ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

カテゴリ:クラシック( 977 )

”気さくなおっさん?”だったのだ。

2018年5月23日(水)

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ここに歴史的な2枚の写真がある。左の写真は1930年前後に撮られたものだが、これほどまでの巨匠たちが一堂に会したのも珍しい。
左からワルター、トスカニーニ、クライバー、クレンペラー、フルトヴェングラーということだが、このなかでほぼはっきりとされている事実は長身として知られたフルトヴェングラーが身長188cmぐらいであったことである。それからすると横に立つクレンペラーはさらに大男であったということで、もう2m近かったのだろう。それにひきかえ他の3人はほぼ同じくらいの高さで、いずれも背が低い。人間の顔の長さといえば20cmぐらいのものだから、それからすると3人とも170cmを切っていたと推測される。ワルターなどはもともと顔が大きいので大男と錯覚するのだがこうしてみると意外と小男だったのがわかる。
そのブルーノ・ワルターが傘を持って写っているのが右の写真(1908年)だが、ところでその隣に立つ男は誰か? ちょっと想像がつかない。実は、なんとグスタフ・マーラーなのだ。ワルターが敬愛した人物なので、なるほど、ということなのだが、どうみてもワルターよりさらに小男で、意外にも貧相な男である。あの細面で、すらっとした印象がまったくない。ほんとうにマーラーだろうか?と思ってしまうぐらいだ。
あの圧倒的なオーケストレーションの発揮、強烈な管の咆吼、一転してこの世のものとは思えない程の美しい旋律、そしてその背景には混沌と浄化が交差するように現われ、果ては錯乱・・・そんな音楽を書いた人物にはとても思えない。少なくともそんなオーラーはまったく感じ取れない。マーラーはどこからみても”気さくなおっさん?”であったのだ。


d0170835_20264630.jpgマーラー:
モーリーン・フォレスター - Maureen Forrester (コントラルト)
リチャード・ルイス - Richard Lewis (テノール)
フィルハーモニー交響楽団 - Philharmonic Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
(1960年4月16日)
by kirakuossan | 2018-05-23 16:44 | クラシック | Trackback

バイエルン放送響のマーラー7番が聴ける

2018年5月20日(日)

2013年はミュンヘン・フィル(4月)チェコ・フィル(10月)パリ管(11月)ウィーン・フィル(11月)
2014年はゲヴァントハウス管(3月)イスラエル・フィル(11月)
2015年はベルリン放送響(3月)モスクワ・フィル(5月)フランクフルト響(11月)
2016年はフィラデルフィア管(6月)サンフランシスコ響(11月)
2017年はハンブルグ響(3月)フィルハーモニア管(5月)ウィーン響(11月)
ということで毎年海外の著名オケの演奏会を最低でも2度は聴いて来た。ところが今年は3月にニューヨーク・フィルを聴いただけで、ほかに予定がなかった。どうしたもんかな、と思っていた矢先、今日蓼科から帰ってきた直後に、庵原氏からバイエルン放送交響楽団演奏会の誘いを受けた。このオーケストラも一度は聴いておく必要があると思っていただけにちょうどいい機会だ。

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11月の来日公演、指揮者は2003年から同楽団の首席の地位にあるマリス・ヤンソンス、演目も渋いところでマーラーの第7番「夜の歌」ということで申し分ない。マーラーの7番は4年前にリッカルド・シャイーの指揮でライプツィヒ・ゲヴァントハウス管で耳にし記憶の新しいところである。はたしてバイエルンはどんな響きを聴かせてくれるのだろう。今から大いに愉しみである。


マーラー:
バイエルン放送交響楽団 - Bavarian Radio Symphony Orchestra
マリス・ヤンソンス - Mariss Jansons (指揮)
録音: 5-9 March 2007, Live recording, Philharmonie im Gasteig, Munich, Germany




ところで今回バイエルンを聴ければ、昔、クリーヴランド管やコンセルトヘボウ、レニングラード・フィルも聴いたし。これでほとんどを網羅したことになる。あとどうしても聴きたいオーケストラといえば、いまだ一度も耳にしたことのないイギリスの名門ロンドン交響楽団、アメリカのボストン交響楽団とシカゴ交響楽団、それにBBC響・・・ぐらいか。それと、あとペトレンコのベルリン・フィルは是非一度は聴いておきたい。(なにせベルリン・フィルを聴いたのは40年以上前のカラヤンのベートーヴェンが一度だけなのだから)



by kirakuossan | 2018-05-20 19:56 | クラシック | Trackback

"音楽の絵"を描くイタリア人ピアニスト

2018年5月17日(木)

3年に一度、イングランド北部のリーズで開催される国際的なピアノコンクールにリーズ国際ピアノコンクールというのがある。1963年に地元のピアニスト、ファニー・ウォーターマンにより創設され、長時間かけるのと多くの課題を課せ、過酷なコンサートとして知られる。過去に、マイケル・ロール(1963年)、ラファエル・オロスコ(1966年)、ラドゥ・ルプー(1969年)、マレイ・ペライア(1972年)、アルトゥール・ピサロ(1990年)などが優勝を飾り、日本人では1975年に内田光子が2位、1987年には小川典子が3位に、そして2003年には大崎結真が3位に入った。今年は第19回目にあたり、4月3日にファーストラウンドがベルリンのヨアキム・ホールではじまり、シンガポール、ニューヨークと舞台を移したあと、9月6日から再開されるリーズラウンド、リーズ大学での第2ラウンドと準決勝、そしてリーズタウンホールでの最終ファイナルで優勝者が9月15日に決まるというロングランのコンクールである。アート・ディレクターにポール・ルイスが就き、ランランやマレイ・ペライアがスタッフをつとめるが、ただ、ウォーターマンが高齢になり引退することもあって、これを機に今年開催される大会から大幅な改良がなされるという。

d0170835_16510541.jpgこのコンクールで2012年の大会で優勝したピアニストにイタリア人のフェデリコ・コッリがいる。日本ではまだそう知られていないが、2013年に来日公演をはたし好評を博している。音の強弱を仔細に表現し、輪郭のはっきりとした物語り風のピアノを聴かせる、といった印象だ。現在Chandosレーベル専属のアーティストとして活躍するが、「知的で想像力豊かな解釈、世界が認める完璧なテクニック」といった評価が下されている。彼の弾く「展覧会の絵」がいい。
リーズコンクールでのセミファイナルでも、前半はモーツァルトのパイジェッロの歌劇「哲学者気取り」による変奏曲、ショパンのスケルツォ第3番、スクリャービンのソナタ第10番などを弾き、そして後半にはムソルグスキーの「展覧会の絵」を披露した。"音楽の絵"を描くことをモットーにする彼にとって、この「展覧会の絵」は最も表現に適した作品と言えよう。ただ、この楽曲の難しさは一歩間違えば退屈な凡演に終わってしまう。ただある男が美術館にやってきて、次から次へと絵画を鑑賞する、そこで感じた印象を綴ったというだけに終わってしまう。でも、この作品を通して人生そのものを語り、様々な感情の変遷を経て、最終的に平和で穏やかな地に到達する、それを「展覧会の絵」を通して表現する。といったことは誰にでもできる芸当というわけにはいかない。コッリのピアノはただ力強いだけでなく、輪郭のはっきりとしたなかにも、人生そのもののドラマも浮き彫りにさせる。まだ30歳のピアニストである。

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d0170835_16554608.jpgムソルグスキー:
フェデリコ・コッリ - Federico Colli (ピアノ)
録音: 25-27 June 2013, The Music Room, Champs Hill, West Sussex, United Kingdom

by kirakuossan | 2018-05-17 13:53 | クラシック | Trackback

15枚目のレコード

2018年5月9日(水)
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今もこのジャケットを見るたびに1970年万博のことを思い起こす。LPを買い出してこれが15枚目である。ジャケットを見開くと、
鉄夫よりプレゼント。 No15
S47.6.28 
(27日にはマッチャンの大学の演奏会でこの40番を聞いて感動する)
とある。

ジョージ・セルが手兵のクリーヴランド管を引きつれて来日したのは48年前のちょうど初夏の香りがそろそろしはじめるかな、といった5月の今頃だった。
最近なぜか、次の記事が頻繁に上位ランキングに顔を出すのでまたアーカイブで挙げてみた。




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ジョージ・セルという指揮者


2016年1月9日(土)

1970年に大阪で万国博覧会が開催され、ちょうどこの時、今でも語り草になっているが世界各国から一流のオーケストラが多数やって来て、素晴らしい演奏を繰り広げた。
「セル来りて、永遠に去る・・・。伝説として語り継がれるただ一度の来日公演」と今も評されるひとりの大指揮者がこの時初めて日本にやって来た。ジョージ・セル(1897~1970)である。クリーヴランド管弦楽団もそのときが初来日であった。
セルは1970年5月15日大阪・フェスティバルホールの公演を皮切りに、翌16日大阪、そして京都で20日に、翌日名古屋へ出向き、22、23日と東京で、そして25日には札幌へ、翌日には東京へとんぼ帰りして最終公演を行った。同じく5月にやって来たカラヤン/ベルリン・フィルが前日の14日まで大阪で6公演行ったが、それよりも人気が高く、極めて高い評価を受けて多くの聴衆に感銘を与えた。そして帰国後、2か月わずかで突然信じられない悲報が入って来る、「セル、急逝する」の知らせであった。
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d0170835_21134581.jpg生前、あるいは没後においてもセルに対する評価は二分する。完璧主義者で禁欲的であまりにも厳密な解釈が冷徹な指揮者として受け取られた。また片方では、端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を完成度の極めて高いものとして評価された。果たしてどちらが正しいのか。いやはたまたそのどちらも正しいのか。
猿田悳による『音楽との対話』での、セル初来日の2年前1968年に書かれた「ジョージ・セル」の一稿は、その答えともなることがらを示唆してくれる。

指揮台にのぼり、ものの二、三分もすると、楽員はこの指揮者の下で全力を尽くした方がいいか、その必要がないかを見わけるそうで、日本のある練達の楽員の言葉だが、うそではあるまい。~
ことの善悪を問わず指揮者という職業に権威は必要なのだが、セルはこの点で不足はなかった。家族的な安易感などというのはこの世界では第二の条件で、第一にはむしろ憤慨と悪意を呼びおこす叱咤である。こんな逸話がある。トスカニーニが死んだとき、ある楽員は葬儀に招かれなかった。
しかし彼はこう言った。「いいだろう。だが、セルのときにはぜひぼくに案内状を二枚とっといてくれ」
こんな話もある。クリーヴランドでは週二回の演奏会のために七回の練習を行うそうであるが、楽員はこう言うそうだ。「演奏会は九回あるが、たまたまそのうちの二回は客がいるにすぎない」
セルはよくヨーロッパの巨匠たちにあるような、稽古はほどほどに切り上げてという方法はとらない。納得ゆくまで各声部をみがきあげ、完璧なものにしようとする。フレーズをくっきりと造形し、鮮明な音色を求め、しかも音楽の内容を生気あふれるものにしようとする。そのうちどの一つでも充たされないかぎり、彼は稽古を止めない。この結果生まれた透明で純粋な音楽が、ときとして伝統的な音に馴れた聴衆に異様にひびくことはありうるだろう。つまり、この造型の仕方に完全に異質な音楽もあるはずである。それは発売されたレコードの一覧を見てみればわかる。セル自身が自信をもっているのは、一見予想外にみえるがウイーン古典派である。そして名実ともにレコード表に見当たらないのはフランス近代音楽、とりわけ印象派である。印象派の音色とセルの美意識が造型するもの、これはたしかに異質だろう。しかし、まだ自分の耳でたしかめてもいないわたしには何も言えない。あるいはすばらしいかもしれない。セル自身がこんなことを言っているのだから。

「不統一のまま熱狂するのもたしかに結構だろう。だがわたしには、偉大な芸術とは決して無秩序ではないということだ」



d0170835_2244212.jpgドヴォルザーク:
交響曲第8番 ト長調 Op. 88, B. 163
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
(録音: 1969, Liver recording)



セルは、明らかにその天性においても信条においても、新しい時代の担い手といっていいだろう。現在彼に抗しうるのはバックハウスのほかに存在しない。それは<裸形の精神>ということだ。手垢だらけのロマンティシズムへの郷愁にも、超絶技巧への盲信にも、誇張したスキャンダラスな解釈にも無縁な、ひどく透明で、緊張した精神構造を持った人間という意味である。だから彼はひとりの偉大な芸術家の典型なのであって、ただクリーヴランドの指揮者でもなく、アメリカの寵児でもなく、没落した西欧教養世界を含めた再現芸術の世界での新しい典型ということができるのである。
その特徴を透明、純粋、緊張の極限、巨大な構造物などと名付けることができるが、その証拠をひろい出すのは困難ではない。数十枚の発売されたレコードの中から、二、三枚のモーツァルトやベートーヴェンを任意にとりだしてみれば、いつでも気付くことができる。



モーツァルト:
交響曲第41番 ハ長調 「ジュピター」 K. 551
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
(録音: 18 November 1955)


『運命』においても『ジュピター』においても、彼はこれらが人間の運命とか神の創造などと少しも関係があるとは思っていないのであって、当然のことながら彼が拠るのは譜面だけである。忌憚なくいえば彼には想像力がおそろしく欠如している。フルトヴェングラーにあまっていたような想像力である。しかし今日この欠如は彼にとって最大の財産で、彼には譜面を彼流に理解した結果、楽員に命令して直線的に現実の音とする仕方しかない。余分なものは彼自身持っていないのである。だから、音楽につけ加えようがないのだ。


ワルターやフルトヴェングラー、あるいはベームなどは各地の歌劇場指揮者へと進んで行った。また当時は指揮者として名声を得るにはオペラとは無縁ではいられなかった。しかし、ハンガリー生まれのセルはドイツ、オーストリアから外へ飛び出し、オペラの世界からも絶縁の姿勢をとった珍しい指揮者であった。そしてその結果、孤高と言われる巨匠となった。
そして万人が素直に認めるところは、ジョージ・セルは厳しい訓練によって、クリーヴランド管弦楽団を世界最高のアンサンブルと称えられる合奏力に高めたという動かしようのない事実である。








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by kirakuossan | 2018-05-09 05:09 | クラシック | Trackback

お粥のように柔らかく消化のいい音楽

2018年5月6日(日)

林田直樹氏著の「クラシック新定番」で、カミーユ・サン=サーンスの章がある。林田氏に言わせると、サン=サーンスの音楽は説教臭くて退屈な音楽の代名詞であり、音楽史上最も嫌われ者のひとりと今までされてきたが、そうだろうかと問いかける。

サン=サーンスの音楽の美質は、客観的であること、硬質であること、明快であること、無駄がないこと、健全であることだ。さらっとしていて、べたべたしない。どんな作品からも、爽やかで上品なコロンの残り香がする。

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実はボクもサン=サーンスはもっと見直されてもよい音楽家だと思っている。何といっても親しみやすいあの交響曲第3番「オルガン」は大好きな曲の一つだし、普段はほとんどと言っていいぐらい聞く機会のない交響曲第1番 変ホ長調と交響曲第2番 イ短調 、これらが素敵な曲である。
さらに以前にもいい曲、なんの曲触れた最晩年の「木管楽器による3つのソナタ」が、これがまた実にいい。






archive


最晩年の3つのソナタと1つのピアノ曲


2015年10月9日(金)

いい曲、なんの曲。
d0170835_8224638.jpg今から180年前の今日、カミーユ・サン=サーンスは生まれた。彼は神童と称され、3歳で作曲をしたと伝えられる。彼はまた多才の人でもあって、絵画、詩などでも一流の作品を遺した。ただよく言われることは性格はあまり良くなく、嫌味な人物であったらしい。当時のことなど今となっては真実は分からないが、色んな書物や逸話などでそのように紹介されているから多分間違いないのかも知れないが、反面、国民から尊敬されていたことも事実であって、彼の葬儀が国葬であったことからもはかり知れるのである。真偽はともかくそんな嫌味もやがて忘れて最晩年の86歳時に書いた木管楽器による3つのソナタはどれも滋味深い佳曲である。


木管楽器による3つのソナタ
(1921年作曲)

オーボエ・ソナタ ニ長調 作品166
アルブレヒト・マイヤー(Ob)
クラリネット・ソナタ変ホ長調 作品167
ザビーネ・マイヤー(Cl)
ファゴット・ソナタ ト長調 作品168
モーリス・アラール(Fg)


そして作品番号169「アルバムの綴り」、この少し明るく微笑んだようなピアノ曲を最後に彼は筆をおろした。わが愉しかった音楽人生を振り返るように・・・

アルバムの綴り 変イ長調 作品 169
ジェフリー・バールソン(Pf)




林田直樹氏もまた「新定番」でこのようにサン=サーンスの最晩年の作品を推奨している。

サン=サーンスへの誤解を解くにふさわしい名作を選ぶとしたら、私は躊躇なく死の年に書かれた「クラリネット・ソナタ」を挙げたいと思う。これほど深みのある音楽、哀しみを洗い流してくれる空の青みのように、人の心を一瞬でとらえる音楽はめったにない。
1921年に書かれたことを考えれば、時代遅れと言われかねないほど19世紀的なロマンティシズムに満ちた作品だが、そういう後ろ向きな音楽が、無性に欲しくなることだってあるではないか。心が風邪を引いたときには、お粥のように柔らかく消化のいい音楽が必要なのだ。





by kirakuossan | 2018-05-06 20:02 | クラシック | Trackback

まさに「新定番」の入門書

2018年5月5日(土)
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クラシック音楽の名曲を紹介する書物はほとんどがありきたりの選曲に終始し、そのどれもが新鮮味に欠けるのがほとんどである。それもある意味仕方がないことではあるのだが、本著は「これまでの慣例から、時代的にも地理的にも、少しだけ自由にはみ出すことによって、クラシック音楽の多様性をいくらかでも反映したい」と著者林田直樹氏が言うように、面白い読み物になっている。たとえばドヴォルザークの項目では「交響曲第3番」を選ぶなど、普通ではあまり見られない選曲もあったりする。

私は「交響曲第3番」を強くお薦めしたいと思う。変ホ長調、しかも第3番というのは偶然かもしれないが、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」ときわめてよく似た作品である。これはドヴォルザークの「英雄」なのだ。
だいたい、ドヴォルザークという作曲家は、親しみやすいメロディがいっぱいあり、何だかお人よしっぽい善人系のキャラクターということもあって、どこか甘く見られがちである。しかし本当はドヴォルザークの作品は、火のような情熱を持って演奏しなければ真価は発揮できないと思う。

100人にパレストリーナ、パーセル、クープランやラモーなどバッハ以前の古楽作曲家が多く入っているし、ベートーヴェンと並列でケルビーニを大いに評価し、現代においてはベルクはもちろん、ケージやリゲティ、武満徹まで含まれる。表題の如くまさに「新定番」の100人、100曲である。
d0170835_15142557.jpgその一人、パラグアイに生まれた漂泊のギタリスト、アグスティン・バリオス(1885~1944)。彼もまた20世紀の音楽家であったが、その作品は後期ロマン主義音楽の特徴が見受けられる。作品の多くは、中南米の民俗音楽に感化されているが、よく聴けばバッハに近いことにもふと気づく。
代表作「大聖堂」は、彼の音楽のもうひとつの特質である宗教性の一端がみられる秀作である。偶然だが、今日5月5日は彼の誕生日でもあった。


前奏曲、宗教的アンダンテ、荘重なアレグロの3部からなる、身を引き裂かれるような哀愁を秘めたこの曲は、まだ20代と若かった頃に書かれたもの。単なる情景描写的な音楽では決してなく、何か心がかき乱されるような、真実な悲劇を秘めた作品である。(本著より)


アグスティン・バリオス
マヌエル・バルエコ - Manuel Barrueco (ギター)



林田直樹(1963~)氏:
音楽ジャーナリスト。クラシック音楽全般、オペラやバレエからクロスオーバーや現代音楽まで、ジャンルにこだわらない自在で横断的な執筆活動を行う。



by kirakuossan | 2018-05-05 13:26 | クラシック | Trackback

ヴィヴァルディ再発見

2018年5月3日(木)

Santa Maria della Pietà
ヴェネツィアにあるサンタ・マリア・デッラ・ピエタ。ヴィヴァルディ教会とも呼ばれ、この場所にはかつてピエタ慈善院があって、そこでアントニオ・ヴィヴァルディは音楽を教えていた。
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17世紀のヴェネツィアは、人口15万人のうち1万人は娼婦だったという説があるほどの歓楽都市で、市内に4つの孤児院が存在したのは、娼婦が産み落とした赤ん坊を引き取る機能もあったからといわれている。
ヴィヴァルディが活躍の場としていたピエタ慈善院はそのひとつで、娘だけを引き取っていた。慈善院は財源確保のために娘たちに音楽を演奏させていたが、僧職にあったヴィヴァルディはその指導者となり、外国からも見物客が大勢訪れるほどの優秀なオーケストラを作り上げたのである。
ピエタ慈善院には、いまも赤ん坊を引き取る装置が残っているという。赤ん坊を台に載せて壁の向うにクルリと回す仕掛けになっていて、誰が置いたかわからないようになっている。そこから成長した20歳以下の娘たちが、白衣を身にまとい、髪にざくろの花束をさし、ヴィヴァルディの指導するオーケストラで演奏したのである。
ここから想像するに、ヴィヴァルディの協奏曲は、単なるヴェネツィア的な華美だけでは何かが足りないのではないかという気がする。つまりヴィヴァルディは、言ってみれば退廃的な歓楽都市ヴェネツィアの、陰の部分を常に見つめていたのではないかと思うのだ。
ヴィヴァルディは、当然、少女たちの悩み事の相談などにも応じていたかもしれないし、音楽が少女たちの心に及ぼす影響を実感していただろう。そして少女たちの何割かは、母親同様、娼婦になったはずである。それをどんな思いでヴィヴァルディは見つめていたのだろうか。
「ヴェネツィアの光と影をを見つめて」(音楽ジャーナリスト林田直樹著)


d0170835_23390313.jpg当時、演奏は音楽院内のホールまたは教会で行なわれた。教会の聖歌隊席は祭壇の反対側や側壁に向かい合うような上段にあって、下の観客から娘たちの姿かたちがはっきり見えないように、美しい飾りをちりばめた鉄製の格子に囲まれていた。
教会付きの慈善院はその後取り壊されホテルになっている。教会は道をはさんだ向かいの敷地に新たに建てられ、今ではクラシック音楽のコンサート会場として利用されている。


いま、林田直樹氏推奨の12曲からなる協奏曲集「調和の霊感」を聴いているが、ヴィヴァルディの知らなかった一面を再発見しながらも、どこか心の片隅に哀れさと影が残るような、そんな夜更けである。


d0170835_23333312.jpgヴィヴァルディ:
エウローパ・ガランテ - Europa Galante
ファビオ・ビオンディ - Fabio Biondi (指揮)





by kirakuossan | 2018-05-03 22:54 | クラシック | Trackback

unCLASSIFIED

2018年5月3日(木)


選考を任されたザンデルリンクがもうひとりの選考委員ノリントンに言った。
「アーベントロート翁の推薦もあったから1番と2番をミュラー=ブリュールという男に任すことにしたよ」
「はい、わたしもよく知りませんが手堅いらしいですね」
そして言った。
「ノリントン君、君には4番をたのむよ、僕は6番に回るから」
「えッ!? 先生が6番だって、意外だなあ、てっきり3番か5番かと思いました」
「いやそれでいいんだ、意外性が面白いんだよ、きみ」
「なるほど」
ノリントンが続けた。
「じゃあ3番と5番をドホナーニ先輩にお願いしますよ」
「それでいいんだ」
「ところで、少し気難しいギーレンだが、彼には7番を頼んだよ」
「あの人、受けました?」
「そら、受けるよ。渋い7番って、彼にもってこいだよ」
さらにザンデルリンクが、
「今回若手をひとり選んだが、イラン人のラハバリ君だ、彼には8番がいいだろう、ちょっと若々しくて青そうで」
「はい、ごもっともです」
「それじゃ、やはり〆はブロムシュテットさんですね」
「まあ、そうじゃろ、このメンバーでは」

ということで、無事、ベートーヴェンの9曲の指揮担当が決まりました。
(打順じゃなかった)


9曲が指揮者、オーケストラがばらばらに組み合わされた交響曲全集というのは珍しい。レーベルがunCLASSIFIED、まさに”分類されていない”全集だ。今朝、NMLで他の曲と合わせてたくさん新着タイトルで登場していた。


指揮者▼
ヘルムート・ミュラー=ブリュール(1939~2012)1番&2番
クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929~)3番&5番
クルト・ザンデルリンク(1912~2011) 6番
ミヒャエル・ギーレン(1927~)7番
ロジャー・ノリントン(1934~)4番
アレクサンダー・ラハバリ(1948~)8番
ヘルベルト・ブロムシュテット(1927~)9番

オーケストラ▼
ケルン室内管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、西ドイツ放送交響楽団、バーデン・バーデン&フライブルク南西ドイツ放送交響楽団、ベルギー放送フィルハーモニー管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン

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by kirakuossan | 2018-05-03 09:15 | クラシック | Trackback

ビルロートとブラームス

2018年4月26日(木)

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オーストリア南部のケルンテン州にあるヴェルター湖は避暑地として知られる。ちょうど諏訪湖をひと回り大きくしたほどの広さであるが、その南岸にマーラーが交響曲第5番や「亡き子をしのぶ歌」を作曲したマイアーニックがある。そして北岸にはペルチャッハと呼ばれる寒村があって、ブラームスが交響曲第2番を作曲した場所として知られる。

d0170835_08124722.jpgd0170835_08251935.jpg「この曲はすべてが青い空、川のせせらぎ、太陽の光と涼しい森の木陰だ。ペルチャッハとはどれほど美しいところだろう」とブラームスの4歳年上の親友テオドール・ビルロート(1829~1894)が語っている。彼は胃癌切除手術に世界で初めて成功した名高い外科医でもあった。189年前の今日生まれている。

1878年、ビルロートとブラームスはイタリア旅行をした。以後二人は1882年までに3回も一緒にイタリアに旅行するほどの親しさだった。
ブラームスは彼に自らの作品、弦楽四重奏曲第1番と第2番を献呈している。
どちらがブラームス? ふたりはよく似ている。



by kirakuossan | 2018-04-26 07:16 | クラシック | Trackback

ローム・ミュージック・フェスティバル2018

2018年4月23日(月)
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ローム・ミュージック・フェスティバル2018

メインホールでの最後の催し物・オーケストラコンサート「天才と英雄の肖像」
前半プロは小林愛実をソリストにモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調。変な力みもなく適度な力加減のピアノタッチ、モーツァルトの音楽にぴったりで大したものだ。アンコールにショパンのピアノソナタ「遺作」が披露され、やはりこの人のショパンは最高だな、と再認識させられた。
後半プロはリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」、京都市交響楽団の昨今の評判は高いが、確かに以前と比べて管、弦ともに厚みを増してきたように思う。
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帰りに庵原氏と京都駅前で一杯やりながら、今年の夏のスケジュールをいろいろと調整。彼もこの6月で晴れて退職、これからもさらにいっそう自由に人生をエンジョイすることになるでしょう。
(2018年4月22日)


by kirakuossan | 2018-04-23 07:42 | クラシック | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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