2017年 04月 28日
コンクリート床にひとり立つ父 |
2017年4月28日(金)
あさって九四歳を迎える母が、先日こんなことを初めて語ってくれた。
さっそくジョージ・エリオットの詩を一つ読んでみた。吉田健一が云う「荒地」という題の詩は見当たらなかったが、ひとつ興味を惹く詩を見つけた。
「ストラディバリウス」、長い詩だが、冒頭部を書き上げてみる。
ストラディバリウス
おまえの魂は、今日、音楽の翼をつけられて舞い上がった。名匠が弾くバイオリンを聴いて。
おまえは、彼を称賛した。そして、見事なシャコンヌを作曲した。
偉大なるセバスティアンも称賛した。しかし、おまえは年老いたアントニオ・ストラディバーリのことを考えたか?
彼は一五〇年ほど前に
あの茶色の楽器に精魂を込めた。
そして、フレームの見事な調整によって
共鳴する息吹きをバイオリンに与えた。
名匠の指先によって絶え間なく、
そして繊細かつ正確な指使いによってそれが完成された。
我々の今日の喜びをもたらしたのは、
先行する立派な才能に助けられたバッハだけではない。
心に耳を傾けたり、神経と筋肉による精密な表記法によって
混じり合った新たな緊張を持ち合わせたヨアヒムでもない。
優れた発明と共鳴する技術を
真の意味で救出するかのように支配する。
もう一人の存在、ストラディバーリがいる。
あの素朴な白いエプロンを身に付けた男性。
満八〇年間立ち続けて、忍耐強く、寸分の狂いもない仕事をした。
自制によって視力と触覚を大事にした男。
そして鋭敏な感覚こそ完璧を愛する証であるからこそ
彼は完璧なバイオリンを作った。それは
インスピレーションと高い熟練を聴き手に届けるために必要な道であった。
彼ほど地味な男はいない。彼は決して
「なぜわたしは、バイオリン製造、といったこの単調な作業をするために生まれたのか?」と泣き叫ぶことはなかった。
~
お父さんは、地べたの上で、裸足で突っ立ってやすりで研いだ。「靴を履いても、靴下一枚履いても狂う。寸分の狂いもない仕事をしようと思おーたら裸足が一番や」
あの人は、ほんまに、よー働かはーたわ・・・
このエリオットの詩を読んで・・・
真冬のしんしんと冷え込む町工場の片隅で、冷え切ったコンクリート床にひとり立つ父を連想した。五八歳で逝った父を。
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by kirakuossan
| 2017-04-28 08:47
| 偶感
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