2021年 04月 06日
愛情が沸々と感じ取れる名文章 |
2021年4月6日(火)
昨日は栗をたくさんお送り下されてありがたう存じます。もう山百合も枯れてしまひましたか、林のなかには栗鼠などが枝から枝を伝うてゐますさうで一つ一つの栗を拾うて下すつたあなたや、またあなたを取り巻いて林間に嬉戯してゐたであらう子供たちのことを想像しながら、栗をゆでていただきました。首のまはりの黒く垢づいた子供、補綴だらけの着物につつまれた子供たちを相手に、栗を拾ってゐる若い教育家の姿を描いて、私は小半日縁端に坐ってゐました。
吉田絃二郎(よしだ げんじろう、1886~1956)は、佐賀県神埼郡西郷村に生まれ、幼時に長崎県佐世保市に移る。佐賀工業学校金工科(現在の佐賀県立佐賀工業高等学校機械科)、早稲田大学文学部英文科を卒業。1915年(大正4年)に早大講師、1924年に同大文学部教授となる。教職の傍ら詩や小説を多く執筆した。1934年(昭和9年)に早大を退職し作家活動に専念。小説・随筆・評論・児童文学・戯曲と幅広い分野で執筆した。
昨年7月16日に書いた弊ブログ『小鳥の来る日』を読みたくなって から
「井伏鱒二対談集」(新潮社刊)の中で河盛好蔵が、井伏に尋ねた。「早稲田のときの先生で非常に印象に残っているのは、坪内さんですか。」すると井伏鱒二は、こう答えている。
坪内さん、それから吉田絃二郎さん。たまに随筆を書くと、吉田さんは講義する前に一時間か半時間くらい、その随筆に書いたことをしゃべる。そのおしゃべりがとてもよかった。感激させたですね。あの人は内ケ崎作三郎さんの関係で、副牧師で、「牧師」という小説もあるけれども、牧師をやっていて内ケ崎さんが牧師なものですから、それで早稲田に入れたんですね。僕なんかとても吉田さんの講義が好きだった。
河盛:吉田さんのものは、われわれも中学生時代に愛読しましたね。
井伏:随筆がよかったね。
河盛:新潮社のドル箱だったのでしょう。
井伏:ドル箱だったです、ええ。
河盛:『小鳥の来る日』という随筆集があったですね。
井伏:”なつめの花の散る頃”とかね。
河盛:『小鳥の来る日』は僕も愛読したな。
井伏:その読者が堀辰雄の読者になったわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私はその時恰度ロダンに関する本を拾ひ読みしてゐたのでしたが、その中でロダンが花について語ってゐる言葉を面白いと思って読みました。
「人生を理解する人は誰でも花を愛し、花の無邪気な心づかひを愛する。」「花のすがすがしさを説き明かすことのできるほど純潔な心を持った人間はない。」「花が花弁を落す時は、花は衣を脱いで、大地の上に眠りに行くのであらう。」「花も亦かれ等の日没を持つ。」「私の花束はいつ見ても同じだが、私はつひぞ見飽いたことがない。」
私は君が榛名、小野子、子持の山々の間を縫うて来る吾妻川の畔で、自然の懐にはぐくまれた「静かな、従順な」子供たちを相手に、教鞭を執ってゐられる尊い生活を羨ましいやうな心持で色々に想像して見ました。ロダンが花を愛した心持ちをば、恐らく君は自然の子供たちのうちに見出してゐられるだらうと思ひます。
吉田絃二郎随筆集『小鳥の来る日』から、「郊外に住みて」より
昨日は栗をたくさんお送り下されてありがたう存じます。~
教え子を真に思い、案じ、気に掛ける恩師の心からの愛情が沸々と感じ取れる名文章だと思う。
何度読んでも心温まる。
上の写真:入笠山湿原のエゾリンドウ2017年9月18日撮影
by kirakuossan
| 2021-04-06 06:42
| 文芸
|
Trackback