2017年 04月 23日
蛙 |
2017年4月23日(日)
詩人児玉花外(1874~1943)は、同志社に通い、札幌農学校にも通い、早稲田を中退し、社会主義詩を書く。その後、英雄詩や勇壮詩を書き、やがて生活苦とともに酒に溺れる。ちょうどそのころ花外の代表作ともいえる明治大学校歌「白雲なびく」が生まれる。最晩年、花外が入所している老人施設に多くの明大関係者や学生が、寄付金を募り、酒を土産に見舞いに訪れた。車椅子で迎えた花外に、学生たちは「白雲なびく」を合唱して慰め、花外も学生も感激のあまり涙を流したという。
昨日、「母親凱旋食事会」が終ってみんなを見送ってから、息子とふたりで自宅からアトリエまで一緒に歩いた。途中、でかい貯水池で、まだ陽が昇っているのに相当数の蛙の大きな鳴き声がした。蛙が鳴き出すのは、昔から立夏の頃とされ、5月に入ってからだが、もうここでは鳴きだした。
蛙
児玉花外
牛込に移って私は五月雨の夜、
障子を明放して蛙の歌に親しんでゐる。
四辺(あたり)、二階家も平家も雨戸は閉って、
青葉の色もしんしんと雨に黒い。
世間にも時間にも隔れた全くの孤独に、
蛙は誰も味ひしらぬ夜陰の音楽だ。
故郷も、田園も、少年時代も無った私に、
何でも蛙が楽しい思出を齎(もた)らすものか。
黴みたいにこびりついている、
ドストエフスキーの虐げられた人々の泣声は、
雨の地の底から湧出すやうに、
蛙の音に交って深夜にきこえてくる。
(「早稲田文学」大正6年7月号)
アトリエ横の田んぼではまたそろそろ水が入り、夜になれば蛙が鳴き出すころになる。
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by kirakuossan
| 2017-04-23 08:47
| 文芸
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