つまるところ”好みの差”

2017年8月30日(水)
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ボクは今までに音楽評論家で尊敬し、また信頼をおいてきた人は僅かに3人しかいない。吉田秀和(1913~2012)、河上徹太郎(1902~1980)、そしてもう一人はほとんど無名に近い人だが猿田悳(1926~1975)である。おもしろいことにこの3人のなかで純然たる音楽評論家は吉田秀和だけであって、河上徹太郎はフランス象徴主義に裏打ちされた思想を背景に文芸評論が専門だし、猿田の本業はドイツ文学者である。
猿田悳(とく)は、3年ほど前に著書『音楽との対話』を通してこのブログで思いを書いたことがある。そして昨年の冬にも蓼科の山荘から、ハイティンクやジョージ・セルについてもこの著書から触れたことがあった。ことさように、この猿田氏の名著は、ときおり思い出しては、部分部分拾い読みをしてみる。そしてその文章はいつ読んでも新鮮で、感銘を覚えるのである。なぜそこまでこの人を尊敬するかと言えば、確固たる持論を持ち合わせ、それを簡潔に読者に示してくれる。ただ単にわかりやすい文章というよりは、ひとつふたつ独自の味付けを施し、他では決して味わうことの出来ないような、そんな知的な評論。それは決して肩を張ったものではなく、自然ににじみ出てくるような、この人そのものが写しだされたような、そんな血の通った文章なのである。そして自分の意見を正直にズバッと言う。

今日は「リリー・クラウスとモーツァルト」という稿に目がとまった。冒頭、先輩吉田秀和に脱帽した書き出しで始まる。

「演奏はかならず個性的でなければならない」と断定的な表現をした批評家がいる。できればわたしは、これを自分の言葉として書き始めたかったが、すでにこう言ってしまった人間がいる以上、引用符をつけなければならない。断定的な、というのはその足もとがしっかりしていたという意味であって、表現のうえで留保がなかったわけではない。前後にはなお、「近代では」と「言葉の深い意味において」という二つの副詞句が置かれている(吉田秀和『演奏の質において』1961)
「近代では」という表現にくわしい説明はないが、「近代での演奏は主観を深める以外に、客観に達する道はないのである」とあるところからも、おそらく演奏家という仕事が定着しはじめたロマン派以降というほどのことだろう。「言葉の意味において」というのは<個性的>という言葉を少しばかりていねいにとらえようということにちがいない。
まことに、演奏とはこの一語、「個性たるべし」という至上命令につきる。わたしたちは演奏家も聴衆も、これをあまりに自明のことと思っているので、一回の演奏ごとに確認することさえ怠っているが、「あなたの国の演奏家には自分の感じているものを表現しようという気持ちがあるのか?」という問いを、同席の外人から受けた経験が再三あったことを思うと、個性的とは演奏家の表現意欲―あるいはその前に感受性―と不可分でなないだろう。危険なのは、この辺からロマン的、主観的、解釈過剰の楽曲の捏造というところまで、わたしたちの頭が先走りがちなことで、個性的とは、少しも主観的でもロマン的でもないのである。多かれ少なかれ、個性的でない演奏があるわけがないし、あったとしたら、その行為そのものがすでに無意味であって、それならしろうとでさえべつに弾く必要はない。個性的なものがつねにすぐれたものとはかぎらないが、すぐれたものはつねに個性的である。

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色んな演奏家が登場してくる中で、いよいよリリー・クラウスの登場だが、猿田氏は全幅の信頼をおいているかのように彼女について朗々と語る。あまり長いので割愛するが・・・

わたしは短調のモーツァルトを最上とは思わないので、強いて言えば、変ホや変ロの長調の作品に愛着を感ずるものが多いが、クラウスの場合は安心して短調の作品に感動をおぼえる。というのも、彼女には安手の感情や、ロマン的な解釈や精神が呼び出す鈍重さが少しも感じられず、言ってみればきわめてピアニスティックな美しさを最大限に披露してくれる感覚的なピアニストだからだろう。

そして続けて読んでいくと、思わぬ聞き捨てならない箇所にぶちあたった。イングリット・ヘブラーに関して、ここはボクの意見と真っ向から正反対で残念だが、でも猿田氏のズバッと持論を展開するところは、ものの見事さで、かえって清々しさえが感じられるのである。


K三三〇(ソナタ10番)のクラウスは、第一楽章を速めのテンポと硬質で多彩な音色で、多少そっけないほどに情緒の垢をはらいおとす。その意味で男性的と言ってもいいが、感情の振幅は大きい人だから、第二楽章に入るとひどくテンポが不安定になる。だがそこにあやしい魅力を感ずることもできるであろう。同じ女流のモーツァルティアンにイングリート・ヘブラーがいるが、この曲を比較してみたとき、わたしは天分の差というものを否定できない。ヘブラーの場合、なにからなにまでが弱すぎ、音色は一本調子で変化にとぼしく、モーツァルト特有の華やかさも、同時にかげりもない。主題はいつでも不鮮明で、つまるところ退屈してしまう。むやみに大げさなモーツァルトも困るが、無気力にふやけたモーツァルトも困る。
『音楽との対話』より


あまりにもズタズタの批評で、ヘブラーもここまで言われるか、とも思うが、ボクなんか、そこの弱い部分に魅かれ、いっけん一本調子に聴こえるところがまた素朴で好きなのだ。それこそここまでくると、つまるところ”好みの差”と言えるのではないか。
それにしてもここまでズバッと言い切るような評論家は古今東西そう多くはいない。.




by kirakuossan | 2017-08-30 17:04 | クラシック | Trackback

束の間の涼を楽しんでいるのでございます。

2017年8月30日(水)
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おかげさまで朝晩はだいぶ過ごしやすくなってきました。
わたしがこの家に寄せていただくようになってから、みなさんにずいぶんと可愛がられて喜んではおりますが、でも最初の頃は残暑といいますか、真昼の陽射しの暑さは、それはそれは大変なもので、いくら笠を冠っているとはいえ頭がクラクラしてぶっ倒れるぐらいでありました。
で、いつもこうして水をかけてもらっては束の間の涼を楽しんでいるのでございます。それに体中綺麗にもなりますし・・・ありがたいことです。


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by kirakuossan | 2017-08-30 11:16 | 偶感 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その8 老神温泉・白根温泉

2017年8月30日(水)

『みなかみ紀行』若山牧水


十月廿五日。
老神温泉

老神温泉に着いた時は夜に入っていた。途中で用意した蝋燭をてんでに点して本道から温泉宿の在るという川端の方へ急な坂を降りて行った。宿に入って湯を訊くと、少し離れていてお気の毒ですが、と云いながら背の高い老爺が提灯を持って先に立った。どの宿にも内湯は無いと聞いていたので何の気もなくその後に従って戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異ったたいへんな処へ湯が湧いているのであった。手放しでは降りることも出来ぬ嶮しい崖の岩坂路を幾度か折れ曲って辛うじて川原へ出た。そしてまた石の荒い川原を辿る。その中洲の様になった川原の中に低い板屋根を設けて、その下に湧いているのだ。
 這いつ坐りつ、底には細かな砂の敷いてある湯の中に永い間浸っていた。いま我等が屋根の下に吊した提灯の灯がぼんやりとうす赤く明るみを持っているだけで、四辺は油の様な闇である。そして静かにして居れば、疲れた身体にうち響きそうな荒瀬の音がツイ横手のところに起って居る。ややぬるいが、柔かな滑らかな湯であった。屋根の下から出て見るとこまかな雨が降っていた。石の頭にぬぎすてておいた着物は早やしっとりと濡れていた。
 註文しておいたとろろ汁が出来ていた。夕方釣って来たという山魚の魚田も添えてあった。折柄烈しく音を立てて降りそめた雨を聞きながら、火鉢を擁して手ずから酒をあたため始めた。



老神温泉、「おいがみおんせん」と呼ぶ。
周囲を山に囲まれた群馬県沼田市利根町にある温泉である。ここは尾瀬訪問の宿泊地としてもよく利用される温泉で、旅館も多く賑わう。ここでも日帰り入浴ができる。草津からみなかみにかけての各地の多くの温泉が立ち寄り湯を提供してくれるのはなにより有難いことである。赤城山の神である大蛇と、日光の男体山の神である大ムカデが争った際、赤城山の神がこの地に出来た温泉で傷を癒して男体山の神を追い払ったとされる開湯伝説があって、神を追い払ったという事で追神温泉とも言われた。ムカデの話はここ近江にもあるが、よくある話だ。
みなかみ紀行では老神温泉での宿泊場所が書かれていないが、牧水が旅の途中で疲れを癒したゆかりの宿「牧水苑」というのがあってここかも知れない。まあ、先に名乗ったもの勝ちという気がしないでもないが・・・
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十月廿六日。
白根温泉

村を過ぎると路はまた峡谷に入った。落葉を踏んで小走りに急いでいると、三つ四つ峰の尖りの集り聳えた空に、望の夜近い大きな月の照りそめているのを見た。落葉木の影を踏んで、幸に迷うことなく白根温泉のとりつきの一軒家になっている宿屋まで辿り着くことが出来た。
 此処もまた極めて原始的な湯であった。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちていた。湯から出て、真赤な炭火の山盛りになった囲炉裡端に坐りながら、何はもあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いという。驚き惶てて何処か近くから買って来て貰えまいかと頼んだ。宿の子供が兄妹つれで飛び出したが、やがて空手で帰って来た。更らに財布から幾粒かの銅貨銀貨をつまみ出して握らせながら、も一つ遠くの店まで走って貰った。
 心細く待ち焦れていると、急に鋭く屋根を打つ雨の音を聞いた。先程の月の光の浸み込んでいる頭に、この気まぐれな山の時雨がいかにも異様に、侘しく響いた。雨の音と、ツイ縁側のさきを流れている渓川の音とに耳を澄ましているところへぐしょ濡れになって十二と八歳の兄と妹とが帰って来た。そして兄はその濡れた羽織の蔭からさも手柄顔に大きな壜を取出して私に渡した。


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何はもあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、無いという。
これには驚くわなあ、驚くというより落胆し、無性に寂しい思いがして、涙がでてくるわなあ・・・
ここで牧水が必死の思いで子供たちに銅貨銀貨を握らせる心境は牧水でなくてもよく理解できる。
白根温泉は白根山の麓、日光と尾瀬で有名な片品村を結ぶ国道120号線沿いに湧くが、長い間、秘湯と呼ばれてきた。冬は日光方面からの来る場合、金精峠が通行止めになるくらいの人里離れた山奥にある。老婆心ながらいうと、標高2171m草津の白根山と違ってここは高い方、標高2578mの日光白根山である。浅間山が標高2568mだからまだ10m高い。(蓼科山は2530m)


わが過ぐる落葉の森に木がくれて白根が岳の岩山は見ゆ


つづく・・・



by kirakuossan | 2017-08-30 07:23 | 文芸 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その7 湯宿温泉・沼田「青地屋」

2017年8月30日(水)

水上温泉郷-みなかみ十八湯と呼ばれ、群馬県最北端に位置しするみなかみ町には多くの温泉が点在する。

上牧温泉:カルシウム・ナトリウム - 硫酸塩・塩化物泉
水上温泉:カルシウム - 硫酸塩泉
谷川温泉:単純温泉・硫酸塩泉
うのせ温泉:単純温泉
向山温泉:アルカリ性単純温泉
湯桧曽温泉:アルカリ性単純温泉
宝川温泉:単純温泉
上の原温泉:単純温泉
湯ノ小屋温泉:単純温泉
高原千葉村温泉:含硫黄・カルシウム・硫酸塩温泉
法師温泉:硫酸塩泉
猿ヶ京温泉:ナトリウム・カルシウム - 硫酸塩塩化物泉
川古温泉:カルシウム・ナトリウム - 硫酸塩泉
赤岩温泉:硫酸塩泉
湯宿温泉:ナトリウム・カルシウム - 硫酸塩泉
真沢温泉:アルカリ性単純温泉
奈女沢温泉:硫酸塩泉
月夜野温泉:アルカリ性単純温泉

ここは一番、温泉梯子ってなのもオモシロイ。



『みなかみ紀行』若山牧水

十月廿三日。

湯宿温泉

 猿ヶ京村を出外れた道下の笹の湯温泉で昼食をとった。相迫った断崖の片側の中腹に在る一軒家で、その二階から斜め真上に相生橋が仰がれた。相生橋は群馬県で第二番目に高い橋だという事である。切り立った断崖の真中どころにの様にして架っている。高さ二十五間、欄干に倚って下を見ると胆の冷ゆる思いがした。しかもその両岸の崖にはとりどりの雑木が鮮かに紅葉しているのであった。
 湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其処で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊る事にした。もっともM―君は自分の村を行きすぎ其処まで見送って来てくれたのであった。U―君とは明日また沼田で逢う約束をした。
 一人になると、一層疲労が出て来た。で、一浴後直ちに床を延べて寝てしまった。一時間も眠ったとおもう頃、女中が来てあなたは若山という人ではないかと訊く。不思議に思いながらそうだと答えると一枚の名刺を出して斯ういう人が逢い度いと下に来ているという。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄って来たH―君であった。仙台からの帰途本屋に寄って私達が一泊の予定で法師に行った事を聞き、ともすると途中で会うかも知れぬと云われて途々気をつけて来た、そしてもう夕方ではあるし、ことによるとこの辺に泊って居らるるかも知れぬと立ち寄って訊いてみた宿屋に偶然にも私が寝ていたのだという。あまりの奇遇に我等は思わず知らずひしと両手を握り合った。


牧水は湯宿温泉「金田屋」に泊った。佐久を出て10日目である。新潟との県境の三国峠の手前、国道17号沿いに温泉街が広がる。共同浴場も3~4軒あるが、ここ「金田屋」でも日帰り入浴が可能だ。湯宿の湯はみなかみ十八湯のなかでも最も熱くて源泉は60℃を越す。湯治にも向く、そんな鄙びた温泉街である

そしてその翌日、約束通り沼田へ戻り、「青地屋」でU―君と会う。

夜、宿屋で歌会が開かれた。二三日前の夜訪ねて来た人たちを中心とした土地の文芸愛好家達で、歌会とは云っても専門に歌を作るという人々ではなかった。みな相当の年輩の人たちで、私は彼等から土地の話を面白く聞く事が出来た。そして思わず酒をも過して閉会したのは午前一時であった。法師で会ったK―君も夜更けて其処からやって来た。この人たちは九里や十里の山路を歩くのを、ホンの隣家に行く気でいるらしい。
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翌朝、大正11年10月25日朝、沼田の青池旅館の中庭にて記念撮影したものである。生方記念文庫所蔵のこの写真には左から、伝田愛吉・生方吉次・牛口善衛・真下年男・若山牧水・植村祐三・植村婉外・金子刀水とある。 
ここでU―君が牛口善衛という青年で、また、法師温泉で、歌集『くろ土』を取り出してその口絵の肖像と私とを見比べながら、「矢張り本物に違いはありませんねエ」と云って驚くほど大きな声で笑ったK―君は、金子刀水ということを知る。

十月廿五日。 
昨夜の会の人達が町はずれまで送って来て呉れた。U―、K―の両君だけはもう少し歩きましょうと更らに半道ほど送って来た。其処で別れかねてまた二里ほど歩いた。収穫時の忙しさを思って、農家であるU―君をば其処から強いて帰らせたが、K―君はいっそ此処まで来た事ゆえ老神おいがみまで参りましょうと、終に今夜の泊りの場所まで一緒に行く事になった。宿屋の下駄を穿き、帽子もかぶらぬままの姿でである。


散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり


「青池屋」は、「ホテル青地」となって、近代的ビジネスホテルに変身している。こじんまりしたホテルながら、どの部屋からも奥利根の山々が見渡せる高台に建つ。


つづく・・・

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by kirakuossan | 2017-08-30 05:30 | 文芸 | Trackback