2019年 09月 23日
マーラーは苦しいから笑いが必要だったのだ。 |
2019年9月23日(月)
彼岸花とはよく言ったもので、ニ三日前からチラホラ咲き出し、今日は田んぼの淵に赤く連なった。
《少年の不思議な角笛》にはおもしろい歌が幾つもある。その中から、「ラインの小さな言い伝えRheinlegendchen」を。
草を刈る、今日はネッカーのほとり
草を刈る、今日はラインのほとり
今度は好い人と一緒
今度はたったひとり
草を刈るとて
鎌が切れなきゃ、話にならず
好い人だって
一緒にいなきゃ、話にならない
だから草刈り稼業に精を出す
ネッカーのほとり、ラインのほとり
いっそ、私の金指環
河の流れにほりこもう
この詩を読み、この曲をきくと思い出すことがある。戦争が終わって十年ほど経ったころ、私は南ドイツの黒い森地方の小都市、ドナウエッシンゲンで毎年開催されていた国際現代音楽祭に参加したことがある。このまちは古い由緒ある、しかしごく小さい公国だったところで、そこの旧領主の公爵が南西ドイツ放送局と共同で音楽祭を開いていたのである。~
打ち上げの夜は殿様の豪華で陽気な大広間で、立食だが、優雅にして申し分ない御馳走のたっぷり出たパーティが開かれたのだった。~
どうしたいきさつだったか、私はその殿様の居城の片隅の小さな部屋に寝泊まりするよう割当てられ―といってもニ三泊のことだー、ひるまの音楽のない時は、そのお城のあたりを歩き廻っていた。広い庭を横切ったさきの小さい森に迷いこんだら、そこに一つの古びた井戸が目に入った。小さな枠のついた石造りの構造物の上から覗きこむと、底から水が滾々と湧いてきているのが見える。手で掬って飲んでみると、腹の底まで冷たくなるような清冽さで、うまかった。
あとで、パーティで会った人にその話をしたら、その井戸こそ、音に名高いドナウ河の発端たる湧水の源であり、ドナウエッシンゲンの名のよってくる所以はそこにあるとのことだった。私が手ですくったあの一脈の湧水が流れ流れて中央ヨーロッパを東に向かって横断し、あの<美しき青きドナウ河>として広々と拡がる大河になるのだと知った時は、何ともいえぬ気持がした。そのドナウなら、私もウィーンの中央の大橋に立って、心ゆくまで眺めたことがある。いかにも大陸の大河の風格を具えた流れ。「青く」はなかったが。
子供の魔法の角笛
No. 7. Rheinlegendchenモーリーン・フォレスター(コントラルト)ハインツ・レーフス
ウィーン交響楽団
フェリックス・プロハスカ(指揮)
「ラインの小さな言い伝えRheinlegendchen」
この歌には、甘いだけでなく、何かキツイ強いものも含まれているのだけれど、全体としては、柔らかな音の流れがある。
今、思い出していると、暗い戦時下の毎日の中で、ここだけ心を安らげ、慰める力を秘めた薄明りの射す一隅になっているようなものである。キツイといい、甘く柔らかいといい、その両面をもちながら、これは優しい歌の一つなのである。~
マーラーは一方では、「ラインの・・・」のような小さな恋の歌だとか、「パドヴァのアントニウスの魚説法」みたいなユーモラスで、かつ辛辣な皮肉を含んだ歌を、のびのびと楽しみながら作っていた人である。
マーラーは苦しいから笑いが必要だったのだ、といってもいいだろう。こう書くと、いかにもロマン主義的芸術家の話みたいになり、だからこそアドルノはそれを打ち消そうと躍起となっていたのだが、マーラーの肖像からロマン主義の陰を全く拭いとるのは不可能だろう。それを身近で知っていたリヒャルト・シュトラウスは「交響曲を書くたびに今にも世界が没落するみたいなことを言う男の気が知れない」みたいなことを言っていた。
吉田秀和著四部作『永遠の故郷/真昼』より
ライン川は北海に注ぎ、ドナウ川は黒海に注ぐので、この2つの泉の水が出会うことはない。同じく近辺にはいくつかの小さな支流の川が流れ、その源泉が湧き出ているが、一方はライン川に注ぎ、一方はドナウ川に注ぐ。これらの境界はヨーロッパの分水嶺と呼ばれている。
今日9月23日は吉田秀和の生誕106年である。
by kirakuossan
| 2019-09-23 08:32
| クラシック
|
Trackback