2020年 06月 09日
クラシック雑記帳 41 二人の天才 |
2020年6月9日(火)
ワーグナー:
シューベルト:
イタリアの指揮者グィード・カンテッリは29歳のとき、アルトゥーロ・トスカニーニの招きでNBC交響楽団を指揮、アメリカデビューを果たした。続いて翌年も同楽団を指揮し成功を収める。トスカニーニはカンテッリ夫人に一通の書簡を送った。
「グィード君の大成功についてあなたに報告できることを心から嬉しく思っています。彼を私のオーケストラに紹介してよかった。楽団員たちも、私と同じように、彼のことが好きになりました。私は長い経歴の中で、これほど才能のある若者に出逢ったことがありません。彼はきっと成功します、この先きっと。」
さらにその翌年の1951年10月、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオでワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収録された。今度はイギリスのフィルハーモニア管弦楽団との演奏で、そこで31歳と30歳の若き演奏家が共演することになる。トスカニーニの後継者と目されたグィード・カンテッリと20世紀最大のホルン奏者のひとりであるデニス・ブレイン。
カンテッリが頭角を現したころ、まだステレオ録音が出回っていなかったこともあって、彼の演奏のほとんどがモノラールで残された。1955年8月に収録されたシューベルトの交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」は数少ないステレオ録音の一つである。もちろんこの時もフィルハーモニア管の首席ホルン奏者であったブレインと共演している。
順風満帆、二人の若者にとって未来は洋々たるものであったはずだ。
ところが、それから1年後にカンテッリが、さらにその翌年にはブレインが、ともに不慮の事故でこの世を去る。カンテッリはニューヨーク・フィルの客演に出向く機上で、ブレインはエディンバラ音楽祭からの帰路に愛車とともに散った。二人とも享年36歳であった。
トスカニーニの手紙の思いは叶わなかった。そしてその時病床にあったトスカニーニにはカンテッリの死は知らされずに2か月あと、後を追うように彼も世を去った。予定されていたカンテッリの公演は、2歳年上のレナード・バーンスタインが代役を務めた。
今年はグィード・カンテッリの生誕100年にあたる。
フィルハーモニア管弦楽団
デニス・ブレイン(ホルン)
グィード・カンテッリ(指揮)
録音: October 1951
フィルハーモニア管弦楽団
グィード・カンテッリ(指揮)
録音: August 1955
by kirakuossan
| 2020-06-09 08:27
| クラシック雑記帳
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