『みなかみ紀行』を辿って その2 星野温泉・嬬恋温泉

2017年8月27日(日)


『みなかみ紀行』若山牧水

16日の夜は軽井沢の星野温泉に泊った。そこに集った6人は旧知の仲なので和やかな酒となった。牧水は最初、岩村田の歌会が終ったらその足で汽車に乗り高崎まで引き返し、そこで自分一人で沼田へ入り、そこから片品川に沿うて下野の方へ越えるつもりであった。でも久しぶりに友と会って、のんびりした気分になり、もうすこし山や谷を歩き回りたくなったのだった。



十月十六日。
星野温泉

「よし……」と思わず口に出して、私は新計画を皆の前に打ちあけた。
「いいなア!」
 と皆が云った。
「それがいいでしょう、どうせあなただってももう昔の様にポイポイ出歩くわけには行くまいから」
 とS―が勿体ぶって附け加えた。
 そうなるともう一つ新しい動議が持ち出された。それならこれから皆していっそ軽井沢まで出掛け、其処の蕎麦屋で改めて別盃を酌んで綺麗に三方に別れ去ろうではないか、と。無論それも一議なく可決せられた。
 軽井沢の蕎麦屋の四畳半の部屋に六人は二三時間坐り込んでいた。夕方六時草津鉄道で立ってゆく私を見送ろうというのであったが、要するにそうして皆ぐずぐずしていたかったのだ。土間つづきのきたない部屋に、もう酒にもいてぼんやり坐っていると、破障子の間からツイ裏木戸の所に積んである薪が見え、それに夕日が当っている。それを見ていると私は少しずつ心細くなって来た。そしてどれもみな疲れた風をして黙り込んでいる顔を見るとなく見廻していたが、やがてK―君に声かけた。
「ねエK―君、君一緒に行かないか、今日この汽車で嬬恋まで行って、明日川原湯泊り、それから関東耶馬渓に沿うて中之条に下って渋川高崎と出ればいいじゃアないか、僅か二日余分になるだけだ」
 みなK―君の顔を見た。彼は例のとおり静かな微笑を口と眼に見せて、
「行きましょうか、行ってよければ行きます、どうせこれから東京に帰っても何でもないんですから」
 と云った、まったくこのうちで毎日の為事を背負っていないのは彼一人であったのだ。
「いいなア、羨しいなア」
 とM―君が云った。


d0170835_15330546.jpgそう言いながらK―君を除いた皆は、牧水たちと別れるのが惜しくて、彼等の乗るべき信越線の上りも下りにもまだ間があるのでその間に旧宿まで見送ろうと云うので連れだって軽井沢旧宿駅に来てしまった。そこで小諸の方に行く三人づれ、一人東京へ帰ってゆくM―君と名残惜しいが別れることになった。



十月十七日。
嬬恋温泉

 我等の小さな汽車、唯だ二つの車室しか持たぬ小さな汽車はそれからごっとんごっとんと登りにかかった。曲りくねって登ってゆく。車の両側はすべて枯れほおけた芒ばかりだ。そして近所は却ってうす暗く、遠くの麓の方に夕方の微光が眺められた。疲れと寒さが闇と一緒に深くなった。登り登って漸く六里ヶ原の高原にかかったと思われる頃には全く黒白もわかぬ闇となったのだが、車室には灯を入れぬ。イヤ、一度小さな洋燈をしたには点したが、すぐ風で消えたのだった。
 この草津鉄道の終点嬬恋駅に着いたのはもう九時であった。駅前の宿屋に寄って部屋に通ると炉が切ってあり、やがて炬燵をかけてくれた。済まないが今夜風呂を立てなかった、向うの家に貰いに行ってくれという。提灯をさげた小女のあとについてゆくとそれは線路を越えた向側の家であった。途中で女中がころんで灯を消したため手探りで辿り着いて替る替るぬるい湯に入りながら辛うじて身体を温める事が出来た。その家は運送屋か何からしい新築の家で、家財とても見当らぬ様ながらんとした大きな囲炉裡端に番頭らしい男が一人新聞を読んでいた。


志賀直哉の「草津温泉」にも出てきたが、また六里ヶ原の地が出てきた。今でいう北軽井沢辺りである。ここの名所鬼押し出しの対面にうっそうとした別荘地が開けており、その中に元いた銀行の保養所があった。浅間が眼前に聳えて見えるここのログハウスが気に入り、子供がまだ小さい頃、家族で何度も訪れたことがある。そんな頃から、信州やログハウスとは縁があったようだ。
ここから嬬恋までは10kmほど、そう遠くはない。牧水とK―君の二人は、17日夜、嬬恋温泉の「つまごい館」に入った。

この旅館があるかどうか調べて見ると、「公共工事に伴う移転のため10月9日をもって閉館となります。長い間ご利用ありがとうございます」とあった。


つづく・・・


by kirakuossan | 2017-08-27 13:55 | 文芸 | Trackback

『みなかみ紀行』を辿って その1 佐久・懐古園

2017年8月27日(日)

十月十四日午前六時沼津発、東京通過、其処よりM―、K―、の両青年を伴い、夜八時信州北佐久郡御代田駅に汽車を降りた。同郡郡役所所在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌会に出席せんためである。駅にはS―、O―、両君が新聞社の人と自動車で出迎えていた。大勢それに乗って岩村田町に向う。高原の闇を吹く風がひしひしと顔に当る。佐久ホテルへ投宿。
翌朝、まだ日も出ないうちからM―君たちは起きて騒いでいる。永年あこがれていた山の国信州へ来たというので、寝ていられないらしい。M―は東海道の海岸、K―は畿内平原の生れである。
「あれが浅間、こちらが蓼科、その向うが八ヶ岳、此処からは見えないがこの方角に千曲川が流れているのです」 と土地生れのS―、O―の両人があれこれと教えて居る。四人とも我等が歌の結社創作社社中の人たちである。今朝もかなりに寒く、近くで頻りに野羊の鳴くのが聞えていた。
私の起きた時には急に霧がおりて来たが、やがて晴れて、見ごとな日和になった。遠くの山、ツイ其処に見ゆる落葉松の森、障子をあけて見ているといかにも高原の此処に来ている気持になる。私にとって岩村田は七八年振りの地であった。
お茶の時に野羊の乳を持って来た。「あれのだネ」
と、皆がその鳴声に耳を澄ます。


若山牧水の紀行文『みなかみ紀行』の冒頭部である。1922年(大正11)10月14日沼津の自宅を立ち、長野県・群馬県・栃木県を巡って、11月5日に帰着する24日間の長旅を綴ったもので、旅の大半が若い弟子達と変わる変わる連れ立っての徒歩旅行の様子が記されている。
佐久ホテルは、以前萩ヤンと玄関先まで訪れたことがある。岩村田は何度も書いたが、信州の地酒「寒竹」の蔵元があるところ、佐久ホテルはその近くだった。牧水の紀行文はここから始まる。

で、温泉好きの彼が辿った同じ道をいずれ近いうちに自分も巡ってみようと、調べることにした。




『みなかみ紀行』若山牧水


十月十四、十五日。
佐久ホテル泊

夕方閉会、続いて近所の料理屋で懇親会、それが果ててもなお別れかねて私の宿屋まで十人ほどの人がついて来た。そして泊るともなく泊ることにより、みんなが眠ったのは間もなく東の白む頃であった。
d0170835_12372829.jpg翌朝は早く松原湖へゆく筈であったが余りに大勢なので中止し、軽便鉄道で小諸町へ向う事になった。同行なお七八人、小諸町では駅を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の長詩で名高い懐古園に入った。そしてその壊れかけた古石垣の上に立って望んだ浅間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせた。過去十四五年の間に私は二三度も此処に来てこの大きな眺めに親しんだものである。ことにそれはいつも秋の暮れがたの、昨今の季節に於てであった。急に千曲川の流が見度たくなり、園のはずれの嶮しい松林の松の根を這いながら二三人して降りて行った。林の中には松に混った栗や胡桃が実を落していた。胡桃を初めて見るというK―君は喜んで湿った落葉を掻き廻してその実を拾った。まだ落ちて間もない青いものばかりであった。久しぶりの千曲川はその林のはずれの崖の真下に相も変らず青く湛えて流れていた、川上にも川下にも真白な瀬を立てながら。


かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
(小諸城址・懐古園にて)

懐古園に隣接している小諸義塾記念館の横に藤村の碑がある。島崎藤村作詞、藤江英輔作曲の『惜別の歌』である。太平洋戦争真っ只中の1944年、作曲者藤江英輔は中央大学から学徒動員令で造兵廠にいた。戦地に赴く学友を送る際に友情と離別の思いを込めて作ったといわれている。この歌は中央大学の学生歌でもある。

惜別の歌(中央大学学生歌)
https://youtu.be/Cw0Gpv_kgWY

d0170835_13034715.jpgここに出て来る軽便鉄道は、草軽電気鉄道のことで、スイスの登山鉄道に着想を得て、草津と浅間山麓の高原地への輸送を目的に着工された長野県北佐久郡軽井沢町の新軽井沢駅と群馬県吾妻郡草津町の草津温泉駅を結ぶ鉄道路線。
1915年開業から1962年廃止までの約半世紀運行された。牧水がこの旅をした時は鉄道敷設されたばかりのことで、この鉄道で嬬恋まで乗車した。当時はそこが終点だった。


つづく・・・

く.

by kirakuossan | 2017-08-27 11:28 | 文芸 | Trackback

馬のバリカン

2017年8月27日(日)

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九時過ぎたので、床屋の弟子の微かな疲れと睡気とがふっと青白く鏡にかゝり、室は何だかがらんとしてゐる。
「俺は小さい時分何でも馬のバリカンで刈られたことがあるな。」
「えゝ、ございませう。あのバリカンは今でも中国の方ではみな使って居ります。」
「床屋で?」
「さうです。」
「それははじめて聞いたな。」
「大阪でも前は矢張りあれを使ひました。今でも普通のと半々位でせう。」
「さうかな。」
「お郷国はどちらで居らっしゃいますか。」
「岩手県だ。」
「はあ、やはり前はあいつを使ひましたんですか。」
「いゝや、床屋ぢゃ使はなかったよ。俺は大抵野原で頭を刈って貰ったのだ。」
「はあ、なるほど。あれは原理は普通のと変って居りませんがね。一方の歯しか動かないので。」
「それはさうだらう。両方動いちゃだめだ。」
「えゝ、噛っちまひます。」
「床屋」宮沢賢治



昨晩は久々にクーラーもかけず、窓も締めて心地よく眠れた。もう秋がそこまで来ているのかもしれない。
母が早朝から目ざめて「冬物のオーバーを出してくれ」とかみさんを困らす。

この前から、三好達治、若山牧水、と続いている。今日は宮沢賢治の生誕日だ。






by kirakuossan | 2017-08-27 08:07 | 文芸 | Trackback