ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

2018年 05月 25日 ( 2 )

「中空日記」に出てくる高麗寺山

2018年5月25日(金)

d0170835_20035793.jpg歌川広重の錦絵 「東海道五十三次大磯/虎ケ雨」に描かれている高麗山。 奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから「高麗山」の名前がついたといわれている。高麗山は標高約160メートル、相模湾より相模一国をことごとく見渡すことができ、三峰からなる。この三つの頂がそれぞれ高麗山城のくるわを形成していて、中央には高来神社を祭って高麗寺山と言い、東峰を天照山(東天照)、西峰を毘沙門山(八俵山)といって、中央が一番高く、城の本丸に相当する。両峰は谷によって区切られ堀切が設置されて敵の襲来に備えていた。
日中でも薄暗い山道の分岐点に案内看板があった。東峰へむかう道を「女坂」、西峰への道を「男坂」と記してある。孫娘らと一緒に「男坂」を少し進むが、日暮れということもあって急に薄暗くなり、急いで引きかえしてきた。

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d0170835_19535690.jpg其こゝろあすはしてまし此みなみふきかへりしなは雨になるてふ廿七日、平塚のやとりをたつ、さてちかともをは一たひ江戸へつかはすことありてこゝよりわかれぬ、高麗寺山の紅葉いまさかり也、まことに寺の名におふ、こま錦はれらんやうにて、たくひなきを見つゝ

桂園派を開いた江戸時代後期の歌人香川景樹(1768~1843)が、50歳の時、江戸を発ち、京都の本宅へ向かう途中、江戸から名古屋の門人氷室長翁の宅に逗留までの道すがらに書いた冬の旅日記「中空日記」(なかぞらのき)の一節である。この日記には古くから歌に詠み込まれている土地ごとに詠んだ和歌が紀行文の中に織り混ぜてあるが、この場面は、ちょうど江戸を発って5日目、前日に平塚で宿を取った後、大磯の高麗寺山から国府津、袖が浦、小田原に向かうところで、旧暦の十月二十七日とある。
ここに、高麗寺山が出てくる。昨年10月7日に孫娘の案内で裏山(高麗山)を散策したが、その寺は長い山道の奥にひっそりと佇んでいた。さすがに紅葉にはまだ早かった。

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高来神社(高麗寺山) 2017年10月7日撮影


香川景樹は250年前の今日生まれた。



by kirakuossan | 2018-05-25 19:49 | 新日本紀行 | Trackback

忘れられない一枚 ⑭ 富士

2018年5月25日(金)

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同じ光景とはいえ、やはり何度撮っても富士は見飽きない。
上が焦点距離最大の110mm、下が65mmで撮った。直線距離で約100km。
2018年5月12日(土)6:43am(長野県・霧ケ峰高原富士見台より)


by kirakuossan | 2018-05-25 07:18 | PHOTO | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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