ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

「謀叛論」 当時の一高生に与えた影響ははかり知れない。

2017年2月1日(水)

d0170835_141389.jpg諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。「身を殺して魂を殺す能わざる者を恐るるなかれ」。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えらえたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。
古人はいうた、いかなる真理にも停滞するな、停滞すれば墓となると。人生は解脱の連続である。いかに愛着するところのものでも脱ぎ棄てねばならぬ時がある、それは形式残って生命去った時である。「死にし者は死にし者に葬らせ」墓は常に後にしなければならぬ。幸徳らは政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋りついてはならぬ。「もし爾の右眼爾を礙(つまず)かさば抽出してこれをすてよ」。愛別、離苦、打克たねばならぬ。我らは苦痛を忍んで解脱せねばならぬ。繰り返して曰う、諸君、我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して。
d0170835_14142262.jpg諸君、幸徳君らは乱臣賊子となって絞台の露と消えた。その行動について不満があるとしても、誰か志士としてその動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊であった。しかし今日となって見れば、逆賊でないこと西郷のごとき者があるか。幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう。要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研くことを怠ってはならぬ。


1910年(明治43)の大逆事件の際、幸徳秋水らの死刑を阻止するため、兄の徳富蘇峰を通じて首相の桂太郎へ嘆願しようとするが間に合わず処刑されてしまう。その直後に徳冨蘆花は一高の弁論部大会での講演を引受け、有名な「謀叛論」を放つ。1911年2月1日のことであった。
この時一高の学生たちに深い感銘を与えた。近年になってその演説を聴いた当時の学生の日記が次々と現れ、その反響がいかに大きかったかが分かってきた。当時新入生であった恒藤恭、森田浩一、そして成瀬正一らの日記などである。なかでも芥川龍之介の親友でも知られる法哲学者の恒藤恭は、一高時代の日記「向陵記」のなかで克明に蘆花の演説を記録していた。恒藤がのちに瀧川事件に捲き込まれるが、その時の身の処し方には若きときに聴いた蘆花の演説の影響があり、「死して生きる途」と題する文章を発表して主張を通したとされる。
徳富蘆花(1868~1927)は1907年(明治40)39歳のとき、北多摩郡千歳村字粕谷(現・東京都世田谷区粕谷)に転居、死去するまでの20年間をこの地で過ごした。43歳のときに一高生の前で放った「謀叛論」の演説で彼はその世田谷の地についての話から語り始めた。

僕は武蔵野の片隅に住んでいる。東京へ出るたびに、青山方角へ往ゆくとすれば、必ず世田ヶ谷を通る。僕の家から約一里程行くと、街道の南手に赤松のばらばらと生えたところが見える。これは豪徳寺――井伊掃部頭直弼の墓で名高い寺である。豪徳寺から少し行くと、谷の向うに杉や松の茂った丘が見える。吉田松陰の墓および松陰神社はその丘の上にある。井伊と吉田、五十年前には互に倶不戴天の仇敵で、安政の大獄に井伊が吉田の首を斬れば、桜田の雪を紅に染めて、井伊が浪士に殺される。斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨を消してしまって谷一重のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺すのと騒いだ彼らも、五十年後の今日から歴史の背景に照らして見れば、畢竟今日の日本を造り出さんがために、反対の方向から相槌を打ったに過ぎぬ。彼らは各々その位置に立ち自信に立って、するだけの事を存分にして土に入り、余沢を明治の今日に享くる百姓らは、さりげなくその墓の近所で悠々と麦のサクを切っている。・・・


d0170835_14531139.jpg5歳違いの兄で思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰が1890年(明治23)に「國民新聞」を創刊したのも奇しくも同じ今日2月1日であった。兄弟は思想の違いから、蘆花が1903年(明治36)に兄への「告別の辞」を発表し、絶縁状態となった。やがて1927年(昭和2)蘆花が病に倒れ、死の直前、伊香保温泉で蘇峰と再会し、ふたりは和解する。



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by kirakuossan | 2017-02-01 14:27 | 文芸 | Trackback
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信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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