ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

「敗れても 敗れても」

2018年6月11日(月)

ここに小磯良平が描いた一人の人物がいる。島田叡。戦場の知事と呼ばれた第27代沖縄県知事である。
就任の第一声を受けて沖縄県庁の職員たちはみな感激した。


d0170835_08435992.jpg「情勢は、非常に緊迫しております。これは壁に向かって駿馬を駆り、そのまま突っ込んでいるようなものです。果たしてうまく壁のところで止まるか、それとも壁にそのままぶち当って人馬ともに斃れるか。そういう真に緊迫した状態にあります。諸君も、そういう気持ちを忘れずにやっていただきたい」
新しい若き知事は、なんとも不思議な譬えをする人物だった。だが、この人となら一緒にやれる。多くの職員にそんな勇気をもたらしたのは確かだった。
(この知事は、前の知事とは違う・・・)


米軍の攻撃が迫っている沖縄で、陣頭指揮どころか知事公舎の防空壕に籠りきりになり、はては県民を見捨てて本土へ逃げ帰った泉前任知事に代わって、急遽あとを任された島田叡(1901~1945)は、赴任するやいなや、限られた時間内で着々と県民のために尽くした。県民の沖縄北部への疎開を推し進め、あるいは敵の兵糧攻めにあうことを危惧し、海上の治安が危ういなかを台湾まで出向き、米を確保した。
米軍が沖縄本島に上陸するまでわずか2か月、そこでの島田がおこなった県政はいまも語り草となっている。
そして、1945年(昭和50)6月、沖縄最後の官選知事島田叡は、信頼する沖縄県警察部長の荒井退造とともに摩文仁の激戦地で消息を絶った。

島田叡が沖縄県知事の職を引き受けた心情は、彼の座右の銘でもある石川啄木の歌にある。


こころよく 我にはたらく 仕事あれ
それを仕遂げて
死なむと思ふ



島田は学生時代、東京帝大野球部で俊足巧打の外野手として鳴らした名選手だった。野球部のために高等文官試験の受験を一年棒に振るという自己犠牲を示した人物でもある。


門田隆将「敗れても 敗れても ~東大野球部百年の奮戦」





【新聞に喝!】
「活動家」になり果てた2紙の新聞記者 その使命は「煽情記事」を書くことか 
作家・ジャーナリスト 門田隆将
2018.6.3 06:56 産経

このネット記事を読み、ノンフィクション作家門田隆将(1958~)の存在を初めて知った。『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社2003年)でデビュー、その後、戦時下の様子を書いた作品や福島原発を題材に取った『「吉田調書」を読み解く―朝日誤報事件と現場の真実』(PHP研究所2014年)またほかに多くの野球もの小説も書いて来た。

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最初に読んだ『神宮の奇跡』がたいへん面白かったこともあって、続く2冊目は先月発刊されたばかりの新刊『敗れても 敗れても ~東大野球部百年の奮戦』を手にしている。どちらも僕の好きな「大学野球」が題材になっていて、スラスラと読み進められる。




by kirakuossan | 2018-06-11 19:00 | 文芸 | Trackback
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信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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