東投手は今や全日本のエースでもある。

2017年8月28日(月)

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ユニバシアード野球大会の日本チームは今、韓国と準決勝戦を戦っている。立命館のエース東克樹投手は今や全日本のエースでもある。先日の日米大学野球でも投手で一人気を吐いた活躍、その好調さは台北に来てからも続いている。宿敵韓国戦、絶対負けられない一戦だけにすべてが東の左腕にかかる。
それにしても今大会は変則ルールで韓国やアメリカにはすでに一度それぞれに勝っているのに再度戦わなければならない。まあ、そんなことを言っても仕方ないので、今日韓国を倒し、明日アメリカを打ち破って優勝と行きましょう。
今週末から関西学生野球秋のリーグ戦が始まる。緒戦は春季リーグ1位と2位、近畿大と立命館が早々と対戦する珍しいスケジュールとなった。先発はもちろん東投手だろうが、海外遠征での連戦の疲れが気がかりではある。




途中経過、2回裏日本が1点を先取した。3回表を終わって1-0。東投手は3回まで毎回1安打を許してランナーを出すが粘り強い投球を繰り広げている模様だ。
5回まで投げて4安打0点に封じている。
日米大学野球では東投手は2試合、11イニングス投げて自責点ゼロだったが、2試合とも終盤明治大の投手にスイッチしてどちらも逆転負けした苦い経験がある。今日は最後まで東投手で押すように、と明治大の監督でもある全日本監督に忠言したい。
5回裏、日本が1点追加。ヨシヨシ。
6回裏日本さらに2点追加で4-0に。
8回まで5安打1四球0点、奪った三振11個、今日も球の切れがいいのだろう。ほぼ完ぺきな内容だ。よしあと1イニング。


準決勝:
Republic of Korea
000000000=0
01001200x=4
Japan

東投手は最終回交代したが、韓国打線を8回零封は大きな自信になったろう。この勢いでリーグ戦も頼んまっせ!
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追記:
2017年8月29日(火)

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日本代表が序盤に猛攻を仕掛けてアメリカに10-0と大勝、 2大会連続の金メダルを獲得した。決勝戦でも立命館の主砲辰巳涼介選手がタイムリーを放った。

by kirakuossan | 2017-08-28 20:12 | スポーツ | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その5 沢渡温泉・四万温泉

2017年8月28日(月)


若山牧水(1885~1928)が大正から昭和初めにかけてどのような評価を受けていたかよくわかる話がある。牧水と同郷の宮崎県出身で同じ早稲田を出た歌人伊藤一彦氏の著書『牧水の心を旅する』にこうある。
哲学者三木清の言である。

歌ではやはり白秋の作品が最も好きであった。吉井勇の歌も好んで読んだ。歌といへば、私はその時分かなり熱心に稽古したことがあり、滝野中学の校友会雑誌には当時私の作った歌がいくつか残ってゐる筈であるが、作家の上で特に影響を受けたのは、その時代の多くの青年に普通であったやうに、若山牧水であったであらうか。

ここで注目されるのは、「その時代の多くの青年に普通であったやうに、若山牧水云々」という箇所である。その人気は相当のものであったようで、同著に「歌人番付」の話が出て来る。単なるお遊び的企画だがこれをみてもその一端がわかる。
大正七年二月号発表の「大正七年一月場所作成」の「歌人新番付」の上位を書き抜くと次のようになる。

<東の方>
大関 斎藤茂吉
張出大関 島木赤彦
関脇 北原白秋
小結 中村憲吉
張出小結 吉井勇
前頭 釈迢空

d0170835_18191712.jpg<西の方>
大関 若山牧水
張出大関 太田水穂
関脇 前田夕暮
小結 古泉千樫
張出小結 土岐哀果
前頭 尾山篤二郎
(いずれも横綱なし)



『みなかみ紀行』若山牧水

朝起きて見ると雪が斑に落ちていた。


ひと夜寝てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり



十月二十日。
沢渡温泉
四万温泉


 昨日の通りに路を急いでやがてひろびろとした枯芒の原、立枯の楢の打続いた暮坂峠の大きな沢に出た。峠を越えて約三里、正午近く沢渡温泉に着き、正栄館というのの三階に上った。此処は珍しくも双方に窪地を持った様な、小高い峠に湯が湧いているのであった。無色無臭、温度もよく、いい湯であった。此処に此儘泊ろうか、もう三四里を歩いて四万温泉へ廻ろうか、それとも直ぐ中之条へ出て伊香保まで延ばそうかと二人していろいろに迷ったが、終に四万へ行くことにきめて、昼飯を終るとすぐまた草鞋を穿いた。
 私は此処で順序として四万温泉の事を書かねばならぬ事を不快におもう。いかにも不快な印象を其処の温泉宿から受けたからである。我等の入って行ったのは、というより馬車から降りるとすぐ其処に立っていた二人の男に誘われて入って行ったのは田村旅館というのであった。

馬車から降りた道を真直ぐに入ってゆく宏大な構えの家であった。
 とろとろと登ってやがてその庭らしい処へ着くと一人の宿屋の男は訊いた。
「エエ、どの位いの御滞在の御予定で被入っしゃいますか」
「いいや、一泊だ、初めてで、見物に来たのだ」
 と答えると彼等はにたりと笑って顔を見合せた。そしてその男はいま一人の男に馬車から降りた時強いて私の手から受取って来た小荷物を押しつけながら早口に云った。
「一泊だとよ、何の何番に御案内しな」
 そう云い捨てておいて今一組の商人態の二人連に同じ様な事を訊き、滞在と聞くや小腰をかがめて向って左手の渓に面した方の新しい建築へ連れて行った。



客を見定めて待遇が違うことがありありとうかがわれ、案の定、小学校の修学旅行の泊りそうな、幾間か打ち続いた一室でしかも間の唐紙なども満足には緊っていない古びた部屋に通された。相方のK―君は怒りが収まらない様子だったが、牧水は、「止そうよ、これが土地の風かも知れないから」 となだめて、急いで彼を湯に誘った。


この分では私には夕餉の膳の上が気遣われた。で、定った物のほかに二品ほど附ける様にと註文し、酒の事で気を揉むのをも慮ってじめ二三本の徳利を取り寄せ自分で燗をすることにしておいた。
 やがて十五六歳の小僧が岡持で二品ずつの料理を持って来た。受取って箸をつけていると小僧は其処につき坐ったまま、
「代金を頂きます」
 という。
「代金?」
 と私はった。
「宿料かい?」
「いいえ、そのお料理だけです、よそから持って来たのですから」
 思わず私はK―君の顔を見て吹き出した。
「オヤオヤ、君、これは一泊者のせいのみではなかったのだよ、懐中を踏まれたよ」



そこで、今もこの旅館が存在するか調べたら、温泉三昧の宿・四万たむらというのがあった。四万グランドホテルグループとあったが、恐らくここでいう田村旅館だろう。宿泊料金をみてまた吃驚、おひとり様2万7千円とあった。四万温泉は一度訪れたいとは思っていたが、こんなことを読んでしまうと、やはり他の旅館にしてしまうわなあ・・・

伊藤氏の著書にもうひとり川端康成の牧水評が載っていた。まことに的を得ていると思われる。

牧水氏の丸顔には詩歌の魂であるべき童心そのもののやうな柔かい美しさがあった。しかしまた、詩歌の道の智恵そのもののやうな厳しい美しさがあった。一言で言へば東洋風な悟りをかたどった木仏を思はせる姿であった。


つづく・・・



by kirakuossan | 2017-08-28 17:06 | 文芸 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その4 花敷温泉

2017年8月28日(月)


『みなかみ紀行』若山牧水



十月十九日。
花敷温泉


ずっと一本だけ続いて来た野中の路が不意に二つに分れる処に来た。小さな道標が立ててある。曰く、右沢渡温泉道、左花敷温泉道。
 枯芒を押し分けてこの古ぼけた道標の消えかかった文字を辛うじて読んでしまうと、私の頭にふらりと一つの追憶が来て浮んだ。そして思わず私は独りごちた。「ほほオ、斯んな処から行くのか、花敷温泉には」と。
 私は先刻この野にかかってからずっと続いて来ている物静かな沈んだ心の何とはなしに波だつのを覚えながら、暫くその小さな道標の木を見て立っていたが、K―君が早や四五間も沢渡道の方へ歩いているのを見ると、其儘に同君のあとを追うた。そして小一町も二人して黙りながら進んだ。が、終には私は彼を呼びとめた。
「K―君、どうだ、これから一つあっちの路を行って見ようじゃアないか、そして今夜その花敷温泉というのへ泊って見よう」
 不思議な顔をして立ち留った彼に、私は立ちながらいま頭に影のごとくに来て浮んだ花敷温泉に就いての思い出を語った。三四年も前である。今度とは反対に吾妻川の下流の方から登って来て草津温泉に泊り、案内者を雇うて白根山の噴火口の近くを廻り、渋峠を越えて信州の渋温泉へ出た事がある。五月であったが白根も渋も雪が深くて、渋峠にかかると前後三里がほどはずっと深さ数尺の雪を踏んで歩いたのであった。その雪の上に立ちながら年老いた案内者が、やはり白根の裾つづきの広大な麓の一部を指して、彼処にも一つ温泉がある、高い崖の真下の岩のくぼみに湧き、草津と違って湯が澄み透って居る故に、その崖に咲く躑躅や其他の花がみな湯の上に影を落す、まるで底に花を敷いている様だから花敷温泉というのだ、と云って教えてれた事があった。下になるだけ雪が斑らになっている遠い麓に、谷でも流れているか、丁度模型地図を見るとおなじく幾つとない細長い窪みが糸屑を散らした様にこんがらがっている中の一個所にそんな温泉があると聞いて私の好奇心はひどく動いた。第一、そんなところに人が住んで、そんな湯に浸っているという事が不思議に思われたほど、その時其処を遥かな世離れた処に眺めたものであったのだ。それがいま思いがけなく眼の前の棒杭に「左花敷温泉道、是より二里半」と認めてあるのである。
「どうだね、君行って見ようよ、二度とこの道を通りもすまいし、……その不思議な温泉をも見ずにしまう事になるじゃアないか」
 その話に私と同じく心を動かしたらしい彼は、一も二もなく私のこの提議に応じた。そして少し後戻って、再びよく道標の文字を調べながら、文字のさし示す方角へ曲って行った。



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花敷温泉は、今なら草津温泉から車で半時間も走れば着く距離だが、徒歩で暮坂峠経由なら結構な労力を要する。この5月に二度目になるが尻焼温泉を訪れたが、この橋の袂が花敷で、さらに左へしばらく進むと河原の温泉尻焼がある。牧水も草津温泉を出て今でいう国道292号線を東進、国道405号線と交差する所へ出たのだろう。辺りは六合村といって山間部の閑散とした美しい村落である。でも途中の道は険しい。



芒の中の嶮しい坂路を登りつくすと一つの峠に出た。一歩其処を越ゆると片側はうす暗い森林となっていた。そしてそれがまた一面の紅葉の渦を巻いているのであった。北側の、日のささぬ其処の紅葉は見るからに寒々として、濡れてもいるかと思わるる色深いものであった。然し、途中でややこの思い立ちの後悔せらるるほど路は遠かった。一つの渓流に沿うて峡間を降り、やがてまた大きな谷について凹凸烈しい山路を登って行った。十戸二十戸の村を二つ過ぎた。引沼村というのには小学校があり、山蔭のもう日も暮れた地面を踏み鳴らしながら一人の年寄った先生が二十人ほどの生徒に体操を教えていた。


先生の頭の禿もたふとけれ此処に死なむと教ふるならめ

土地に根差して人生を全うする人々を尊敬する歌のようである。


 崖を降り橋を渡り一軒の湯宿に入って先ず湯を訊くと、庭さきを流れている渓流の川下の方を指ざしながら、川向うの山の蔭に在るという。不思議に思いながら借下駄を提げて一二丁ほど行って見ると、其処には今まで我等の見下して来た谷とはまた異った一つの谷が、折り畳んだ様な岩山の裂け目から流れ出して来ているのであった。ひたひたと瀬につきそうな危い板橋を渡ってみると、なるほど其処の切りそいだ様な崖の根に湯が湛えていた。相並んで二個所に湧いている。一つには茅葺の屋根があり、一方には何も無い。
 相顧みて苦笑しながら二人は屋根のない方へ寄って手を浸してみると恰好な温度である。もう日もかげった山蔭の渓ばたの風を恐れながらも着物を脱いで石の上に置き、ひっそりと清らかなその湯の中へうち浸った。一寸立って手を延ばせば渓の瀬に指が届くのである。




d0170835_14342982.jpg花敷温泉は源頼朝が発見して「山桜夕日に映える花敷て、谷間に煙る湯にぞ入る山」と詠んだ事から花敷温泉と名が付いた。開湯は群馬でも古く建久3年 (1192年)鎌倉時代とされる。花敷温泉と尻焼温泉は800mほどしか離れてないが、泉質は異なる。


(花敷温泉)源泉:45℃ 弱アルカリ性低調性高温泉。
(尻焼温泉)源泉:56℃ 弱アルカリ塩化物泉。とある。

牧水が泊まったのは「関晴館」。「関晴館」はこの4月から尻焼温泉でリニューアルオープンしたとある。以前は「関晴館別館」と呼んでいたから、花敷温泉の方が本館だったのだろう。今では花敷には「花敷の湯」という秘湯の一軒宿がある。


折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り来いで湯のなかに


つづく・・・



by kirakuossan | 2017-08-28 13:11 | 文芸 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その3 草津温泉

2017年8月28日(月)


『みなかみ紀行』若山牧水


寒い寒いと云いながら窓をあけて、顎を炬燵の上に載せたまま二人ともぼんやりと雨を眺めていると、これから川原湯まで濡れて歩くのがいかにも侘しいことに考えられ、いっそ軽井沢へ引き返そうかとも考えたが、窓さきに濡れながらそよいでいる痩せ痩せたコスモスの花、遥か下に煙って見える渓の川原も対岸の霧のなかに見えつ隠れつしている鮮かな紅葉の色も、すべてみな旅らしい心をそそりたててくれ、気を取り直して川原湯温泉は諦め、自動車に乗り草津へ向かうことになった。



十月十八日。
草津温泉


草津ではこの前一度泊った事のある一井旅館へ入った。私には二度目の事であったが、初めて此処へ来たK―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から例の侘しい笛の音が鳴り出した。それに続いて聞えて来る湯揉みの音、湯揉みの唄。~
 この時間湯に入ること二三日にして腋の下や股のあたりの皮膚が爛れて来る。ては歩行も、ひどくなると大小便の自由すら利かぬに到る。それに耐えて入浴を続くること約三週間で次第にその爛れが乾き始め、ほぼ二週間で全治する。その後の身心の快さは、殆んど口にする事の出来ぬほどのものであるそうだ。そう型通りにゆくわけのものではあるまいが、効能の強いのは事実であろう。笛の音の鳴り響くのを待って各自宿屋から(宿屋には穏かな内湯がある)時間湯へ集る。杖に縋り、他に負われて来るのもある。そして湯を揉み、唄をうたい、煮ゆるごとき湯の中に浸って、やがてまた全身を脱脂綿に包んで宿に帰ってゆく。これを繰返すこと凡そ五十日間、斯うした苦行が容易な覚悟で出来るものでない。


上野の草津に来り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも

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ここでの「かなし」はもちろん、おもしろい。心が魅かれるということとてっきり思ったが、
時間湯から例の侘しい笛の音が鳴り出した。とあるので、さてどちらの意か。
5年前に小生(右から二人目)もかけ声に合わせ湯もみを体験したが、これはあくまでも観光客用のショーの合間にほんの少し楽しめるもので、本当の時間湯はこんなものではない。時間湯について、牧水は余程関心があったのだろう、克明に描写している。


時間湯の温度はほぼ沸騰点に近いものであるそうだ。そのために入浴に先立って約三十分間揉みに揉んで湯を柔らげる。柔らげ終ったと見れば、各浴場ごとに一人ずつついている隊長がそれと見て号令を下す。汗みどろになった浴客は漸く板を置いて、やがて暫くの間各自柄杓をとって頭に湯を注ぐ、百杯もかぶった頃、隊長の号令で初めて湯の中へ全身を浸すのである。湯槽には幾つかの列に厚板が並べてあり、人はとりどりにその板にしがみ附きながら隊長の立つ方向に面して息を殺して浸るのである。三十秒が経つ。隊長が一種気合をかける心持で或る言葉を発する。衆みなこれに応じて「オオウ」と答える。答えるというより捻るのである。三十秒ごとにこれを繰返し、かっきり三分間にして号令のもとに一斉に湯から出るのである。その三分間の間は、僅かに口にその返事を称うるほか、手足一つ動かす事を禁じてある。動かせばその波動から熱湯が近所の人の皮膚を刺すがためであるという。

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牧水らが泊った「一井旅館」は湯端の傍にある、今では白亜の巨大な老舗ホテルである。当時のことは分からないが、その隣にある「山本館」や「奈良屋」のほうが和風調でよほど趣きがあるように思える。
(写真:「山本館」の若の湯 5年前に母と叔母をつれて・・・)
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「一井旅館」のHPを開くと、「滋賀からのご来館をおまちしております」といきなり出て来て、この地図を示した。これには驚いた。もし牧水だったら、「沼津からのご来館・・・」と出て来て、さぞ仰天することだろう。
.
牧水は草津温泉で湯もみの歌を7首ほど作っている。草津には1泊しただけで、翌日、次の山の湯へ向かう。


つづく・・・



by kirakuossan | 2017-08-28 08:38 | 文芸 | Trackback