醤油の煮えた匂いが漂ってくるような空間にモーツァルトやベートーヴェンは似合わない。

2017年2月4日(土)

思わぬ人のクラシック談義にでくわした。渡部昇一氏が書いている。

それにしても名曲喫茶の衰退は惜しまれてならない。音響効果のいい機器が家庭用に開発されて普及したためといわれているが、スペースの点でも名曲喫茶は、家庭の居間の比ではない。天井が高く、ステンドグラスから日が差し込み、ゆったりとした座り心地のいいソファーが置かれている。そこでリラックスして聴く名曲の数々は、まことに身体中の細胞の一個一個を生き生きとさせてくれた。
それでこそクラシックの真髄がわかろうというものだ。西洋の王侯貴族の城のホールやサロンでの演奏を前提として作られた曲が、日本のふつうの家の狭い居間に合うはずがない。食事どきともなると醤油の煮えた匂いが漂ってくるような空間にモーツァルトやベートーヴェンは似合わない。三味線や小唄が大ホールに似合わないのと同様だ。~
「メン・コン」から始まった私の音楽歴は、急速に進歩(?)して、ハイドンまで達する。あるとき、ハイドンというのはなんでこんなにいいのだろうと思ったのである。そのとき、たまたまラファエル・フォン・ケーベルという哲学の有名な先生で、東大では哲学を教え、上野の音楽学校でピアノを教えておられた方の本を読んでいたら、「孤島に流されるとしたら何を持っていくか」ということが書いてあった。この先生はハイドンの四重奏の楽譜を持っていくという。ああ、こういう選択肢もあったのかと、妙に感心したことを今でも憶えている。要するに彼は、譜面を見ると反射的にその音が聴こえてくるのであろう。楽譜を見ているだけでレコードを聴いているのと同じくらいに理解できるというのだから、驚きであった。
一説によると、ハイドンは、愛好家よりも音楽の専門家、指揮者や作曲家の間では評価される傾向があるという。私のような素人が超スピードでハイドンに達したのは珍しいらしい。まずもって音楽の神様のお導きと言うべきか。
(「音楽のある知的生活」(渡部昇一+渡部玄一)


d0170835_9235.jpg今朝はちょうどハイドンの交響曲を93番から順番に聴いているが、久し振りに聴いていて、「やっぱりいいなあ。。。ハイドンは」といった心境になっている矢先にこの文章を見つけた。演奏は昨日書いたギュンター・ヘルビッヒがドレスデン・フィルを振ったものだ。この指揮者のハイドンは、その音楽の明るさ、楽しさ、そして滑稽さ、すべてを含有していて気分が晴れやかになる。気品もある名指揮者である。
渡部氏じゃないが、私も一時ハイドンにハマった時があった。明けても暮れてもハイドン、ハイドンと・・・
今朝は、この調子で104番まで聴くことになりそうだ。そのうち原庵店主が守山でカンザキナハナの美しいスナップ(右)を撮ったあとやって来るだろう。



d0170835_8585187.jpgハイドン:
交響曲第93番 ニ長調 Hob.I:93
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ギュンター・ヘルビッヒ(指揮)




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by kirakuossan | 2017-02-04 08:15 | クラシック | Trackback

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