2020年 01月 29日
「ぼくの101曲」 その4 ブルックナー第7番 |
2020年1月29日(水)
シュトゥットガルト放送交響楽団
「ぼくの101曲」 その4
ブルックナー (1824-1896)
交響曲第7番 ホ長調 WAB 107 (1885年稿・A. グートマン改訂版)Symphony No. 7 in E Major, WAB 107 (modified 1885 version, ed. A. Gutmann)
<交響曲>作曲1883年
クラシック音楽史の名著、パウル・ベッカーの「西洋音楽史」(河上徹太郎訳)のなかで、アントン・ブルックナーに関する記述がある。それはベートーヴェンの後継者としてよくブラームスとブルックナーの名が挙げられるが、その二人の対比として述べられている。
ブルックナーはロマン主義音楽の劇的な表現から出発したオルガン風な器楽曲に彼のファンタジーを注ぎ込んで、一群の交響曲と教会音楽とを作曲した。そしてそれらの作品は宗教的音楽の一つの新しい典型を目指しているものであった。
かくて、ブルックナーの出現が齎した最も重要な意味は、頂点に立っていた主観的ロマン主義の手法を、民族的なまた同時に教会的な素朴な宗教的感情の表現に用いた点にあった。今の時勢に当って、彼の作品が一種静寂(quietiv)な感じを与えるというものも以上の理由によるのである。また彼はその傾向上非常に大きな形式を取扱った点で、何よりもブラームスと対照的な立場に立っていた。専ら拡大した様式を追う和声家であった彼は、素質の上からいって圧縮された形式である室内楽には縁遠く、自然交響曲的な形式を追求したのであるが、同時にロマン派の知的心理主義も彼には縁がなかった。ここにブラームスとの第二の著しい差異がある。
何度も書くが、ぼくは、古典派やロマン派の次にマーラーを知った。1番を聴いて驚愕し、5番、4番と進んでいった。そしてある時徐々に熱が醒め、そこでブルックナーを知った。マーラーを知らなかったらブルックナーにも出逢えなかったという思いがとても強い。
ブルックナー音楽の盛り上がりそうで盛り上がらない、頂点を極めそうになっては沈静してしまうというような、どこか煮え切らないところが理解できなかった。ところがある時、カール・シューリヒトの第7番に出逢った。それは懐の深い、実に堂々とした、まるで魂の山嶺を巡り歩くような心地のする音楽。このとき初めてブルックナー音楽に触れることが出来た。
今でも時折聴き返すが、mono録音で決して良い音質ではないが、シュトゥットガルト放送響との53年録音盤。あの信じられないほどの第二楽章のアダージョの美しさ。すっかりシューリヒトのブルックナーの虜になってしまった。これがもしほかの指揮者の演奏であったなら、多分ブルックナーを知らないままに通り過ぎてしまっただろう。
ブルックナーは、40歳ごろからワーグナーに傾倒、さらに1866年にウィーンで耳にしたベートーヴェンの交響曲第9番に強い影響を受ける。そして自分も交響曲の作曲を始めるようになり、66年に第1番、72年に第2番、73年に第3番と書きだしてゆくが、敵対視される批評家なんかもいたりして成功には至らなかった。そして1883年、彼が60歳を前にして書きあげたこの第7番で、ようやく世間の評価を得るようになり成功と名声を勝ち取ることになる。第2楽章の執筆中に敬愛してきたワーグナーが亡くなり、このアダージョをワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。
Stuttgart Radio Symphony Orchestra
カール・シューリヒト
Carl Schuricht (指揮)
録音:1953年
by kirakuossan
| 2020-01-29 21:23
| 「ぼくの101曲」
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