2020年 01月 27日
マーラーの音楽が好まれるわけ |
2020年1月27日(月)
音楽評論家で最近よく読む人に片山杜秀がいる。この人は「近代日本の右翼思想」なる著書を出すぐらいで、本来思想史家なのであって音楽が専門ではない。そこらあたりの微妙な感覚が読む者に、より新鮮さを与えるのだろう。

この人がマーラーのことを著書「クラシックの核心」で的確に面白く書いている。
交響曲というのはハイドン、ベートーヴェン以来、秩序の表象でしょう。それなのにマーラーは交響曲を名のりながら無秩序。おまけに馬鹿に長い。ゆえに前時代では「異端的」だとか「病的」といわれました。ところがマーラーが世を去ったあと、現代人の精神はどんどんまとまりがなくなって秩序や規範を喪失していった。宗教も伝統的倫理も機能しなくなっていった。アノミーというやつですね。中心を失って、あらゆる方向に関心が広がって、まとまらない。見通せない。価値観が多様化する。ひとりの人間の中でも分裂している。二十世紀後半にはそういう人間像が当たり前になってくる。マーラーとぴたっと合ってくるわけですよ。おかしい奴だったマーラーが普通になってしまった。それでみんなが聴くようになった。そういうマーラーの特徴はやっぱり高解像度での鑑賞を伴ってはじめて理解される。精神的には規範喪失、経済的には豊かさ、テクノリジー的には録音再生技術の進歩。これらが組み合わさってマーラーが現代的だということになった。あと、長いから暇もないといけない。余暇の増大もマーラー受容には必要です。
読んでいてさらに感銘を受け、嬉しかったのはマーラー音楽を聴くならどの指揮者がいいか?という所。ここでこの人は、山田一雄とそれに珍しくもアブラヴァネルを挙げている。自分の思いとあまりにもピタリと合致してくるとこれほど愉快なことはない。自己満足ではありますが・・・
私はモーリス・アブラヴァネルの指揮するユタ交響楽団の昔懐かしい全集にかつてはずいぶん親しみましたね。今でもときおり聴きますよ。ヴァンガードというマイナー・レーベルから出たものです。ユタ交響楽団は、モルモン教の聖地、ユタ州ソルテイク・シティのオーケストラでして、アブラヴァネルは長いこと常任指揮者でした。ドイツからナチスを避けてアメリカに亡命したユダヤ人です。クルト・ヴァイルと密接な関係にあった。マーラーの精神をよく分かっていました。といっても、マーラーの音楽のような激しく分裂する狂気をはらんだ指揮者ではまったくないんです。「ちゃらんぽらん」ということなんですが、ある種のノンシャランな明るさ、そう、クルト・ヴァイルのライトな感覚をもって、マーラーを指揮する。人によっては「オケもヘボい」などといわれてしまうのですが、まあ実際そうかもしれないけれど、私にとっては非常に親しみやすいマーラーです。
とここまで書いてきて、ふっと思い出した。この本は前にも同じように図書館から借りてきて読んだことがある。それに読書後の思いをすでに記事にしているではないか。
で、ここからはarchive
archive
クラシックの核心とは |
もう一つあった。
指揮者100選☆99 アブラヴァネル | 2016年9月22日(木) |
by kirakuossan
| 2020-01-27 09:27
| クラシック
|
Trackback