ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

「神宮の奇跡」 ④

2018年6月8日(金)

1952年(昭和27)の春、学習院大学野球部は入れ替え戦で國學院大學を破り、悲願の東都野球リーグ1部入りを果たす。それから6年、苦戦しながらも一部に留まり、ようやく優勝候補チームにも勝利するほどの実力を蓄えるようになる。ところが1958年(昭和33)の春季リーグ、優勝候補の日本大学、中央大学から3勝を挙げる好スタートを切ったにもかかわらず、結局このシーズンはこの3勝だけにとどまり9敗して勝点1で最下位という思いがけない結果となってしまった。
入替え戦の相手は調子の波に乗る芝浦工業大学。学習院大学は初戦をエース井元俊秀の先発で臨むも2-4と落とす。続く2回戦は1年生投手の角原佑一、3年生の井元俊秀、最上級生の根立光夫の継投で3-1でどうにか勝利し、いよいよ雌雄を決する3回戦、場所を駒沢球場に移して行われた。この試合も井元が先発、3回から根立にスイッチ、緊迫した投手戦で0-0のまま延長戦へ。ところが10回で突如試合は終了となる。それはこの後、同球場でプロ野球の試合があるため、時間切れ引分けになったのだ。
1勝1敗1引分けのあと、4回戦が6月17日同じく駒沢球場でプレーボールとなった。学習院大学の先発は2年生の秋山正、しかしその作戦は裏目に出て、1回裏からピンチを迎え、早くも4年生の根立をマウンドに送った。しかし初回から3点を奪われ苦しい展開に。すかさず2回に学習院も2点を返し、食い下がる。ただこの時、二塁ランナーで一気にホームへ突っ込んだ根立投手がベースタッチした際に右指の爪が剥がれてしまう・・・
根立は「自分の代でチームを2部に降格させるわけにはいかない、一部に引き上げてくれた草刈先輩に申し訳ない」といった思いつめた心境で、ボールは血に染まりながらも、痛みをこらえて投球する。しかしさすがに球威は落ち、3回に2点を追加され、2-5と劣勢に。しかし次の4回に学習院は2点を取り返し4-5と追いすがる。そして7回に、相手投手の乱調に加え、学習院の打線にさらに火がつき、7-5と逆転に成功した。しかしその裏、芝浦工大の粘りに1点差に詰め寄られ、ここで根立から井元へスイッチした。いよいよ試合は死闘の様相を呈してきた。

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ブルペンにいた井元は、根立の負傷を知らなかった。一年先輩で、温厚な根立を井元は尊敬していた。偉ぶるところが微塵もなく、ただ黙々と練習に打ち込む根立の姿は、一年下の井元の目標となっていた。
その根立が降板した。一点差。ランナーを二人残して自分に命運が託された。
やるしかない。井元は覚悟を決めた。
負ければ地獄。二部落ちである。
井元は、ストライクゾーンのぎりぎりを突くコーナーワークが身上だ、だが、相手も井元の配球は、先刻承知している。
バッターは当っている五番の伊藤だった。今日、すでに三安打している。
芝工大で最も危ない打者である。だが、勝負を避けて四球を与えてしまえば、満塁になる。六番の景山もこの試合すでに二安打四打点を上げて絶好調だ。
満塁で景山と勝負となったら、どうなるかわからない。
行くしかない。伊藤と勝負だ。井元はそう思った。
だが、伊藤は選球眼がいい。なかなか、くさい球に手を出してくれない。
外角を見極められ、ついにフルカウントになってしまった。ここでフォアボールは致命傷である。
内野から声が飛ぶ。
「打たせろ!俺たちに任せろ!」
田辺の声だった。
ファーストの江野沢からも声が聞こえる。
「大丈夫だ。思いっきり投げろ!」
サードの穴沢からは「PL!]という叱咤が聞こえた。
「PL!大丈夫だ。思い切って行け!」
そうだ。思いきり行くしかない。信じられるのは、自分の力だけだ。ここは投げるしかない。
外角のストレート。
これしかない。フルカウントから甘い球は投げられない。
渾身の力を込めてこれを投げよう。この球が打たれたら悔いはない。真っ向から勝負だ。
井元はそう思った。果たして、小幡が出したサインは、「外角ストレート」だった。
その球を半世紀経った今でも井元は忘れることができない。
井元のサイドハンドから放たれたスピードボールは、外角ぎりぎりに構えた小幡のキャッチャーミットに、糸を引くように吸い込まれた。
バッターは手が出なかった。ボールと思って見送ったのか。それとも・・・。
それは、どちらにジャッジされてもおかしくないボールだった。
「ストライク!」
一瞬の沈黙の後、高見球審の手が上がった。
どっというどよめきが起こった。
「あれは、大学時代に僕が投げた球で最高の球でした。いや人生で一番の球でした。あれ以上のボールを僕は野球人生で投げていません」
井元は、七十歳を越えた今も、その球のようすを生き生きと再現する。年月を経ても、その時のボールの軌道が頭から離れないのである。
それはまさに「人生最高の球」だった。
土壇場で発揮された勝負強さ。それは修羅場をくぐって来た男の強さ以外の何ものでもなかった。

門田隆将著「神宮の奇跡」




結局、学習院大学は8-6で勝利し、一部に残留した。井元俊秀投手の投げたその球が学習院を救った。もしここで負けていたら、学習院のあの秋の奇跡は起こらなかった。


つづく・・・



by kirakuossan | 2018-06-08 21:53 | 文芸 | Trackback
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信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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