2020年 01月 13日
「ぼくの101曲」 その1 ベートーヴェン第5番 |
2020年1月13日(月)
クラシック音楽を聴き続けて50年。楽譜が読めなければ、楽器も何ひとつ弾けない。でも聴くことだけは人一倍大好きだ。そんなぼくが、生意気にも「ぼくの101曲」を綴ってみようと思う。
交響曲にはじまり、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、オペラ・歌曲、すべてのジャンルに挑戦してみよう。人が何と言おうが、どれもぼくが心底好きな曲ばかりを並べるつもりだ。
曲の選定順はアトランダムとして、その時々の話の流れや関連でリレーし続けていこうと思う。それぞれのその曲にまつわる思い出話、”思い出の演奏”そして”推奨の演奏”も併せて書きたい。
はたしてどんな「ぼくの101曲」になるのやら。
「ぼくの101曲」 その1
ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67
Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67
<交響曲>作曲年1808年 クラシック音楽は正直退屈なもので、長時間黙って聴き通すには、一種修行僧のような忍耐力が必要である。もちろんそれもその作品の出来不出来で大きく左右する。その点、ベートーヴェンの交響曲第5番は彼が絶対音楽を可能まで追求して書き上げただけに、一瞬の隙もないほど完璧に仕上がっていて、苦痛どころか衝撃・荘厳・興奮・感動の連続で、全曲通して35分前後ほどだが、ダダダダ~ンから始って気がつけばあっという間に(彼の交響曲の中では唯一だが)ジャーンとフェルマータの音で終わる。いいかえれば、聴き手にとって退屈な、ウトウトするような、そんな暇を一切与えないのだ。
この曲を「運命」と名付ける習慣は日本だけらしい。そんな親しみを持って、クラシックファンでなくとも、誰もがこの曲だけは知っているということだが、如何せん、あまりにも有名すぎて、聴きすぎてついつい食傷気味になることもある。ところがその先、ある日突然、この曲の本質らしきものが感じ取られ、深い感動に酔いしれ、もうこれ以上の曲はほかにはないということになるのである。
ぼくにそのきっかけとなる演奏を聴かせてくれたのがカール・シューリヒトがパリ音楽院管弦楽団と1957年から58年にかけて録音したベートーヴェン交響曲全集のなかの「運命」。モノラル録音で決して聴きやすい音ではないが、音楽の神髄は十二分に伝わってくる。いかにもシューリヒトらしい30分の軽快なスピード演奏、これを耳にして、ぼくの心の中で「運命」は蘇ったし、シューリヒトとの「運命」的な最初の出会いでもあった。 それほどに日本では人気のある「運命」であるのに、不思議と生演奏で聴いた記憶はほとんどない。思い起こすのは1973年11月カラヤン来日の際、フェスティバルホールで聴いた「運命」ぐらいである。でも、前にも書いたがこの演奏が意外にも想像していたほどの感動を受けなかった。その年の春、先に聴いたアバドやムラヴィンスキーの衝撃があまりにも大きすぎたのか、カラヤン、カラヤンで音楽どころではなかったのか、今でも不思議なくらい期待外れであった。
「運命」のどの楽章も甲乙つけ難く好きだが、ある日、第二楽章を聴いていてはっとしたことがある。ヴィオラとチェロで奏でられる第1主題が終わって、やがて木管、続いて金管で歌われる力強い第2主題に入るや否や、「あッ、これ大商の校歌やないか!!」と、母校の校歌の冒頭部分にまるでそっくりなのだ。どちらが真似たかは知らないが、あまりにも似すぎている。
「運命の動機」はベートーヴェンの弟子のカール・ツェルニーによれば、キアオジという鳥のさえずりがヒントだという。一方で、音楽家でありベートーヴェンの伝記を著したアントン・シントラーによるとこうある。
作曲家はこの作品の深みを理解する手助けとなる言葉を与えてくれた。ある日、著者の前で第1楽章の楽譜の冒頭を指差して、「このようにして運命は扉を開くのだ」という言葉をもってこの作品の真髄を説明して見せた。
ここでふと気づいたが、「運命」が演奏会で意外と聴かないのは、この曲の持つ演奏時間にあると思われた。それはあまりにも大曲なので当然後半の締めのプログラムに持ってくるのだが、大曲にしては演奏時間が短すぎる。かといって前半の前座に演奏するにはあまりにも勿体ない・・・といったようなそんな悩ましい事情があるのではなかろうかと。そういえば、カラヤンのときも前半に40分以上ゆうに擁する「田園」があって、後半プロが30分余りの「運命」だった。この二曲なら先に「運命」が来て、締めが「田園」というわけにはいかないだろう。まあいずれにしても古今東西数えきれないほどあるクラシックの名曲の中で、完成度においてこの「運命」を凌駕する曲はほかには見当たらない。そんなわけでまずこのシリーズの一番最初に持ってきた次第。
ところでここで「運命」の推奨盤ということだが、これはもう録音の数があまりにも多すぎて選ぶのに困ってしまう。で、名演であってもモノ録音はまず除外ということで、フルトヴェングラーやトスカニーニ、先ほどのシューリヒトはまず置いておいて選んでみよう。
隠れた名盤と信じて疑わないのがハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やアンドレ・クリュイタンスがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した演奏、それにショルティ盤、クレンペラー盤、フリッチャイ盤などなど。
そのなかでやはり挙げたのがカルロス・クライバー指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏。もうこれはこれは”非の打ち所がない”それこそ完成度NO1の「運命」に相応しい完璧な演奏なのである。 - Vienna Philharmonic Orchestra
カルロス・クライバー - Carlos Kleiber (指揮)
録音: April 1974, Musikvereinssaal, Vienna, Austria
by kirakuossan
| 2020-01-13 10:00
| 「ぼくの101曲」
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