2017年 04月 01日
「耕二のこと」 |
2017年4月1日(土)
耕二のこと
中原中也
主家で先刻から、父と母との小言らしい声がしていた。時々その声の間から、調子の高い耕二の声が聞えた。
それが聞えなくなってから間もなくして、その時書斎で読書をしていた耕二の兄は、机の前の障子の中硝子から弟耕二が口笛を吹きながら仰向勝に行くのをみた。
「何処へ行くんだい。」
「野球の仕合さ。」
「そうか。」
兄は耕二が野球用の道具を何も持っていないので、「如何したんだい」と訊きたい気もしたが、強いてその気持ちを抑えた。というのは、それでなくても厳しい父と細々し過ぎる母とが、殊に遊ぶこと以外には何も考えようとはしない耕二に、執拗にも間がな隙がな小言を言いつめるので、今もやっと許されて出掛けるらしい耕二に沢山の言葉を掛けないで出してやりたかった。
「何て幸福な今の耕二だろう!」兄は読みかけてはそう思った。~
(一九二四・一一・二一)
1923年から25年にかけて、中原中也が16歳から18歳のときに書かれた小説がある。山口中学校時代の家族関係を題材とした私小説の習作である。そのなかに「耕二のこと」という短篇がある。耕二とは中也の弟恰三のことであろう。(右は中也、左は気楽耕二である)
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耕二のこと
中原中也
主家で先刻から、父と母との小言らしい声がしていた。時々その声の間から、調子の高い耕二の声が聞えた。
それが聞えなくなってから間もなくして、その時書斎で読書をしていた耕二の兄は、机の前の障子の中硝子から弟耕二が口笛を吹きながら仰向勝に行くのをみた。
「何処へ行くんだい。」
「野球の仕合さ。」
「そうか。」
兄は耕二が野球用の道具を何も持っていないので、「如何したんだい」と訊きたい気もしたが、強いてその気持ちを抑えた。というのは、それでなくても厳しい父と細々し過ぎる母とが、殊に遊ぶこと以外には何も考えようとはしない耕二に、執拗にも間がな隙がな小言を言いつめるので、今もやっと許されて出掛けるらしい耕二に沢山の言葉を掛けないで出してやりたかった。
「何て幸福な今の耕二だろう!」兄は読みかけてはそう思った。~
(一九二四・一一・二一)
1923年から25年にかけて、中原中也が16歳から18歳のときに書かれた小説がある。山口中学校時代の家族関係を題材とした私小説の習作である。そのなかに「耕二のこと」という短篇がある。耕二とは中也の弟恰三のことであろう。(右は中也、左は気楽耕二である)
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by kirakuossan
| 2017-04-01 13:41
| 文芸
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