「猿蓑」

2017年2月19日(日)
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初しぐれ猿も小蓑をほしげ也  芭蕉

「猿蓑」は、向井去来と野沢凡兆が編集した、蕉門の発句・連句集である。発句は全部で382句にものぼり芭蕉も41句収められ、芭蕉にとっても、末代の亀鑑(手本)ともなるべき句集で、熱心な指導がうかがわれ、わびさびのもっとも円熟した時期の句集とされる。去来は蕉門十哲のひとりであるが、凡兆はそのなかには入っていない。彼は加賀国金沢の出身で京に出て医者になり、芭蕉門下となるが、後に離れた。


僧やゝさむく寺にかへるか
さる引の猿と世を経る秋の月

『猿蓑』の「市中は」に始まる「夏の月」の歌仙の第十六句と十七句である。前の句は凡兆、付けたのは芭蕉である。有名な句だから存知のひとも多いだらう。然し私は最近これを讀みかへしたときの感動を書き残さずにはゐられない。
『猿蓑』は圓熟したといふよりも、油ののりきったと、芭蕉を評するには少々不適当な言葉を敢て使ひたくなるやうな句集だが、わけても、去来、凡兆、芭蕉の三吟に成るこの「夏の月」の巻は、古来名歌仙をもって知られてゐる。「市中は物のにほひや夏の月」の凡兆の発句、「あつしあつしと門々の聲」の芭蕉の脇句、「二番草取りも果さず穂にいでて」の去来の第三句以下、表の六句はまったく好調のすべりだしで、いかにも気の合った同士の、のびのびとした気持ちが察せられる。
ところで裏の第七、第八句目あたりからややだれてきたのが、九、十、十一句で再びもり上がってくる。

道心のおこりは花のつぼむ時(去来)
能登の七尾の冬は住うき(凡兆)
魚の骨しはぶる迄の老を見て(芭蕉)

殊に「魚の骨」の句は、讀む者を想念に誘ふ。~
私は然しこの句に長く停まらうとは思はない。私の心をいそがすものが先にある。
十一句をひとつの山として、また次第にだれてくる。起伏の伏の方へ句がしばらくつづく。

立かゝり屏風を倒す女子共
湯殿は竹の簀侘しき

どうもいけない。足ぶみ状態である。本来なら次の句で是非とも一轉すべきところである。ところが次の去来はどうしたことか、また気合の乗らない句をつけてしまった。

茴香(うゐきやう)の實を吹落す夕嵐

夕嵐で、かつがつに救はれてゐるといった気配である。ここらあたりで、どうしても人物が表面に出てこなければならぬところであった。
凡兆は多少いらいらしたのであらう。唐突に次のやうにつけた。

僧やゝさむく寺にかへるか

この句はいい。多少むっとしてつけた句に違ひないが、幅が廣い。「やゝ」といひ、最後の「か」といひ、聞くものにひとつの世界を与える。限定がないから縁暈は廣い。そのまま文人畫にもなりそうである。然しこれを文人畫の枠へ入れてしまったのでは、折角の轉換が、この一句でまた足ぶみしてしまふおそれがある。芭蕉は思ひきった付け方をした。

さる引の猿と世を経る秋の月

もちろん凡兆の前句に触発されての句であらう。夕方、寺のある方への一筋の道を、とぼとぼと歩いてゆく一人の僧が発散させたエーテルに、芭蕉の琴線が思はず呼応して響き合ったのであらう。さらさらとこれを書き終った芭蕉自身が、やゝあってみづからに驚いたことであらう。
これを属目の風景、情景とみても少しもかまはない。中年、或ひは中年から老年へかかるあたりの旅回りの猿まはし、その背中に負った風呂敷包みの上に、ちょこなんと乗ってゐる小さい猿、その首に垢じみた赤いよだれかけがかかってゐてもいい。一日を終った彼等の歩いてゆく田舎道を、早くも上った秋の大きな月がてらしてゐる。~

唐木順三「日本の心」芭蕉の一句より


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by kirakuossan | 2017-02-19 13:26 | 文芸 | Trackback

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