2019年 04月 06日
梅花謌卅二首并序 |
2019年4月6日(土)
天平2年は西暦730年、 令月とは、何事をするにもよい月、めでたい月とされ陰暦2月の異称。正月13日は今でいうおおよそ2月おわりころか。長官とは大宰府長官大伴旅人であり、序の筆者は旅人本人。
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 主人
なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒に染みなむ 旅人
天平二年正月十三日に、長官の旅人宅に集まって宴会を開いた。時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。のみならずあげ方の山頂には雲が動き、松は薄絹のような雲をかずいてきぬがさを傾ける風情を示し、山のくぼみには霧がわだかまって、鳥は薄霧にこめられては林にまよい鳴いている。庭には新たに蝶の姿を見かけ、空には年をこした雁が飛び去ろうとしている。ここに天をきぬがさとし地を座として、人びとは膝を近づけて酒杯をくみかわしている。すでに一座はことばをかけ合う必要もなく睦み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。淡々とそれぞれが心のおもむくままに振舞い、快くおのおのがみち足りている。この心中を、筆にするのでなければ、どうしていい現わしえよう。中国でも多く落梅の詩篇がある。古今異るはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。
中西進訳「万葉集」全訳(四季社刊)より
主人(あるじ)とあるこの歌は、旅人の居宅で催されたこの梅花宴で本人が詠んだもの。日本の現代では花見と言えば桜ということだが、その昔は梅を鑑賞するのが花見であった。中国は昔からそのようである。
ところで、旅人という人はかなりの酒好きだったようで、いっそうのこと”酒壺”にでもなりたいといった歌まである。
by kirakuossan
| 2019-04-06 14:47
| 文芸
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