2016年 12月 14日
雨の京を歩く。紫式部を歩く。 |
2016年12月14日(水)
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
久しぶりにめぐり逢って見たのが確かであるかどうか、見分けがつかないうちにあなたは慌ただしく帰ってしまった。雲の間に隠れてしまった月のように。
廬山寺境内は閑散としていたが、一か所鮮やかな紅葉がひときわ目立った。その東南横に紫式部の歌碑が建っている。小倉百人一首にでてくる歌である。
雨の京を歩く。紫式部を歩く。
紫式部邸宅跡として知られる圓浄宗の本山廬山寺は京都市上京区にある。立命館大学旧広小路キャンパス、現在は京都府立医科大学の看護学校が建っている所の北裏にある。
学生時代、このキャンパス内の一角に新聞クラブの部室があり頻繁に出入りしていたのに、当時はそんなことを全く知らなかった。寺町通を挟んで御所の対面にある。
寺町通から烏丸通まで御所沿いを歩き、同志社大学前を通って西へ進み、地下鉄烏丸線今出川駅に出る。そこから二駅乗って北大路まで。
北大路駅前に大垣書店の本店があった。今では手広く店舗を構え、いつも立ち寄るフォレオにも出店しているが、ここが発祥の地なのだ。そんなことで店内にちらっと立ち寄った後、北大路通りを西へ下る感じで進む。途中、立命館小学校があり、目的地の北大路堀川に出る。交差点から少し南へ下ると西側、島津製作所の北隣に紫式部の墓所がある。
夕べから降りつづいている雨も小降りになって歩くのには支障がない。紫式部の墓は平安時代の官人小野篁の墓所内にあった。周囲を大きな建物で囲まれ、その風情はない。間口は狭く奥まっているので、知らないとそのまま堀川通を通りすごしてしまうだろう。
さあ、ここからまた北大路へ引き返し、鴨川沿いにさらに北進、北山を目指す。
ひっきりなしに車が通る道路沿いの高い木々の枯葉は、ちょうどシナモンの粉末のような色をしていた。 相当の道のりを歩いてきた。演奏会まではまだ少し時間がある。北山通沿いには洒落た店が立ち並ぶ。この一角にある老舗のレストラン「東洋亭」で早い夕食を摂ることにした。1897年、明治30年5月河原町三条にて開業、50年前に今の北山に移転した。前菜のトマトが有名である。
食事を済ませてレストランを出ると、外はすっかり夜のとばりが落ちていた。昼間は肌寒かったが、暗くなってから雨は強くなってきたが、寒さは和らいだ。
さあ今夜の会場、京都コンサートホールへ向おう。
(2016年12月13日)
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
久しぶりにめぐり逢って見たのが確かであるかどうか、見分けがつかないうちにあなたは慌ただしく帰ってしまった。雲の間に隠れてしまった月のように。
廬山寺境内は閑散としていたが、一か所鮮やかな紅葉がひときわ目立った。その東南横に紫式部の歌碑が建っている。小倉百人一首にでてくる歌である。
紫式部邸宅跡として知られる圓浄宗の本山廬山寺は京都市上京区にある。立命館大学旧広小路キャンパス、現在は京都府立医科大学の看護学校が建っている所の北裏にある。
学生時代、このキャンパス内の一角に新聞クラブの部室があり頻繁に出入りしていたのに、当時はそんなことを全く知らなかった。寺町通を挟んで御所の対面にある。
さあ、ここからまた北大路へ引き返し、鴨川沿いにさらに北進、北山を目指す。
食事を済ませてレストランを出ると、外はすっかり夜のとばりが落ちていた。昼間は肌寒かったが、暗くなってから雨は強くなってきたが、寒さは和らいだ。
さあ今夜の会場、京都コンサートホールへ向おう。
(2016年12月13日)
by kirakuossan
| 2016-12-14 07:48
| 新日本紀行
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