2017年 02月 20日 ( 3 )

地銀再編

2017年2月20日(月)

えらいビッグニュースが入ってきたがな!!!

三井住友、関西の2地銀を売却へ…最終調整
2017年02月20日 14時38分:読売新聞
三井住友フィナンシャルグループ(FG)が、傘下の第二地方銀行である関西アーバン銀行(大阪市中央区)とみなと銀行(神戸市中央区)を売却する方向で最終調整に入ったことが分かった。
売却先は、りそなホールディングスが最有力となっており、交渉は大詰めを迎えている。早ければ月内に合意する見通しで、金融グループの系列を超えた地域金融機関の再編が加速することになる。
三井住友FGは関西アーバン銀行の株式の60%、みなと銀の46%(いずれも議決権ベース。昨年3月末)を保有する。複数の関係者によると、りそなは両行に対し株式公開買い付け(TOB)を行うことを視野に三井住友から保有株を取得することを検討している。





しばし無言........もと勤めていた私には、3行の統合は意外な出来事であり、しかも、りそなホールディングスへの売却というのが、どうも心情的にはひっかかる。今後の動向に要注目だが、3行の経営統合がなされれば、預金量約11兆円となり、都銀も含めて全銀行で第10位のボリュームに、地銀では千葉銀行に次いで、第4位となる。関西地区では、約6兆円の京都銀行を抜いてトップになるが・・・

結局は、近畿、兵庫、幸福、関西、阪神、滋賀、京都の相銀7行が一つになったということか。

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今日の株式、関西アーバン銀行1,579円の73円高で年初来高値、しかも値が付かずストップ高。同じくみなと銀行も2438円の228円高でストップ高。一方、りそなホールディングスは629円の2円安。

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by kirakuossan | 2017-02-20 15:46 | 偶感 | Trackback

2月生まれの文学者が多い。

2017年2月20日(月)

今日は志賀直哉の誕生日である。1883年(明治16)だから生誕134年というわけだが、この間から毎日のように著名な小説家や歌人の誕生日が続いている。とくに2月生まれが多いのではないか。まあしかし確率からして12等分しての9名だからそうも多くはないのかもしれないが、でもビッグな名前は2月に揃っている。

二葉亭四迷(3日)井伏鱒二(15日)夏目漱石(9日)森 鷗外(17日)島崎藤村(17日)志賀直哉(20日)石川啄木(20日)高浜虚子(22日)与謝野鉄幹(26日)

ちなみに私と同じ3月生まれはどうか、というと・・・芥川龍之介(1日)有島武郎(4日)和辻哲郎(11日)高村光太郎(13日)樋口一葉(25日)、さらに4月生まれは・・・佐藤春夫(9日)小林秀雄(11日)中原中也(29日)。4月は意外と少ない。こうしてみると2月生まれはやはり多いということか。

d0170835_1446763.jpgところで志賀直哉は城崎温泉との関わり合いがあまりにも印象にあるが、温泉好きであったようで、また療養にも出かけることもあって、結構各地の温泉に出向いている。34歳(大正5年)に山中温泉、38歳別府温泉、40歳草津温泉で療養、43歳で山陰と山口を旅し、恐らくこの界隈の温泉に入っているだろう。49歳には戸倉、小川、和倉、山代の各温泉に、58歳には宇奈月、62歳にまた別府温泉に・・・といったあんばいだ。
信州の温泉には1916年、34歳の8月、湯田中渋温泉郷の一角である上林温泉に暫く滞在している。このことはほとんど知られていないが、間違いないようである。上林温泉は長野県下高井郡山ノ内町にある温泉で、ちょうど渋温泉の上流に位置する。そのさらに奥が猿が入浴することで有名な地獄谷野猿公苑がある。
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上林温泉に滞在した1916年(大正5)は「城の崎にて」「和解」を発表する1年前で、長女慧子が夭折するという悲しい出来事もあった年で、上林、山中の温泉滞在のあと、秋の京都と奈良を訪れている。


沓掛にて
-芥川君のこと-

芥川君とは七年前に七度しか会った事がなく、手紙の往復も三四度あったか、なかったか、未だ友とはいへない関係だったが、互いに好意を持ち合って居た。
七年程前、浅草の活動小屋で初めて芥川君を見た。瀧井孝作君と一緒に来てゐて、私は二間程離れた所に一人で居た。丁度「暗夜行路」といふ小説を大阪毎日の通俗欄の為めに書きかけてゐた時だったが、新聞社の註文は関西の読者は低級だから調子を下し、面白く書いて呉れと云ふやうな事で、それが私には面白くなかったので「改造」の編集員だった瀧井君に若し「改造」に出してくれるなら、その方に出したい、と-その話を私は二人の傍へ行ってした。知らない芥川君のゐる所でそんな話はいやだったが、拘泥するのもいやで、私はその話を簡単にして、直ぐ自分の席へ還った。瀧井君は紹介しようとしなかったので、雑誌の口絵で芥川君とは知ってゐたが、私達は挨拶をしなかった。芥川君が私の作物に好意を持ってゐて呉れる事は朧気に知ってゐて、紹介すればお互いに御辞儀したかも知れなかったが、瀧井君が気軽にさういふ事をする性質でなく、そのまま別れた。~
(昭和2年9月 志賀直哉)



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by kirakuossan | 2017-02-20 13:04 | 文芸 | Trackback

「文学温泉紀行」準備編① 有馬温泉

2017年2月20日(月)

d0170835_1017512.jpg「文学温泉紀行」を3か月後に控えて、そろそろその下調べ準備に入ろうと思う。西の兵庫有馬でスタートして山陽道、山陰道を経て、福井から石川、富山へ入り、新潟に足を伸ばし、そこから南下して群馬に入り、草津で終える。走行距離は相当長くなりそうだ。大津から山口まで600km、山口から敦賀まで700km、敦賀から新潟湯沢まで400km、そこから伊香保、草津温泉経由で蓼科まで300km、ざっと2,000kmには達するだろう。これを14日でこなそうと思えば1日150kmほどになる。ざっと琵琶湖1周ほどに匹敵する、そんなイメージだが、これは毎日だと結構ハードなスケジュールとなる。旅程を3週間と見る方がゆったりと回れそうだ。それでも1日100kmほど走ることになる。だから日によっては200km走り、日によってはほとんど走らない、といったアクセントをつけた行程の方がよさそうだ。また場合によっては湯沢まで足を伸ばさず、上越から南下して草津に入る手もある。これだとだいぶ短縮が図れるはずだ。
せめて各地で温泉2か所は入りたいし、近くの名所も訪れたし・・・となるとこれは相当に綿密に計画を練らなければならない。まあ、これがまた楽しみでもあるのだが。
スタート地点から順次検討して行くと、旅の妙味がいろいろ見えてくるだろう。




第1日
5月18日(木)(予定) 


08:00 自宅出発(京滋バイパス瀬田東IC)
 ⇓(名神・中国道)
09:00 宝塚IC
 ⇓(R176、R51)
10:00 蓬莱峡(10:30)
 ⇓(R51)
10:45 旧船坂小学校(11:00)
 ⇓(R51有馬街道)
11:30 有馬温泉
  • 瑞宝寺公園 温泉寺 有馬本街道(湯本坂)
  • 陶泉御所坊、上大坊(かみおおぼう)、銀の湯の3か所に入浴予定。
当日は有馬口を出て唐櫃(からと)付近で車中泊。(走行距離:90km)




花吹雪兵衛の坊も御所坊も目におかずして空に渦巻く  与謝野晶子

有馬温泉は、
631年に舒明天皇が約 3か月滞在したことが日本書紀に見られ、奈良時代には行基が温泉寺を建立した。中世になって清少納言の枕草子に有馬温泉がでてくる。豊臣秀吉は有馬を愛し何度も訪れ、温泉や周辺の改修も行った。吉川英治谷崎潤一郎も有馬を愛し、谷崎は長期滞在して執筆を行い、作品中にも有馬温泉を度々登場させている。
泉質は湧出場所により異なり、塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄塩化物泉、ラジウムを多く含む放射能泉、そして炭酸を多く含む炭酸水素塩泉の3種類がある。 それぞれ、湧出口では透明だが、空気に触れ着色する含鉄塩化物泉(赤湯)は「金泉」と呼ばれ、 それ以外の透明な温泉は「銀泉」と呼ばれる。

d0170835_10391474.jpg陶泉御所坊(神戸市北区有馬町858)
御所坊は建久二年(1191年)創業。当初、温泉の湯殿の脇に店を構え、「湯口屋」と呼ばれていた。藤原定家の旅日記「明月記」によると、創業まもない承元二年 (1208年)10月、定家が訪れた有馬は貴人でにぎわっており、「湯口屋」には平頼盛の後室が泊っていた。当時の湯口屋は、九条家が湯泉神社とともに運営していたと建武三年(1337年)の九条家政所の注進状に記録されている。
源泉:御所泉源および妬泉源の混合
泉質:含鉄-ナトリウム-塩化物温泉
泉温:79.3℃

上大坊(かみおおぼう)
湯本坂で800年の歴史をほこる。金泉は空気に触れ続けると濁ってしまいます。
当館の温泉は、金泉である天神源泉に最も近い為、濁る前の透明のままで湯に溜めることができます。このことがあり、館に訪れた方が温泉通ということもしばしば。天神源泉含鉄ナトリウム、塩化物強塩高温泉
泉温98.2℃

銀の湯
有馬温泉の源泉の1つとして有名な銀泉と呼ばれる炭酸泉・ラジウム泉を使用している神戸市営の立ち寄り湯。

蓬莱峡
豊臣秀吉が大阪から有馬温泉へ向かうときに通行した道「有馬街道」の難所で、江戸時代の儒学者貝原益軒か著した「有馬山温泉記」にも出てくる。

旧船坂小学校
明治6年に善照寺の本堂を仮校舎にして開校した歴史ある学校だったが、惜しまれつつ2010年3月末に閉校し、137年の歴史を閉じた。最後にランチルームとして使われていた建物は、大正13年に建てられたものが受け継がれている。

瑞宝寺公園
太閤橋・ねね橋から六甲川沿いに上っていった場所にあり坂の上の山門をくぐるとある。兵庫県下でも有数の紅葉の名所。

温泉寺(兵庫県神戸市北区有馬町1643)
奈良時代の頃に薬師如来の導きで有馬温泉を訪れた僧行基が建立した寺。


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by kirakuossan | 2017-02-20 07:26 | 文学温泉紀行 | Trackback