2017年 05月 15日
井上靖最後の長編小説 |
2017年5月15日(月)
師・孔子がお亡くなりになった時、私も他の門弟衆に倣って、あの都城の北方、泗水のほとりに築かれた子の墓所の付近に庵を造って、そこで心喪三年に服しましたが、そのあと、この山深い里に居を移し、口に糊するだけの暮しを立てて今日に到っております。早いもので子が御他界あそばされてから、いつか三十三年という歳月が経過しております。その間、世間との交渉はできるだけ避けるように心掛けて参りましたが、それは当然なこと、墓所から遠く離れてこそあれ、一生、命のある限り、ここで亡き師にお仕えしようと思っているからであるます。何事につけても、子のお心の内を考え、子のお傍に侍っているような思いで、毎日を過しております。それ以外、とるに足らぬ私ごとき者には何もできません。世に益するなど思いもよらぬことでございます。
左様、仰言る通り、私たちが三年の服喪を終えたあと、高弟子貢がさらに三年、前後六年間喪に服したということは噂に聞いておりますし、噂に聞くまでもなく、子貢がそのようにするであろうことは、よく判っておりました。私たち七十人ほどの者が三年の服喪を終えた朝、何と言っても吻とした気持ちで、それぞれ思い思いの地に散って行く時、それに先立って、荷物を取り纏めた者から順番に、子貢の許に別れの挨拶に参りました。三年に亘る喪の一切を取り仕切ってくれたのは子貢ですし、経済的にも子貢の援助がなかったら、私たちの服喪は考えられぬことでした。~
以前に井上靖の『天平の甍』を読んで感銘を受けたが、あの作品は1958年、51歳の時のもので、芥川賞受賞作品の『闘牛』から数えて8年の第3作目であった。
『孔子』は1989年最晩年に書かれた最後の作品である。6度にわたる中国訪問を経て生まれた渾身の力作で、2500年前、春秋末期の乱世に生きた孔子の人間像を描く長編歴史小説。『論語』に収められた孔子の詞はどのような背景を持って生れてきたのか。十四年にも亘る亡命・遊説の旅は、何を目的としていたのか。孔子と弟子たちが戦乱の中原を放浪する姿を、架空の弟子の語り調として書き進められていく。第一章の冒頭部から引きこまれていった。・・・
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by kirakuossan
| 2017-05-15 23:08
| 文芸
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