2017年 01月 27日
続・指揮者100選☆5 コンドラシン |
2017年1月27日(金)
NMLでロシア最大のレーベルMelodiyaの追加96枚が配信された。よく見ていくと3人の指揮者をまだ書いていないのに気がついた。コンドラシン、スヴェトラーノフ、そしてキタエンコ。
今回はまずそのいちばん先輩格であるキリル・コンドラシン(Кирилл Петрович Кондрашин, ソ連 1914~1981)からである。モスクワで生まれた彼は、最初マールイ小劇場で指揮を初め、29歳でボリショイ劇場の常任指揮者となり、ここで13年間務めたのが本格的な指揮者のスタートである。そして1960年から15年間はモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督となり、その名を不動のものにした。これに続き音楽監督に就いたのがドミトリー・キタエンコで、彼もまた14年間その地位にあり、二人によっての30年間でモスクワ・フィルの基礎が築かれたと言っても過言ではない。1967年のモスクワ・フィル初来日時ももちろんコンドラシンはダヴィッド・オイストラフとともに来日して、各地で公演を繰り広げた。レニングラード・フィル以外でロシア(ソ連)のオーケストラが日本の土を踏んだのは1964年のソビエト国立交響楽団に次いでこれが3つ目であった。
☆演奏スタイルは・・・
男性的で精悍、力強さに溢れ、一種のロシア色を感じさせるが、それは統率力に優れ、極端な偏重した演奏はしない。彼の曲に対する理解力は明晰で、その手腕は協奏曲においても如何なく発揮される。その証拠に世界各地のさまざまな一流ソリストとの共演が多く、その貴重な演奏も多く残されている。国内のオイストラフやリヒテル、ギレリス、ロストロポーヴィッチなどを筆頭に、マルタ・アルゲリッチ、ヴラディーミル・アシュケナージなど。
彼が、単にドカーンとやってのけるロシア人指揮者ではなかったのがこの洗練されたマーラーを聴けばよくわかる。
マーラー:
交響曲第4番 ト長調
ガリーナ・ピサレンコ(ソプラノ)
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団
キリル・コンドラシン(指揮)
☆録音は・・・
初めてショスタコヴィッチの交響曲全集をモスクワ・フィルと録音したのはコンドラシンであり、1960年代ではムラヴィンスキーはまだ来日しておらず、ソビエト響で来日したコンスタンティン・イワノフやアルヴィド・ヤンソンスの存在より、日本でのロシア人指揮者としてはコンドラシンの知名度の方が高かった。
ウィーン・フィルをはじめ、シュターツカペレ・ドレスデン、バイエルン放送響、ロンドン交響楽団、フランス国立放送管、チェコ・フィル、南西ドイツ放送響、アムステルダム、コンセルトヘボウなど、想像以上に多くのオーケストラを振った、しかもヨーロッパの一流どころばかりを・・・
☆私見・・・
ムラヴィンスキーの日本への登場の仕方があまりにも待たされ待たされして衝撃的であり、また来日までの噂がある意味ムラヴィンスキーを神格化させたために、来日してからの1970年代以降は国内はムラヴィンスキー一色になってしまったが、ひと回り若いがコンドラシンの存在も忘れてはならない。彼はモスクワ・フィルを世界に通用する団体に仕上げたし、早くから西側とのパイプも築き、立派な演奏を数多く遺した。
コンドラシンは1978年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演中のアムステルダムにおいて、オランダへの亡命を表明し、常任客演指揮者に就任するという出来事が起きる。これを受けて、当時ムラヴィンスキーの4度目の来日がキャンセルするなど、当局は貴重な人材の亡命阻止にピリピリと神経を尖らせていた頃だ。
亡命後彼は1982年からラファエル・クーベリックの後任として、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になることが内定していたが、急逝により実現することはなかった。西側の正式な常任に初めて就く機会だけに残念であった。
☆Myライブラリーより・・・
ショスタコーヴィチ:
交響曲第8番
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
キリル・コンドラシン(指揮)
録音:1967年4月20日東京文化会館(ライヴ)
67年来日時の演奏である。
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NMLでロシア最大のレーベルMelodiyaの追加96枚が配信された。よく見ていくと3人の指揮者をまだ書いていないのに気がついた。コンドラシン、スヴェトラーノフ、そしてキタエンコ。

☆演奏スタイルは・・・
男性的で精悍、力強さに溢れ、一種のロシア色を感じさせるが、それは統率力に優れ、極端な偏重した演奏はしない。彼の曲に対する理解力は明晰で、その手腕は協奏曲においても如何なく発揮される。その証拠に世界各地のさまざまな一流ソリストとの共演が多く、その貴重な演奏も多く残されている。国内のオイストラフやリヒテル、ギレリス、ロストロポーヴィッチなどを筆頭に、マルタ・アルゲリッチ、ヴラディーミル・アシュケナージなど。
彼が、単にドカーンとやってのけるロシア人指揮者ではなかったのがこの洗練されたマーラーを聴けばよくわかる。

交響曲第4番 ト長調
ガリーナ・ピサレンコ(ソプラノ)
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団
キリル・コンドラシン(指揮)
☆録音は・・・
初めてショスタコヴィッチの交響曲全集をモスクワ・フィルと録音したのはコンドラシンであり、1960年代ではムラヴィンスキーはまだ来日しておらず、ソビエト響で来日したコンスタンティン・イワノフやアルヴィド・ヤンソンスの存在より、日本でのロシア人指揮者としてはコンドラシンの知名度の方が高かった。
ウィーン・フィルをはじめ、シュターツカペレ・ドレスデン、バイエルン放送響、ロンドン交響楽団、フランス国立放送管、チェコ・フィル、南西ドイツ放送響、アムステルダム、コンセルトヘボウなど、想像以上に多くのオーケストラを振った、しかもヨーロッパの一流どころばかりを・・・
☆私見・・・

コンドラシンは1978年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演中のアムステルダムにおいて、オランダへの亡命を表明し、常任客演指揮者に就任するという出来事が起きる。これを受けて、当時ムラヴィンスキーの4度目の来日がキャンセルするなど、当局は貴重な人材の亡命阻止にピリピリと神経を尖らせていた頃だ。
亡命後彼は1982年からラファエル・クーベリックの後任として、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になることが内定していたが、急逝により実現することはなかった。西側の正式な常任に初めて就く機会だけに残念であった。
☆Myライブラリーより・・・

交響曲第8番
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
キリル・コンドラシン(指揮)
録音:1967年4月20日東京文化会館(ライヴ)
67年来日時の演奏である。
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by kirakuossan
| 2017-01-27 08:22
| 続・指揮者100選
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