「幼い頃の思い出」 松井くんの日記より~ ③

2017年9月10日(日)

3年ろ組の松井くんの日記より~


一月二十二日 水 晴

六時ごろにテレビが来た。ぼくははねて喜んだ。はこにうってある、くぎを、ペンチやくぎぬきであけた。けれど、ちっとも、くぎはぬけない。
「えーい。えーい。」
といってぬいたら二本ぬけた。けれども、あと、四本もぬかなければならない。そこへおとうちゃんが帰ってきたら、いっぺんにあいた。出たあとはとてもうれしかった。

そうだよなあ、昔はみな木や板で梱包してあった。オヤジの会社の工場の空地でよくチャンバラ遊びをしたが、その時、刀になるのはいつも梱包用の木の切れ端だった。



一月二十三日 木 晴

学校から帰ると、二人のおじさんが、いっしょうけんめいに、アンテナをつけておられた。テレビも、ものほしへもっていってアンテナをあっちへやったりこっちへもってきたりしていろいろ場所をかえておられた。けれど一番よかったのは、小やねです。大阪は、二じゅうにうつって、なかなかはっきりしなかった。やっぱり中日が一番よかった。そしてテレビを下へ持っておりて見たら、とてもはっきり写った。けれどおじさんはせんをとおしておられた。ぼくはもっともっとはっきり写るといいのになあと思った。

そうでした。昔は大津地方の電波状況が悪く、大阪や京都からの電波は比叡山で遮られて悪く、かえって名古屋から来る電波の方が映りがよかった。だからどこの家もアンテナは東方向に向けてあったもんです。



一月二十五日 土 晴

夜、つつ井君らとすもうのテレビを見た。若乃花と、栃錦になるとぼくは、目と耳をかくした。時どき、見ると、両力しが中おうのところにじっとしている。二かい水入りがあると、ひきわけとなった。やっと終ったと思ったら、また若と栃が土表に上っているのでびっくりした。立ち上ったら、若は、すかして栃に勝った。ぼくは、うれしくてうれしくてたまらなかった。

そういうと松井くんは若乃花と南海が好きだったことを思い出した。目と耳を隠していたことは今でも鮮明に覚えている。あれはまだ松井くんっちにテレビが来て4日目のことだったんだ。

昭和33年1月25日14日目

東横綱1
栃錦
11勝3敗

小手投げ

東大関1
若乃花
12勝2敗
この場所大関若乃花は、千秋楽にも小結若前田に勝ち13勝2敗で2度目の優勝を果たしている。そして翌3月場所から横綱へと昇進した。その意味でも、二人してテレビの前で緊張してみたこの若乃花、栃錦戦はまさに大一番であったのだ。
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一月二十六日 日 曇

今日は日曜だったので朝からゆっくりおとうちゃんとお話した。テレビを買う前に、やくそくしたことを、もう一かい話し合った。それは、まず、べんきょうをすませて番組のよい物を、時間をきめて、テレビを見ることにした。買ってから、一週間を、ふりかえってみると、ぼくは、あまりのうれしさで、実行されてなかったのがざんねんだった。しかし、おとうちゃんも、はじめて家で見られるから、うれしくて、べんきょうも少しは、なまけたことも、しかたがない。これからは考えるようにと、いわれました。べんきょうは、自分のことだから、この前は、少しなまけていたけれど、これからはがんばろう。

テレビをみる日は早く
べんきょうをしておくこと
(赤字は先生のコメント)

実はこの日(26日)、あの謎とされる南海丸遭難事故が起きている。しばらくは毎日事故のニュースを流していたのだろう。小学3年生の日記にも出てくる。



一月二十八日 火 晴

テレビを見た。今日の番組はあまりよいことなかった。ニュースには、南海丸のことがおもに出た。もうべんきょうはしたのでゆっくりと見られる。きのうのようにはっきりとうつらなかった。いいことはなかった。

テレビの電波状態が悪くて綺麗に映らないし、暗いニュースは流れるし
子供心にもいいことなかった一日だったのだろう。



つづく
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by kirakuossan | 2017-09-10 10:35 | 偶感 | Trackback

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