2018年 03月 02日
第九伝説 その8 ヴォーン・ウィリアムズの9番 |
2018年3月2日(金)
詩人で小説家のアーシュラ・ヴォーン・ウィリアムズは2番目の妻であり、夫の伝記を記した。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ :
「グリーンスリーヴス」による幻想曲
何度も書くが、クラシック音楽界の七不思議のひとつとして、どういうわけか音楽の世界でも先進国であったイギリスから、ベートーヴェンやモーツァルト級の大作曲家が誕生しなかった。その中ではエドワード・エルガーが最も優れたイギリス人作曲家として評価されるだろう。彼の「エニグマ変奏曲」を最近愛聴しているが、知的で、洒落ていて、何よりも独創性に富んでいる。ちょうど居間でエルガーがピアノで奏でる旋律を聴いていて、奥さんが大変気に入り、それがきっかけとなって生まれた作品だが、正直最初のうちは、代表作の「威風堂々」や「愛の挨拶」と比べて、難しい印象を持った。でも聴けば聴くほどに味わいが出てくるのがこの”謎”の変奏曲である。(エニグマとは「謎」の意)
あっ、そう、ここではエルガーの話でなかった。
⁅第九伝説 その8⁆
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958) は、イギリスの作曲家である。最大の代表作は管弦楽曲「グリーンスリーヴスによる幻想曲」を置いて他にない、といったら言い過ぎだろうか。実は交響曲を9曲も書いたのに、これら全部をあわせても、この4、5分足らずの「グリーンスリーヴス」の人気にはかなわないのである。
交響曲を最初に書いたのが、1910年に完成した「海の交響曲」で、はじめ管弦楽曲とされたが、これを第1番と呼ぶようになった。そして1912年から13年、40歳になってから第2番「ロンドン交響曲」を書き、1918年から21年にかけて書いた第3番「田園交響曲」、以降、20年余の間に第4番から第8番までを完成させ、交響曲第9番ホ短調を書き上げたのは1957年、すでに85歳の年齢に達していた。
交響曲を最初に書いたのが、1910年に完成した「海の交響曲」で、はじめ管弦楽曲とされたが、これを第1番と呼ぶようになった。そして1912年から13年、40歳になってから第2番「ロンドン交響曲」を書き、1918年から21年にかけて書いた第3番「田園交響曲」、以降、20年余の間に第4番から第8番までを完成させ、交響曲第9番ホ短調を書き上げたのは1957年、すでに85歳の年齢に達していた。
彼の作品には、声楽が出てくるのが多い。「海の交響曲」は大編成だし、「田園交響曲」そして第7番、これも本来は番号をつけずに「南極交響曲」と呼ぶべき作品だが、これにも合唱やソプラノが登場する。
あるイギリスの音楽評論家がヴォーン・ウィリアムズの音楽を評して「聴いていて非常に古い音楽なのか非常に新しい音楽なのか分からなくなる」といったそうだが、まさにポイントをついた指摘である。というより、単刀直入に言えば、とりとめがないと言おうか、つかみどころがないと言おうか・・・そんな音楽である。9番もさることながら、声楽つきの「海の交響曲」や「南極交響曲」などにおいてもそうである。交響曲第9番ホ短調の初演がマルコム・サージェント指揮のロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団で、完成の翌年である1958年4月2日にロンドンで行われた。そして、僅か4か月半後にヴォーン・ウィリアムズは帰らぬ人となった。彼もまた、9番が最後の交響曲となった。
詩人で小説家のアーシュラ・ヴォーン・ウィリアムズは2番目の妻であり、夫の伝記を記した。
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 - London Philharmonic Orchestra
エイドリアン・ボールト - Adrian Boult (指揮)
録音: August 1958, Walthamstow Assembly Hall, London, UK
アカデミー室内管弦楽団 - Academy of St. Martin in the Fields Orchestra
ネヴィル・マリナー - Neville Marriner (指揮)
by kirakuossan
| 2018-03-02 17:38
| クラシック
|
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