2017年 02月 05日
やはり最後はバッハ |
2017年2月5日(日)
音楽の源泉
源泉というものは時が経つにつれて、次第に互いに近寄って来る。例えばベートーヴェンは必ずしもモーツァルトが学んだものを皆勉強する必要はない。同様にモーツァルトはヘンデルが-ヘンデルはパレストリーナが-。その訳は、こうした人達は、先駆者を吸収してしまうからである。併し何時の世になっても、皆が改めて汲みに来るだろうと思う泉が一つある。
音楽の源泉
源泉というものは時が経つにつれて、次第に互いに近寄って来る。例えばベートーヴェンは必ずしもモーツァルトが学んだものを皆勉強する必要はない。同様にモーツァルトはヘンデルが-ヘンデルはパレストリーナが-。その訳は、こうした人達は、先駆者を吸収してしまうからである。併し何時の世になっても、皆が改めて汲みに来るだろうと思う泉が一つある。
-その泉は即ちヨハン・ゼバスチャン・バッハである!
(ロベルト・シューマン)
僕にはいつも会うたびに自作CDを持ってきてくれる親友がある。松井君と、そして庵原氏である。昨日庵原氏がカティア・ブニアティシヴィリが弾くシューマンのピアノ協奏曲のCDを持ってきてくれた。この演奏は、第三楽章再現部で2小節ほどを飛ばしてしまうアクシデントが起きるという珍しい演奏で、指揮者パーヴォ・ヤルヴィは知ってか知らずか、何事もなかったようにまとめる、と記してある。
そんなことでシューマンの話題になり、メンデルスゾーンになり、マーラーまで行って、今度はサンタナからジプシーキングスに、やがてピーターポール&マリーからパットブーンやブレンダ・リー、ディオンヌ・ワーウイックまでへと話は広がる。ああ~少し疲れて来た、もう11時。そして最後にはやはりバッハ。フランス組曲を聴きながら楽しい夜は更けていったのであります。
(2017年2月4日)
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(ロベルト・シューマン)
そんなことでシューマンの話題になり、メンデルスゾーンになり、マーラーまで行って、今度はサンタナからジプシーキングスに、やがてピーターポール&マリーからパットブーンやブレンダ・リー、ディオンヌ・ワーウイックまでへと話は広がる。ああ~少し疲れて来た、もう11時。そして最後にはやはりバッハ。フランス組曲を聴きながら楽しい夜は更けていったのであります。
(2017年2月4日)
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by kirakuossan
| 2017-02-05 13:00
| クラシック
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