暖炉しきりに燃ゆ。

2017年2月26日(日)
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日記
菊池寛

二月二十六日。午前九時半頃、出入の新聞配達が電話をかけてくれて、兇変を知る。「東京日日」へ電話をかけたが、いく度かけてもお話中である。事件の容易ならざるを思ふ。文芸春秋社へ電話をかける。すぐ出る。重臣達が皆殺されたとの事である。・・・なもののやうな気がして、暗澹たるものがある。「こはいかに成り行く世に姿ぞ」と、昔の本にあるやうな気がする。昼頃、「東京日日」より電話あり、連載小説の催促である。騒動で、小説が休載になるものと、それが不安のわづかな慰めだと思ってゐたので、ガッカリする。しかし、小説が休載にならない位なら、大した事もないと安心する。電話に出た学芸部の高原君に(情勢は何うなんだい)と訊くと高原君(情勢は・・・)と、云ひかけて、傍から止められたらしく(今話したらいけないさうです)と答ふ。編集局が、強力な者により監視されてゐるやうに思はれる。~
(『改造』十一年四月号)


1936年(昭和11)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした二・二六事件。このクーデターを境に、日本のファシズム化が加速し、やがて太平洋戦争への道を辿ることになる。わずか81年前のことである。


暖炉しきりに燃ゆ
久保田万太郎

朝、放送局より緊急の電話。事件の外郭を知る。熱下らざれど直ちに出勤。
自動車をよぶ。一台もなし。何分この騒ぎでという口上になり。そこまでもう手のまはったことを痛感しつつ、中の橋まで出て、円タクを拾ふ。けさ、何かあったんださうですね、と運転手、問はず語りにかたる。さうだってね、とこたふ。雪、しきりにふる。
愛宕山に到着。玄関、ホール、廊下、どこも思ったほどごツた返しをらず、きはめて平静なり。いささかこんなはずではなかったがの感あり。~
「演芸」のB君、「洋楽」のO君とともに徹夜することにきめ、報道部の部屋にて刻々入り来る情報聴取。夜半、戒厳令出づ。熱、七度に下がる。夜色しづかに暖炉しきりに燃ゆ。
(『改造』十一年四月号)



四十七士の討入りといい、桜田門外の変といい、かならず雪がつきものである。昭和11年2月26日も東京に大雪が降った。積雪36cm、これは当時東京での史上3位にあたる積雪であった。
それから事件発生から3日後の29日、午前8時50分、ラジオで「兵に告ぐ」と題した放送がおこなわれる。これが名文として名高い。

d0170835_14344988.jpg「勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであらうが、既に、天皇陛下の御命令によつて、お前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽く迄も抵抗したならば、夫は勅命に反抗することとなり、逆賊とならなければならない。
正しいことをして居ると信じてゐたのに、それが間違つて居たと知つたならば、徒らに今迄の行懸りや義理上から何時までも反抗的態度をとつて天皇陛下に叛き奉り、逆賊としての汚名を永久に受けるやうな事があつてはならない。
今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ。さうしたら今までの罪も許されるのである。お前達の父兄は勿論のこと、国民全体も、それを心から祈つて居るのである。速かに現在の位置を棄てて帰つて来い」
 <戒厳司令官 香椎中将>





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by kirakuossan | 2017-02-26 13:41 | ヒストリー | Trackback

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