2018年 12月 05日
藤村の最後の試み その3 |
2018年12月5日(水)
木曾神坂村萬福寺の松雲和尚が廻國の旅を思ひ立って来て、長崎の港に出たのは明治二十九年である。かねて用意して来た廻國帳には神坂村字馬籠にある寺の前住職なることをことわってあり、宗旨は臨済宗、本山は京都妙心寺として身元を明かしたものを所持して来てゐる。その帳簿のはじめにも記してあるやうに、行く先に辿り着いた寺院なり在家有志の許なりで晝は中食、夜は一宿を願って見ることにし、それの叶はないところでは木賃宿にも泊って、そんな風にしてこの廻國の旅を続けて来た。~
松雲和尚がこの旅に来た頃は最早七十の歳を迎へてゐた。尤も、その年齢になってこんな諸国神社仏閣の参拝を思ひ立って来るまでに、和尚には長い支度があり、前の年にはすでに遍歴を始めてゐて、その一部の廻國をすますまでに、あるひは徒歩、あるひは汽車、あるひは人力車や船で、それに逗留したところどころの日数を入れると都合二百十三日程を費やした。
70歳を越えた木曾神坂村の前住職、まさしく藤村自身を投影しているものと考えられるが、そんな松雲和尚は九州長崎まで足をのばし、長崎では大喜庵の方丈をはじめ寺の人々の好意により数日滞在することになる。長崎に来るまでに、京都、近江路、大和路、紀州路から四国へかけて旅を済ませたとあり、そして長崎より熊本、鹿児島へと廻り、それを終えると、もう一度東京の空を望み得るなら、諸国神社仏閣参拝の思い立ちも目的の半ばを果たすこととなる。
そして、前回にも世話になった東京芝口の旅館両國屋の亭主多吉に上京通知の便りを出す。
前年の冬に起った馬籠の大火の委しい消息を多吉の許へもたらして来たのも、この松雲である。馬籠は恵那山麓の風当りの強い位置にあるところから、往時の宿場時代にもしばしば火災に苦しめられた話は古老の口に残ってゐる。そんな土地柄で火を失してはたまらない。それ火事だと言ひ騒ぐ頃には、火の手はすでに町の中央に揚り、見る見る上町の方へ延焼して、目貫きの場所にあった舊本陣をはじめ、伏見屋、梅屋、問屋、枡田屋、蓬莱屋なぞの居宅は残らず焼失した。~
「して見ると、火元はやはり宿屋でしたか。ですから、宿屋家業をするものには火が一番怖い。和尚さまの前ですが、わたしなぞは毎晩夜中に起きまして、自分で家中を一廻りしないうちは、よく眠れません」
と多吉は今更のやうに言ふ。
兎にも角にも、馬籠峠の上のやうなところに古驛の俤をとどめて、東西交通の要路に当ってゐた宿場の跡も、この大火のために形を変えるやうになって行った。維新前まで親代々からの家柄として脇本陣、年寄役、問屋なぞの宿役人を勤め、村でも旦那衆として立てられた舊家の人達の没落は最早掩ひ隠すべくもない。今後の郷里に来るものは、全く山の上の農村時代であるであらう。それにしても松雲と多吉との二人は言ひ合わせたやうに、あの十八代と続いて大家族の住んだといふ舊本陣青山家の屋敷跡がこの火災で罹ったのは惜しいといふ話に落ちて行った。~
「東方の門」の第三章五にいたり、
日清戦役が来た。この戦役が来て見ると、維新以来の明治の舞臺も漸く一転しかけて来た。明治初年にあれほどの全盛を誇った平田一門の人達にしても、その後各自の生涯に特別な時代を迎へながら、あるひは不幸にも学業半ばにして挫折し、あるひはすでに追々とこの世を去ってゐた。過ぐる二十余年の間、人間精神の動揺もはなはだしく、まだまだ暗いところにあったこの國のもののたましひは、しきりに物を探しはじめた。一時は目立たないところに潜んでゐたまことの武士の道といふものがもう一度見直さるるやうな日を迎へたのもこの戦後であった。會ては法然起り、親鸞起り、道元起り、日蓮もまた起った時代のことがもう一度振り返って見らるるやうに成ったのもこの戦後だ。いかに日本が歴史的な転回を持たねばならなかったほどの容易ならぬ時機を通過したとは言へ、時代のものの性格を形造った腰骨の強さはまた各方面に顧はるる気運に向って来た。
松雲が東京に来て聞きつけたのも、この時代の跫音である。和尚が耳にした狭い範囲だけでも、
(昭和一八年八月二一日午前九時擱筆)
島崎藤村が、第二次大戦後に書こうとしていたことを、急遽、戦中の18年に書き始めたのは、巻頭の「東方の門を出すに就いて」でも自らが語るように、「いささか自分でも感ずるところあって、かく戦時の空気の中でこの稿を起すことにした」で告白しているが、それは、どんな結果になるにしろ、古来からの日本の素晴らしさを愛し、どこまでも日本人特有の腰骨の強さを忘れぬことをあえて言いたかったのではないだろうか、それとも、自らの生の終着が近づいているのをうすうす感じとっていたのかも知れない。
松雲が東京に来て聞きつけたのも、この時代の跫音である。和尚が耳にした狭い範囲だけでも、
と、書き終えたところで、
「涼しい風だね...涼しい風だね...」と二言つぶやき、大磯の書斎で深い眠りについた。
未完・「東方の門」
by kirakuossan
| 2018-12-05 13:47
| 文芸
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