの一角からかすかにヴァイオリンの音が聞えて来た。

d0170835_15235259.jpg音がどこから聞えてくるか。それを探すのは容易なことではない。人気のない大通りの、あたりを探して、私たちはうろうろ歩きまわった。私は、これが何の知らせだか、一遍にわかった。私には、オリンピックより、その呼びかけに応じるほうがはるかに大切だった。
ついに探し当てたその音源は、ちょっとひっこんだところにあるビヤホールにあった。私たちは誘い込まれるように、その中に入っていった。ここも人気は少なかった。それにあかりが妙に暗かった。だが、私たちは、あの音、いや今度はレッキとした蓄音機からの<音楽>をきいた。それが、このモーツァルトの第七番のヴァイオリン協奏曲だったのである。
当時のレコードは、たしか、メニューインの独奏したものだと覚えている。~~

それから、もう三十年たった。その間、ほかにもこの曲のレコードが出たかどうか、私は知らない。私は、ただ、シェリングがモーツァルト をひいた、それもこの曲をレコードに入れたという話をきいて、それを手に入れ、今、きき終ったところである。~~
シェリングは、なぜ、この疑わしいモーツァルトをひくのか。それは、ひょっとすると、この曲が、ほかの、たとえば第三番ト長調協奏曲や、第四番ニ長調のそれよりも、たとえ、重厚というのは言いすぎだとしても、ある種の渋さと足取りの重さをもっていることと、多少は結びつけて考えられなくもないのではないか。こういう演奏家の気質やスタイルとレパートリーとの関係では、かつてティボーが、同じモーツァルトの同じように偽作の疑いの濃厚な変ホ長調協奏曲を好んでひいていたことを忘れるわけにはいかない。偽作といっても、そこに「何か」があるから、生き残ることになるのだ。


モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 K. 271a
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
パリ交響楽団 / ジョルジュ・エネスコ (指揮者)
録音: 1932

NMLに収録されているこのディスクは、当時吉田氏が小樽の街かどで耳にしたのと同じ演奏だろう。(しかし、音質はかなり悪い。昔はみんなこれで満足していたんだ)


敬愛する吉田秀和氏が昨年5月に亡くなって、早くも1年以上が経つ。
by kirakuossan | 2013-06-26 13:55 | いい曲、なんの曲 | Trackback

それよりも、知りたい141万円の根拠

2013年6月26日(水)
世の中にはいろいろな考え方の人がいるな、と思う。「リスク」「トラブル」という言葉を使われて、内容が理解できず、精神的苦痛を受けたと、NHKを訴えた。

NHKは「外国語使いすぎ」 慰謝料求め提訴
NHKの放送番組で外国語が乱用され、内容が理解できず精神的苦痛を受けたとして「日本語を大切にする会」の世話人高橋鵬二さん(71・岐阜県)が26日までに、NHKに141万円の慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。訴状によると、NHKは「リスク」「トラブル」など外国語を多用。日本語で容易に表現できる場合でも使われており、公共性が強いNHKが日本語を軽視するような姿勢に強い疑問があるとしている。
(共同通信 2013年6月26日 11時09分)

d0170835_12244946.jpg和英辞典でさえ、「リスク」・・risk (危険、恐れ)と出てくる。「トラブル」を、たとえば「もめごと」とかにせよと言うのだろうか。物事は程度問題で、「リスク」や「トラブル」の方が、今の日本ではことの真実を的確に表現できると思うのだが。
(この人たちは、そのこと自体が問題なんだというだろうが)この程度の外国語なら、もうすこし勉強するのも一法ですよと言いたい。それよりも興味を抱いたのは、民法709条の不法行為にあたるとして141万円という慰謝料を求めたが、その金額の根拠。どう計算をするのか知りたい。
NHKもこれから、日本放送協会でゆくか。
by kirakuossan | 2013-06-26 12:18 | 偶感 | Trackback

房からか、先っちょからか  (i Ca-tyann)

2013年6月26日(水)
第60題 010.gif
d0170835_1151574.jpg結婚してもうずいぶんになるが、今頃になって初めて気づくこともある。たとえばバナナの皮のむき方だ。何もチマチマと細かい事を言うつもりはない。ただ「なるほどなあ・・・」と感心した次第だ。
さて、皮はどちらからむくか? 右か左からか。僕は左の房の方から皮をむくものと決めていた。


かみさんは右の先っちょの方からむくという、生れてこのかた、ずっと先っちょからむいて来たというのが分った。
「そんな先っちょからむくの、むきにくいやろ?」
「べつに・・・」
d0170835_11204770.jpgそこではたっと理解した。彼女はいつも草むしりをするので指先が器用である。だから別段不自由を感じないのだろう。房の方を持って、先からむくと、なにか、チンパンジーのむき方みたいな気がしないでもないが、実際食べるとき、柄をしっかりと持てるので食べやすいことが判明した。
でもナスビの皮をむく時、どっちからむく・・・という愚問はやめることにして、物事には絶対はないのだな、とつくづく思った。
でも、普通、みんなはどちらからむくの?? なにか今まで自分だけが房の方からむいていたのかも知れない。

バナナを早く熟させるなら房についたまま紙袋に入れておく。
バナナを熟させたくない場合は、房から分けておいた方がいい。
これは、ホントらしい。
by kirakuossan | 2013-06-26 11:04 | i Ca-tyann | Trackback

我が家の”初物”

2013年6月25日(火)
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我が家の”初物”
初めて植えたナスビが可愛く成長した。食べるのが惜しいぐらいだ。
by kirakuossan | 2013-06-25 22:50 | 食・酒 | Trackback

モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。

2013年6月25日(火)
d0170835_19425519.jpg没後30年、小林秀雄の作品を久しぶりに読みなおした。
『モオツァルト』『無常という事』、二つとも小林秀雄の代表作だが、今回感じたことは、『無常という事』という作品がこんなに短編だったのか、という思いと、『モオツァルト』については氏の確信に満ちた知識と考え方に基づき、独特の推敲で進められる名評論である、ということ。そして嬉しかったのは、確か昔読んだ時は、ほとんど理解に苦しみ最初から投げ出したに記憶しているが、今回は二作品とも味わいながら噛みしめて楽しく読むことが出来たことである。

d0170835_19373280.jpgゲエテは、モオツァルトに就いて一風変った考え方をしていたそうである。如何にも美しく、親しみ易く、誰でも真似したがるが、一人として成功しなかった。何時か誰かが成功するかも知れぬという様な事さえ考えられぬ。元来がそういう仕組に出来上っている音楽だからだ。はっきり言って了えば、人間どもをからかう為に、悪魔が発明した音楽だというのである。

冒頭のこの文章は、ことモーツァルトに関してより的確に上手く言い当てた表現だと思う。
さらに本人も、ト短調の弦楽五重奏曲K516を引き合いに出してこう言う。「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない・・・」と、モーツァルトの音楽を悲しいと表現する。
僕も全く同感である。曲調とは裏腹に、どこか醒めた、寂しさが漂っている。また、人が言うほどにはモーツァルトのオペラを好まないが、著者も明快に、そのわけを説明しながらモーツァルトのオペラを否定する。
シンフォニィ作者モオツァルトは、オペラ作者モオツァルトから何物も教えられる処はなかった様に思われる。彼の歌劇は器楽的である。更に言えば、彼の音楽は、声帯による振動も木管による振動も、等価と感ずるところで発想されている。彼の室内楽でヴァイオリンとヴィオラとが対話する様に、『フィガロ』のスザンナが演技しない時には、ヴァイオリンが代りに歌うのである。

モーツァルトに関する書物では、他に吉田秀和氏の『モーツァルト』も秀作と思うが、興味深いのは吉田氏が小林氏の『モオツァルト』に関してて印象を述べたことがある。吉田氏の追悼番組で放映された。
「小林さんの文章は、とても手の込んだ工夫のある文章だ。だからとても面白いと思った。でも考え方としては、生意気なようだが・・・あの小林さんの飛躍に充ちた、問題を提起しているようでいて、すぐどっかへ飛んで行っちゃうようなやり方は・・・非常に音楽的とは言えないな・・・カデンツア(句読点)がないんだな、まあ、それがまた小林さんの文章の魅力でもあるけれど・・・」
この両雄の書き記したモーツァルトは、後世に残してくれた貴重な遺産となった。


d0170835_222447.jpgこの文庫本には他に短編が12作品掲載されているが、その中に彼にしては比較的読み易い肩の凝らない作品がある。『真贋』という作品。氏は美術・骨董品の収集家でもあったが自らの体験上の話だけに大変面白い。

先年、良寛の「地震後作」と題した詩軸を得て、得意になって掛けていた。何も良寛の書を理解し合点しているわけではない。ただ買ったというので何となく得意なのである。そういう何の根拠もないうかうかした喜びは一般書画好き通有の喜びであって、専門家の知らぬ貴重な心持ちである。或る晩、吉野秀雄君がやって来た。彼は良寛の研究家である。どうだと言うと黙って見ている。
「地震というのは天明の地震だろう」
「いや、越後の地震だ」
「ああ、そうかね、越後なら越後にしとくよ」
「越後地震後作なんだ」
「どっちだって構わない」
「いや、越後に地震があってね、それからの良寛は、こんな字は書かない」
純粋な喜びははかないものである。糞ッいまいましい、又、引っ掛ったか、と偶々傍に一文字助光の名刀があったから、縦横十文字にバラバラにして了った。
「よく切れるなあ」と吉野君は感心する。
「その刀は何だ」
「お前さんの様な素人には解るまいが、越後だよ、全くよく切れるなあ、何か切ってみたかったんだが、丁度いいや」
軸物を丸めて廊下に放り出し、二人は酒を呑み、いい機嫌であった。


商売人はニセ物という言葉を使いたがらない。ニセ物と言わないと気の済まぬのは素人で、私なんか、あんたみたいにニセ物ニセ物というたらどもならん、などとおこられる。相場の方ははっきりしているのだから、ニセ物という様な徒に人心を刺激する言葉は、言わば禁句にしておく方がいいので、例えば二番手だという、ちと若いと言う、ジョボたれてると言う、みんなニセ物という概念とは違う言葉だが、「二番手」が何番手までを含むか、「若い」が何処まで若いかは曖昧であり、又曖昧である事が必要である。

小林秀雄(1902~1983)は日本を代表する文芸評論家で作家。近代批評の確立者でもあって、独創的な文体を作つた作家でもあった。終戦の翌年に「モオツァルト」を発表。
by kirakuossan | 2013-06-25 18:56 | 文芸 | Trackback

また、また、また

2013年6月25日(火)
何時ぞや普天間飛行場の移設問題で思いつきによる”軽はずみ”な発言をし、国民に多大な迷惑を及ぼした超軽い人が、日本ではもはや相手にはされないためか、またまた海外のメディアとのやり取りで”軽はずみ”な発言をしたようだ。

鳩山氏、中国主張に理解示す 尖閣領有権で
鳩山由紀夫元首相が香港のフェニックステレビの取材に対し、沖縄県・尖閣諸島の領有権を主張する中国政府に理解を示す発言をしていたことが25日、分かった。尖閣をめぐる歴史的経緯に言及し「中国側から『日本が盗んだ』と思われても仕方がない」と述べた。発言の様子は同日午前、中国内外に向けて報道された。
(共同通信 2013年6月25日 12時47分)

d0170835_10562099.jpg前にも書いた。
「鳩が出て ことがはこんだ ためしなし」なのである。




追記:
2013年6月28日(金)

尖閣「盗んだものは返すのが当然」=鳩山元首相、中国でも発言
(時事通信社 2013年6月27日 22時10分)
【北京時事】鳩山由紀夫元首相は27日、北京市内で開かれた清華大学主催のフォーラムに出席し、沖縄県・尖閣諸島について「ポツダム宣言の中で日本が守ることを約束したカイロ宣言は『盗んだものは返さなければならない』としており、中国側が(返還すべき領土の中に尖閣諸島が)入ると考えるのも当然だ」と述べた。
 鳩山氏は訪中前、香港のフェニックステレビのインタビューで同様の発言をし、菅義偉官房長官が25日に「絶句した。開いた口がふさがらない」と批判。この日の発言は、講演後の質疑応答の中で、傅瑩・全国人民代表大会外事委員会主任委員(前外務次官)と同席した公開の場で飛び出した。中国でも日本政府と異なる見解を改めて強調したことで、波紋が広がる可能性が高い。
 1943年のカイロ宣言は「満州、台湾、澎湖諸島のように日本が清国から窃取した一切の地域を中華民国に返還する」としており、中国はその中に尖閣諸島が含まれると主張。鳩山氏は「カイロ宣言の中には(返還されるべき領土として)台湾、澎湖諸島以外の島もあると中国側が考えるのは当然だ」と指摘。
 さらに「(日清戦争終了直後の1895年の)下関条約ができる3カ月ほど前に(尖閣諸島は)日本領として閣議決定した事実がある。中国側として中華民国に返せという中に当然入るのではないかという理解は成り立ち、それを否定するものではない」と語った。
 鳩山氏はフォーラム出席後、記者団に対し、尖閣諸島は日中が国交正常化した「約40年前に棚上げしようと決めた」と述べ、日本政府が否定する領有権の棚上げがあったとの認識を示した。
 

この男の目的はいったい何なのだろう?


追記:
2013年6月28日(金)

尖閣理解の鳩山氏、李首相と面会 中国が歓迎、厚遇
(共同通信 2013年6月28日 12時56分)
【北京共同】鳩山元首相は28日、北京の人民大会堂で李克強首相と面会した。習近平指導部は沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国の主張に理解を示す鳩山氏を厚遇しているが、日本政府と異なる見解を繰り返し表明する鳩山氏に対する風当たりは日本で強まりそうだ。鳩山氏はキッシンジャー元米国務長官ら中国政府系シンクタンク主催の経済フォーラムの出席者約40人とともに面会。李首相は歓迎の意を示した。

もうここまでくれば、この男のアホさ加減には涙がでてくる。
by kirakuossan | 2013-06-25 17:41 | 偶感 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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