信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan
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カテゴリ:知られざる作曲家( 118 )

2018年12月1日(土)

d0170835_10332450.jpgヘンデルと同時代を生きたイギリスの音楽家モーリス・グリーン(1696~1755)は若くしてセント・ポール大聖堂の少年聖歌隊員で活動したあとオルガニストとしての研鑚を積み、ヘンデルの活躍の前に、自分は自分の生きる道として教会音楽の作曲につとめた。ほかに多くの合唱曲や器楽曲を残したが、ソネット集もそのひとつで、14行から成るヨーロッパの定型詩ソネット、それは14行でなければならず、最後の2行は押韻された結末を持っている。ここにでる「スペンサーのアモレッティによる25のソネット集」。シェークスピアと同時期の、エリザベス1世の時代に活躍した詩人エドマンド・スペンサー(1552~1559)の詩による歌曲集で、英国音楽の歴史の中でも最古の歌曲の一つとされる。聴くほどに味わい深く古き良き時代の英国の風景を彷彿させるものである。



d0170835_10222102.jpgグリーン:
スペンサーのアモレッティによる25のソネット集
ベンジャミン・ヒューレット(テノール)
ジャンジャコモ・ピナルディ (テオルボ)
ルーク・グリーン(チェンバロ)
録音: 20-22 February 2012, Britten Studio, Snape Maltings, Suffolk, U.K.


ところで、モーリス・グリーンという名を聞いて思い出した。あのアメリカの生んだ短距離界のエースランナーと同姓同名である。



by kirakuossan | 2018-12-01 09:32 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年11月14日(水)
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スペインの作曲家フェデリコ・モンポウ(1893~1987)はカタルーニャ地方のバルセロナに生まれた。15歳で接したフォーレの演奏会で作曲家になる決心をする。彼の作品はフランス近代音楽、とりわけ印象主義音楽に影響された作風、いずれも小品でピアノ曲と声楽曲が主体である。どれも「繊細」かつ「内省的」な面を持ち合わせ、エリック・サティの作品に類似しているところから「スペインのサティ」と呼ばれた。

d0170835_13590894.jpgモンポウのピアノは一方でショパンとも接する。1957年に書いた「ショパンの主題による変奏曲」は、実は遡ること20年近く前に友人ガスパール・カサドから、ショパンの「24の前奏曲」第7番を主題に用いてチェロとピアノための変奏曲を共同で作曲しようと提案されていた。その後、実現せず長く放置されたが、これがきっかけとなって徐々に作曲が始められ、64歳時に完成する。
来年1月名古屋の宗次ホールで催されるホアキン・アチュカロのピアノリサイタル。モンポウの代表作である「前奏曲」、そしてこの「ショパンの主題による変奏曲」、後半にはショパンの「24の前奏曲」が披露されることになっている。


86歳のスペイン人ピアニストを聴いていっぺんに好きになった。
”ホラキミ、暑ちゅかろ”と名前も覚えたし、名古屋までなら近い、ますます”聴きに行きたい”モードになってきた。



モンポウ:
フェデリコ・モンポウ - Federico Mompou (ピアノ)
録音: 1974, Casino l'Alianca del Poblenou, Barcelona, Spain
(モンボウ、82歳の自作自演CD)



by kirakuossan | 2018-11-14 12:54 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年10月27日(土)

リルケと同じように、やはりドイツの大きな存在であったゲーテも〈音楽的な〉詩をのこしたが、彼も本質的には音楽とは異質の視覚型の人間だったと言われている。頭でわかったものに耳がついて行けなかったのだというロマン・ロランの卓抜な結論があるが、ロランが熱心なほどおもしろいテーマとも思えない。二人の天才をめぐる逸話は、たがいに自己保存のつよい人間だったという証明だけで、人間の能力が全的であるはずもないし、おのおの日だまりもあり、日陰もあって当然で、だから自分の存在に忠実であろうとすれば、異質の内容にも表現にも抵抗するのはわかりきっている。ゲーテが一流でない音楽家を寵愛したというのも、彼の見解からすればすこしも不思議ではない。
猿田悳著「音楽との対話」から《詩と音楽のあいだ》より



ゲーテと音楽の関係は、『魔王』『野ばら』に代表されるシューベルトの歌曲であり、またゲーテ自身、モーツァルトやベートーヴェンを高く評価した。その一方で、猿田氏がここで触れている”一流でない音楽家”というのは、おそらく、ヨハン・ライヒャルトやあるいはゲーテと親しい間柄にあったカール・ツェルターに違いない。
d0170835_10241552.jpgしかし、いまカール・フリードリヒ・ツェルター (1758~1832)の歌曲を聴いてみて、シューベルトにはない、独特の心の安らぎを感じとれるものが多い。『さすらい人の夜の歌』『安心』『遠く去った人に』『別れ』あるいはメゾ・ソプラノが歌う『魔王』などなど。他に、数少ない管弦楽曲から「ヴィオラ協奏曲 変ホ長調」が心癒される。
彼の作品を通した優しさは愛弟子のメンデルスゾーンに相通ずるものがあるような気がする。
ツェルターは日頃よりメンデルスゾーンに大バッハの音楽を強く愛していると説いており、これがきっかけとなりメンデルスゾーンの手でバッハの「マタイ受難曲」の蘇演が実現し、当時古臭いと敬遠されていたヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽が見直されるきっかけとなった逸話がある。メンデルスゾーンからはピアノ四重奏曲第2番ヘ短調作品2がツェルターに献呈されている。


ツェルター:
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
アリベルト・ライマン(ピアノ)

ハリオルフ・シュリヒティヒ(ヴィオラ)
ミュンヘン室内管弦楽団




by kirakuossan | 2018-10-27 09:45 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年9月2日(日)

d0170835_17084294.jpgバルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国エストニア、ラトビア、リトアニアをバルト三国と呼ぶが、その一番北に位置するのがエストニアである。今や巨匠と呼ぶにふさわしいパーヴォ・ヤルヴィやその父ネーメ・ヤルヴィの母国である。そのエストニアが生んだ現代音楽作曲家にアルヴォ・ペルト(1935~)がいる。
初期の作品は、厳格な新古典主義の様式からシェーンベルクの十二音技法までに及ぶ混迷の音楽であったが、その後、彼は”西洋音楽の根源への回帰”を目指し、古楽に没頭した。グレゴリオ聖歌、ルネサンス期における多声音楽の出現などを研究し新境地を切り開いた。そこから彼の代表作である交響曲第3番を生んだが、パーヴォ・ヤルヴィが母国の先輩のこの作品を愛し、エストニアのオケと録音、さらに今夏のパルヌ音楽祭でこの第3番を手兵エストニア祝祭管弦楽団とともに披露して大成功を収めた。
全曲を通して美しいメロディに包まれ、しかも要所要所での大太鼓の激打が印象的。とくに2楽章終結部の静寂から突如として放たれる大音響の連打は心臓に突き刺さる迫力がある。


d0170835_17300730.jpgペルト:
交響曲第3番
Symphony No. 3
エストニア国立交響楽団 - Estonian National Symphony Orchestra
パーヴォ・ヤルヴィ - Paavo Järvi (指揮)

by kirakuossan | 2018-09-02 17:35 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年5月8日(火)

d0170835_16240665.jpgウィリアム・バード(1543?~1623)は、今でも「ブリタニア音楽の父」と敬愛されつづける英国で活躍したルネサンス音楽の作曲家である。カトリック教徒で王立礼拝堂楽員であった彼は教会の音楽を中心に数多く書いた。なかでも3声、4声、5声などのラテン語ミサ曲は傑作とされる。ほかにコンソート・ソングなるものも遺した。
"in consort"、コンソート、「協調して、調和して」という意味あいを持つが、元来コンソートとは、16世紀から17世紀にかけて、英国やドイツなどで行われていた器楽アンサンブルのことで「合奏」を意味する。エリザベス朝の代表的なコンソート音楽の作曲家に、ジョン・ダウランド、アンソニー・ホルボーン、そしてこのウィリアム・バードらがいた。この流れは17世紀後半になってもつづき、ヘンリー・パーセルらに継がれていく。
これらの歌がほんとうに450年近くも前に作られた歌なのか、あまりにも身近に感じ取れ、「奥様は子犬を飼っていた」なんて題を目にすると、まるで現代そのもので、調べもまったく違和感を感じず不思議な思いがする。


d0170835_16285721.jpgバード:
エマ・カークビー - Emma Kirkby (ソプラノ)
フレットワーク - Fretwork



by kirakuossan | 2018-05-08 08:22 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年2月13日(火)

今回の知られざる作曲家はずいぶん長い紹介となった。



d0170835_21283562.jpg往年の大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニが晩年にラジオを通じて全米に音楽放送を流し、また多くの録音を残すために結成されたNBC交響楽団がある。1937年から1954年の17年間、トスカニーニの下で活動した。トスカニーニはニューヨーク・フィル辞任後、70歳から亡くなる3年前まで、このオーケストラと数多くの名演を残した。1954年4月4日にカーネギーホールで催されたオール・ワーグナープログラムの引退公演の演奏がトスカニーニ唯一のステレオ録音盤として残されている。


トスカニーニ/ファイナル・コンサート

リヒャルト・ワーグナー[1813-1883]
・楽劇『ローエングリン』~第1幕前奏曲
・楽劇『ジークフリート』~森の囁き
・楽劇『神々の黄昏』~ジークフリートのラインへの旅
・歌劇『タンホイザー』~序曲とバッカナール
・楽劇『マイスタージンガー』~第1幕前奏曲

 管弦楽:NBC交響楽団

 指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ

 録音時期:1954年4月4日
 録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール






外国からオーケストラが初来日するのは戦後になってからであるが、それは1955年5月に実現した。オーケストラの名がシンフォニー・オブ・ジ・エアー実はこれがその前年までNBC交響楽団を名乗っていたオーケストラの主要メンバーによるものであった。
そもそもNBC交響楽団は1937年にアメリカを去ろうとするトスカニーニを引きとめるためNBC放送が創立したものだが、楽員は全世界から多数応募した中から選ばれた一線級の名手揃いで、以来トスカニーニの猛訓練によって17年間でさらに腕に磨きをかけ世界一級のオーケストラになった。そして1954年、トスカニーニの引退を機にシンフォニー・オブ・ジ・エアーと改称したのだった。

1955年の初来日のことは以前にもこのブログで書いたことがある。





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2014年11月18日(火)

日本初の海外オケ来日公演 シンフォニー・オブ・ジ・エア


d0170835_21424096.jpg1953年の夏、音楽評論家河上徹太郎は、
1か月半ほどイギリスとパリに旅行した。そこで念願の、本場のオーケストラ演奏を聴く機会を持った。エジンバラ芸術祭でのフルトヴェングラーとワルターが指揮するウィーン・フィルハーモニーの演奏会という願ってもない組み合わせであった。しかしその時の印象はこんなものだった。

失望とはいかないまでも、何か目が覚めるような、今まで想像も出来なかった驚異に接しられるかと思ってゐただけに、この期待は満足させられなかった。私は既に持ち合わせてゐたオーケストラの観念を、再認識し、厳正化するに止まった。つまり、私は既に日本でオーケストラの限界に思ったより近い所まで知ってゐたのであり、それが嬉しいより悲しかったのである。~
私の失望は先ず次のやうな形で現れた。エヂンバラの二百年経ったといふアッシャー・ホールの席につき、くすんだ巨大なパイプ・オルガンを背景に、頭の禿げた楽員たちが型通り楽器の調子を合せて待ってゐる所へ、才槌頭厳しく長身のフルトウェングラーが現れて指揮台に立った時、私の三十年の音楽遍歴の挙句辿りついた最上の瞬間が来たとの期待で、私の全精神は凝直した。処が巨匠の指揮棒が下ると共に、突如として鳴り出したのが英国国歌の、しかも想像以上しゃがれた和音の合奏である。この幻滅は、それから『エロイカ』以下の打って変った厳密を極めたアンサンブルを聞かされても、遂に一抹の物足りなさとなって終りまで続いたのであった。~
所が今度のシンフォニイ・オブ・ジ・エアは、同じく冒頭に奏する『君が代』からして違ってゐて、ティンパニの物凄いクレセンドの連打に喚び起されて全楽員の奏するユニソンのフォルテシモには、既にこの楽団の最高の音質と音量を見せてゐた。私はお蔭でわが国歌も満更ではないと見直した。それにつけても、百人もの一流人を海外から呼び寄せて、何といふ贅沢な敗戦国だらう。それに戦前にはこんなオーケストラを呼ぶなんて思ひもよらなかったのが、戦後には実現するといふのはどういふ訳だらう?~
シンフォニイ・オブ・ジ・エアの驚くべき演奏については、既に十分に諸家の讃辞が捧げられてゐるから、私は繰り返さない。その途方もなく大きな、ダイナミックな、しかも美しい音、例へば統制のとれた野球かラグビーのティームを見るような、音のやり取りやバック・アップの完全さ、私は初めてオーケストラも一つの「芸」であることを知った。そして、芸とは楽しく、健康なものだといふことも。<略>
(昭和30年6月「芸術新潮」掲載、河上徹太郎「シンフォニイ・オブ・ジ・エア」より)



1956年(昭和31年)にウィーン・フィルハーモニーとロサンゼルス・フィルハーモニーが、その翌年、1957年(昭和32年)にはヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニーが来日した。しかし実はそれよりも先の1955年(昭和30年)5月に、日本初の海外オーケストラの来日公演が繰りひろげられていた。そのオーケストラはシンフォニー・オブ・ジ・エアと呼び、元NBCトスカニーニ交響楽団であった。指揮者のワルター・ヘンドルとソーア・ジョンソンが、5月3日の日比谷公会堂での演奏会を皮きりに、併せて19公演を日本各地で行った。ちなみに日本初の海外交響楽団の来日演奏会の最初のプログラムは以下の通りであった。

5月3日:日比谷公会堂(指揮:ワルター・ヘンドル)
ベルリオーズ:ローマの謝肉祭
ガーシュウイン:パリのアメリカ人
Rシュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
ブラームス:交響曲第1番

東京・名古屋での公演の後、関西入りして、7日~9日は宝塚大劇場で3公演、10日には京都劇場で演奏会が行われた。全国各地で大好評になり、追加公演もいくつか持たれ、17日に三沢基地での慰問演奏会、23日には後楽園球場に17000人を集め、N響との共演でベートーヴェン交響曲第5番「運命」が演奏されたとある。






ところで、ここからが本題だが、

シンフォニー・オブ・ジ・エアーの来日はアジアツアーの一環で、日本のあとに、ソウル、台北、那覇、マニラ、シンガポール、バンコック、クアラルンプール、コロンボという順で訪れ、どこも熱狂的な歓迎を受けたとある。日本では、全日チケットが完売となり、当初の予定になかった演奏会が署名活動等によって実現し、最後の追加公演「告別演奏会」まで開催するほどの盛況ぶりであった。
この来日では総勢100名を越える大人数であったが、その中にワルター・ヘンドル(ダラス交響楽団音楽監督)とソーア・ジョンソン(シンシナティ交響楽団首席指揮者)の二人の指揮者の他に、同楽団の会長で、指揮者でもあるドン・ギリス(1912~1978)も夫人と一緒に同行している。このギリスという人は作曲家でもあって、昨日、交響曲の多作作曲家を調べていると10曲を書き残したということでその存在を知った。

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作品を聴いてみると、どれも良き時代のアメリカを彷彿させるような空気が漂い、ある時はスーザのマーチを連想させ、ある時は、西部劇映画のテーマーを思い浮かべたり、またあるときはアメリカの伝承歌を思い起こさせたり・・・と楽しい作品を残した。中でもユーモアにあふれた交響曲第51/2番が知られる。もともと学生時代にはトロンボーンを吹き、指揮者も兼ね、NBC交響楽団のプロデューサーに就任後、シンフォニー・オブ・ジ・エアの創立の中心的人物となった。
この日本初公演でも、たった一度だけ、日比谷野外音楽堂での「少年少女の為の演奏会」で指揮をした。自作「音楽の発明者」やスメタナの「売られた花嫁」、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」やドビュッシーの作品を幾つか披露した。
「音楽の発明者」は子供たちに音楽の楽しさや、楽器の音色の紹介などを織り交ぜた、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」のような作品である。これにはナレーターが登場するが、当日は”うたのおばさん”の松田トシが担当したとある。


d0170835_22592822.jpgギリス:
Symphony No. 5 1/2, "A Symphony for Fun"
Osaka Shion Wind Orchestra (大阪市音楽団)
ハインツ・フリーセン (指揮)



d0170835_23183997.jpgギリス:
「音楽の発明者」
The Man Who Invented Music
Jack Kilty (ナレーター)
新交響楽団 - New Symphony Orchestra
ドン・ギリス - Don Gillis (指揮)




by kirakuossan | 2018-02-13 20:42 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年2月10日(土)

d0170835_17161380.jpgまたイギリスの話だが、近代イギリスを代表する作曲家の一人にマルコム・アーノルド(1921~2006)がいる。何を聴いてもハズレが無いアーノルド作品と言われるぐらい彼の音楽は親しみやすい。プロムスでも演奏されることのある「タム・オーシャンター」序曲 Op. 51はスコットランドの魔女伝説に基づいた演奏会序曲でアーノルドの代表作のひとつ。途中で、スコットランド風のメロディーが出てくるところも面白い。
彼はベートーヴェンと同じように9つの交響曲も書いている。1949年に書き上げられハレ管を自らが指揮して初演された第1番は、3楽章からなる30分ほどの楽曲だが、管楽器を中心に色彩感豊かな佳作である。作品は管弦楽と協奏曲が中心だがどれも機知に富む。他にいくつかの映画音楽も残した。

d0170835_17081305.jpg何といっても彼の名を世に知らしめたのは、英軍楽隊の作曲家ケネス・ジョゼフ・アルフォードが作曲した「ボギー大佐」を、映画『戦場にかける橋』のテーマ音楽に編曲した作品だろう。映画のなかでは「クワイ河マーチ」として有名になった。

大管弦楽のための組曲「戦場にかける橋」
ロンドン交響楽団
リチャード・ヒコックス(指揮)








by kirakuossan | 2018-02-10 16:32 | 知られざる作曲家 | Trackback
2018年2月3日(土)

「武士は食わねど高楊枝」という成句は好きな一つだが、その対義句として「衣食足りて礼節を知る」がある。少し違うが「衣食足りて・・・」と同じような意味合いで使われるのが、「痩せ馬鞭を恐れず」や「飢えた犬は棒を恐れず」というのがある。
「飢えた犬のような芸術家の肖像」という表題が目に入って、つい聴いてみた。ベルギーの音楽学者で、民族音楽者のビョルン・シュメルツァーと、彼が率いるアントワープの多国籍古楽精鋭集団グランドラヴォアが演奏したディスクの1枚だ。ここでは主にチプリアーノ・デ・ローレの音楽を披露する。d0170835_08085841.jpg
ロンセ(ベルギー)に生まれたチプリアーノ・デ・ローレ (1515~1565)は主にイタリアで活躍し、進歩的で傑出したイタリア語のマドリガーレの数々で名を残している。シュメルツァーは、まだ多くの謎を残すデ・ローレの生涯を「飢えた犬(starved dog)」に例え、キャリアの中で大きく発展していったデ・ローレのマドリガーレに新たな光をあててゆく。
マドリガーレ(madrigale)は、イタリアで生まれた歌曲で、詩節がなくペトラルカやボッカチオなどの自由詩を用い、テキストの抑揚に合わせてメロディーが作られた。ポリフォニーやモテットの様式、あるいは模倣対位法や半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、14世紀初頭から起こったが、16世紀ころのルネサンス・マドリガーレ期に多くの作曲家が手掛け栄えた。デ・ローレはその中心的人物である。その後、クラウディオ・モンテヴェルディらに引き継がれ、17世紀に入ってカンタータに取って代わられていった。


L'ineffabil bontà del Redentore / Queste non son più lagrime / Non son io che pai' in viso / Era il bel viso suo qual'esser suole / Convien ch'ovunque sua sempre cortese / Come la notte ogni fiammella è viva / Alcun non puo saper da chi sia amato / L'inconstantia che seco han / La giustitia immortale / O morte eterno fin / Se ben il duol / Mia benigna fortuna / Beato mi direi / Poi che m'invita Amore / Dissimulare etiam sperasti / Se come il biondo crin de la mia Filli / Mentre, lumi maggior

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グランドラヴォア - GraindelavoixLluis
Coll i Trulls (コルネット)Floris de Rycker (セテラ)Floris de Rycker (ギター)Floris de Rycker (リュート)ビョルン・シュメルツァー(指揮)
録音: 22-25 June 2016, Beaufays, Belgium


マドリガーレ以外では同じく16~17世紀のルネサンス期に発達した器楽曲の形式で、歌曲の意味にも使われるカンツォーナの音楽、「6つのカンツォン」が心静かに音楽に浸れる。

ハイナー・シュピッカー - Heiner Spicker (ヴィオラ)
ケルン・ヴィオール・コンソート - Cologne Viol Consort


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by kirakuossan | 2018-02-03 07:51 | 知られざる作曲家 | Trackback
2017年12月17日(日)

d0170835_23322558.jpgバッハやヘンデルの5歳年下の作曲家にイタリア生れのフルート、オーボエ奏者でもあったフランチェスコ・バルサンティ(1690~1772)がいる。ジェミニアーニと共にイタリアのルッカからロンドンへと渡りイギリスで活動した。いま、彼の代表作品であるリコーダー・ソナタ集を聴いているが、夜のしじまにとてもよく合う。
リコーダー・ソナタ集は6曲からなり、それぞれ4楽章で構成され7~8分の軽快な作品である。数あるリコーダー・ソナタ集の中でも、特に優れた作品として高い評価受ける傑作とされる。

6 Flute Sonatas, Op. 1
アルカディア


もう一曲、「ピーティーの水車場の少女」の合奏曲が小品だがこれは落ち着いた曲調でこれも心和む。

「ピーティーの水車場の少女」
The Lass of Peatie's mill
パラディアン・アンサンブル


今宵、ルーマニア放送を聴いていて見つけた作曲家である。

by kirakuossan | 2017-12-17 23:16 | 知られざる作曲家 | Trackback
2017年10月14日(土)

d0170835_10445892.jpg「生没同日」のドイツ作曲家にオルガニストでもあったミヒャエル・プレトリウス(1571年2月15日 ~1621年2月15日)がいる。彼はクラウディオ・モンテヴェルディより4歳年少だが、プロテスタントの賛美歌の発展においてとりわけ重要な位置にある作曲家である。多作な作曲家で、ザムエル・シャイトやハインリヒ・シュッツなど同時代のイタリア音楽の影響を示している。作品は、1000曲以上のコラールと賛美歌の編曲を含む9巻の曲集「シオンの音楽 Musae sioniae」などが知られる。クリスマス音楽でもときおり採りあげられているので名は知らないが、曲は聞いたことがあるというのもある。一輪のばらが咲いてEs ist ein Ros' entsprungenなどもそのうちの一曲である。どれを聴いても心洗われる。
ほかに16世紀前後のヨーロッパで特にフランスを中心に普及した集団舞踊に「ブランル」という舞曲がある。仏語で「揺れる」を意味するが、この一風変わった作品も幾つか遺している。


d0170835_10495622.jpgミヒャエル・プレトリウス:
一輪のばらが咲いてEs ist ein Ros' entsprungen


たいまつのブランルBranle de Montirande




by kirakuossan | 2017-10-14 10:31 | 知られざる作曲家 | Trackback