信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan

カテゴリ:文学温泉紀行2017( 51 )

2017年5月29日(月)

d0170835_12214174.jpg旅はかみさんの手作り弁当から始まった。
(有馬での昼食)
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酢牡蠣とハイボールで旅の無事を祈念する。
(相生湾でペーロン祭の練習の太鼓を聞きながら・・・)









d0170835_13093540.jpg日東第一形勝の地で仙酔島巡りをしたあと対潮楼へ立ち寄ったがもう閉まっていた。その代わり付近に龍馬の隠れ宿を見つける。







d0170835_13245988.jpg志賀直哉の旧居は急坂な上にあった。降り道から船が見えた。
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広島の中心街にお好み焼き村がある。開業して53年、現在20数軒の店が同じビルに同居している。関西のお好み焼きのイメージはなく、パサパサしていてキャベツ焼きのようだ。(正直失望)


d0170835_13415551.jpgおばちゃん長い間独りでたたずみ、絶好の一枚が撮れなかった。d0170835_13520224.jpg










常栄寺の雪舟庭園の四明池が県指定天然記念物とされるモリアオガエルの繁殖地で、樹上に卵を産む特異性がある。一つに3~500の卵があって、1週間でオタマジャクシになってやがて水面に落下する。


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この日は炎天下、歩き疲れて喉はカラカラ、獺祭もさることながら、松蔭神社前の期間限定夏みかんのシャーベットが抜群に美味かった。d0170835_14304113.jpg






高杉晋作の生家で一輪の美しい花に見とれる。












d0170835_14440864.jpgまた来ちゃんさい、温泉津温泉へ~












d0170835_14494264.jpg石見銀山の近くにある大田市立大森小学校。山中の小さな分校のような学校に50m走のグランドがあった。全校児童は20人とか。d0170835_14585211.jpg






石見銀山の精錬所跡に半夏生の葉が生茂っていた。この葉の存在を知らぬ人は、きっと銀の精錬でこのように変色したのだろうと勘違いするだろうなあ~と連想しながら銀山の坂道を下ってきた。


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石見銀山の代官所跡付近のこ洒落た食事処。ここの鯵の唐揚げ定食がパリパリで抜群においしかった。
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出雲大社は二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。
拝殿横で見かけた白鳩、ひょっとして大国主大神の化身かと思った。







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温泉評論家石川理夫の共同浴場番付に関金温泉の関の湯が西方の前頭上位に挙がっていた。









d0170835_15533613.jpg倉吉白壁観光地の入り口に琴桜記念館がある。入場無料。











d0170835_15590760.jpg砂丘を訪れたのはもう夕刻になっていた。そこで、青い鳥を見つけた。











d0170835_16062473.jpg有意義な9日間であった。すこし20歳のときの一人旅を思い出した。
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「人生は すばらしい」
遠くにイカ釣りの漁火を眺めながら、最終日の魚は実に美味かった。ただ一つ心残りなのは、鳥取の地酒「日置桜」を買い忘れたことである。
「文学温泉紀行」、あまり文学とは関係なかったが、とりあえずこれでおしまい。

全51話完。



by kirakuossan | 2017-05-29 08:21 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月28日(日)
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d0170835_21301456.jpgSL「やまぐち」号が毎週土日に運行する。新山口から出発して津和野方面へ向かうが、途中、湯田温泉近くを走行する時に撮影に絶好の場所がある。21日11時過ぎに通過するので、半時間ほど前に到着。現場ではすでに多くの”撮り鉄”達がスタンバイ、庵原氏もすでに現場で待機中。
SL通過前に、普通電車が走行、絶好の練習撮りになる。
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山陰本線は須佐駅と宇田郷駅の間に惣郷川橋梁、列車を待つこと1時間。
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時刻表の確認に須佐駅まで戻ると、今度は下り電車が入ってきた。
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次は同じ23日、三保三隈~折居間に日本海岸にある道の駅「ゆうひパーク三隈」で昼食を摂りに立ち寄るとそこから見下ろすと、浜田方面行の快速「アクアライナー」、益田方面行きの特急「おき3号」が1時前後に相次いで通過した。
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宍道湖は南に山陰本線、北に一畑電車北松江線が走る。北松江線は出雲と松江の30kmを結ぶが、その半分近くが国道431号線と並走する。こうしてみると宍道湖もずいぶん広い湖である。

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余部鉄橋。ここも昔の姿が消えつつあって、少し残念な思いがする。
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by kirakuossan | 2017-05-28 19:06 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月28日(日)
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今回訪れた温泉は、全部で12温泉14か所であった。

有馬温泉(陶泉御所坊、共同浴場・銀の湯)
鞆の浦温泉(鞆シーサイドホテル)
羅漢温泉(道の駅スパ羅漢)
湯田温泉(共同浴場・亀の湯)
萩本陣温泉(萩本陣)
温泉津温泉(長命館・元湯)
玉造温泉(保性館)
皆生温泉(夢寛歩皆生)
関金温泉(共同浴場・関の湯)
三朝温泉(依山楼岩崎)
岩井温泉(共同浴場・ゆかむり温泉)
城崎温泉(外湯・御所の湯、一の湯)



有馬
御所坊の半露天風呂は珍しい半混浴、でも何事もなかった。名古屋から来た青年ひとり・・・
金泉:含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉 銀泉:炭酸ラジウム混合低温泉
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鞆の浦
湯上りに隣にあるちとせの鯛づくし。若い女性二人が生ビールをグビグビ、咽喉が鳴った。
泉質:単純弱放射能冷鉱泉
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羅漢
尾道、広島と強行軍、道の駅の温泉には滑り込みセーフ。深夜の暴走(音)族には参った。
泉質:単純放射能線・ラドン泉・低張性弱アルカリ性低温泉
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d0170835_08300858.jpgd0170835_08290698.jpg

湯田
中原中也が挙式を挙げた西村屋の湯に浸かりたかったが、改装で休業中、隣の「亀の湯」に。
泉質:アルカリ性単純泉
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萩本陣
暑い一日だった。そんな中、萩の生んだ英雄たちの足跡を追った。萩の唯一の温泉地は色んな風呂があって楽しめた。
泉質:カルシウム・ナトリウム-塩化物温泉
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d0170835_09040524.jpgd0170835_09045028.jpg

温泉津
今回唯一旅館泊した所ということもあるが、印象のもっとも残った温泉地。落ち着いた街並みと、とにかく激熱の湯は忘れない。
泉質:含土類食塩泉
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玉造
由緒ある保性館の湯へ。出雲大社、松江城と歩いた身体を美人の湯が癒してくれた。島根はよいとこ、も一度来たい。
泉質:硫酸塩 - 塩化物泉
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d0170835_09313494.jpgd0170835_09322392.jpg
皆生
日本海に面した皆生、井上靖記念館を見つけたが、朝早すぎて閉まっていた。元かんぽの宿で朝風呂に。
泉質:ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(高張性中性高温泉)
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関金
大山を下りて探し求めた温泉、ラドン泉が体に合うのか実に心地よい。数少ない”飲泉可”の温泉場でもあった。
泉質:放射能泉
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三朝
あたりはいかにも山陰の温泉地といった風情、倉吉の帰りは依山楼岩崎、300年以上の歴史を誇る。
泉質:含放射能/ナトリウム・塩化物泉
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岩井
鳥取最古の温泉地、共同浴場ゆかむりの湯のおばちゃん、一生懸命説明してくれた。そのとおりなかなか好い朝風呂であった。
泉質:硫酸塩泉
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d0170835_10224846.jpgd0170835_10233337.jpg城崎
旅の最後のお湯は城崎にて。一の湯の洞窟の湯で若いドイツ人と一緒、外国人が温泉に浸かっている姿、初めてみたが妙に似合っていた。
泉質:食塩泉
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by kirakuossan | 2017-05-28 07:08 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月27日(土)
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萩焼は古くから「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人好みの器を焼いてきた。陶土と釉薬の具合によって生じる「貫入」、さらに、使い込むことによって生じてくる「七変化」に特徴がある。貫入は器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、七変化はその貫入が原因で、長年使い込むとそこに茶や酒が浸透し、表面の色が変化して枯れた味わいを見せることである。
開窯は400年前、毛利家が藩の御用窯として開かせたのが始まりで、当時は門外不出であったが、明治維新後に藩が崩壊、御用窯は解かれ一般人でも手にとれるようになった。
萩城跡前に店を構える窯元城山窯。自分で愛用するもの、一部土産物として購入、そのどれもが手作りで、大きさ、形、色合いが微妙に全部違う。
「使用初期に器の表面や底に水滴状の汗をかくことがありますが、しばらくの間、ご使用をお続けいただきますと自然と水漏れは止まります。また使用中に器の一部が黒くなることもありますが、これも萩焼の長い伝統と技法でございますので、何卒ご理解下さいますようお願い申し上げます」と注意書きにある。
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by kirakuossan | 2017-05-27 17:58 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月27日(土)
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9日間/総走行距離1650km 2017.5.18~26)

1日目 大津~相生   有馬温泉 姫路城 旧船坂小学校
2日目 相生~福山  鞆の浦温泉 鞆の浦島巡り 岡山城
3日目 福山~廿日市 羅漢温泉 尾道 広島市内見物(原爆ドーム・宮島) 
4日目 廿日市~美東 湯田温泉 中原中也記念館 雪舟庭園 瑠璃光寺 SL号
5日目 美東~萩   萩本陣温泉 秋吉台 秋芳洞 萩城跡 松蔭神社 
6日目 萩~大田   温泉津温泉(長命館) 鉄道写真(須佐、折居)
7日目 大田~安来  玉造温泉 石見銀山 出雲大社 松江城
8日目 安来~鳥取  皆生温泉 関金温泉 三朝温泉 大山 砂丘
9日目 鳥取~大津  岩井温泉 城崎温泉

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高速道路はほとんど利用せずに9割がたは国道をひた走った。僅かに、4日目の中国道吉和から山口ICまでの90km、それに帰路の舞鶴若狭道から中国道への春日ICから瀬田西の123km、合わせて210kmは高速道を走った。

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by kirakuossan | 2017-05-27 07:44 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月26日(金)
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因幡の白兎とは、『古事記』に出てくる兎。この道の駅の傍に白兎神社がある。神話にある白兎神が、傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したと伝えられる霊池。
社前の凹地、常緑樹に覆われた周囲100メートルばかりで、往古は内海池の流出口であったので、水門と呼んでいたが、内海池が良田と化してから、僅かにこの池だけが残っている。



旅の最終日。5時半に道の駅を出発、岩美に向かう。岩井温泉は1300年前に発見された、鳥取県最古の温泉である。唯一の共同浴場「ゆかむり温泉」に入る。想像していた通りの適度な温度の好いお湯だった。泉質:カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉
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d0170835_17030632.jpg「湯かむり」は、頭に手拭いをのせ、柄杓でポカポカと湯を叩きながら汲んでは頭にかむる、とい奇習の入浴法からきた。これは江戸末期か始まったとされ、少しでも長く湯につかり温泉の効能にあやかるため、とそういったことを番台のおばさんが教えてくれた。朝6時から開店なのに、もう7~8人の湯客がいた。




日の暮れる頃に、岩井に着いた。思つたほどの山の中ではなかつたが、しづかな田舍の街道に沿うたところに、私達の泊つた明石屋の温泉宿があつた。そこは因幡国のくにのうちだと思ふだけでも、何となく旅の気分を改めさせた。湯も熱かつたが、しかし入り心地はわるくなかつた。その晩は夏らしい月もあつて、宿の裏二階の畳の上まで射し入つた。庭にある暗い柿の葉も、ところどころ月に光つて涼しい。東京の方の留守宅のこともしきりに胸に浮ぶ。鷄二も旅らしく、宿の絵葉書などを取りよせた。 「どれ、楠ちやんのところへ葉書でも出すかナ。」
「東京へもお前に頼む。」
旅の頼りも鷄二が私に代つて書いた。私はまた宿の主人に所望して、土地での湯かむり歌といふものを聴かせてもらつた。いつの頃からのならはしか、土地の人達は柄杓ですくふ湯を頭に浴びながら歌ふ。うたの拍子は湯をうつ柄杓の音から起る。きぬたでも聴くやうで、野趣があつた。この湯かむり歌もたしかに馳走の一つであつた。山間とはいひながら、かうした宿でも蚊帳を吊つたので、その晩は遲くなつてから鷄二と二人蚊帳のなかに枕を並べて寢た。

(島崎藤村『山陰土産』 四 山陰道の夏) 



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d0170835_17134560.jpg岩井温泉から城崎温泉へ向かう途中に、例の余部鉄橋がある。ところがよく見ると、コンクリートの新しい橋に架け替えている。僅かに旧い赤茶びた鉄柱は残すところは3か所になっていた。全部が撤廃されるのも時間の問題のようで、仕方ないことだろうが、前の旧い方が情緒がある。



いよいよ最後の城崎温泉。外湯巡りということだが、源泉はみな同じということなので、代表的な「御所の湯」と「一の湯」の2か所に。
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城崎を訪れた有名人たち

有島武郎泉鏡花京極杞陽斎藤茂吉志賀直哉白鳥省吾柴野栗山司馬遼太郎島崎藤村沢庵田中冬二徳富蘇峰山口誓子吉井勇徳富蘆花富田砕花日野草城藤原兼輔前川佐美雄向井去来柳田國男吉田兼好与謝野晶子与謝野鉄幹

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泉質は食塩泉、源泉温度は37℃〜83℃とあるが、正直いえば、湯上りにポカポカ感はなかった。風が強いということもあったのか肌寒かった。外へ出てみると、ちょうど園児たちが連なって外湯巡りでもするのか?
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d0170835_18175745.jpg城崎温泉を10時前に出発、途中、出石に立ち寄り、皿そばを食し、一路大津へ。2時まえに無事帰宅。
9日間の愉しい長旅を終えた。


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by kirakuossan | 2017-05-26 04:57 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月26日(金)
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8日目の宿泊場所は道の駅「神話の里・白うさぎ」である。夕刻ともなれば、早くからイカ釣り漁船が出て、神秘的な光景を映しだした。砂丘も予定より一日前倒しで見たし、明日、早朝に岩井温泉の朝風呂に浸かり、城崎を経由して大津に帰ることにしよう。今晩の夕食はちょっと豪華に新鮮な海の幸でも。今回の「文学温泉紀行」の打ち上げでもある。地元青谷町の地酒「日置桜」の辛口が美味い。
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「人生は すばらしい」
青谷町の著名な書家柴山抱海氏の作であると、ぎんりん亭の女の子が教えてくれた。
(2017年5月25日)

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by kirakuossan | 2017-05-26 04:14 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月26日(金)

鳥取と言えば・・・

倉吉は落ち着いた町である。悪い意味ではなく、ほんとうに田舎町である。白壁と赤瓦と銘打って町の一角を観光化しているが、その玄関口に元横綱琴桜の銅像が建っている。そうだった、琴桜の出身地であったことを思い出させる。町中を流れる浅い川に大きな鯉が群れをなして泳いでいる。水が澄んでいる証拠なのだろう。
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もうひとつ鳥取と言えば・・・
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そして今回肌で感じたことは、島根と鳥取、広島と山口の違いである。それもかなり鮮明に、である。
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(2017年5月25日)

by kirakuossan | 2017-05-26 03:30 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月25日(木)

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道の駅「安来あらエッサ」は比較的新しいが、情報センターと称する場所があり24時間誰でも利用できるし、関係者や臨時駐車場のスペースまであって、とにかく敷地がでっかい。しかも車中泊の車が今までと違い断然多い。
昨夕から雲行きが怪しいが、今朝は境港を皮切りに、鳥取入り。温泉の宝庫を楽しもうと思う。

「安来あらエッサ」から走ってすぐに米子に入った。島根県から鳥取県に入った途端に道路状況が一変して悪くなった。こうも違うものかと驚いた。境港は観るものも特段なく、皆生温泉に向かう途中戦車を見た。

”戦争を知らない子供たち”・・・そういう自分も戦争を知らないおっさんだが。
(陸上自衛隊米子駐屯地)
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皆生温泉から大山を左に見ながら、山中の関金温泉へ、次に三朝から浜村、そして鳥取最古の湯の岩井温泉へと・・・今日は温泉ラリーである。

皆生温泉「夢寛歩皆生」
皆生温泉は日本海に面した温泉地。昔はかんぽの宿だったが、今は民間経営。朝7:00~9:00まで日帰り朝風呂をやっていた。
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当初予定になかった大山寺、やはりここまできたら大山をパスする手はないだろう。ところが霧がかかって肝心の大山の姿が見えない。仕方なく下山する途中でようやく展望台からその姿のほんの一部を見せた。
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d0170835_20575692.jpg関金温泉「元湯」が予想に違わず良かった。これぞまさに秘湯と言った感じで、狭い湯船には二人も入ったら、それでいっぱいだ。
関金の湯は放射能泉でラドンを有する。その湯の美しさから、「銀の湯」とか「白金の湯」と呼ばれるが、その通りに透き通って美しい。温度もちょうどよい、42℃くらいか。しかも”飲泉可”というぐらいだからよほど水質が良いのだろう。
先客が一人、帰るころにはもう一人やって来た。玄関先でその先客と話になり、「温泉津温泉は行ったか?」と訊くので、一昨日、元湯に浸かり、向かいの「長命館」に泊ったことを告げると、温泉慣れしたような老年の夫婦連れが云った。「あの温泉は本当に良い温泉だ、あの熱いのがまた良い」と。
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三朝温泉「依山楼 岩崎」
ここのラドン含有量が日本最大の湯で、温泉治療のメッカとしてもよく知られる。鳥取に来て、三朝は必ず立ち寄るべし温泉である。多くの旅館で日帰り入浴をしているが、ほとんどがなぜか午後3時以降でしか入浴できない。唯一ここ依山楼が2時からということでタイミングよく入浴できた。300年を越える歴史を誇り、以前は昭和天皇をはじめ、多くの皇族関係者も立ち寄った老舗旅館。確かに内湯のつくりを見ると、その風格を感じさせた。お湯は関金とよく似た透明である。
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by kirakuossan | 2017-05-25 05:36 | 文学温泉紀行2017 | Trackback
2017年5月24日(水)
大田市の世界遺産石見銀山をあとにして、昼から、出雲大社(出雲市)と松江城を訪れ、旅の疲れを玉造温泉で癒す。そして今宵の道の駅は安来市の「あらエッサ」といった具合。島根県もこうしてみると各都市にそれぞれ特徴があって面白いところだ。「文学温泉紀行」と銘打って旅を始めたが、どうも文学どころか、毎日写真撮りで大忙しで、観光地巡りとなった。まあ、これはこれで良しとするか。こう言っちゃなんだが、経済発展では明らかに山陽だが、変化に富んで観るところが多いのは、山口(山陰として含めると)や島根の山陰ということになる。

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今日はさすがに歩き疲れた。ブログも中途で切り上げて眠ることに・・・


追記:
2017年5月24日(木)
昨日は強行軍だったし、道の駅に辿り着いたら7時を少し回っていた。そこから冷やし中華とノンアルコールで遅い夕食。ちょっとブログを書きだすと大阪から来たという、毎年日本一周をするという超人の高橋さんに出逢い、いろいろと教えてもらう。
で、そのあと、松江城のことをブログアップしていると、うつらうつらし出したら10時半を過ぎていた。

d0170835_06001700.jpg松江城は、別名千鳥城とも呼ばれ、現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)
その天守は1607年の築城とされ、400年を越える。 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾吉晴の子である忠氏が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。だが月山富田城は山城で、近世の城下町形成には不利であったので、亀田山にあった末次城跡を城地の候補とし、4年後の1611年冬に落成。だが、豊臣政権三中老の1人で松江開府の祖である父堀尾吉晴は完成目前で急死した。堀尾氏は3代で改易となり、のち 京極忠高が若狭国小浜藩より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸を造営し、ここに松江城の全容が完成することになる。

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玉造温泉では300年以上の歴史を誇る「保性館」に入浴。玉造の湯は無色透明で美人の湯とされるが、そのお湯の効能もさることながら、庭園はさすがに歴史があるだけあって見るべきものであった。
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by kirakuossan | 2017-05-24 21:32 | 文学温泉紀行2017 | Trackback