信州新野の盆踊り

2017年2月15日(水)

新野の盆踊り
柳田国男


「踊の会」と行書で三字、斜めに紅く書いた弓張提燈が三つばかり、それから少し離してバケツに清水、白い茶碗を副えて台の上に載せてある。時々踊子が出て来てはこの水を飲むのである。
信州新野の町の盆踊りは、こんな簡単な装置を中心にして、一つの場所をくるくると廻ってあるく輪踊の一種である。輪といっても路幅が狭いゆえに、すぐに小判形になってしまう。県道に指定せられる以前には、まだ左右に若干の空地があり、月何度の市もここに立ったので、今でも市神様の小さなフクラと制札場とが残っているが、常店が盛んになってからそんな広場の必要もなく、両側に人家は町並みいっぱいにのりだして、おまけに小溝が通してあるのだから、踊りのためにはいかにも窮屈になってきた。

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新野と書いて「にいの」と読む。静岡と愛知の県境、信州といってもそんな南端に位置する下伊那郡阿南町の一角にある小さな町である。阿南町はいつも蓼科入りする往きに決まって休憩をとる中央道の阿智サービスエリアからすこし南下したところにある。そこで毎年お盆の8月14日~17日とうら盆にあたる第4土曜日に新野の盆踊りは行われる。そもそもは1529年(享禄2)、瑞光院が建立された時、開山祝いに三河振草村下田の人たちが寺の庭で踊ったのを見た村人たちが、年々盆踊りにここで踊るようにと、始まったとされている。
最初、新野の盆踊りのことを知って、高橋治の小説にも出てくる越中の「おわら風の盆」を想像した。風の盆も静かに一晩中、町流しの盆踊りが繰り広げられる。風の盆は哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどで無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露するものだが、この新野の踊りは、楽器は一切なく、逆にいくつかの限られた唄を唱えながら、東の空が明るくなるまで踊り続ける。


d0170835_15514320.jpg新野の盆踊りの目立った特色は、扇を盛んに使うことと、太鼓その他の楽器類をちっとも用いないことであった。私などは郷里の村では、日が暮れるともうじっとしていられぬような、ドオンドオンという音が始まり、それが夜るの更けるに従って一段と高く響いてくるので、何村ではまだ踊っているとよく年寄りがつぶやくのを聴いたものだが、ここでは人よせの必要などは少しもなく、太鼓はなくとも宵のうちから、町中が踊りになりきって、聴こえるものはただ集ってくる人のざわめきばかり。歌はずいぶん高い声で歌われても、案外に遠くまでは届かぬもので、むしろ家々の常の夕方よりも、森閑としたものであった。しかもそういう静かなる夜色を帯びながら、不思議なくらいに誰も彼も興奮している。~
年をとった人たちはいずれもちとばかり飲んでいる様子である。なるほど輪のできかけにはわずかな決断力が入用らしいが、それから後の成長に至っては何でもない。最初はまず子供連れがどやどやと入ってきたと思うと、それに紛れてもうそちこちに美しい色どりが花などのごとく咲いている。おくれて来たかまたは心のおくれた者が、扇などは深く懐に隠してさも見物のごとき顔をして立っていると、どこの地方でもあるように、前を通る友だちがそれはそれは乱暴に、袖などを持ってぐいと引く。引かれてよろよろとして輪の中へ転げ込んだと思うと、その次の足ではもう笑って踊っているのである。

新野の盆踊りは1529年から始まったとあるから、戦国時代まで遡る。江戸時代からのおわら風の盆よりさらに古いわけだ。

(長野県文学全集より「新野の盆踊り」柳田国男)




d0170835_1685239.jpg民俗学者柳田国男が長野県下伊那郡阿南町の「新野の盆踊り」に感銘を受けたが、新野にはもうひとつ有名なものがある。それは「新野の雪祭り」
新野の伊豆神社の祭りで、毎年1月の13~15日にかけて行われる。
「らんじょう、らんじょう」と叫びながら板壁をたたき、神々の登場を催促すると祭がはじまる。小松明の舟が行き来して大松明に点火される。幸法(さいほう)と茂登喜(もどき)の仕草が特徴で、競馬(きょうまん)が登場し、本当の馬のように振舞う。真っ赤ないでたちの天狗が三体登場し、禰宜と問答する。作り物の馬型を二人で手綱をとって本物の馬に乗ったようにみせる競馬(きょうまん)は、競馬が放った矢を拾うと一年間無病息災で過ごせると言われ、矢をみんなで取り合う。

d0170835_1625322.jpg夏の盆踊りとともに民俗学研究では知らない人のない祭りとされており、こちらは奇しくも柳田国男の高弟折口信夫が53歳のときにこの「新野の雪祭り」を知り、紹介したことで知られている。
阿南町新野は一度訪れたい町である。峠を越えれば、もう愛知県である。


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by kirakuossan | 2017-02-15 13:53 | 文芸 | Trackback

続・指揮者100選☆7 ブロムシュテット

2017年2月15日(水)
d0170835_9215676.jpgサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を1985年から10年間務め、現在は桂冠指揮者にあるヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, スウェーデン 1927~)は今年で90歳になる。ブーレーズが、マリナーが、そしてプレートルの亡き後、いまや世界最高齢の指揮者になった。


もうすこし若い頃の彼をみていると、サンフランシスコ響の同じ地位にあったからでもないだろうが、マイケル・ティルソン=トーマスと雰囲気がとてもよく似ている。スマートで、一見ソフトムードを漂わせるところなどそっくりだ。
ブロムシュテットは恵まれた指揮者活動を今日まで歩んできた。スウェーデン生まれである彼は最初北欧系のノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任、その後、1975年、48歳にして名門シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就く。そこでの10年が彼をスターダムに押し上げたといえるだろう。そしてサンフランシスコ交響楽団を10年、1996年から2年間は北ドイツ放送交響楽団、1998年から7年はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ということで主だったオーケストラを率いて来た。ただ、これだけのキャリアを誇りながら、大巨匠の印象を抱かせないし、N響との度重なる共演にもかかわらずもうひとつ人気を博さないのも不思議な事である。


d0170835_10585477.jpg☆演奏スタイルは・・・
レパートリーは幅広く、ドイツものをはじめ、シベリウスなどの北欧ものからニールセンまでこなす。全般的に中庸の域を出ないような指揮だが、それが堅実でもあり退屈でもある。ただ、演奏によっては一発ハマれば凄い感動を呼びおこすような指揮ぶりも見せる。

☆録音は・・・
シュターツカペレ・ドレスデンとの録音を多く残し、 最古参オケの戦前からの”くすんだ魅力ある音色”を戦後になってもカイルベルト、ケンペ、コンヴィチュニー、マタチッチ、スウィトナー、ザンデルリングと引き継いできたが、彼がその最後の再現者である。

ドヴォルザーク:
交響曲第8番 ト長調 Op. 88, B. 163
シュターツカペレ・ドレスデン - Dresden Staatskapelle
ヘルベルト・ブロムシュテット - Herbert Blomstedt (指揮)

このドヴォルザークなど、ブロムシュテットとドレスデンの相性の良さを忠実に再現した1枚と言える。

☆私見・・・
リハーサルは非常に厳格なことで知られる。逸話として、来日してN響を振った最初の頃、ホルン奏者の演奏が自分の考えと合わず、演奏会ギリギリまで練習させたことがある。彼のこのような徹底した、厳格さが魅力でもあり、反面、煙たがられる要因にもなっているのだろう。

Myライブラリーより・・・
d0170835_10343373.jpgブルックナー:
交響曲第7番 ホ長調
シュターツカペレ・ドレスデン
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
(1980年6月:ルカ教会)
派手さはないが、聴きこめば聴きこむほど味わいが増す演奏である。




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by kirakuossan | 2017-02-15 08:29 | 続・指揮者100選 | Trackback