2017年 07月 06日
2017年夏の選手権大会 来年の100回大会は56校が出場 |
2017年7月6日(木)
長い歴史を迎える高校野球だが、夏の選手権大会は今年が99回目、来年は記念すべき100回大会を迎える。それに先立って今春に行なわれた話し合いで記念大会の出場校を史上最多の56校にすることに決まっている。現在、同一都道府県から2校が出場する北海道と東京に加え、千葉、埼玉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡の7府県の代表校がそれぞれ2校ずつとなる。
一方、春のセンバツ大会も来春90回記念大会を迎えるにあたって昨日こちらも4校増やして36校の出場校に決定した。一般選考が4校増となって、東北、北信越、東海が1枠増、合せて5校が選出されていた中国・四国が各地区それぞれ3校ずつになった。これにより、一般選考の地区別は、北海道1、東北3、関東・東京6、北信越3、東海3、近畿6、中国3、四国3、九州4となる。なお、21世紀枠は例年通りに3校。神宮大会枠は1校。
前回の第90回選手権大会の記念大会も増枠で開催されてきたが、その時は55校。
北埼玉・南埼玉、東千葉・西千葉、北神奈川・南神奈川、東愛知・西愛知、北大阪・南大阪、東兵庫・西兵庫という地域割りで行われた。そして北大阪代表の大阪桐蔭が17年ぶり2回目の優勝を果たした。またこの年は北京オリンピックの開催期間と重なったため、開会日を8月2日に繰り上げ大会史上最も早い開催となった。(来年は8月5日から)
では1968年の第50回記念大会はどうであったか。このときの出場は、全国各都道府県の代表校(北海道は2校)にまだアメリカ施政下にあった沖縄を加えた48校で実施された。思い起こすのは、5年ごとの記念大会になると京都と滋賀から1校の枠が外れてそれぞれ1校ずつ出場ができ、いつも京都の前に敗れなかなか甲子園に行けなかった滋賀にとっては朗報であった。というわけで50回大会には滋賀から伊香が初出場を果した。京都はもちろん常勝の平安であった。
そこでちなみにこの50回大会の前年、49回大会の地方大会の合区構成と出場校は次のようであった。
東北代表:宮城・福島 仙台商(宮城)
北奥羽代表:青森・岩手 東奥義塾(青森
西奥羽代表:秋田・山形 本荘(秋田)
北関東代表:栃木・群馬 鹿沼農商(栃木)
東関東代表:茨城・千葉 習志野(千葉)
西関東代表:埼玉・山梨 大宮(埼玉)
三岐代表:岐阜・三重 四日市(三重)
北陸代表:石川・福井 若狭(福井)
北越代表:新潟・富山 富山商(富山)
京滋代表:京都・滋賀 守山(滋賀)
紀和代表:奈良・和歌山 市和歌山商(和歌山)
東中国代表:鳥取・岡山 倉敷工(岡山)
西中国代表:島根・山口 早鞆(山口)
北四国:香川・愛媛 今治南(愛媛)
南四国代表:徳島・高知 土佐(高知)
南九州代表:宮崎・沖縄 宮崎大宮(宮崎)
西九州代表:佐賀・長崎 海星(長崎)
中九州:熊本・大分 大分商(大分)
ここで鮮明に思い出すのは、49回大会(1967)京滋代表に守山高が京都の平安を破って悲願の甲子園を果したことだ。このときは皇子山球場で試合があって、終盤まで白熱の投手戦が続き、軟投派の平井投手の好投により、ワンチャンスをものにして1-0で守山が逃げ切った。もう球場では天にも昇るような歓喜であった。
そらそうだろう、京滋大会で第1回大会からこの49回大会までに1度だけ35回大会の八日市が京都の西舞鶴に勝った以外は全く京都の学校に勝てなかったのだから。僅かに夏の大会に滋賀県から出場できたのは記念大会の増枠のみで、第40回大会の甲賀、第45回大会の長浜北の2校だけ。この40回大会では母校大津商が決勝まで進み、6-7で長浜北に惜敗して甲子園に一歩届かなかった。
そうした京都に勝てないといったトラウマもこの守山の勝利が克服してくれ、第53回大会(1971)に宮津を比叡山が、続く第54回大会(1972)で西舞鶴を膳所が下して甲子園に出ている。(この試合も観に行った)
もう京都も怖くないぞ、と思った矢先、今度は地区編成が福井県と合区になって56回大会(1974)から福滋大会に変ってしまった。でもまあ、京都よりは弱いだろう、と思ったのが大きな間違いで、今度は福井県の学校に勝てず甲子園から再び遠のいた。当時三国高という福井の無名の学校に2年連続で敗れた悔しさはこれまた未だに忘れられない。その三国もこの1975年の選手権を最後に福井では優勝できないでいる。そうしてようやく第61回大会(1979)から滋賀県代表が単独で出場できるようになった。
ところでその守山高、甲子園での緒戦は富山商戦、京滋大会の平安高との決勝戦と同じような展開になってわずか1安打ながら1-0とリードのまま終盤へ、でも今度はそううまく事は運ばなかった。8回裏一気に3点を取られ逆転負けしてしまった。その守山も結局、甲子園の土を踏んだのはこの1度だけだった。
書きだしたらきりがなくなってきた。ではこの辺で・・・
追記:
(15:00)
1967年といえば浪人時代。守山が平安を下したのは8月2日、甲子園で富山商と闘ったのは8月15日であった。当時の日記に記されていた。
by kirakuossan
| 2017-07-06 10:30
| スポーツ
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