2022年6月13日(月)
このブログは2010年の6月から始めた。ちょうど蓼科のtuttiが開荘した頃と同時だ。だからブログの標題にも”蓼科偶感”を記した。今日のこの記事で9,485件にのぼる。この下の記事はブログを始めて20番目の記事である。
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2010年6月27日(日)
自宅の楠木の花粉が小木に育ち、石山寺(気楽別館)に植えたら大きく育ってきた。一度枯れかけてあきらめていたが、再度しっかり新芽を出し、3年がたち、この夏にアレヨアレヨという間にここまで成長。自然は逞しい。楽しみだ。
その6年後・・・
2016年7月12日(火)漱石の『坊っちゃん』に出てくる有名なくだりだ。
船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖がってる。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。
「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。ウィリアム・ターナーは英国のロマン主義の著名な画家であるが、
夏目漱石は1900年に、その英国に英語教育法研究のためとして文部省より2年間の留学を命じられる。ロンドン滞在中の2年間では、家賃の高さや大家との契約トラブルなどによって度重なる引越しを経験、「物価高真に生活困難なり十五磅(ポンド)ノ留学費にては窮乏を感ず」と報告してきている。
一方では、人種差別に悩むなどの経験を通して神経衰弱にも陥り、後に著書で「倫敦に住み暮らしたる2年は尤も不愉快の2年なり」と語る。でもそんななか、彼はロンドンの美術館に足を運び、このターナーの『金枝』の画だけはしっかりと観たことは間違いないだろう。だから坊っちゃんは知らなかったが、漱石はよく知っていたのである。
アトリエのは松ではなく
クスノキだが、背丈は随分と伸びてきた。同時に下の枝が枯れていくものだから、曲り具合など、だんだんと”ターナー風”になってきた。
そしてまたその6年後。ここまで立派に成長しました。ちょうど植えてからは15年。