信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan
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2017年の演奏会を振り返って

2017年12月29日(金)

この1年の演奏会を振り返ってみたい。印象に残ったものを挙げていくと・・・


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ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 ハ長調 Op.72b 
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37R.
シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 Op.30R

R・シュトラウスのオーケストレーションにあらためて感動を覚えた。マーラーでもない、ブルックナーでもない。そこには独自の世界がある。ダイナミックであり、また繊細でもあり、そしてあまりにも美しい。美しいといえば今宵のソリストもあどけなさから、美しい大人の女性に変身していた。そしてピアノも一層落ち着いた成長ぶりをうかがわせた。
ということで、3月15日にフェスティバルホールでNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団) 演奏会を聴いた。指揮は34歳のポーランド人指揮者クシシュトフ・ウルバンスキ、長身の背筋を伸ばし、両手を大きく開き、頭を挙げ、大きな枠組みの指揮をする。ひと目見て逸材だとわかる。この人の奏でる音楽はピアノとフォルテを明確に表す。とくにピアノを大切に扱うような印象を持った。

d0170835_19473043.jpg北ドイツ放送響が本拠地ハンブルグに新ホールを得てNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団と改名。そのお披露目日本公演を率いたのは、クシシュトフ・ウルバンスキであったが、これで正解だったろう。煽り癖のある同楽団の首席指揮者ヘンゲルブロックより、ずっと密なアンサンブルが聴けた。最大の美点は、むやみに大きな音で圧倒しないところ。タクトも少しも力まず、今どき珍しい若手である。
(音楽評論家:舩木篤也、「音楽の友」17年5月号)

そしてベートーヴェンのコンチェルトの独奏者はアリス=紗良・オット。彼女のピアノを聴くのはもうこれで5~6回ぐらいになるだろうか、聴くにつれて逞しい成長を見せてくれる。


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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調
マーラー:交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」

5月には兵庫県立芸術文化センターKOBELCOホールでマーラーを聴いた。ハンマーが打ち下ろされ、あの4つのシンバルが炸裂する。。。エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団のマーラー6番は、管とパーカッションが正面に50人ほど、弦が左右に60人ほどの、110名を越える大編成で繰り広げられまさに圧巻そのものだった。盛大な拍手とブラヴォーの連呼、数度のカーテンコールのあと、サロネンがまた舞台に登場、万雷の拍手を浴びた。そのときの細面の表情や首の振り方から、ふとあの若きアバドが浮かび上がった様な気がした。ベートーヴェンはショパンコンクールの覇者チョ・ソンジンのピアノだったが、その演奏は想像以上に大人しい印象を持った。


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ワーグナー:ジークフリート牧歌
シューベルト:交響曲第7番 ロ短調D.759「未完成」
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67「運命」

秋には佐渡裕の指揮を初めて聴くことが出来た。今までチャンスがありそうでなかったが、ようやく演奏に巡り合えた。10月23日、この日の京都コンサートホールでの席は3階の側面、ステージを真上から見下ろせる席で、おかげで指揮者の姿はよく見ることが出来た。佐渡裕の指揮ぶりはやはり想像していた通りで、日本人離れしたダイナミズムはさすが、見飽きしない。レナード・バーンスタインに師事しただけあって、クライマックスでの盛り上げ方はバーンスタインばりのアクションを彷彿させた。もう少し厳密に言うと、バーンスタインは垂直にジャンプするが、佐渡は後ろにのけぞりながら小刻みに跳びはねる。40年以上前のニューヨーク・フィルの来日公演をついつい懐かしく思い出した。その佐渡が今回引きつれて来日したのは戦後生れた比較的新しいオーケストラのケルン放送交響楽団。弦を中心とした奥深い響きはやはり本場ドイツの響きを思わせるものであったが、それにもまして管がたいへん上手い。洗練された音色は輝きを放ち、とくに二人のホルン奏者の息はピタリと合い、全体を引き締めていた。


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ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調op.67「運命」
マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」

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先月娘たちの大磯の居宅に世話になり、26日に横浜まで出向いて聴いたウィーン交響楽団の演奏会が記憶に新しい。期待の指揮者フィリップ・ジョルダンは強弱を強調した指揮をする人だ。だからマーラーなんかはもってこいだという印象をもったが、予測通り、いやそれ以上に見事にはまった演奏を聴かせてくれた。ウィーン交響楽団はやはり超一流の響きを聴かせた。それもさりげにこともなく鳴らしきるといったところに余裕さえ感じさせ、弦はもちろんだが、マーラーの1番ということもあって、管楽器の素晴しい音色は群を抜く。すべてが当然のようにいとも自然と鳴るのだ。とくに7本のホルンは圧巻。「運命」も好演だったが、あまりにもマーラーが凄すぎた。


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モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調 K.450
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19
ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11

ウィーン響演奏会の3日前の23日にエリソ・ヴィルサラーゼを一昨年に続き再び聴く。今度は新日本フィルハーモニー交響楽団(アレクサンダー・ルーディン指揮)とのピアノコンチェルト三本立て。この日の演奏では、ショパンが断然よかった。残念ながら前半のプログラムではもうひとつ音楽に乗り切れないような気がした。それはエリソ自身なのか、小生だけなのかは定かではないが・・・

結果として、それぞれ新味に欠けてはいないにせよ、古典時代の雰囲気にある前半二曲に対するショパンの余りにも濃い情念は、初演時、1830年代の聴衆の驚きを如実に再現するところとなった。黒ずくめで、音楽の求道師の印象を与えるヴィルサラーゼが、”若者にしか書けなかったであろう”名作を周到に表現する。ルーディンの表情豊かな棒さばきもそれを助けた。(音楽評論家:濱田滋郎「音楽の友」18年1月号)


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ピアノリサイタル
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
モンポウ:「歌と踊り」より 第4曲
ラヴェル:「高雅で感傷的なワルツ」より 第2曲ほか

ピアノでもうひとり4月にびわ湖ホールで聴いたラ・フォル・ジュルネでのアンヌ・ケフェレックがよかった。至福の音色と呼ばれるベーゼンドルファーの美しい響きがびわ湖ホール中ホールいっぱいに広がった。ケフェレックのピアノはあくまでも優しく気品に満ちたものであった。

オーケストラ公演では、先日のサッシャ・ゲッツェル指揮読売日本交響楽団の第九で締めたが、今年は例年より聴く機会が幾分少なかった。他に、ラ・フォル・ジュルネでのジョシュア・タン指揮日本センチュリー交響楽団のベートーヴェンの第7番。1月に、これも初めて聴く京都大学交響楽団、十束尚宏の指揮でマーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」といったところ。京大のオケは、アンサンブルといい、音楽する心といい、アマチュアの域を超え、さすがこれが100年の伝統のなせる業かとひしひしと感じた。文句のつけようのない大熱演で、80分を越える大曲ながらも固唾を飲んで聴き惚れた。

d0170835_19324227.jpg横浜みなとみらいホールでの公演掲示板の一枚。偶然にも、例の指揮者デュトワのセクハラ問題でキャンセルになったN響定期のポスターが真ん中に貼ってあった。

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by kirakuossan | 2017-12-29 16:57 | クラシック | Trackback