信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan

<   2012年 03月 ( 48 )   > この月の画像一覧

姉妹

2012年3月30日(金)
d0170835_20103457.jpg妹の表情がなんとも可愛い。







画・横尾智子
読売新聞の夕刊小説、道尾秀介「笑うハーレキン」の挿画 (2012.3.30)
by kirakuossan | 2012-03-30 20:04 | 美術 | Trackback

本当に売りたかった本

2012年3月30日(金)
よく出かけるのは大阪キタのMARUZEN&ジュンク堂書店<梅田店>だ。ここの蔵書数は半端じゃない。今までは阪急の紀伊国屋書店をよく利用していたが、店内が狭いのと本の配列が悪く探し辛いこともあって最近はもっぱらジュンク堂だ。比較的客も少なく店内は広くゆったりしておりお目当ての本を選ぶのにはもってこいである。しかもレジ係が多く、待たされることもない。
d0170835_1085572.jpgそのジュンク堂書店が東京の新宿店「本当に売りたかった本フェア」を開催している。
新宿店はこの3月末で閉店となる。2004年に紀伊国屋書店新宿本店と向き合う形でオープンして話題となったが、今般、ビル側と折り合いがつかず家電量販店に代わるためだ。


6階から8階の各フロアには、「新宿店スタッフが感謝をこめてお客様におススメしたい一冊」や「児童書売場を共に盛り上げてくれた作家たち」「社会科学書担当者が本当に売りたかった本」などといったコーナーがあって、普段あまり目にすることのないような書物や興味深い本、ニッチな出版社の本が揃えられているらしい。なかなかユニークで面白い企画だと思う。ネットで知るベストセラーの本よりずっと価値がありそうだ。
d0170835_11115157.jpg昔のようにただ漫然と書籍を並べている時代ではない。最近ではあちこちの書店でいろいろ工夫を凝らしてテーマごと、ジャンルごと、あるいは話題性ごとに陳列してある。ちょっと知的で、センスがあって奥の深いコーナーなんかがあるとついつい立ち読みが長くなってしまうものだ。
先日、東京の三省堂書店本店に入ってみたら、いくつかの古本業者が共同で出店している「古本コーナー」があって、たとえば文庫本の絶版になったものを探すのには大変便利である。是非、関西の書店でもこのようなコーナーを出してもらいたい。
by kirakuossan | 2012-03-30 06:40 | 偶感 | Trackback

初恋

2012年3月29日(木)

初恋

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

d0170835_8495046.jpg林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ



藤村
(明治29年)


藤村が初恋に近い感情を持ったのは幼馴染の少女ゆふ。
藤村8歳の時、林檎の樹の下を歩いた思い出が「幼き日」に書かれている。
のちに教師時代の教え子・佐藤輔子との恋愛に重なり、詩として結実した。



049.gif島崎藤村ゆかりの密蔵院
by kirakuossan | 2012-03-29 21:53 | 文芸 | Trackback
2012年3月29日(木)
d0170835_19395864.jpg

2012年3月3日(土) AM9:42 曇り  寝台特急列車「日本海」 北小松付近
レンズ:1NIKKOR VR 30-110mm f/3.8-5.6 焦点距離:41.2mm(111mm) シャッター1/640
by kirakuossan | 2012-03-29 19:32 | PHOTO | Trackback
2012年3月28日(水)
【第46巻】オルガン音楽の旗手
フランク 1822~1890 (ベルギー)
d0170835_15561448.jpgセザール=オーギュスト=ジャン=ギヨーム=ユベール・フランクと随分長い名前だが、すっかりフランスの音楽家と思っていたら実はベルギー生まれで、元来ドイツ系の家系の人、活躍したのがフランスだった。
当初、父の理解のもとピアノ、オルガンの教育を熱心に受けるが、のち父と決別、のち教会オルガニストとしてつつましく生涯を送った。この間にオラトリオなどの宗教音楽を中心に作曲にもかかわった。63歳を越えたあたりから彼の代表作が生まれ、ベートーヴェン以降のドイツロマン派音楽、なかでもリストやワーグナーから強い影響を受けた、とされる。


ピアノとヴァイオリンの二重奏曲と呼ぶべき大曲で、後輩のヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイの結婚祝いとして作曲された「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」が渋い曲だが、ひとつを採りあげるとしたらやはり「交響曲ニ短調」だろうか。
この曲はフランス音楽の華やかさとは対照的で、堅固な構成で仕上がり、きわめて渋い音色が全体を覆う。オルガン風の響きがとても印象的な曲だ。フランス人によるドイツ風の交響曲と呼ばれる所以だ。曲想は全く違うが、ドビュッシーがこの曲を絶賛したという。
by kirakuossan | 2012-03-28 22:16 | 偏見版「倶楽シック全集」(完) | Trackback
2012年3月28日(水)
d0170835_13581862.jpg 琵琶湖周航の歌


われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

松は緑に 砂白き
雄松が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや

d0170835_1404689.jpg波のまにまに 漂えば
赤い泊火 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か

瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの 竹生島
仏の御手に 抱かれて
眠れ乙女子 やすらけく


この歌の作詞家は小口太郎(1897~1924)という歌人で、長野県諏訪郡湊村(現・岡谷市)で生まれた。第三高等学校(現・京都大学)に入学し、1917年(大正6年)の琵琶湖を漕艇中にこの歌詞を思いつき、夜、今津の宿で部員仲間に紹介した。のち吉田千秋が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着して旧制三高の寮歌、学生歌として愛唱される。現代になってから加藤登紀子が『琵琶湖周航の歌』として歌い全国に広まった。作詞家小口、作曲家吉田、いずれも20歳半ばで短い生涯を閉じて、歌だけを遺すこととなる。現在も京都大学ボート部の部員によって歌い継がれているそうだ。
by kirakuossan | 2012-03-28 20:16 | 文芸 | Trackback

日常茶飯事

2012年3月28日(水)
d0170835_10352459.jpg森鴎外の短編小説『半日』のことが、吉本隆明氏の例の講演会のなかで出ていた。

---奧さんは此家に來てから、博士の母君をあの人としか云はない。博士が 何故 母かあさまと云はないかと云ふと、此家に來たのは、あなたの 妻(さい)になりに來たので、あの人の子になりに來たのではないと答へることになつてゐる。博士の方でも、奧さんが母君に聞えるやうに、母君の聲の小言を言ふのを、甚だ不都合だとは思つてゐるが、それを咎めれば、風波が起る、それ位の事を咎めるやうでは、此家庭の水面が平かでゐる時はない。そこで默つてゐる。此睨合が此家庭の雰圍氣である。博士と奧さんと玉ちやんとは七年間此雰圍氣の間に棲息してゐるのである。---

講演会の話とは関係ないが、ふとこんなことを思いつき苦笑した。

---奧さんは此家に來てから、博士の母君をあの人としか云はない。博士が 何故 母かあさまと云はないかと云ふと、此家に來たのは、あなたの 妻(さい)になりに來たのではなく、ましてやあの人の子になりに來たのではないと答へることになつてゐる。博士の方でも、奧さんが母君に聞えるやうに、母君の聲の小言を言ふのを、甚だ不都合だとは思つてゐるが、それを咎めれば、風波が起る、それ位の事を咎めるやうでは、此家庭の水面が平かでゐる時はない。そこで默つてゐる。此睨合が此家庭の雰圍氣である。博士と奧さんと玉ちやん(娘)とは七年間此雰圍氣の間に棲息してゐるのである。---

小説でいうような家庭はいつの時代も同様の日常茶飯事で、なかにはこんな家庭もあるんだろうな(たった7文字増えただけでもっと殺伐たる家庭)、という話。(我が家のことではない、念のため)
by kirakuossan | 2012-03-28 06:00 | 偶感 | Trackback

芸術言語論

2012年3月27日(火)
d0170835_8564729.jpg先日、吉本隆明氏の追悼番組があった。2年ほど前に収録した講演会の様子で、今まで自分が論じてきたものすべてが連なる、自己理論の集大成をしてみたいということで本人から糸井重里氏に依頼して実現したものだそうだ。
『芸術言語論』という難しい題だ。吉本氏の語り口には特長があって、丁寧に、繰り返し、様々な表現で示そうとする。決して雄弁ではないが、聞く者の心をとらえるところがある。

同時に吉本氏の最高傑作という『共同幻想論』(角川文庫)なる書物も買ってみた。著書の冒頭で、この講演会でも語られている”言語”について、このように語る。

―自分は言語と言ういうのはこういうふうに考えるんだという、一番基本的な中身について話していただきたいのですが・・・

それは言語の面からもいえるし、思想の面からもまたいえると思うんですよ。言語の面からいいますと、言語学者が言語を扱うという場合に、つまりそれは言語というものがなにか言語としてある、そういう扱い方をするわけです。しかし僕の考えでは、言語というようなものはないのです。つまり表現されなければそれはない。だから表現としての言語ということが問題になってくるわけです。そこでは表現過程というようなものが問題になりますし、また、表現された結果としての文字で書かれた言語、しゃべられた言語、そういうものが問題になります。ただ言語というようなものはほんとはないのです。けれども、たとえば言語学者が扱う場合にはいろいろなことを省略しているわけです。言語表現の過程というようなものにまつわる問題をみんな省略して、ある程度省略が可能だという前提で言語は言語として扱うというふうになっているわけです。ほんとはいわれなければ、あるいは表現されなければ言語というものはないわけで、文学の問題でもやはりそうだと思いますけれども、表現されたものとしての言語、それが主要な問題意識として出てくるわけです。
それから思想的な問題からいいますと、いまあなたがいわれたように、文学における反映論みたいなものもありますし、あるいは有効性論みたいなものもあります。それは社会主義リアリズム論の基本問題になっているわけです。そういうような論がありますけれども、表現としての言語というものは、ほんとは個人幻想に属するわけです。だから思想的にいえば、文学表現がこうであらねばならないというふうに外から規範力として規定することはできないのです。そういうことは個人における自由といいますか、恣意性といいますか、個人にとっては自由な仮象としてしか出てこないわけです。・・・・

たったこれだけ読んでも、難しく思う。決して難しいことを言っているのではないようだが(ほんとは難しい事はあとからどんどん出てくるが)一回ではなかなか理解できない。
この書物には、「禁制論」「憑人論」「巫現論」「巫女論」「他界論」「祭儀論」「母制論」「対幻想論」「罪責論」「規範論」「起源論」と続いていく。さあ、読み切れるかな?
それにしても、吉本氏の、話に熱がこもってくると、徐々に顔を上に向け、細い右手を差し出し、一点を見つめながら一生懸命話す。その瞳は実に優しい。
by kirakuossan | 2012-03-27 22:07 | 文芸 | Trackback

地酒紀行

2012年3月26日(月)
d0170835_20565049.jpg奈良本辰也の『日本地酒紀行』(河出文庫)をネットで購入、長崎の本屋から郵送されてきた。中古本とはいえ表紙が綺麗なハトロン紙で丁寧に装丁されて送られてきた。
この本は2年半かけて著者が青森から佐賀まで自ら出向いて、名酒と噂される蔵元を訪れた記録である。著者は著名な歴史学者である傍ら、こよなく日本酒を愛した粋人でもあった。

d0170835_1303075.jpg「貴方は酒が好きだということだが、仙台にきたら塩釜の浦霞を飲んでごらんなさい。この辺りの名酒ですから」と言われたことがある。・・・から始まるこの書物、全部で30本の名酒が出てくるが、どれも酒飲みにしかわからない感性に満ちた銘柄ばかりだ。

一番最初に登場してくるのが偶然にも「浦霞」、東京で買って今日まで封を開けずに置いておいた。今夜、晩酌で封をあけた。1週間ぶりの日本酒はさりげなく、実に旨い。もともと関西では手に入りにくい酒だ。噂にたがわず上品で、個性ある口当たりが魅力だ。

信州の酒を順番に飲んで来た中で、ひとつだけまだ味わっていないのがある。「七笑」だ。それが著書に出てくる。
「「七笑」という酒の銘はどこからきたのでしょう。すぐに竹林の七賢をおもいだすのですが」と尋ねると、河合さん(蔵元)は「いや、竹林の七賢などには関係ありません。この地方に七笑という地名があるのです」
如何にも日本酒にふさわしい名前ではないか。名前を聞いただけでも楽しくなる。酒は笑顔で飲むべきだ。笑いが消えたら、その辺りで盃を伏せよう。

佐々木久子(酒雑誌の編集長)さんが、「この酒はすっきりしたきれの良さが特色だ。酒通の中でも、ほんとうに酒の味がわかる人のための酒といえる」と評していたがその通りだと思った。
この酒は一度近いうちに蓼科で味わう事にしよう。

先日、かやくご飯の「大黒」で飲んだ「天野酒」も載っている。
杯を口にふくめば千筋みな
髪も匂ふか身は軽やかに
若山牧水の歌であるが、私は、すぐにその歌を思い出した。それがぴったりくるような味の酒だった。これだったら、史上に名をとどめる「天野酒」を名乗ってもよいのではないか。・・・


ほかにも、「出羽桜」「澤の井」「菊姫」「萩の露」「呉春」「白鷹」「賀茂鶴」・・・と名酒が勢揃いする。東北の「陸奥男山」「飛良泉」なんかも読んでみると是非飲んでみたい酒だ。

文庫本のあとがきにこうある。
たしかに日本酒は美味しくなった。これまでに現れたどの愛酒家よりも今の私たち方が美味しい酒を呑んでいる。史上最高の酒が現代の酒なのだ。米も水も十分に吟味され、精白の技術は、機械の進歩と相俟って、文句なしに素晴らしい。旅を廻って、つくづくと今の代に生まれた自分を幸福と思っている。その喜びを皆さんと分け合って楽しみたいと思ったのが、この一書である。


d0170835_14321234.jpg奈良本辰也(1913~2001)
山口県出身。歴史学者、元立命館大学文学部教授。







立命館文学部6人の学者049.gif
by kirakuossan | 2012-03-26 20:53 | 食・酒 | Trackback

真のスポーツ精神とは

2012年3月25日(日)
ロンドン五輪の男子マラソンにカンボジア代表としてタレント猫ひろしの出場が決定した。カンボジア国籍を取得してまでの出場という。僕は彼のタレント時代のことも、カンボジア国籍取得の経緯も、マラソン選手としての実力も、もちろん彼の人間性も全く知らない。全く知らない上で云うと、本人も本人なら選んだ方も選んだ方、というのが率直な印象だ。五輪の陸上で参加標準記録を突破した選手が一人もいない国に対しての出場権獲得措置らしいが、よくわからない。今年の別府大分毎日マラソンで自己ベストは更新したというものの50位。
知りたいのは、本人がどういう気持ちでオリンピックに出るのか? 自分のためなのか、カンボジアのためなのか、はたまた他の理由のためなのか?
今、春の選抜が開催されている。一時、地方の過疎県の私立高校が選手たちを全国から募り、甲子園へ出てくることが目に付いた時期がある。なにかそのこととダブって見える。
問題は、それを目指す本人や取り巻きたちの気持ちの持ち方にある。
良識ある人たちは、その心の底が見え隠れするところを見逃さない。また、こういう手の話にはマスコミも必要以上にスポットをあてて紹介する。本人の思うつぼなのに・・・同じ穴のむじなだ。

d0170835_9472471.jpg今日、地元滋賀の近江高校が群馬の高崎高校に快勝した。地元ファンとしては嬉しいが、相手校の高崎高校のことが印象に残った。同校は男子高で100年をゆうに越える歴史。群馬県でも有数の進学校で、元総理の福田赳夫 、中曽根康弘 らも輩出した名門校。応援風景を見ていても、角帽に着物姿の昔ながらのバンカラ応援団だ。

文武両道の実践とともに、古き良き伝統を守ろうとする若者に、何となく爽やかさを感じ取った。

大相撲春場所は、横綱白鵬が優勝決定戦で鶴竜を破り逆転優勝を飾った。さすが”綱”の意地だ。


追記:
2012年4月3日(火)
芸能タレントの五輪マラソン・カンボジア代表を巡って、世間では「オリンピック出場を辞退させよう」との呼びかけがネットで広がっているそうだ。根底には、記録がオリンピックレベルではないのに国籍まで変え出場を決めたのは何か裏があるのではないか、という「疑惑」だ。
「カンボジア代表なら、日本から出てカンボジアに住んでから国を背負って出て欲しい」「問題なのは売名行為、カネが絡んでいるのが見え見えな上、他国の出場枠を奪い取り、スポーツの祭典をギャグとやらで侮辱すると公言している事」といった批判が展開されている。
「日本人もここまで堕ちたか」と曽野綾子氏が云えば、一方で、カンボジアのマラソン選手を日本の大会に招待したことがある元五輪銀メダリストの有森裕子氏も各新聞のインタビューで、「今も頑張っているカンボジアの選手に出場してほしかったし、日本人に代表を譲る選手を思うと悔しい」と訴えている。
もっともな話だと思う。
by kirakuossan | 2012-03-25 17:47 | 偶感 | Trackback