2018年 05月 27日
風見鶏、鳳凰が如くに舞う。 |
2018年5月27日(日)
昔、大津の中心街の京町通りにある借家に高校3年生まで住んでいたが、当時のことで今でも不思議と覚えているのは、あとにも先にも人生でたった一度だけの体験となる選挙の立ち合い演説会に出向いたことだ。京町にある大津別院で夕刻から行われた。それは1967年1月に行われた第31回衆議院議員総選挙に滋賀県全県区から堤康次郎の後継者として初立候補した山下元利の演説会だった。そのとき山下氏は広島国税局長を退任した直後で、当選は間違いないということで大物政治家が滋賀県から出るとの評判がたった。またこの話には伏線があって、立候補の直前に、高校の友達だった梅津君が借家を南隣に変るということになった。彼の家はよく遊びに行ったので覚えているが借家と言っても、たいそう立派な大正風の建物で、ステンドグラスの出窓かなんかがあるような洒落た洋館だった。実はそこへ今度広島からやってくる国の偉いさんが住む事になったので、自分らは引っ越しをせざるを得なくなった、とか言っていたのを妙に覚えている。その国の偉いさんが山下元利だったのだ。ちょうど国税庁を退官し、次の衆議院議員総選挙に立候補するために事前準備として、まず滋賀での居宅を確保したのだろう。山下元利(1921~1994)は東京帝国大学法学部政治学科卒で大蔵省出身ということで、滋賀では選挙前から評判が立ち、高校3年だった自分も、いったいどんな人物だろうかと実際に本人を見て、じかに話を聞きに行きたくなったぐらいである。この選挙では宇野宗佑につぎ2位で初当選を果たした。
ところが話はここからが本題。じつはその夜の立会演説会で応援の弁士に、末は総理大臣間違いなしの超大物若手政治家がやって来ると知らされていた。実際のところみな本心はその大物代議士見たさに狭い境内は夕暮から超満員となった。
その人こそが、中曽根 康弘(1918~)氏であった。この人も同じ東京帝国大学法学部政治学科卒業で、山下の3年先輩にあたる。このとき中曽根49歳、山下46歳、でも政治経験は1947年の第23回衆議院議員総選挙で初当選というから、政治ではすでに大先輩にあたるわけだ。その夜の演説は、とにかく人心を惹きつけるような話しぶりだった。中身は難しすぎてまったく覚えていないが、とにかく強烈な印象だけはいまだに残っている。中曽根氏はその後、衆議院議員連続20回当選(1947年 - 2003年)し、確かに総理大臣にまで登りつめた。
今日、100歳を迎えられたそうで、おめでとうございます。
風見鶏、鳳凰が如くに舞う。
by kirakuossan
| 2018-05-27 18:12
| 偶感
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