ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

「神宮の奇跡」 ⓶

2018年6月5日(火)

東都大学野球連盟の前身は1931年(昭和6)に中央大学、日本大学、専修大学、國學院大學、東京農業大学の新五大学野球連盟として創立された。
その5年後に 東京商科大学(現一橋大学)が加わり、東都大学野球連盟が誕生する。さらに1940年には上智大学、東京工業大学、東洋大学ら5大学が加わり2部制と入れ替え戦を施行することになる。東都の入れ替え戦は戦前から存在したのであるが、それは東京六大学や今の関西学生野球の6校固定制とは一線を画するところである。そして戦後になってから、 駒澤大学、大正大学、紅陵大学(現拓殖大学)につづき、1950年(昭和25)秋から学習院大学が二部に加盟することになる。学習院大は翌年春には早くも2部リーグ優勝、秋にも連覇して一部との入れ替え戦に臨む。春秋どちらも相手は國學院大であったがエース永田芳彦投手が奮闘するもいずれも敗退して上部リーグには昇格できなかった。



翌昭和二十七年春季リーグ戦で、またも優勝を遂げた学習院は、三たび國學院大學との入れ替え戦に臨んだ。
第一戦の先発マウンドに立ったのは、四年生の永田ではなく、一年生の草刈である。前年の入れ替え戦にすべて先発して完投した永田に代わって、学習院は若い力、草刈をこの闘いのマウンドに送ったのである。



明仁(今上天皇)の家庭教師であったヴァイニング夫人が、「殿下が一人ではないほうがよい」という判断から、家庭教師を一緒に受ける学友が選ばれた。一人は元台湾総督の明石元二郎の孫にあたる明石元紹、そしてもう一人は一般人の子息である草刈廣、彼がこの一年生投手草刈である。
第一戦は草刈のケレン味ない投球が相手打線を抑え込み、8-1で快勝した。そして一部昇格まであと1勝とし、学習院ナインは6月20日に神宮球場に乗りこんだ。ここで親友の声援に明仁(今上天皇)も駆けつける。
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先発は、四年生の永田、四回からリリーフした草刈とのリレーで、これまた七対二の快勝、ついに学習院は、悲願の「一部入り」を果たすのである。
皇太子の応援で硬くなったのは、むしろ國學院の方だった。皇太子が応援席にやってくるや、それまで飛んでいた野次が影をひそめ、急におとなしくなってしまったのだ。
草刈のシュートとカーブがコーナーにびしびし決まり、反撃の狼煙を上げることなく、國學院は敗れ去った。
こうして、明仁は学習院野球部の「栄光の時代」が始まる目撃者となるのである。永田の卒業後、学習院大学野球部を引っ張っていくのは、草刈である。
草刈は、四年間で東都一部リーグ二十三勝(三十四敗)という戦績を残している。

門田隆将著「神宮の奇跡」


つづく・・・



by kirakuossan | 2018-06-05 20:46 | 文芸 | Trackback
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信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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