信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。 当ブログ名は2018年7月1日をもって「のんきなとうさんの蓼科偶感」に変更いたしました。


by kirakuossan

「文学温泉紀行」 9日目 

2017年5月26日(金)
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因幡の白兎とは、『古事記』に出てくる兎。この道の駅の傍に白兎神社がある。神話にある白兎神が、傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したと伝えられる霊池。
社前の凹地、常緑樹に覆われた周囲100メートルばかりで、往古は内海池の流出口であったので、水門と呼んでいたが、内海池が良田と化してから、僅かにこの池だけが残っている。



旅の最終日。5時半に道の駅を出発、岩美に向かう。岩井温泉は1300年前に発見された、鳥取県最古の温泉である。唯一の共同浴場「ゆかむり温泉」に入る。想像していた通りの適度な温度の好いお湯だった。泉質:カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉
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d0170835_17030632.jpg「湯かむり」は、頭に手拭いをのせ、柄杓でポカポカと湯を叩きながら汲んでは頭にかむる、とい奇習の入浴法からきた。これは江戸末期か始まったとされ、少しでも長く湯につかり温泉の効能にあやかるため、とそういったことを番台のおばさんが教えてくれた。朝6時から開店なのに、もう7~8人の湯客がいた。




日の暮れる頃に、岩井に着いた。思つたほどの山の中ではなかつたが、しづかな田舍の街道に沿うたところに、私達の泊つた明石屋の温泉宿があつた。そこは因幡国のくにのうちだと思ふだけでも、何となく旅の気分を改めさせた。湯も熱かつたが、しかし入り心地はわるくなかつた。その晩は夏らしい月もあつて、宿の裏二階の畳の上まで射し入つた。庭にある暗い柿の葉も、ところどころ月に光つて涼しい。東京の方の留守宅のこともしきりに胸に浮ぶ。鷄二も旅らしく、宿の絵葉書などを取りよせた。 「どれ、楠ちやんのところへ葉書でも出すかナ。」
「東京へもお前に頼む。」
旅の頼りも鷄二が私に代つて書いた。私はまた宿の主人に所望して、土地での湯かむり歌といふものを聴かせてもらつた。いつの頃からのならはしか、土地の人達は柄杓ですくふ湯を頭に浴びながら歌ふ。うたの拍子は湯をうつ柄杓の音から起る。きぬたでも聴くやうで、野趣があつた。この湯かむり歌もたしかに馳走の一つであつた。山間とはいひながら、かうした宿でも蚊帳を吊つたので、その晩は遲くなつてから鷄二と二人蚊帳のなかに枕を並べて寢た。

(島崎藤村『山陰土産』 四 山陰道の夏) 



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d0170835_17134560.jpg岩井温泉から城崎温泉へ向かう途中に、例の余部鉄橋がある。ところがよく見ると、コンクリートの新しい橋に架け替えている。僅かに旧い赤茶びた鉄柱は残すところは3か所になっていた。全部が撤廃されるのも時間の問題のようで、仕方ないことだろうが、前の旧い方が情緒がある。



いよいよ最後の城崎温泉。外湯巡りということだが、源泉はみな同じということなので、代表的な「御所の湯」と「一の湯」の2か所に。
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城崎を訪れた有名人たち

有島武郎泉鏡花京極杞陽斎藤茂吉志賀直哉白鳥省吾柴野栗山司馬遼太郎島崎藤村沢庵田中冬二徳富蘇峰山口誓子吉井勇徳富蘆花富田砕花日野草城藤原兼輔前川佐美雄向井去来柳田國男吉田兼好与謝野晶子与謝野鉄幹

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泉質は食塩泉、源泉温度は37℃〜83℃とあるが、正直いえば、湯上りにポカポカ感はなかった。風が強いということもあったのか肌寒かった。外へ出てみると、ちょうど園児たちが連なって外湯巡りでもするのか?
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d0170835_18175745.jpg城崎温泉を10時前に出発、途中、出石に立ち寄り、皿そばを食し、一路大津へ。2時まえに無事帰宅。
9日間の愉しい長旅を終えた。


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by kirakuossan | 2017-05-26 04:57 | 文学温泉紀行2017 | Trackback