気楽おっさんの蓼科偶感

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2018年 03月 26日

春暁

2018年3月26日(月)


d0170835_08090116.jpg春暁

春 眠 不 覚 暁
処 処 聞 啼 鳥
夜 来 風 雨 声
花 落 知 多 少

春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少

孟浩然




最近、魯迅の短編小説を知って、少なからず感動している。読み終えるとなぜか心にのこる。それは錯覚だろうが、昔自分もどこかで見たような、体験したような、そんな風景が呼びおこされる。
志賀直哉もきらいな方ではないが、彼の短編小説を読み終えて感動は呼びおこすことはない。意地悪にいえば、「それがどうした?」といった一種醒めた気持ちになるが、しかし魯迅は違う。「藤野先生」にはじまり、「故郷」にしたって、「家鴨の喜劇」「小さな事件」「髪の話」、それぞれにささやかな感動を覚えさせてくれる。
どうしてだろう?
それは結末に余韻を残すか、残さないかの違いだろう。




by kirakuossan | 2018-03-26 07:52 | 文芸 | Trackback
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