カテゴリ:クラシック( 987 )

2018年7月14日(土)

チェコの世界的ホルン奏者ラデク・バボラークが今年4月から山形交響楽団の首席客演指揮者に就いた。日本のオーケストラで北の地には3つのオーケストラが存在する。札幌交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、そしてこの山形交響楽団であるが、いずれも優秀なオーケストラである。財政的には決して恵まれた状況にはないなか、とくに東北の2つのオーケストラにとっては東日本大震災の影響から今まで大口スポンサーであった東北電力の撤退がさらに大きく影を落とした。それらの苦難を乗り越え、その存立意義を明確に打ちだし、演奏水準を維持向上してきたことは素晴らしい。

d0170835_08034536.jpg山形交響楽団では2007年から常任で音楽監督の地位にある飯森範親と「モーツァルト定期」と呼ばれるシリーズが始まり、震災を乗り越え、モーツァルトの全交響曲を8年がかりで演奏された。その演奏をCD13枚組の全集として高音質で定評のExtonから発売されているが、これは同一指揮者、同一オーケストラで制作された日本人初の快挙とされる。
今朝のNMLに新たな配信として加わった。

d0170835_08083045.jpgモーツァルト:
(山形交響楽団/飯森範親)




by kirakuossan | 2018-07-14 08:04 | クラシック | Trackback

2018年7月7日(土)

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今日はグスタフ・マーラー(1860年7月7日~1911年)の生誕日である。よって何も聴かないわけにはいかぬ。ということでさしずめ交響曲の何番を聴こうかなあ?ということになるわけだが、はてはてこれが迷ってしまうのである。そんなわけで今日はひとつ毛色の変わったところでということで彼が編曲した作品を聴こうということになった。
あまり知られていないがマーラーは自らのオーケストレーションの技を駆使して幾つかの他人の交響曲を編曲している。1878年28歳の時、ブルックナーの交響曲第3番 ニ短調「ワーグナー」を4手ピアノ用に編曲したものを書いている。ほかにシューベルトの「ザ・グレート」やベートーヴェンの第九交響曲の編曲版まで遺している。
そこでもうひとつ目に付いたのがシューマンの交響曲全曲の編曲版である。そういうとシューマンはピアノ曲や室内楽、あるいは歌曲では非凡な才能を示したが、交響曲については賛否両論あるが、確かにオーケストレーションそのものについては物足りなさを感じるのは否めない。
そこでマーラーもこれを聞いていて、歯がゆくなって自らペンをとったのだろう、おそらくそうに違いない。
シューマンの場合一例をあげるならばどれを取ってみても最終楽章での尻すぼみは、幾度かの演奏会で体験しているところで、どうも締らないのである。そこでオーケストレーションに秀でたマーラー先生がどう修正するのか、これは一聴に価する。一番親しみやすくてわかりやすい第1番「春」を同じシャイー の指揮で聴き比べてみた。
やはりホルンなどの管の扱い方が巧いうえに、最も感じられるのは、シューマンの場合はあれもこれもと欲張りすぎて持って回り過ぎたり、音が重なり合い濁って聴こえるようなところがあるが、マーラー版はすっきりと整頓され見通しがよくなった印象を持つ。マーラーは何もガンガンと鳴らしまくるばかりではないのである。


d0170835_19292687.jpgシューマン:

マーラー版(30:19)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
リッカルド・シャイー (指揮)

オリジナル版(32:09)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
リッカルド・シャイー(指揮)



by kirakuossan | 2018-07-07 18:22 | クラシック | Trackback

2018年6月30日(土)

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6.29
読売日本交響楽団 第20回 大阪定期演奏会
開演/19:00
指揮/コルネリウス・マイスター
ソプラノ/ニコール・カベル
メゾ・ソプラノ/アン・ハレンベリ
合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
曲目/マーラー:交響曲 第2番「復活」


今宵もマーラー。でも「復活」を聴くのはおそらく初めてではないか。昨年4月に読売日本交響楽団の首席客演指揮者に就任したコルネリウス・マイスター、オーソドックスで手堅い指揮をするようにうかがえた。マーラーの交響曲は聴くこともさることながら普段ではあまり目にしない楽器もいろいろ登場して見ても愉しめるところがある。
今夜のフルートは首席倉田優、さすがにうまい。舞台外の金管がコラール風の間奏を奏でるところの掛け合いなどはさすがである。また新国立劇場合唱団が大阪で聴けるとはラッキーで、この伝統ある合唱団、これ以上は無理と思えるほどの澄み切ったピアニシモはまるでこの世にはありえないような美しさを醸し出す。

d0170835_10461878.jpgところで、さらに今宵の収穫はメゾ・ソプラノのアン・ハレンベリを知り、聴けたことだ。スウェーデン生まれの彼女の大柄で豊満な身体から発せられる声量豊かで安定した歌声は きわめて荘重に、そして素朴に聴く者を魅了した。彼女が得意とするのはモンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、そしてヘンデルらしいが、なかでもヘンデルのオペラにおいては卓越した表現力を持っていると評価されている。
いろいろ楽しさがてんこ盛りの恒例読響大阪公演であった。

これも恒例の演奏会帰りの庵原氏との一献。
梅田食堂街の森清で久々に黒麹仕込みの「松露」を呑んだ。さすがに美味かった。ついつい飲んでいるうちに11時、しかも電車も遅延していることもあって石山駅に着けば足はなし。仕方なくアトリエまで歩くこと35分。昨日のサッカーといい、床についたのは2夜連続2時まえ、さすがに疲れました。
(2018年6月29日)


by kirakuossan | 2018-06-30 09:11 | クラシック | Trackback(14)

2018年6月26日(火)

今朝はアメリカ人指揮者デイヴィッド・ジンマンメンデルスゾーンを聴く。
この人の手にかかるとやはり響きというか音色というか音楽そのものが軽く感じられる。この軽いという表現は、なにも悪い意味だけで言っているのではないが、確かに他の指揮者とは異なった音楽に聴こえるから不思議だ。そのことを一言で表現するならば、たとえばメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」、そう、最も重厚さが感じ取れる音楽にしてもまるで第4番の「イタリア」を聴いているのとつい錯覚するぐらいだ。あの軽快で、いわゆる”軽い”音楽に仕上がっているのだ。
さらに、メンデルスゾーンの交響曲のなかでもっとも渋さが表に出た曲であると思う第5番「宗教改革」にしたって、管の響かせ自体、どことなく「イタリア」的なのである。たしかに奏でるオーケストラがロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団。あまり聞き慣れない団体で、そのせいかも知れないけれど。
そして最後に「イタリア」を聴いてみた。うん、確かにこれも「イタリア」だ。早い話、3曲とも同じ曲調に、僕には聞こえた。でも朝食前に、”軽く”聞き流すのにはこれはこれで別段抵抗がないようである。
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そしてまた思い起こした。彼が古楽奏法を採用したモダン・オーケストラによるグレツキで好評を博し、次に世に出したのがベーレンライター新全集版採用のトーンハレ管弦楽団とのベートーヴェン交響曲全集。一時期評判になった全集なのに僕にはまったく魅力を感じなかった。ジンマンの棒から引き出される音楽は、どのオケであれ、誰の作品であれ、どの曲であれ、みな同じに聞こえる不思議な指揮者なのである。


d0170835_06173035.jpgメンデルスゾーン:
ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団 - Rochester Philharmonic Orchestra
デイヴィッド・ジンマン - David Zinman (指揮)
(録音:1979~80年)

by kirakuossan | 2018-06-26 06:19 | クラシック | Trackback

「本当の音楽」

2018年6月18日(月)

d0170835_21404877.jpgスヴャトスラフ・リヒテルの最後の来日公演は1994年2月、彼が亡くなる3年半前の79歳の時である。飛行機嫌いは有名で、なかなか来日を果たせなかった(もちろん他に大きな理由はあったが)そして彼の初来日もまた例の1970年大阪万博の時であった。それ以降は度々日本を訪れることとなり、調子が悪いとキャンセルを繰返し、何かと話題性の多いピアニストでもあった。しかし「20世紀最大のピアニストのひとり」と日本での人気は高く、リヒテルの名を不動のものにした。


1924年2月、リヒテル最後の来日公演での、サントリーホールのピアノ・リサイタルで聴いたグリーグの「抒情小曲集」のことをいまもときどき思い出す。
なぜなら、あのときの演奏こそ、数少ない「本当の音楽」だと強く思ったからだ。
当日になるまでプログラムはわからないという気まぐれが許される数少ない巨匠だったリヒテルは、いつもの習慣として会場全体の照明を落とし、ピアノの上だけに明かりを置いて、スコアを広げながら、静かにグリーグを弾いた。
それは多くのファンが期待したような華やかな作品とは似ても似つかないものだった。が、淡々とした地味な小品たちを一曲また一曲と弾き進むにつれて、ずっとここでリヒテルの弾くグリーグを聴いていたいと思うほど、強い幸福感に襲われた。
グリーグの「抒情小曲集」は、そういう外面的な世界の正反対の何物かである。言い換えれば、それは詩そのものである。ひけらかしやエゴの表出とは無縁に、四季折々の情景、素朴な暮らしの一場面が、個人の日記のように記されている。その背後には、人はいかにして生きるべきかというグリーグの省察がある。

「リヒテルが教えてくれた本当の音楽」(林田直樹著クラシック新定番より)


d0170835_22135248.jpg私の悪い習癖で、物事を決め込んでしまうところがある。それは自分なりに根拠を持ったものであるが、しかし厳密に考えなおせば、必ずしもそれが根拠といえるだろうか、単なる思い込みではなかろうかといった所詮曖昧なものなのである。
北欧の作曲家といえばやはりシベリウスであり、ほかのライバルは見当たらない。しいて言えばグリーグなのだろうが、彼の音楽はいかにも「通俗的」であり、真の音楽性からすればすこし外れたものである。ピアノ協奏曲イ短調を聴けば感じるが、あの一見してとっつきやすさがそのことを物語っている。(これ自体がそもそも偏見なのだろう)
ところがここでの林田直樹氏のグリーグ観を読むにつけ、その偏見は一瞬にして覆されたのである。


自然は、人間をさまざまな属性から解放し、純粋な一個人へと還元する。そして人を謙虚にさせる。この謙虚さが、グリーグの音楽の持っている「徳」の源なのだろう。

ここに出てくるリヒテル最後の来日公演のわずか4か月ほど前に、同じグリーグの「抒情小曲集」アテネでのライヴで録ったディスクがある。林田氏が数少ない「本当の音楽」と評した演奏を想像しながら、いま聴いているのである。



グリーグ:
スヴャトスラフ・リヒテル - Sviatoslav Richter (ピアノ)
録音: 19 October 1993, Athens, Greece



by kirakuossan | 2018-06-18 20:07 | クラシック | Trackback

2018年6月16日(土)

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W杯ロシア大会が昨日開幕した。いつもなら”俄かサッカーファン”となって必死で日本を応援するところだが、どうしたことか、今回はまったくそんな気持ちが湧いてこない。それどころかほんのつい最近までワールドカップが6月から始まることすら知らなかった。(また本田かいな?代わり映えしないな~が本音)
そんなんでもちろん開幕式のセレモニーも観ていないが、ここで歌姫アイーダ・ガリフッリーナが美声を披露したらしい。というのは今朝のNMLの新着タイトルで「グノー/ドリーブ/リムスキー=コルサコフ/チャイコフスキー/ラフマニノフ:ソプラノのための作品集」というのが目にとまった。ここで素晴らしい歌声を聴かせるプリマドンナが彼女だ。
ガリフッリーナはCDのレーベル(Decca)から次のように紹介されている。

d0170835_07185763.jpgロシアのカザンから来たアイーダ~アイーダ・ガリフッリーナ、デビュー!
2012年8月、イタリアのジェノバ近くにあるリビエラ海岸の真珠と呼ばれる町ポルトフィーノで行われたアンドレア・ボチェッリの野外コンサートで、ロシア人歌手がセンセーションを巻き起こしました。コンサートのプロデューサー、デイヴィッド・フォスターが公演のインターミッションで、観客の中から皆の前で歌う人を募ったところ、東洋的な女性がステージに登場したのです。女性は「ロシアのカザンから来たアイーダ」と名乗り、「私のお父さん」を歌いました。観客は満場総立ちになって拍手喝采し、デイヴィッド・フォスター氏は驚きを隠すことができませんでした。その歌手こそ、カザン出身でウィーン音楽院の卒業生、アイーダ・ガリフッリーナだったのです。彼女はその後2013年ドミンゴ・コンクールで優勝し、ウィーン国立歌劇場、マリインスキー劇場、などで絶賛を浴びています。デビュー盤となる当盤では彼女が得意とするアリアを録音。チャーミングで心地よい親密な歌声をお楽しみいただます。



で、サッカーはさておき、さっそく彼女の歌声を満喫している。


ソプラノのための作品集(ガリフッリーナ)Vocal Recital (Soprano): Garifullina, Aida - GOUNOD, C.-F. / DELIBES, L. / RIMSKY-KORSAKOV, N.A. / TCHAIKOVSKY, P.I. / RACHMANINOV, S. (Aida)
アイーダ・ガリフッリーナ - Aida Garifullina (ソプラノ)
ウィーン放送交響楽団 - Vienna Radio Symphony Orchestra
コルネリウス・マイスター - Cornelius Meister (指揮)
録音: May 2016, ORF Große Sendesaal, Vienna, Austria



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https://youtu.be/OaR48Ig5SAA
https://youtu.be/z6WudgH52T0





追記:
2018年6月17日(日)

一夜あけて気がついたが、このCDでウィーン放送交響楽団を指揮しているのがコルネリウス・マイスターではないか。なんと今度29日にマーラーの「復活」で読響を振るあのマイスターではないか!
そんなことで、今朝また聴き直している。



by kirakuossan | 2018-06-16 07:19 | クラシック | Trackback

2018年6月2日(土)

我らは天上の喜びを味わい
それゆえに我らは地上の出来事を避けるのだ。
どんなにこの世の喧噪があろうとも
天上では少しも聞こえないのだ!
すべては最上の柔和な安息の中にいる。
我らは天使のような生活をして
それはまた喜びに満ち、愉快なものだ。
我らは踊り、そして、飛び跳ねる。
我らは跳ね回り、そして、歌う。
それを天のペテロ様が見ていらっしゃる。

ヨハネは仔羊を小屋から放して、
屠殺者ヘロデスはそれを待ち受ける。
我らは寛容で純潔な一匹のかわいらしい仔羊を
死へと愛らしいその身を捧げ、犠牲にする。
聖ルカは牛を
ためらいもなく、犠牲にさせなさる。
天上の酒蔵には、ワインは1ヘラーもかからない。
ここでは天使たちがパンを焼くのだ。

すべての種類の良質な野菜が
天上の農園にはある。
それは良質のアスパラガスや隠元豆や
そして、その他欲しいものは我らが思うがままに
鉢皿一杯に盛られている!
良質な林檎や梨や葡萄も
この農園の庭師は何でも与えてくれる。
牡鹿や兎や
みんなそこの辺りを
楽しそうに走り回り
獣肉の断食日がやって来たら
あらゆる魚が喜んでやって来る!
ペテロ様が網と餌とを持って
天上の生け簀へといそいそといらっしゃる。
マルタ様が料理人におなりになるのだ。

地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
1万1千人もの乙女たちが
恐れも知らずに踊りまわり、
ウルズラ様さえ微笑んでいらっしゃる
地上には天上の音楽と比較できるものは
何もなくて
チェチリアとその親族たちが
すばらしい音楽隊になる!
天使たちの歌声が
気持ちをほぐし、朗らかにさせ
すべてが喜びのために目覚めているのだ。

天上の生活「少年の魔法の角笛」

wikipediaより

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先日のマーラー4番はよかった。マーラーの弟子であったブルーノ・ワルターはこの曲を「天上の愛を夢見る牧歌である」と語ったそうだが、やはりなんといってもこの曲は彼の指揮で聴きたい。
ということだが、実はワルターの演奏はいくつか存在する。1945年ニューヨーク・フィルハーモニックと共にカーネギー・ホールで録音したものが最初で、ほかに1950年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音があるし、1955年のウィーン国立歌劇場再建を祝うコンサートのライヴ録音、さらには1960年のマーラー百年祭におけるライヴ録音も残しており、うまい具合にちょうど5年ごとに録音を残している。さらに面白いのはその都度独唱者が異なる点だ。45年がデジ・ハルバン、50年イルムガルト・ゼーフリート、55年ヒルデ・ギューデン、60年がエリーザベト・シュヴァルツコップとなる。45年以外はウィーン・フィルハーモニー管とのものであるが、シュヴァルツコップとはもうひとつコンセルトヘボウとの共演で1952年ものもある。

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1945年
デシ・ハルバン - Desi Halban (ソプラノ)
ニューヨーク・フィルハーモニック - New York Philharmonic Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 10 May 1945, Carnegie Hall, New York
(49:42)

1950年
イルムガルト・ゼーフリート - Irmgard Seefried (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 24 August 1950, Live recording,Festspielhaus, Salzburg, Austria
(52:23)

1955年
ヒルデ・ギューデン - Hilde Gueden (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 06 November 1955, Live recording, Vienna, Austria
(54:30)

1960年
エリザベート・シュヴァルツコップ- Elisabeth Schwarzkopf (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 - Vienna Philharmonic Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 29 May 1960, Live recording,Vienna, Austria
(59:20)


ここで残念なのは、50年、55年のライブ録音、せっかく音質状態が良いのに聴衆の咳払いが何か所か耳障りに入っている。それも第三楽章のあの美しいRuhevoll, poco adagio、これは興覚めで惜しい。



by kirakuossan | 2018-06-02 07:53 | クラシック | Trackback

2018年5月31日(木)

ロリン・マゼールが手兵ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を引きつれて最後の来日を果たしたのが2013年春であった。ちょうどフェスティバルホールが改装になったその年にやってきた。早いものでもうあれから丸5年の月日が経った。
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2013年4月16日、3階席の真新しい椅子に座り酔いしれたのは、ブルックナーの交響曲第3番二短調(1889年第3稿 ノーヴァク版)であった。大熱演で終わったのは9時43分、まさか今日は遅いのでアンコールはないだろうと思っていたらニュルンベルクをやった。これだけでも10分ほどある。83歳のマゼールにはきつかったはずだが、過去から何度もやって来た大阪公演だけに一層の思い入れがあったのだろう。ファンに大サービスをしてくれたマゼールはそれから1年後の夏に突然帰らぬ人となった。あれだけ元気だったのに。
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昨夜訪れたフェスティバルホールの入口には「新装5周年」とあった。その横には、ロンドン響、ウィーン・フィルらと並んで今秋来日するゲルギエフとミュンヘンのポスターがかかってあった。
2015年からミュンヘン・フィルの首席に就いた ヴァレリー・ゲルギエフ、彼の指揮する、同じブルックナーの第3番をいま聴いている。マゼールのあの夜を懐かしく思い起こしながら・・・


ブルックナー:
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァレリー・ゲルギエフ(指揮)
録音: 25 September 2017, Stiftsbasilika St. Florian, Austria
(本日、NMLの新着タイトルで配信)


d0170835_21571147.jpgそしてマゼールの演奏はないかと探せば、ミュンヘンではなかったが、これも今秋聴きに行くことにしているバイエルン放送響のものがあった。さっそく続けて聴くことに。

交響曲第3番 ニ短調 WAB 103 (1889年稿・ノヴァーク版)
バイエルン放送交響楽団
ロリン・マゼール(指揮)
録音:1999年1月

by kirakuossan | 2018-05-31 21:23 | クラシック | Trackback

2018年5月31日(木)

d0170835_23325352.jpg周りのおっさん連中はみな同様に、ポカンと口を開けたままただただ見とれておるのでございました。
今日はマーラーの第4番のソリストで登場する美人マドンナ小林沙羅見たさに前8列の席を取った。ところがマーラーなのでフルオーケストラが登壇のため、前4列がステージに変わっていて実際の最前列は6列目。ということで、なんと!第3列目ではないか、これにはびっくりするやら喜ぶやら。。。いわゆるかぶりつきというやつだ。数多く演奏会を聴いて来たがこんな前は初めて。しかも今日は音も大事だがそれ以上に鑑賞も大切なのでこの席は願ったり叶ったり、おかげでマドンナの独唱もじっくり観られたし、指揮者の一挙一動もじっくり愉しめ大満足であった。
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で、肝心の演奏の方だが、まずマーラー。こうして4番を聴くのは初体験だが、あの鈴の音でどうしても「優しさ」の印象が先に立つ曲だが、どうしてどうして随所に例の咆哮する場面がちりばめられ、また聴かせ場所は聴かせ場所で、たっぷりと用意されていて、これほどまでに完成された音楽であったかと再認識させられる。イタリア人指揮者のダニエーレ・ルスティオーニは最初ステージに出てくるとき、緊張のためか幾分固い表情だったが、メンデルスゾーンの「イタリア」の、あの軽やかなメロディーが鳴り出すや、あとは思う存分のしなやかな動きで聴衆を魅了した。隣の庵原氏が呟いた。「なのに、オケの皆は音楽に乗っていない。多分指揮者は歯がゆい思いで振っているだろう」
これには小生も同感で、団員の表情が皆固い。にこりともせず指揮者と目を合わすでもなく、曲が「イタリア」なのだからもっともっと指揮者と一緒に乗って欲しかった(ただ演奏そのものは、肩の力が適度に抜け、合格点ではあった)
マーラーは好演で、大フィルもずいぶんレベルアップしているな、と感じさせられた。最近積極的に若手の外国人指揮者なども続けて招いたりして、そうした冒険が功を奏しつつあるのだろう。
そしてソプラノ小林沙羅。見た目以上に声量があり、低い声域により魅力を感じた。それにしても綺麗な人でした。あんな人もいるんだな~と溜め息をつきながら二人してフェスティバルホールをあとにし酒場に向かった。
(2018年5月30日)




by kirakuossan | 2018-05-31 07:12 | クラシック | Trackback

2018年5月29日(火)

d0170835_08254392.jpg明日は楽しみにしていたイタリア人指揮者の新鋭ダニエーレ・ルスティオーニの演奏が聴ける。マーラーとメンデルスゾーンの交響曲、マーラーでは独奏に小林沙羅が登場するのもこれまた愉しみである。
ルスティオーニは、マリオッティ、バッティストーニと並ぶイタリアの若手三羽烏の一人である。


第518回
大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
指揮/ダニエーレ・ルスティオーニ
ソプラノ/小林沙羅

メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90「イタリア」
マーラー:交響曲 第4番 ト長調

by kirakuossan | 2018-05-29 08:23 | クラシック | Trackback